Episode_21.01 内応の使者


アーシラ歴497年 コルサス王国王子派領


 昨年十月のディンス攻略作戦成功以来、コルサス王国を二分する王弟派と王子派の争いは、西トバ河を挟んで小康状態となっていた。


 その間、レイモンド王子を首領とする王子派は戦力の回復に時間を費やした。民兵団に志願した多くの新兵達は充分とはいえないまでも、必要な水準の訓練を施された上で東西方面軍と遊撃兵団へ割り振られる事となった。また、各兵団内部では精強な兵を選抜して主戦力たる騎士・騎兵の補充を大急ぎで進めていた。結果として、今年の春ごろには、王子派領の兵力はディンス攻略前の水準を上回るものと成るに至っていた。


 急激な規模の拡大であったが、これには二つの理由があった。一つ目の理由は人口が多い港街ディンスを奪還したことである。長い圧政から解放されたディンスの人々、特に王弟派施政下でディンスの現地徴集兵として一段下の待遇を受けていた者達は勇んで王子派軍に志願した。そして、二つ目の理由はディンス陥落の際に捕虜として留め置かれていた「東の砦」の兵士達である。ディンス陥落後も変わらずに「東の砦」で捕虜生活を送っていた兵士の集団は、王子派主要人物からの度重なる懐柔を受けてレイモンド王子へ恭順し配下に加わる事になったのだ。


 因みに東の砦で虜囚とされた千名近い兵士達を統率していた王弟派の騎士大隊長は、コモンズという名の四十代中盤の男だ。自ら望んで東の砦に残ったほどの部下思いで人望の厚い人物だった。そのコモンズがレイモンド王子と直接会談を重ね、最終的にその軍門に下ることを決意したという事だった。そこに至る経緯として、王子派の捕虜に対する処遇の良さが有った事は言うまでもない。そして、騎士コモンズの決定に異を唱える兵士達は殆ど居なかったという事だ。結果として騎士コモンズ率いる二個大隊分の元捕虜の兵士達は、西方面軍マルフル将軍の指揮下に配されると、ディンスから後方のトトマへ配置を転換されることになった。


 一方、最前線となったディンスと西トバ河北岸の守りには西方面軍と、遊撃兵団の一部が配されている。特にコルタリン山系を割ってリムル海、デルフィル湾に流れ込む西トバ河の流域は南北両岸が長く森林地帯に覆われている。川幅は広いものの、河岸まで迫り出した森林は王弟派勢力の絶好の進入経路となる可能性を秘めているため、特に重点的に巡回監視される事になった。その巡回監視任務に当たったのがダレスを含む遊撃兵団の面々であった。


 そのようにしてアーシラ歴四百九十七年の初頭は、大きな戦いが発生する事無く過ぎようとしていた。しかし、小康状態下でも事態は少しずつ変化を見せ始める。特にリムルベート王国がインヴァル半島に於ける戦いで勝利を収めたこの年の五月、その動きは突然顕著となり始めた。


 王子派領ディンスの街に、タバンの太守アンディー・モッズの使者を名乗る男が現れたのだ。


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アーシラ歴497年5月 コルサス王国王子派領 ディンス


 その男は、夜陰に乗じて西トバ河を渡ると、夜も白み始めたディンスの街に河岸から堂々と進入した。渡河には西トバ河の南岸に点在する漁師村の小舟を使ったと見られるその男は、誰に咎められる事も無く衛兵隊の詰所を訪ねた。丁度、先のディンス攻略作戦において渡河上陸した遊撃兵団が最初に占拠した衛兵詰所であった。


「私の名はカドゥン。主であるタバン太守アンディー・モッズの親書を携えてやって来た。内密を要する内容である。至急西方面軍マルフル将軍に取り次いでもらいたい」


 丁度夜勤めと昼勤めの衛兵が入れ替わる時間に詰所を訪れた男は堂々とそう宣言したという。しかし、ディンス衛兵団の衛兵達は突然現れた男を、戯言を言う酔っ払いか狂人の類と思い相手にしなかった。そのため、カドゥンと名乗った男はしばらく詰所の二階の部屋に閉じ込められる事となってしまった。泥酔や喧嘩騒ぎなど、犯罪ともいえない軽い罪を犯した者に対する措置であった。そんな彼が解放されたのは、未明に接岸した不審な漁師の小舟の情報を聞きつけた西方面軍の正規騎士と兵士が調査のために詰所にやって来た時だった。


 すぐさま解放されたカドゥンは、それなりの丁重さをもってディンスの城砦へ連れられた。詰所の衛兵達にとっては降って沸いたような失態だったが、騎士達はそれを咎め立てる事は無かった。何と言っても、渡河上陸を許したのは西方面軍である彼等の失態だったからだろう。


 そんな経緯で城砦に案内されたカドゥンは西方面軍のマルフル将軍とオシア副官に面談すると、懐に隠していた親書を手渡した。親書には確かに王弟派領タバンの太守アンディー・モッズの署名と蝋印があった。


「カドゥン殿……内容を知らずにこれを届ける訳にはいかない」


 三十代に見えるカドゥンに対してマルフル将軍は如何にも若い。実際今年二十歳になったばかりの将軍だが、見掛けの割には思慮深く、又難しい戦いを幾つも潜り抜けてきた歴戦の将として肝も据わっていた。そんなマルフル将軍の言葉にカドゥンはうやうやしく一礼をすると、


「我が主アンディーの言葉をお伝え致します。『王弟ライアード、並びに逆臣の長ロルドールは我が祖国コルサスを他国の勢力に切り売りしようとしている。ほとほと愛想が尽きた。格なる上はレイモンド陛下と轡を並べ、共に祖国の統一に邁進したい』と申しておりました。書状の内容は概ねそのような事だと思います」


 これには、流石のマルフルも副官オシアと共に驚いた。何と言っても、アンディー・モッズが治めるタバンは、王子派にとって西トバ河を挟んでディンスと相対あいたいする次の攻略目標なのだ。タバンを抜けば王都コルベートまでの間は崖沿いの街道が海岸線伝いに続くばかりで進撃の妨げとなるような存在は数か所の小規模な砦と幾つかの街のみである。コルベート攻略のためには絶対落とす必要のある要害がタバンなのだ。そのタバンを治める太守が「内応」の書状を送って来たである。驚くな、と言う方が無理であろう。


「……しかし、話が出来過ぎている」

「たしかに、此方が喉から手が出るほど欲しいモノがこうも簡単に舞い込んできますと……疑って考えるのが尋常というもの」


 当然マルフル将軍と副官オシアの反応はそういう風に猜疑的になる。一方、カドゥンの方は平然とした風を崩すことなく、


「それは、お二人ではなく、レイモンド陛下に御裁可頂きたいところです」


 と述べるのみだった。


 結局、マルフルとオシアはこのカドゥンという使者を後方のトトマへ送ることにした。トトマには、その街を出城のように使い始めたレイモンド王子が滞在を続けている。そんな王子の周辺には騎士アーヴィルやマーシュとロージの兄弟騎士、さらに筆頭家老のジキルを始めとした家老集団が居た。彼等ならば、レイモンド王子を補佐し良い判断を下すだろうと考えたのだ。


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 使者カドゥンを乗せた馬車は十騎の西方面軍騎士に護衛され、その日の内にディンスの城砦を出発すると、ストラ、エトシアを経てトトマを目指した。その道中、馬車の居住室コーチ内に一人で乗せられたカドゥンは表情を動かさないまま瞑目して過ごしていた。先を急ぐ馬車の車内は整備された街道を行くといってもかなり揺れる。しかし、カドゥンは堅い長椅子の上に腰掛けたまま、まるで刻々と変わる路面の状況と馬車の振動を先読みするように、終始背筋を伸ばしたままで平然として姿勢を崩さなかった。それは、常人には難しい所業であるが、この時その事に気付く者は誰も居なかった。

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