Episode_20.30 婚礼の夜


アーシラ歴497年8月 王都リムルベート


 四月の末に終結したインバフィル戦争の論功行賞は色々な紆余曲折を孕みつつ、先月七月の中旬に発表されていた。第一次から第三次まで続いたアドルム攻勢とその後のインバフィル無血降伏に係わった面々にとっては、一喜一憂しながら待ち望んだ報せだった。


 先ず注目されたのが大爵家であるウェスタ侯爵、ウーブル侯爵に対する報償とスハブルグ伯爵への対応だった。第一次アドルム攻勢で無残な敗北を喫したスハブルグ伯爵に対しては、減封や爵位降格が囁かれていたが、蓋を空ければ明確なお咎めは無しであった。但し、ノーバラプールからオーメイユを経由してアドルム、インバフィルへと至る街道の整備を役務として命じられることとなった。


 一方、ウェスタ侯爵家は領地の西部に隣接した旧マイゼ伯爵領の一部が増加領地として与えられた。また、ウーブル侯爵家に対してはインバフィルの東の小都市ボンゼが飛び地として与えられた。この沙汰には両侯爵は困り顔であったという。ウェスタ侯爵家に分け与えられた旧マイゼ領はヘドン山の西の裾に広がる森林地帯で幾つかの小さな村が点在する土地だった。特に豊かという訳では無く、かといって貧しいともいえない地域だ。また、ウーブル侯爵家が増加を受けたボンゼであるが、飛び地である上、元は緩くインバフィルの統治に従っていた街であるため、経営には苦心しそうだった。


「ブラハリー殿との押し付け合戦・・・・・・に負けてしまったよ」


 とウーブル侯爵バーナンドは息子のバーナスに漏らしたという。当面、ボンゼの統治はバーナスに任せられる事となった。


 また、そんな大爵家以下の中小爵家は全般的に領地を増加された。その中で特に周囲の注目を集めたのはハリス・ザリア子爵の出世だろう。ハリスは第二次、第三次攻勢時の働きが認められ、インバフィルの東部に位置するオーカスの街へ転封されることになった。元々のザリア子爵家は、スハブルグ領とウーブル領に挟まれ街道からは少し離れた狭い土地を領地としていたので、今回の転封は大出世である。


 更に、第一騎士団として従事した当代騎士達の主要な面と、下級であっても勇気をもって武功を成した数名には男爵位が贈られる事となった。そして、終戦処理や、途中の交渉に当たった官僚集団にもそれなりの恩賞があり、渉外長官代理のチュアレは、次官に昇進を果たしていた。


 その一方で今回の論功行賞と時を同じくして、リムベート王家は数年前の王都クーデター以来蟄居閉門を言い渡していた幾つかの爵家に対して爵位回復、開門復帰の令を発していた。ゲーブルグ伯爵、マイゼ伯爵、オールダム子爵、トリノ子爵を始めとした主に子弟の一部がクーデター軍に加わった爵家は今回の論功行賞で領地を大きく削り取られていたが、それでも爵家の地位に戻れたことを喜んだという。これは、ウェスタ侯爵ブラハリーと宮中大伯老ガーランドの親子がガーディス王へ献策した人心掌握策だった。そして、その策は上手く功を奏したといえる。


 そんな中、リムルベート王国内でも最貧子爵と称されるマルグス子爵家にも嬉しい出来事があった。食人鬼オーガーを一騎打ちで倒したヨシン・マルグスの功績により、マルグス子爵家は領地の東に続く元ゲーブルグ伯爵領の一部を増加領地として手に入れたのだ。これにより、ヘドン山の南側の裾野一帯はマルグス子爵家の領地となった。他家の華々しい報償に比べれば些細な増加であるが、それでもマルグス子爵家は領地を倍増させたことになる。


「ヘドン山の周囲をウェスタ侯爵領と我が領地で取り巻く格好となったな……領地も増え、息子が出来、同時に娘も出来た……これは夢なのか? とても我が家に起こった事とは思えんのだが……」


 確かに、数年前までは借金取りに怯えながら生活していた没落子爵には考えられない慶事の連続だった。そのまま破産して取り潰される未来へ向かって突っ走っているようなマルグス子爵家だったが、運命の転機はウェスタ侯爵家の要請を受け入れ、哨戒騎士見習いのヨシンを家に招き入れた所から始まっていた。それはドルドの森の女王をして「幸運の星の子」と言わしめたヨシンの持って生まれた強運の成せる業なのか、それとも心を入れ替えた子爵トール自身が呼び込んだ幸運なのか、その問いに答える者は誰も居ない。だが、


「トール様がもっと早く目を覚ましていれば……」

「随分余計な回り道でありましたぁ」


 と言う、騎士ドラスと家令セバスの言葉に籠められた喜びは偽りの無いものだった。


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 そんなマルグス子爵家は、併設した孤児院「旅鳥の宿り木園」の庭に舞台と参列者用のささやかな長椅子を儲けた簡易な式場を作ると、この日、ヨシン・マルグスとマーシャ・ストラス・・・・の婚礼の儀を迎えていた。


 マーシャの家名は、体裁を整えるためにメオン老師の家名を用いていた。籍書上もメオンの養女となっている。そのため、マーシャは一時的にユーリーと籍書上の兄妹となっていた。これで、新郎新婦の身分は整ったことになるのだが、問題はその後だった。婚礼の体裁を整えるために、いずれかの神殿から聖職者を呼ぼうとしたのだが、神殿への寄進などをした事も無い子爵家に人を派遣する神殿は無かったのだ。


「ええい、生臭坊主どもめ! 地獄に落ちろ、フンッ!」

「身から出た錆びでございますが……これでは、ヨシン殿にもマーシャ殿にも示しがつきませんぞ!」

「わ、分かっておる! お前も何か良い案は無いか考えよ!」


 イラつくトール・マルグスと騎士ドラスの言葉は相当に焦ったものだ。これが式の当日に、式場の裏方に当たる子爵の屋敷の台所で交わされる会話であるのだから、何とも段取りの悪い話である。しかし、これが彼等としては精一杯の手配てくばりだったのだ。だが、もう時間は無い。婚礼は今晩、宵の口からと決まっていた。その時間から始められるというのは、余り見栄えの良くない式場の難を夜の闇で隠すという涙ぐましい心配りであった。


「どうする?」

「適当な町人の長老でも引っ張って来て立ち合い人にしましょうか?」

「それはあんまりでは……」


 騎士ドラスの提案だが、トールは渋い顔をする。二人で話している内は結論が出そうもない雰囲気だ。そんな時、台所に続く勝手口外から人の話し声が聞こえてきた。


「こんな所から入っていいの?」

「そうだ、ノヴァ。幾ら気易いからといっても」

「あら、二人とも大丈夫よ」


 そんな話声の主はノヴァに連れられたアルヴァンとユーリーだった。


「あら、トール様。ドラスさんもこんにちわ。でもどうしたの? 台所なんかで難しい顔をして」


 三人の先頭で勝手口から台所に入って来たノヴァは、そこで結論の出ない話し合いをしていた二人に声を掛けた。一方、声を掛けられた子爵トールと騎士ドラスは何事かを思い付いたように、顔を見合すとニヤリを笑ったのであった。


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 その夜、ヨシンとマーシャは婚礼の儀式を終えて夫婦となった。


 無角獣ルカンの背に乗り、一角獣スプレニと守護者カトレアに先導されてマルグス子爵家の裏庭に到着したマーシャは美しい純白のドレスに身を包んでいた。目深に被るベールから毀れた赤毛は、篝火の明かりを受けて燃え上がる炎のようであったという。それは常に明るく力強いこの女性の本質を表わしていたのだろう。


 カトレアの手助けでルカンの背から下りたマーシャは、そのままカトレアとリリアの介添えを得て、赤い絨毯の上を進むと一段高くなった舞台の前へ辿り着く。そこで、カトレアからマーシャを引き継いだのは、何とメオン・ストラスであった。メオン老師は長く衣食の世話をマーシャから受けていたため、この「親代わり」という役割を断ることは出来なかったようだ。


 そんなメオン老師はやや緊張した面持ちでマーシャの手を取りゆっくりと檀上へ導く。そして檀上へと上がったマーシャは、そこで将来の伴侶と対面した。マーシャの右手はメオンからヨシンへと渡された。ヨシンの大きく無骨な掌から優しい力がマーシャに伝わった。


「ヨシン・マルグス、そしてマーシャ・ストラス。 両名はこの日、この時を以ってお互いを生涯変わらない人生の伴侶とすることを望んでいる。間違いないな?」


 そんな二人の前に立ったアルヴァン・ウェスタが朗々とした声を上げた。


「間違いない」

「間違いありません」


「ならば、リムルベート王家に仕える子爵騎士としてその覚悟を皆の前で誓うのだ」


 とは、アルヴァンの隣に立ったユーリーである。聖職者の準備が間に合わなかったトール・マルグスの苦肉の策として、婚礼の立ち合い人を頼まれた二人は嫌という事は無く進んで役割を引き受けていたのだ。


「オレ……い、いや。わ、私は、自分の生涯を掛けてマーシャを妻とし、愛し、護り、誠意と献身を捧げることを誓う。マルグス家の名に掛けて誓うのではなく、この剣に掛けて、決して折れない私の『折れ丸』に掛けて誓う」


 但し、打ち合わせが足りなかったのか、ヨシンの誓いの言葉はやや拙かった。しかし、拙いが故に美辞麗句を省いた言葉は彼の気持ちを素直に伝えるものだった。


「マーシャ、この誓いを受け入れるか?」

「はい。私もヨシンを生涯の夫とし、愛し、敬い、寄り添って行くと誓います」


 対するマーシャは淀みなく答えた。


「誓いは立てられた。親友としてウェスタ侯爵家のアルヴァン・ウェスタと――」

「両者を幼い頃から知る幼馴染としてユーリー・ストラスが証人となる。この婚姻に異議を唱えたき者は――」

「速やかに、覚悟を以って名乗り出よ!」


 アルヴァンとユーリーが言葉を重ねて誓いの成立を謳い上げる。万に一つも現れるはずのない異議者を形式上数秒待つ。当然、誰も異議を唱える者は居ない。そして、


「それでは両者、誓いの証しとして皆の前で口付けを」


 とアルヴァンが声を発した。参列した人々は喝采と拍手を送る。しかし、当人、特にヨシンは、その瞬間まるで鋳物のように固まってしまった。


「ほら、早くしなよ」


 それを面白がって急かすユーリーの言葉に、ヨシンはぎこちなくマーシャの肩に手を置くと、そっと顔を近づける。しかし、彼は緊張の余り、マーシャの顔を覆う薄いベール越しで口付けしようとしていた。


「ちょっとヨシン、ベールを取らなきゃ!」

「え? あっ、あれ? あれ?」


 ユーリーから小声の指摘を受けて、ヨシンは慌ててマーシャの顔を薄く覆うベールを摘み上げようとしたが、薄い絹製の布をヨシンの太い指は器用に摘まむ事ができない。


「もう、締まらないわね」


 そこで、マーシャは普段と変わらない口調でそう言うと自分からベールを取り払い、爪先立ちとなってヨシンと唇を重ねた。


「皆、祝福の拍手を!」


 そのままお互いの身体に腕を回す二人の口付けを、詰め掛けた人々の拍手が包んだ。


 この夜の婚礼は、その後祝宴となった。訪れた客の種類は千差万別だった。ウェスタ侯爵家の邸宅詰めの騎士や好誼を通じたウーブル家の騎士が居ると思えば、王家からは祝辞を携えた使者役の下級役人の姿もあった。また、近所の住民の姿も有るし、孤児院の子供達の姿もある。そこに、ドルドの守護者や山の王国の大使まで居るのだから、この祝宴はマルグス子爵家の家格の割には賑やかなものだったという。


 そんな祝宴で散々に酒を飲まさせられたヨシンが、マーシャとどんな夜を過ごしたかは、語るだけ野暮なのかもしれない。

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