Episode_20.23 夜市で
その後何度もマルグス子爵や騎士ドラス、家令セバスの説明を受けてようやく事態を呑み込んだヨシンは、
「ちょ、ちょ、ちょっと……考えさせて」
と言うと、荷物を置いてマルグス子爵の屋敷を飛び出して行った。その手はマーシャの片腕を掴んで、半ば無理矢理に屋敷から連れ出す格好となっていた。そんな彼を、自分達が言い出した事が「突拍子もない」部類の話であることを重々承知している子爵家の面々は黙って見送るしかなかった。
リムルベート王国に於いては、いや、この時代の何処の国に於いても、身分制度というものは固定的な制度だった。余程の大事件 ――例えば国が倒れ、新しい体制が取って代わるような事件―― が起きない限り、平民は平民のままだし、貴族は貴族のままだ。勿論、そのような社会であるから、飽和する各階層の人口を調整するかのように、下の身分に転落する道は幾つもある。貴族が借金や汚職によって失脚し平民同然となる。また、平民が色々な理由から住む土地を離れ流民や奴隷となる。そんな事は、頻繁ではないが、珍しい訳でもない。
その一方で上の身分階層に上がるのは非常に難しいとされている。この点は各国で制度の違いから差異が生じるが、リムルベート王国に於いては平民出身者が最も地位を高めたとしても文官職は男爵止まりである。裏技的に、困窮した弱小貴族の家督を買う、という方法や、跡取りの居ない爵家に婿入りするという方法があるが、それは通常、莫大な労力と資金を必要とする「割に合わない」行為だった。一方、武官職、つまり第一騎士団の当代騎士には男爵以上に出世する機会が残されていた。しかし、その道は非常に狭く、二百年近い歴史を持つリムルベート王国であっても、そのような出世を遂げた人物は両手に少し余る程度しか存在していない。
それはこの時代に生きる者には常識であった。如何に礼儀や上下関係に無頓着な、豪胆な青年騎士であるヨシンでも、それは同じだった。そんな彼は自分の前に提示された出来事に悩むというよりも疑問に頭を抱えていた。
(なんでなんだ? オレ、特に何もしてないだろ……マルグス子爵、ボケちまったのか?)
彼の頭の中はそのような考えで占められていた。しかも、
(アルヴァンも止めろよ……なにを一緒になって「無上の喜び」なんて書きやがって……)
と、怒りと言うよりも、割り切れないモヤモヤの矛先は
「ねぇ、ヨシン……ヨシン! ヨシンってばぁ!」
「あ、ああ、なんだ?」
「何だじゃないわよ、腕が痛い!」
「あ、ご、ゴメン! 大丈夫か?」
「もう……これくらい大丈夫だけど、ねぇお腹空かない?」
屋敷を飛び出して、当てもなく歩きながら堂々巡りの思考を続けていたヨシンは知らない内に港近くの夜市が立つ屋台街に足を踏み入れていた。思い返せば数か月前マーシャと食事をした場所だった。しかも、辺りはいつのまにか夕暮れ時となっていた。それでもヨシンは空腹を感じなかったが、気分を変えるためにマーシャの提案を受け入れる事にした。
「前みたいに屋台でいいか?」
「うん、いいわよ」
そんなやり取りで、二人は屋台街へ向かった。
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「戦勝、おめでとうございます。もしかして、満身創痍で食人鬼を倒した騎士ってヨシンの事?」
開口一番にそう言うのは、内臓肉の煮込みを扱う屋台の女将アニーだった。ほぼ半年ぶりの再会だが、彼女の女っぷりは益々上がっている。彼女は未だ身体の各所に包帯を巻き、骨折した片腕に添え木を当てているヨシンに冗談めかしてそう言う。
「そんな事より、煮込み二人前! あとは……」
「何でも言って、代わりに取って来るから!」
「え、アニーさんありがとう。じゃあ――」
妙に気前が良いアニーは、ヨシンとマーシャの代わりに注文を聞くと立ち並ぶ屋台の方へ小走りで駆けて行った。
「なんだ、妙に機嫌がいいな」
「アニーさんね、再来月にお店をだすんだって、繁華街の方に」
「へぇ……流行るだろうな」
「そうね」
繁華街の方に軒を連ねる店は何処も洒落た風な店構えでそこそこの値段の物を提供している。その中に、どちらかというと下品な食べ物である内臓肉の煮込みを引っ提げて、安値を武器に参戦するのだ。アニーと亭主の店は
「それで、マルグス様の話だけど、あなたどうするの?」
「うん……」
そうやって、考えを別の方へ向ける努力をしていたヨシンだが、マーシャの一言であっさりと現実に引き戻された。そんな彼の返事は明確ではない。
「なによ、
「だって、なぁ……」
ヨシンが柄にもなくウジウジと考えている事は二つの事だった。一つはもし自分が子爵家の跡取りとして正式に養子になった場合、目の前の愛する女性との結婚はどうなるのか? という心配だった。当然のことながら爵家の人間と平民階級の婚姻は障害が多い。ヨシンには、その障害がどのようなものなのかまでは分からないが、とにかく障害があるのでは、と心配している。そしてもう一つは幼馴染や親友との関係性だ。
尤も、アルヴァンは手紙に「歓迎する」と書いていた。上下関係を引き摺ってしまう主人と家来の関係ではなく、対等に近い同じ爵家の跡取りとしての方がこれからは付き合いやすいと考えたのだろう。しかし、そんな親友の胸中が分かるはずもないヨシンである。そして、ユーリーはどう言うだろうか? という疑問もあった。
(きっとユーリーの事だから「良かったね」とか言うんだろう……でも本当にそう思ってくれるのか……)
それは、恐れに近い考えであった。もしも自分の身分が変わってしまえば、これまで通りに親友、幼馴染として変わらずに接してくれるだろうか? という考えがヨシンの頭を占めていた。結局、彼が考えていることは、彼一人では解決できないものばかりだ。しかし、事が大き過ぎて、開き直れないのが今のヨシンだった。
そんな彼に、マーシャの鋭い指摘が入る。こういう時に勘が鋭いのが女性というものだ。
「ヨシン、もしかしてユーリーとかアルヴァン様とか、それに私の事で悩んでるんじゃない?」
「え? ち、ちが――」
ヨシンがそう言い掛けた時だ。アニーが注文した料理と共に何やら話しながらテーブルに近付いてきた。屋台街の喧騒を割って賑やかな会話が近付いてくる。
「――二年振りなのね。本当に見違えたわ。あの頃から男前だったけど。もしもリリアちゃんが居なくて、旦那も居なかったら、私、きっと夢中になってるわね!」
「ちょっと、アニーさん……ユーリー! なに、今ちょっとニヤってしたわね? どう言う事!」
「い、いや、そうかな? そんな事無いよ。そうそう、鼻の頭が痒かったから……」
「ちがうわ、浮気の種ね。ヴェズル、懲らしめて頂戴」
「クエェ!」
「わ、止めろ、頭に乗るな、爪が痛い! って、嘴は止めて、本当に痛いから!」
「あははは、本当に仲が良いわね、お二人ともお似合いよ」
聞き知った声にヨシンとマーシャはそちらを振り向く。そこにはアニーに案内されたユーリーとリリアの姿があった。
「ユーリー!」
「あ、やぁヨシン。わっ、マーシャ! 久しぶり」
呼びかけに返事をするユーリーは、黒髪の頭の上に若鷹ヴェズルを乗せたまま、再会を喜んだ。
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リムルベートの屋台街は、カルアニスとは違い異国の情緒というものは無い。しかし、それだけに舌に馴染んだ懐かしい料理である。そんな料理が運ばれたテーブルで、それに手を付けながら会話をする四人だ。ヨシンもマーシャも一旦マルグス子爵の件は脇へ置いて、久しぶりの幼馴染の集合を楽しんだ。
「ユーリーって、やっぱり面食いなのねぇ」
「だろ、リリアちゃんって可愛いだろ」
「え、はぁ……でもマーシャさんも凄く素敵ですよ。ね、ユーリー」
「ああ、マーシャはお姫様だからね」
「ちょっと、そんな昔の事をいつまでも言わないで頂戴よ」
そんな会話で度々楽し気な笑が起こる。
「それで、二人はいつ結婚するの?」
ユーリーがヨシンとマーシャに向けた質問だ。話は当然そういう方向になる。
「うん。まぁ……近い内に……」
しかし、ユーリーの質問にヨシンの返事は煮え切らない。そんな彼は、少し考えた風になった後、意を決したようにユーリーにマルグス子爵家の話を切り出した。
「――ということなんだ。ユーリー、どう思う?」
養子と家督の話を聞かされたユーリーは、驚きはしたが、当然だろうとも思った。ヨシンには自覚はないが、マルグス子爵領の経営を大きく助けてきた彼の働きは部外者のユーリーも知っているほどなのだ。積み上がった借金を整理し、領地を奪おうと画策した輩を力尽くで撃退し、鯰や鱒の養殖が出来るように技術者をウェスタ侯爵領から招致し、耕作面積を広げて土壌に適した作物を植えるようにした。その手腕は中々のものだったと聞いている。
「良い話じゃないか。アーヴも賛成しているんだろ? 悩むような話じゃない」
「しかし……」
「あ、もしかして自分だけ出世したら僕が怒るとか思ってる?」
「……少し」
「バカだな。そんな事を言うんだったら、僕は王族だぞ……見たことも聞いた事もない滅んだ国の、だけど」
ヨシンの悩みの一部を言い当てたユーリーは、冗談めかしてそう言った。その言葉にヨシンの表情が少し明るくなる。そこへ、
「それに、私との結婚も心配してるなら、要らない心配よ。マルグス様は既に手を回しているもん」
「え! そうなの?」
「そうよ。何て言ったかな? 『将を射んとする者は、先ず馬を射よ』だったかしら、ユーリー?」
「うん」
「どういうこと?」
「はぁ……とにかく、ヨシンに言う事を聞かせたかったら、先に私の方を説得するってことよ」
「じゃぁ……問題無いの?」
「無いわ。ヨシンがそれでもゴネたら、私がマルグス子爵家の養女になってヨシンをお婿さんに取るって所まで準備してるわよ」
結局、ヨシンが束の間思い悩んだ幾つかの問題は、問題では無かった。そう知ったヨシンは、この日の要らぬ悩み方を反省することになった。
(分からない事を抱えて悩むのは止めよう……オレには答えてくれる友達がいるんだ)
その考え方は、長くヨシン・マルグスの人生を支える指針となるのであった。
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