【正しき主編】黒翼の悲王

Episode_21.00 デルフィルの噂


 リムルベート王国と四都市連合がインヴァル半島西岸から南端に掛けて争った戦いは、終結後「インヴァル戦争」と呼ばれるようになった。その戦争に於けるリムルベート王国側の戦略目的は、インヴァル半島に沿って東へ伸びる航路の安全確保であった。そしてリムルベート王国はその戦略目的をインバフィル占領という形で達成した。


 歴史書を編纂するロ・アーシラの歴史学者もアーシラ歴四百年代終盤での大きな出来事として史書に記すほどの大戦果であった。しかし、その内容を精査すると、浮彫になるのは戦争末期のインバフィル陥落時に四都市連合側は防戦に消極的であったという事実である。殆どインバフィルを切り捨てるような対応で、これは常識的に考えれば不可解この上ない対応であった。その事実を、肌身を以って実感するのは戦争勝利に沸くリムルベート王国であった。特にその中心である国王ガーディス・リムル・オンハルトとその周辺は四都市連合の次なる動きを探ろうと情報収集に力を入れることになった。


 一方、市井しせいの経済活動は戦争前から続いた停滞状態を脱していた。西はオーバリオンのスウェイステッドから、オーバリオン、コーサプール、リムルベート、ノーバラプール、インバフィル、ボンゼ、デルフィルを経て、コルサス王国王子派領のディンスまで繋がった交易航路は五月の戦争終結を期に活況を呈した。


 リムルベート王国域内の港には、依然として四都市連合から直接交易船がやって来ることは無い。しかし、物流という形で姿を現す経済という概念は、まるで生き物のように傷付いた己の身体を回復するように働く。喩えるならば、切れてしまった血管を補うため、別の血道が通り身体の隅々まで滞り無く血流を行き渡らせるようなものだ。つまり四都市連合からの交易品は独立都市国家デルフィルや新たに通商協定を結んだオーバリオン王国を中継することで西方辺境の国々に行き渡る。また、西方辺境域の物品も同じような経路で四都市連合を介してリムル海交易に流れ込むのだ。


 世界中の人々の「欲」を原動力として休むことなく続く経済活動の前では、戦争という殺し殺されの場・・・・・・・を経験した人々が紡ぐ憎悪と怨嗟の鎖などは所詮一時の状況の変化に過ぎないのだろう。それどころか、そんな出来事すらある種の養分として取り込み成長する経済それは、この世界をとっくの昔に支配下に置いた真の意味の支配者、又は神の実体なのかもしれない。


 しかしそれが神であろうが魔神であろうが、人々の日々の暮らしにはどうでも良い事だった。


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――六月下旬の夕暮れ時


 日々の労働を終えて家路を急ぐ者、気の合う仲間と楽しく語り合い騒ぎ合う者、又は幾ばくかの癒しを遊興に求める者、デルフィルの街の港から続く大通りには様々な人々の姿があった。そんな大通りの両脇にはこの時間帯、屋台がひしめくように軒を連ねている。多くの人々が足を止めては夕食を買い求める光景が繰り広げられる。そして、その大通りを少し脇に逸れた小路へ足を踏み入れると、今度は店舗を構えた食べ物屋や飲み屋が続く一画へ出る。こちらも盛況な様子である。


 港に近いこともあり、この辺りの店は上品さには欠けるものがある。客層も港湾労働者や船乗り、さらに勤め人や小規模な隊商主が多い。そんな客層の懐具合に合った食事や酒を提供している店ばかりである。


 そしてこの日、そんな飲み屋の一つでは、或る小規模隊商の主が機嫌の良い酒を飲んでいた。荷馬車三台の小さな隊商だが、仕事を選ばず早く運ぶのが信条であった。そんな彼は、リムルベート王国のウーブル侯爵領からの荷物を運び、先ほど無事デルフィルのアント商会へ届けたところだった。最近は海上交易路の回復により、陸路を行く隊商達も活況となって来た。特に内陸の街や村へ物を運ぶ小規模隊商の需要は高い。


「景気が良くてありがたい事だ」


 誰ともなく呟く言葉も愉し気である。そんな隊商主の男に、一人の商人風の男が近付いてきた。


「一杯ご馳走しても?」

「なに、今日は懐が温かいんだ、俺がご馳走してやるよ」

「はは、それは豪気な……では遠慮なく」


 そんな会話は、この手の飲み屋にはありふれたものだ。特に構える事も無く、隊商主と商人風の男は杯を交わすと強い火酒を空ける。


「次の仕事は決まってるのかい?」

「いんや、でも直ぐにあるだろうな。今度は近場が良いと思ってる」

「へぇ、じゃぁお宅さんにピッタリの仕事が有るんだが」

「なんだい、アンタは他所よその人かい?」


 デルフィルでは、物を運ぶ仕事はアント商会の仲介斡旋を受けるのが一般的だ。特段の決まりはないが、個人で探すよりも効率が良い。またアント商会側が隊商出発の時期を調整し、小規模隊商を纏めて大きな隊商に仕立て上げる事も頻繁に行われている。これは、隊商と荷物の安全確保のためである。しかも仲介斡旋料はそれほど高額でも無いとなれば、使わない手は無い、というのがデルフィルの常識であった。


「ディンスの出身だよ。でな、その仕事ってのは――」


 商人風の男の説明によると、定期的に食料品などの生活物資をデルフィルから東の海岸線付近へ運んでほしい、と言う事だった。運ぶ物資の仕入れはこの商人が行うので、隊商主は純粋に運ぶだけだった。


「月に四度の往復でいいんだ。期間は、そうだな、今年の冬辺りまでかな」


 そう言う商人風の男は、期間が前倒しになって終わっても所定の金額を支払うと約束した。更に彼が提示した金額は相場の倍は高いものだった。


「なんだよ……キナ臭いのは御免だぜ」

「物を運ぶだけだ。キナ臭いなんてことは無い……なんなら前金で七割払ってもいい」


 その後二人はしばらく話を続けると、商人風の男が隊商主を誘うように席を立った。どうやら、もっと面白い店・・・・へ移動することになったようだ。


「さぁ、仕事前の景気付けだ。綺麗どころを冷やかしに行こう」


 そう言う商人風の男は、意気投合したように隊商主の背を軽く叩きながら店を出ると小路の奥を目指して歩き出した。どうやら仕事の依頼は成立したようだった。


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 それからしばらくして、デルフィルの街の特に港の辺りである噂が流れるようになった。それは、


 ――四都市連合の海軍に追われた海賊がデルフィル付近の海岸に潜伏しているらしい――


 というものだ。どうやら、或る小規模隊商主がデルフィルの東側の海岸線という住む人の居ない場所へせっせと物を運んでいる、という話が姿を変じたものである。しかも、多くの人の口へ上る間に色々と尾鰭が付いており、


 ――船長が疫病に掛かり動けないらしい――


 だとか、


 ――奪った財宝を隠す場所を探しているらしい――


 等といった話に姿を変えていた。そんな噂は|一時《いっとき)だけ人々の口に上り、夏が終わるころには忘れられていったのだった。

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