Episode_20.31 それぞれの行く途


 季節は音も無く過ぎていく。過ぎゆく季節が平和な時間で彩られれば、尚の事、それは滑るように後ろへ遠ざかって行く。既に秋風が吹き始めた王都リムルベートでは、一人の青年が高くなった青空を見上げて季節の移ろいを感じていた。そんな青年の傍らには当然のように少女が立っている。二人はリムルベートの城下の北端で馬を引く手を止めると、空を見上げ、そして後ろを振り返り丘の上へと続く街並みを見た。


「しばらく帰って来れないかもしれないな」

「私は大丈夫よ、お父さんのお墓にもお花を供えたし、ユーリーの事も報告したから」

「そうか……ジムさんはどう思うかな?」

「あら……そんな事を気にしてるの?」


 ユーリーの言葉にリリアは訊き返した。ユーリーと養父ジムのやり取りを盗み聞きしていたリリアであるが、その事は胸の奥に仕舞い込んだ大切な思い出だった。


「どうだろう……僕に任せて、とは約束したけど……こんなに彼方此方に首を突っ込むような落着きの無い男なら、ジムさんは『約束が違うぞ』って言わないだろうか?」

「ふふ、そんな事無いわよ。きっと喜んでるわ」


 ユーリーが自分を指して「落着きが無い男」と評するには訳があった。彼の元にはもう一人の親友・・・・・・・と呼ぶべき人物から、状況の急変と助けを求めるような便りが舞い込んでいたのだ。


****************************************


 その便りがユーリーの元に届いたのは、アルヴァンとノヴァの婚礼の翌日だった。


 想い合う男女の節目となる儀式なのだから、式の豪華さなど問題では無いのだが、流石に三大侯爵の一角であるウェスタ侯爵家の嫡男の婚礼は大規模であった。殆どリムルベート王国中の爵家貴族が祝いの品と祝辞を述べるために訪れたといって良い。


 式場となったウェスタ侯爵家の王都邸宅は朝から来客に解放され、次々運び込まれる祝いの品で、門前の坂道は騎士デイルの家辺りまで荷車の列が出来たという。そして、正午を合図にミスラ神殿の大神官によって執り行われた婚姻の儀式は、その後アルヴァンとノヴァの間の子、小ガーランドのお披露目を経て午後には祝宴となった。


 そんな祝宴の最中、ユーリーとリリアはアルヴァンとノヴァの護衛よろしく、ずっと二人の側についていた。護衛と言っても甲冑姿ではなく礼服姿のユーリーと、ハンザから借りたドレスに身を包んだリリアは主役の近くに居る事もあって、それなりに来客の耳目を惹く事になった。中には、未婚の爵家男子が美しいリリアとお近づきになろうとして居座ろうとする場面もあったが、これはやんわり・・・・とリリア本人に排除されていた。


 来客の面子は多彩であった。特にザリア子爵ハリスは、アルヴァンとノヴァへの祝辞もそこそこに済ませるとユーリーを捉まえて、まるで此方ユーリーが本命と言わんばかりに酒を勧めて話し込んだ。


「君には、色々と恩ばかりが増えるな」


 子爵ハリスはしみじみとそう言う。三十そこそこの若さながらその表情は老成したものだった。彼が言う「恩」とは、半分は弟ダレスの事であり、残りの半分は先のアドルムの戦いで手柄を譲られたことなのだろう。


 対するユーリーは特に恩を売ったとは思っていない。嘗ての黒蝋事件でダレスを国外追放に留めて貰った事は、その場の勢いもあったが、見知った人物が処刑されるのが忍びなかったという思いが大きかった。そして食人鬼オーガーを討った手柄を譲った件は、そのダレスの件で後ろ暗い気持ちが残っていたため、それを晴らすために勝手にやったことだ。


「ダレスは元気にやっていますよ」

「なに? ダレスの今を知っているのか?」


 これまで話す機会が無かったダレスの近況を、ユーリーはこの時初めて兄であるハリスに話した。コルサス王国の王子派として遊撃兵団で騎兵隊の隊長を務めている、そんな弟の近況にハレスの表情は複雑であった。無事を知った安堵、騎士のように活躍しているという喜び、そして内戦の只中で戦い続けている弟の身を案じる不安、それらが心の中で渦巻いている。そんな表情だった。


「そうか……教えてくれて有難う」

「もしかしたら、コルサスへ戻ることもあるかもしれません。何かことづけは有りますか?」


 そうやって水を向けるユーリーに対して、ハリスは一度自分の席に戻ると、しばらくしてその場で書いたと思われる手紙を携えて来た。


「何時でも良い、これを弟へ……無事と栄達を祈ると」


 と言う事だった。


 その後祝宴は宵の口まで続いたが、アルヴァンとノヴァの新婚夫婦は途中で退席することとなった。そんな二人の背中には、少し酒に酔ったヨシンから


「二人目、頑張れよー」


 という、返事に困る冗談が飛び、周囲の笑いを誘っていたという。その後もしばらく続いた祝宴だが、深夜に差し掛かる前には完全にお開きとなった。結局最後までヨシンやガルス中将に付き合っていたユーリーとリリアは、その日の遅くにサハン男爵の屋敷に戻ることとなった。


 そして翌日午後に、二人が滞在するサハン屋敷を訪ねる者があった。その人物はデルフィルにあるアント商会陸商部が差し向けた急使という事で、懐に携えていた羊皮紙の書状をユーリーに差し出した。


 ――王弟派の攻勢ひと際凄まじく、これを防ぎ守るために知恵と力を借りたい――


 短い文章にはコルサス王国王子派の首領、レイモンド・エトール・コルサスの署名があった。ユーリーはレイモンド王子の気性をよく理解している。軽々しく他人の、しかも他国の者に助力を乞うような人物ではない。その彼が、諸々の事情を押して助けを求める書状を送ったのだ、余程の事があるのだろうと考えた。


「確かに受け取りました。ご苦労様です」


 急使にそう返事をしたユーリーは、その日の内にアルヴァンに事情を告げコルサス王国行きを伝えた。アルヴァンは突然の事に驚いたが、引き留める事は無かった。只、


「助けになる事ならば何でも言ってくれ」


 と言うのみだった。


 その後、ユーリーはその足でマルグス子爵家のヨシンを訪ねた。ヨシンは前日の酒が残っているようだったが、ユーリーの言葉を聞くと悔しそうに呻いた。


「……一緒に行くという訳には――」

「バカだな、子爵家の人間が力を貸したら、幾ら勝手にやったといっても――」

「分かってるよ! ……レイにくれぐれもよろしくと」

「ああ、分かってる」

「それと、マーシュさんにも、ロージさんにも、アーヴィルさんにも、ダレスにも……忘れずな」

「ああ、分かってる。じゃぁ行ってくるよ」

「気を付けてな」


 というやり取りになった。


 そして、荷物をまとめたユーリーは、その翌日には旅の人となったのであった。


****************************************


 往来の中で立ち止まっていた二人であるが、ユーリーは仕切り直すようにリリアを促した。


「さぁ、行こう。夜までにはスハブルグに着きたい」

「そうね……ねぇユーリー、やっぱりレイモンド王子とリシアさんが心配?」

「ああ、やっぱり少し心配だね」

「じゃあ急ぎましょう」


 リリアはそう言うとユーリーの手を強く曳く。その拍子にユーリーの真新しい軽装板金鎧が小さな金属音を立てた。決して大きく響く事の無い金属音は身体に合せてあつらえた特注品ならばこその静粛性だった。


「ちょっと、急に引っ張らないで」

「ごめんなさい、じゃぁ押してあげましょうか?」

「いや、そうじゃなくて」


 本当ならば断片的な報せに不安を募らせるだけかもしれないユーリーだが、彼は自分の腕を曳く少女の掌の力を感じると、ふと考えた。


(もしもリリアが居なかったら……いや、無駄な仮定の考えは止めよう。リリアは僕の手の中、ここに居るんだ。ずっと一緒だ)


 ユーリーは曳かれる腕に力を籠めると、逆にリリアを抱き寄せる。そして、少し驚いた顔の少女を一度だけ強く抱くと、再び歩き出した。寄り添うように歩調を合わせた二人は、王都の外れで馬に跨ると街道を進む。やがて艀船でテバ河を渡り、スハブルグ伯爵領を経由し東へ向かう道のりは、小康状態を破り王弟派が攻勢を強めた内戦の国コルサスを目指していた。そんな二人の上空を成長した鷹が悠々と空を舞っていた。

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