Episode_20 エピローグ 新妻の憂鬱


 婚礼の儀から数週間後、ウェスタ侯爵家の王都邸宅での暮らしに慣れ始めたノヴァは、この日一通の手紙を受け取っていた。差出人はノヴァの父親、ドルドのスミ村代表を務めるヘムル・バルドだ。


 実は、婚礼には必ず出席すると約束していた父バルドは結局姿を現さなかった。森ばかりのドルドの中では大きな集落のミ村で代表を務める一族であるバルド家の唯一の人間がヘルムだ。そのため、ノヴァは


「何か外せない用事が出来たのかしら」


 と思う事にしていたが、それでも数年振りに父親に会い、自分の晴れ姿と産まれたばかりの息子を披露する事を少し楽しみにしていたノヴァは内心では落ち込んでいたものだ。


 そんな新妻の気持ちが分からないはずのないアルヴァンもまた、その事を気に病んでいた。そのため、次回、来年の西方同盟連絡使節に自ら志願し、その道中でノヴァの父親に会うということを画策し始めていたほどだ。父親である侯爵ブラハリーは、


「宮中での根回しの練習だな。好きにやって、結果を出して見せてくれ」


 と黙認する姿勢だった。父からの暗黙の承認を得たアルヴァンは、自身の伝手を活用すると、渉外次官に昇進したばかりのチュアレに「お願い」という名の圧力を掛け始めていた。そんな折に届いた手紙だった。その手紙には、


 ――愛する我が娘ノヴァへ

 約束を果たせず婚礼の儀に出席できない事を許して欲しい。

 実は、少し困った事が起きた。

 大分昔に話したことなので覚えているか分かららないが、サーラの兄、お前にとっては伯父に当たる人物で長くオーバリオン王国に仕えたクランスという御仁が居る。そのクランス殿がオーバリオンからドルドへ逃げ込んで来たのだ――


 ノヴァは手紙のその部分までを読むと、ゴールスを呼んで夫アルヴァンの所在を尋ねた。


「若様なら、修練の間に居るはずです」

「ゴールスさん、スミマセンが、呼んで来てもらいませんか?」

「お安い御用です。でも、そのゴールスさん、というのは止めてください。気軽にゴールスと呼んでなんなりとお申し付けを」


 慇懃な物言いとは程遠いゴールスの真心の言葉だ。これでも若かりし頃は領兵団一の強兵と言われていたというのだが、そんな風には少しも見えない。


「わかったわ、気を付けるから……お願いね」


 一方のノヴァも、サラリとした銀髪を肩に垂らした飾らない表情でニコリと笑って言う。今やリムルベート王国随一の剛剣の遣い手として名高い筆頭騎士デイルをして「強敵です」と言わしめる風には見えない、柔らかい表情だった。


 その後、ゴールスに呼ばれたアルヴァンがノヴァの元を訪れる。


「どうした? まさか、ガーラの具合が悪いのか?」


 珍しい呼び出しに、部屋に戻ったアルヴァンは少し焦った様子だった。しかし、小ガーランドと呼ばれる二人の息子は、ノヴァの傍らでスヤスヤと寝息を立てているだけだ。


「ガーラは大丈夫よ、お乳も良く飲むし……そうじゃなくて、この手紙なんだけど」


 ノヴァはそう言うと、父からの手紙をアルヴァンに手渡す。ノヴァに父ヘルムから手紙が届いたことを承知しているアルヴァンは、問いかけるようにノヴァを見た。


「何か有ったのか?」

「読んでみて」


 妻に促されたアルヴァンは、その手紙に視線を落とした。


 ――クランスは一人の女性と赤子を連れていた。女性の名はレーナム、昨年亡くなったオーバリオンのソマン王子の妃だという。そして連れられた赤子はその王子ソマンの息子だと言うことだ。オーバリオン側の街カナリッジを治める第二王子セバスがその二人とクランスをドルドに逃がしたと言う事だが、彼等の処遇をどうするか? について、レオノールが緊急の会議を招集した。事態は急を要する。何故ならば、カナリッジの更に南にオーバリオンが軍勢を展開したという報せがあったのだ。

 愛する娘ノヴァよ。父の愛は変わらぬが、このような状況で身動きが取れず、お前の晴れの姿を見ることも出来ない。どうか許して欲しい。そしてアルヴァン殿によろしくと伝えてくれ――


 手紙は謝罪の言葉で締めくくられていたが、アルヴァンの注目は当然そこではない。


「何が起こっているのだ?」

「分からない、でも……ああ、そういえば、カトレアは?」

「あぁ! カトレアさん……今は山の王国を経由してオーバリオンに向かっているはずだ」

「不味いんじゃない?」

「……まずは、渉外部に確認する。ノヴァ、心配かもしれないが……」

「わかってるわ。貴方に任せる。頑張ってね! 頼りにしてるわ」

「ああ、任せてくれ」


 そう言うと、アルヴァンは急ぎ足で出て行った。きっとその足で王城へ向かうのだろう。そんな彼を送り出すノヴァは、胸を塞ぐように広がる憂鬱の黒い雲を持て余すように溜息を吐いた。眠っていたはずの幼いガーランドが、身動みじろぎるすと不意にぐずり出した。悪い未来を暗示するかのように泣き声を上げる赤子を抱き上げたノヴァは、その乳臭い身体にそっと顔を押し当てるのだった。


****************************************


 アルヴァンがヘルム・バルドの手紙から異変を察知したころ、王城でもオーバリオンに放った密偵から異変を伝える報告があった。


 そして、リムルベート王国は山の王国と連名でオーバリオンに対し、ドルドとの国境に配した兵を退くように働きかけた。対するオーバリオンの動きは鈍かったが、それでも再三に渡る圧力を受け、その年の末には兵を退くことになった。ドルド側がよく自制し、オーバリオン側にこれと言った口実が無かったことが奏功し、国境で争いが発生することは無かった。


 一方、ドルドに逃げ込んだ亡き第一王子ソマンの遺子については、リムルベート、山の王国、ドルドの三者によって固く秘密を保たれることになった。


 西方辺境域を覆う暗雲はインバフィルで払われたかに見えたが、その触手は次なる標的として、確実にオーバリオンを蝕んでいた。リムル海を越えて遥か南からオーバリオンへと伸びた触手はゆっくりと毒が回るようにオーバリオンを蝕んでいた。多くの人々はその事に気付かず日常を謳歌している。しかし、火種は確実に、西の果てで燻りつつあった。


Episode_20 それぞれの行く途 (完)

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