Episode_21.03 沿岸域襲撃!


アーシラ歴497年7月中旬


 日に日に暑さが増していく初夏の日差しの下、レイモンド王子派の西方面軍と中央軍、及び民兵団の一部は西トバ河の南岸に上陸すると、そのまま街道を南下しタバンを目指した。その規模は西方面軍の五個大隊二千五百と二百騎の騎士、中央軍の攻城大隊五百人と五十騎の騎士、及び民兵団の二個大隊千である。総勢四千の兵士と二百五十騎の騎士と言う大軍はマルフル将軍、オシア副官の指揮により整然と街道を南下した。


 一方、彼等を迎えるタバンとの内応の調整は、王子派とタバン側の双方が使者を行き来させて秘密裏に行われた。そして、進軍が始まるまでには粗方の準備段取りが整っていた。タバンの街に一部残留しているという王弟派第二騎士団の一部と、傭兵部隊が進駐してくるまで防衛力の主体となるべきタバン衛兵隊は、街を取り囲む城壁で防戦することになっている。しかし、それは見せかけであり、戦闘初日の深夜に街の門は開かれることになっていた。勿論、その手引きをするのはタバン衛兵隊である。彼等は、門を開け王子派軍を街中に引き込むと同時に、残留した第二騎士団を包囲し迅速な行動を阻むこととなっていた。


 それ等の段取りを知る王子派の騎士達の中には、


「既にタバンは落としたも同然」


 という空気が漂っている。歴戦のつわもの揃いの西方面軍であるから、兵士の士気に影響するような気の緩みは生じていないが、騎士達の間に流れる空気は戦いの前にしては緊迫感に乏しかった。


「オシア……どう思う?」

「よろしく有りませんな……」

「だろうな」


 街道を南下する隊列の中程で、マルフル将軍は副官オシアに問い掛けた。実に何度繰り返したか分からないやり取りだった。


「しかし、私は安心しております」

「どう言う事だ?」


 オシアの言葉にマルフルが訊き返す。両者の歳は親子ほど離れている。今は亡き父親ドルフリー・アートンに疎まれ遠ざけられていたマルフルにとって、オシアは或る意味親代わりだった。しかも、今回の戦いが終われば、親代わりから本当の意味で親、義理の父親と成ることになっていた。


「この度のタバン攻め……万一その結果をマルフル様がはやることがあっては、と案じておりましたので」


 その返事に、マルフルはオシアの言わんとしている事が分かった。マルフルの顔に控えめな笑みの表情が浮かぶ。


「内応の話など鵜呑みにはしておらん。レイ兄もそうだろう……」

「いかにも」

「だが、カテジナ殿を貰い受けるのだ、その前の戦いは勝利で飾りたい……そういう気持ちは……無いとは言えない」

「そこは素直にお認めになるのですな……」


 二人は馬を並べて進む。オシアがふと見るマルフルは、いつの間にか馬上に在っても自分と背丈が変わらなくなっていた。


「……ところで、マルフル様」

「なんだ?」

「我が娘には分不相応にも『殿』と付けて呼ぶのに、何故私は呼び捨てのままなのでしょうか?」


 涼しい顔をして聞くオシアだが、若い将軍をからかう・・・・意図は見え透いていた。対してマルフルは少し動揺した風になると、


「し、染みついた呼び方というものがあるだろう。今更『お義父様』と皆の前では呼べまい」

「はははは、確かにそうですな。想像するとゾッとします」


 というやり取りになった。


 実はマルフルとカテジナの婚姻の件はそれなりの紆余曲折を以って進んでいた。


 事の始まりはマルフルの実父、アートン公爵家の当主ドルフリーが引き起こした「八月事件」が切っ掛けであった。その際、エトシア砦を訪れたカテジナの姿にマルフルは一目惚れをしていた。前から見知っていた女性であるが、しばらく振りに目にしたカテジナは男装の乗馬姿も凛々しく、それでいて成熟した女性の美しさを醸していた。その魅力に気付いたということは、それだけマルフルが成長していたという証しでもあっただろう。


 しかし、当時のカテジナは姉のイナシアに仕える一介の侍女という立場であったため、身分違いの恋と勝手に諦めていたマルフルであった。だが事情はそんな青年に味方するように、不幸な出来事と共に一気に動いた。実父ドルフリーが自刃し、自家のアートン家が公爵位をレイモンド王子に奉還したため、マルフルとカテジナの間には役職以外の身分の隔たりが無くなったのだ。そこからマルフルの恋の戦いが始まったのだが、相手は彼よりも五歳年上の女性であった。


「マルフル様にはもっと相応しい女性が居るはずです。年増の私など捨て置きください!」


 カテジナはその一辺倒で全く相手にしてくれなかったのだ。なまじ騎士の娘だけあって、カテジナは芯の強い女性である。そのため、想いを伝えるマルフルは何度と無く返り討ちに遭う事になった。しかし、中々へこたれない・・・・・・マルフルの努力は周囲の助けを呼び込むことになる。


 エトシア砦防戦からストラを奪還した戦いの後、マルフルが駐留していたストラの街の救護院にカテジナを派遣したのはレイモンドと姉イナシアの配慮であった。そして、ややもすると行き遅れ・・・・になり兼ねない娘を案じるオシアもまた(当初は非常に驚き反対したものの)結局はマルフルに協力的だった。


 そして、二人の関係はディンス攻略戦の前に一気に近付いた。厳しい戦いを前にしても、変わらず熱心に想いを寄せるマルフルの様子にカテジナがほだされたのかといえば、実はそうでもないらしい。カテジナとしては、五歳も年上である自分と若く才能に溢れるマルフルでは「つり合いが取れない」と本気で考えていたとのことだった。元々その気が無ければ、それでお終い・・・・・・になるのが道理の色恋沙汰で、マルフルがそこまで粘れたのは、無意識にカテジナのそんな素振りを見取っていたからなのだろう。とにかく、カテジナが抱えていた悩みを打ち明けた後の二人の関係は、邪魔するものが何も無い状態で一気に近くなっていたのだ。


「今回の件が無ければ、秋にも婚姻でしたのに」

「言うなよ……こればっかりは仕方がない」


 近い将来、義理の親子と成る将軍と副官だが、軍を率いる公の立場では今まで通りで過ごすと了解し合っている。そのため、言葉遣いは上下の身分差を感じさせるが、実際の二人の語調は柔らかい。


 副官オシアはエトシア砦に少年であったマルフルを受け入れた時から、時に父親、時に兄として若い将軍に範を示して接してきた。今では立場は変わってしまったが、当時は実の父親から疎まれ本拠地アートンから離れた場所へ配された不遇の少年であったマルフルに非凡な才を感じ取った騎士オシア ――本来ならば「柳槍のシモン」と並び称されるほどの武人―― が選んだ生き方だったのだ。


「なに、戻れば直ぐだ」

「そうですな」


 つっけんどんな言葉の中にも通い合った情が見て取れる。そんな会話だった。しかし、この二人の指揮官の和んだ様子が部隊の騎士達に伝播し、士気を緩ませる原因の一つとなっているのは皮肉でしかないだろう。その事を二人が後悔するのは、直ぐの事である。


 マルフル将軍率いる西方面軍は街道を南下する。タバンまでの距離は簡単な攻城兵器を備えた一軍の行軍速度で凡そ一日半だ。そのため、軍勢は途中で陣地を設営すると、念のための斥候を前方に展開し、夜間の進軍を休止した。


 そんな夜に、遠く北に離れた海岸線で異変が起こった。


****************************************


 夜更けの暗い海、折から強く吹き始めた南西の風は今の季節には珍しいほどの冷たさを帯びて浜辺近くで海面を波立たせる。そんな波を切り裂いて小型の舟艇が浜に乗り付けた。それは、四都市連合が誇る最新鋭の三段櫂ガレー船ではなく、もっと小型な上陸用の小舟だ。その舟には漕ぎ手の他に、一艘当たり二十人の傭兵が乗っていた。そんな船が十数艘、浜辺に乗り上げたのだ。場所はストラの街に近い浜辺。漁村が点在する場所だ。


「漁民を殺し、家を焼け。女子供とて容赦するな。急げ!」


 冷酷な指示を下すのは四都市連合作軍部の将校だ。前任のロキシスを蹴り落とし作軍部総長と中央評議員という二つの地位を手に入れたヒューブ現総長によって、四都市連合の作軍部は刷新されていた。組織が改革され、全体が若返る。すると、そこには出世の可能性が生まれる。そのため、若い将校達は手柄を立てようと躍起になっている。彼等にとって、出世のためならば名も顔も知らぬ他国の民などどうなっても良かった。


 一方、彼等の指示を受けるのは専ら四都市連合の仕事のみを受ける専属に近い傭兵団だ。彼等は、オークの傭兵団も格や、と言わんばかりの冷酷さを示す。全てが金のためであり、次の仕事のためであり、彼等の生活のためでもある。


 また、それ等の集団の中でもひと際大きい本隊には、西方や中原では見慣れない格好をした者が混じっていた。その人物は痩せ細った漆黒の身体に独特な紋様の入れ墨を全身に彫り込んだ南方大陸出身の呪術師と思われる風貌をしていた。周囲から浮き立つように異様な雰囲気を醸している彼は緋色の貫頭衣ローブを冷たい風で靡かせながら、上陸した傭兵部隊の最後尾に付けると、無言で彼等の後に続く。彼の周囲にはひと際重たく凍えるような風が渦を巻いて纏わり付いていた。


 一つの集団の規模は二百人から三百人ほど、別々の場所に上陸した彼等は夜陰に紛れて浜辺に点在する漁村を殆ど同時に襲ったのである、漁民達には成す術が無かった。それでも、村と自分の家族を守るため、多くの漁師がもりや投網といった漁具を武器として戦った。結果として幾つかの漁村では、女子供と年寄達を街道の方へ逃がす事が出来た。しかし、全体としては悲惨な運命は変えようもなく、ごうごうと燃え上がる村の家屋と共に、多くの人々の命がこの夜に断ち切られた。


 そうやって襲撃を受けた幾つかの漁村の内、もっともストラに近い内陸寄りの村にも、周辺の漁村を襲った集団が到達していた。


「みんな! 早くストラまで走れ!」

「ジェロ! あなたも早く!」

「分かってる。エーヴィーは先に行ってくれ」


 前日、大怪我を負った村人の治療のためストラの救護院からこの村へ派遣されていた元パスティナ救民使白鷹団のエーヴィーは、同行者であるジェロにも一緒に逃げるように言う。二人は宿代わりに用意された民家の一室で絡まり合って眠っていたところに異様な物音を聞いて事態に気付いていた。


「ジェロ! 一緒に!」


 エーヴィーの声は悲鳴のようにジェロに届いた。そこへ、


「ジェロ! あんな数は無理だ。エーヴィーちゃんの言う通り逃げよう」

「そ、そうだな……」


 ストラへ逃れる住民達の後ろ姿は可也遠ざかっている。火の手が上がり始めた村、その明かりに照らされる襲撃者の人影、そして、村から逃れる村人達を交互に見ていたジェロに、別の声が掛かった。それは、救護院で働き始めたイデンの声だった。戦いの神マルスを信仰し、勇気を信条とするイデンだが、無謀な戦いはマルス神の教えに反するものとされる。


「ジェロ! 早く!」

「よ、よし! 逃げるぞ、エーヴィー!」

「うんっ」


 三人は内陸の村からストラの街を目指して走り出す。背後には燃え上がる村と吹き上がる煙が迫る。その更に後方には逃げ遅れた人々が居るはずだ。そんな人々が上げる阿鼻叫喚は必死で駆ける三人には聞こえるはずも無い。ただ、一度だけ、鋭く甲高い鳥の鳴き声のような音が大気を切り裂いて響いて来た。だが、三人ともそんな不気味な音に注意を払う余裕は無かったという。

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