Episode_20.25 産声


 その闖入者の姿は、受け止める者によって違った反応を呼び起こした。リリアは突然現れた闖入者の場違いさ・・・・に目を丸くする。しかし、闖入者側はリリアには未だ気付いておらず、デイルに詰め寄るとそう言った。


「カトレアさん、本当ですか?」

「こんな事で嘘を言うか!」

「そ、それで、産まれたのは男? それとも女?」

「そんなことまで私の口から聞きたがるな。さっさと家に帰れ! まったくこれだから男は……」


 その闖入者はドルドからやって来た一角獣の守護者にして、守護者の導き手と言われる女性、カトレアである。四月の初めにリムルベートにやって来た彼女は、その後デイル不在のハンザの家に寄宿していた。その関係で、今日の昼頃に産気づいたハンザに付き添っていたのだ。


「なんだと、デイル! お前一体何を考えて、呑気に祝宴に出ていたのだ!」


 カトレアの告げた言葉に一同唖然となったが、直ぐに事態を察したアルヴァンが怒ったような声を発した。実に彼らしい反応だ。しかし、


「ですが、妻は『晴れがましい祝いの席に穴を空けては面目が立たない』と言いまして……」


 そう説明するデイルの言葉に、一同再び唖然となった。如何にもハンザらしい意見だとも思える。そこに、今度は侯爵ブラハリーがやって来た。彼は無礼講の宣言の後、下座を回って騎士達と会話して回っていたのだ。そこに現れた闖入者の様子に興味が湧いて近付いてきた彼だが、息子の怒ったような声に事態を察していた。


「まったく、忠義のつもりかもしれんが、それを受ける此方の身にもなれ。嬉しいどころか、逆に迷惑だ。今日は帰って良い。さっさと帰れ。ガルスもだ!」


 そして、ラールス家の親子は追い立てられるようにして邸宅を後にした。それは祝宴に目出度さ付け足すような出来事であり、決して周囲の顰蹙を買ったわけでは無い。寧ろ、二人の後ろ姿には、祝いの言葉が投げ掛けられた。


****************************************


「そうか、ハンザさんに赤ちゃんが産まれたんだ……って、カトレア、何で貴女がここにいるの?」

「あっ、リリア!」


 リリア自身も顔見知りで、しかもユーリーが少年の時から何かと目を掛けていというハンザとデイルの慶事にリリアはホッとした言葉を吐くが、直ぐに別の事が気になってカトレアに話し掛けた。一方カトレアの方は、それなりに気が動転していたのか、その声でリリアの存在に気が付いていた。


「てことは、そっちの男がユーリーだな?」

「え? はい……そうですけど……リリア、この人は?」

「カトレアは私の師匠ってところかしら……ノヴァさんもカトレアの教え子だから、私とノヴァさんは姉妹弟子ってところね」

「そうなんだ……いろいろと、リリアがお世話になりまして」


 頭を下げて礼を言うユーリーをカトレアは何処か胡散臭そうな視線で見ている。一角獣の守護者として生涯純潔を誓っているカトレアは、大体の男に対してこういう対応だった。


「あんまり強そうに見えないな……リリアの方が強いんじゃないか?」

「止めてよカトレア。こう見えて、ユーリーって凄く強いんだからね」

「ふーん……で、こっちのがノヴァをたぶらかしたアルヴァン?」


 中々酷い言い草である。居並ぶ騎士達は、主に対する無礼な物言いよりも、その内容とカトレアの雰囲気に呆気にとられてしまう。そして、アルヴァンも苦笑いを浮かべつつ


「カトレアさんの事はノヴァから恩師だと聞いております。アルヴァン・ウェスタと申します。お会いできて光栄です」


 と自己紹介をする。そして、居合わせた侯爵ブラハリーも


「アルヴァンの父、ブラハリー・ウェスタと申します。我が娘となったノヴァの恩人とのこと、ささ、どうぞ此方に腰を落ち着け下さい」


 とやる。そして、


「いや、何と見目麗しい……もっと無骨な方を想像しておりましたが、さあどうぞ、ワインでも」


 と言いながらカトレアに杯を持たせるとワインを注ぐ。これにはカトレアの方が面喰ってしまった。馴染みは無いが、リムルベートの身分制は理解している彼女である。目の前の中年男性がどれほどの地位かは把握していた。


「あ、いや……私も、つい乱暴な口の利き方になっていまい……」

「いえいえ、カトレア殿。我が息子は、こうみえて色々と急いて事をする性格ですので、大切な教え子を誑かしたと思われても仕方ありません」


 結局、カトレアの尖った態度は侯爵ブラハリーによってあっさりと懐柔されていた。そして、勧められるままに杯のワインに口を付けたカトレアである。デイルとガルスが去った後のテーブルは彼女を迎えてアルヴァンの妻であるノヴァの昔話でも聞き出そうか、という雰囲気に成りかけるが、この夜に限ってはそうはならなかった。何故なら、


「若! 大変です、若!」


 邸宅から血相を変えて飛び出してきたのは、長くアルヴァンの側係りを勤めていたゴールスだった。彼は一度お役目を引退していたが、妻も子も無い身の上であるため、そのまま邸宅に留まり、下働きの者達の纏め役に収まっていたのだ。そんなゴールスは当然の如くアルヴァンの妻であるノヴァの様子を心配し、異変が有れば直ぐに分かる場所で控えていたのだ。


 そんなゴールスが血相を変えて走ってくる姿にアルヴァンは嫌な予感を覚える。しかし、


「の、の、ノヴァ様が……う、産まれそうだと!」

「なにっ!」


 ゴールスの訴えは、当然来るべき時が今訪れたことを報せるものだった。


「で、産婆や医者は?」

「それが……今日は祝宴を開くということで、早めに家に帰しておりまして」

「しまった! そうだった……」


 アルヴァンの問いに答えるゴールス。その言葉に侯爵ブラハリーが額を押えた。産婆と医者に祝儀金と酒を渡して早く家に帰したのは侯爵の指示だったのだ。


「そんな……ど、どうすれば?」

「今から遣いの者を」

「そ、そうだな」

「しかし、祝い金と共に酒を渡したのだ。酔っぱらっているかもしれぬ」

「ならば、別の者を――」


 万の大軍を目の前にしても整然と隊列を崩さない男達だが、事が事だけにどうして良いか分からず右往左往する。祝宴の場の片隅で生じた混乱は徐々に会場全体に広がる。そんな中ユーリーも他の面々同様にオロオロとしてしまった。


「お、おい、ユーリー、お前牛や馬の出産に立ち会ったことあるだろ」

「あ、あるけど。馬鹿な事を言うなよ! そんな牛や馬みたいな訳に行かないだろ」


 ヨシンの無茶な言葉にユーリーは乱暴に言い返した。そして、ふと冷静に考える。


(出産に立ち会う……出産……)


「あっ!」

「なんだ?」

「今、デイルさんの家には産婆さんが居るんじゃないの?」

「……それだ!」


****************************************


「そんな大役、この婆に任せて良いのかのう……」

「いいから、ほら早く歩かんか」

「そんなに急かし為さんな、あんたが生まれた時は頭が出て来るまで三時間は掛かったんじゃぞ」

「そ、そんな昔の話は良いから、はやく!」


 ユーリーの思い付きによって、デイルとハンザの家に居た産婆、いや、ラールス家に古くから仕える老婆は、殆どガルス中将に担がれるようにして邸宅の中へ通された。また、祝宴の参加者の同伴者の中にも手伝いくらいの心得がある女性が数人いたため、彼女達も一緒に中に入る。そして、


「さぁ、ここからは女人の戦いじゃ。殿方は離れておれ! 邪魔じゃ、散れ散れ」


 彼女達の後に続いていた男達は、老婆の言葉で邸宅から締め出されることになった。時刻は既に夕日も落ちた宵の口である。広場に成す術無く取り残された面々は仕方が無いので飲み直す事にした。


「アルヴァン様、心配無用ですぞ」

「そうです、案外直ぐに終わるものです」

「ノヴァ様は普段から壮健な方ですので、大事有りますまい」


 というような言葉は、既に子を持っている騎士の面々からアルヴァンに掛けられた言葉だ。一方、アルヴァンの方はその一つ一つに頷いているが、その表情は完全に心此処に在らず、といった趣だった。


「なんだか、今回の宴会はバタバタ騒々しいな」

「そうだね……無事産まれてくるといいな」

「大丈夫よ」


 ヨシンの言葉にユーリーとリリアが言葉を重ねる。三人ともに少し小声だった。というのも、祝宴の会場は、主催者でありリムルベートの三大侯爵の一角であるウェスタ侯爵家に起こった椿事の行方を、息を殺して見守る雰囲気であったのだ。


 無事に生まれれば、ウェスタ侯爵家の未来の跡取りの誕生となるかもしれない。しかし、もしもの事があれば、その影響力故に少なからずリムルベート王国の政治にも影響が出る可能性があった。この時代、出産は未だ危険と隣り合わせの命懸けの行為なのだ。そのため、参加者の殆どは頭の中で祝いの言葉と慰めの言葉を同時に考えていた。


 そんな息を詰めた雰囲気で時間が過ぎていく。そして、月が高く空に上がり煌々と白い光で夜空を照らすころ、邸宅の方から微かな声が響いて来た。それは、最初蚊の鳴くような声だったが、次第に強くなる。注意しなければ聞き逃す音量だが、間違いなく赤子の上げる産声だ。その音を待ちわびていた面々は顔を見合わせた。一方、アルヴァンは弾かれたように席を立つと邸宅の方へ駆けて行く。そして、彼が玄関に辿り着いた時、閉められていた扉がバタンと開いた。そこには、


「アルヴァン様、産まれましたぞ! 男の子じゃ」


 という老婆の、歯が抜け落ちた満面の笑みがあった。


 この夜、アルヴァンは二人の親友達に先んじて父親になった。


 中座していた祝宴は戦勝とはまた別の、子を育てるという新たな戦いの幕開けを盛大に祝う宴会へと姿を変えると、翌朝まで続くのであった。そして、大勢の爵家貴族が見守る中で起こったこの稀有な出来事は、しばらくの間王都リムルベートの住民達の話題に華を添えることになった。

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