Episode_20.22 朗報


 凱旋後の祝宴は結局翌朝近くまで続くことになった。そして、日の出と共にお開きとなった第二城郭内の騎士団詰所前では、酔い潰れた兵や傭兵がところ構わず正体を無くして寝転がっている光景が広がっていた。そんな者達を片付けるのは衛兵部隊の王城警備班である。彼等は酔い潰れた面々を二人ないし三人掛かりで戸板の上に乗せると兵舎へ運び込んで行った。その様子は、まるで戦の後の遺体処理のようであったが、それならば、正体を無くして眠りこける兵達は随分と幸福な戦いを演じたことになる。


 そんな第二城郭の様子だが、ユーリーとリリアは夜明け前の時間にその場を後にしていた。一応二人には、他の傭兵達同様に第二又は第三城郭内の兵舎が宿泊先として宛がわれていたが、どうも休まる気がしなかったのだ。そのため、明け方のリムルベートの街を歩く二人は、その足をサハン・ユードース男爵の屋敷へ向けていた。


 ユーリーもリリアも、ほぼ二年振りに訪れるリムルベートの街は、早朝にも係わらず賑やかである。そんな大通りへ第三城郭の東門から出た二人は、しばらく通りを進むと幾つかの路地を曲がり見覚えのある屋敷の前へ出た。屋敷の門前では一人の老僕が掃き掃除をしている。


「チェロさん、お久しぶり」

「……どちら様で? ……あぁ! ユーリー様!」


 チェロ老人は皺垂れた目をパチパチと瞬きさせると、不意に思い出したようにユーリーの名を呼んだ。


「なんと、凛々しくなられて……」

「サハン先生は御在宅ですか?」

「はいはい、もう起きていると思います。ささ、中へどうぞ――」


 そんなやり取りの後、ユーリーとリリアはチェロ老人に招かれてサハン男爵の屋敷へと入って行った。


****************************************


 ユーリーがこの日の朝にサハン男爵の屋敷へ向かったのは、寝床を確保するという意味もあったが、それ以上に失踪した彼の娘である女魔術師アンナの現状を伝えるという目的があった。そして、一階の食堂に通され、熱い茶で眠気を払った二人はバタバタと一階へ降りてきたサハン男爵と面会した。


「久し振りだな……逞しくなった」


 ユーリーを見てそう言うサハンは、ユーリーが最後にこの屋敷を出た日よりも更に老け込んで見えた。だが、健康を崩しているという訳ではないようだった。そんなサハンは二年振りに顔を見たユーリーの無事と見た目に分かる成長に安堵したような表情となった。


「先生も、お変り無く」

「そう言えば、あの補給物資の転送テレポートは上手く行ったか?」

「え? ああ、あれは先生も?」

「そうだ、メオン殿と宮中魔術師のゴルメス殿と、三人掛かりだったぞ。まったく、妙な考えを思い付くものだ」


 サハンはそう言うと軽く笑った。ユーリーが最初にこの屋敷を訪れた四年前には見られなかった笑顔だ。失踪した娘の事を考えて気鬱に過ごす日々は変わらないだろうが、そんな日々に変化を与えたのは、他ならぬユーリーの存在だったようだ。


「実は――」


 そんなサハンにユーリーはカルアニス島での出来事を語った。「塔」に関する事には触れないが、それ以外の事、つまりアンナが古代の死霊術死ラスドールスと融合しつつも人格を保っていること、そして「エグメル」という組織で活動していることを告げたのだ。


「なんだと……」


 当然の反応だろう。サハン男爵の老いた表情は驚愕に彩られた。そして複雑な感情が入り混じった形容しがたい表情となる。そこには、無事を知った安堵と古代の魔術師と融合したという事実に対する不安、そして、姿を見せないことへの若干の怒りと寂しさがあった。それだけではないだろうが、ユーリーにはそれ以上の気持ちを読み取ることは出来なかった。


「とにかく、アンナさん……と呼んでいいか分かりませんが、彼女は無事です」

「カ、カルアニスに行けば……会えるのか?」


 サハンの問いにユーリーは首を横に振る。


「分かりません。僕はアンナさんに一度この屋敷へ戻るように言いましたが……」

「アンナは何と?」

「帰れない、と。しかし、彼女と行動を共にしている人物は強く彼女に一度帰ることを勧めていました。もしかしたら、その内……」


 ユーリーの言葉に落胆を見せたサハン。その表情にユーリーは取り繕うように言葉を続けていた。それは嘘ではないが確約の無い話だった。しかし、ユーリーは伯父であるアズールがもっと強く彼女に勧める事を今更ながらに心に念じていた。


「そうか……いや、生きていただけでも……よかった……よかったんだ」


 噛締めるように言うサハンは、その後一階の食堂を後にした。ユーリーとリリアには、屋敷の部屋を好きに使って良い、と言い残して二階へ上がって行く後ろ姿は、少し疲れたような雰囲気が漂っていた。


***************************************


 朝早くにサハン男爵の屋敷に落ち着いたユーリーとリリアは、当時ユーリーが使っていた部屋で休んでいた。身の回りの荷物は馬に括り付けたままだったので、ウェスタ侯爵家の厩舎で預かって貰っている状態だ。そのため二人には僅かな手回り品しかなかったが、取り敢えず鎧を外し、服を脱ぎ、チェロ老人が気を配って準備した湯で軽く体を清めた。


 そして二人は一つしかないベッドで当然のように一緒に眠った。そのベッドは三年前の冬、リリアがユーリーの気持ちを確かめるために押し掛けた時、共に眠ったベッドだ。当時のユーリーはリリアを隣で眠らせるだけで、その肩にそっと腕を回すのが精一杯だった。


 その後、お互いに離れたまま想い続ける日々を経て再会し、心を確かめ合った二人は当時のままではない。今の二人にとって、そのベッドは緊張と落胆の場では無かった。お互いに満たし合う充足と安らぎの寝床であった。そして疲れ果て絡まり合うように眠る二人が目を覚ましたのは夕方近くになってからだった。


 幸せな微睡まどろみも腹が減っては続けるのが難しい。そんな状況に二人は思わず吹き出しながらベッドを置き出すと身支度をして再び街へ出た。夕方の街は、二人にとって懐かしい海風を吹かせながら徐々に黄昏時へ近づいていた。


「夜市近くの屋台街でいいかな?」

「うん、そこが良いわ!」


 ピタリと寄り添った長い影が路地に伸びていた。


****************************************


 ユーリーとリリアがサハン男爵の屋敷に居た日、ヨシンは午後からマルグス子爵家に顔を出すためウェスタ侯爵家の邸宅を後にしていた。王宮内で行われた方の祝宴は深夜過ぎに解散となっていたので、ヨシンはガルスやデイルと共にアルヴァンを邸宅に送り届け、そのまま邸宅の一室で一晩泊まっていたのだ。


 正午近くに目を覚ましたヨシンは厩舎で自分の荷物一式を受け取り、ユーリーとリリアの馬がそのままなのを確認した上で邸宅を後にしていた。大きな荷物を背中に担ぎ、健在な片腕にもぶら下げた状態の彼は、食人鬼との死闘で受けた傷が完治していなかった。しかし、頑丈な彼はそれを何とも思わない風に力強い足取りで街を歩くとマルグス子爵家の門扉の無い門を潜った。


「ただ今戻りました」

「あぁ、ヨシン! 酷い怪我、あなた、大丈夫なの?」


 玄関先で声を発したヨシンは、半ば予想していた通り、彼の帰りを待ちわびていたマーシャから抱擁を以って出迎えられた。玄関先で繰り広げられる恋人同士の抱擁に、気が付いたマルグス家の家人もやって来る。そして、直ぐにマルグス子爵と騎士ドラスが走り寄って来た。マルグス子爵と騎士ドラスは何処から見ても農夫のような格好だった。裏の芋畑を孤児院の子供達と耕していたのだろう。


「よく戻った! 先に活躍は聞いている」

「しかし、治りかけとはいえ、酷い怪我だな」

「そうよ! 私、びっくりして心臓が口から飛び出るかと思ったわ」

「その割には、遠慮なく抱き付いて来た気がしたけど……」


 などというやり取りを交わしながらヨシンは屋敷の中に招き入れられた。


「そう言えば、ノヴァさんは?」

「ノヴァ様なら、今日の朝ウェスタのお屋敷からアルヴァン様が見えられて一緒に」

「ああ、そうだったんだ……寝てたから気が付かなかった」


 マーシャの説明通り、この日の朝一番にアルヴァンはノヴァを迎えにマルグス子爵家を訪れていた。そして、これまでの礼と何か手紙のような物をマルグス子爵に手渡し、臨月の恋人を連れて邸宅へと戻って行ったということだった。


「後で邸宅に挨拶に行こう……ハンザ隊長は?」

「そろそろ産まれるころだからって、数日前からご自宅にいらっしゃるわ」

「そうなんだ……アルヴァンの子とデイルさんの二人目の子は同じ歳か……なんか、いいな」

「そうね、あなたとユーリーみたいに成るんじゃない?」


 応接に通されたヨシンの隣を片時も離れないマーシャであった。嬉しくて仕方ないという気持ちが表情と声に現れていた。そんなマーシャの様子がヨシンの気持ちを楽しいものにさせた。そんな時に、一度自室に戻っていたトール・マルグス子爵が応接にやって来た。マルグス子爵家唯一の騎士ドラスと、最近は楽になった台所事情に、肌艶を取り戻した家令セバスが一緒だった。


「しばらくは落ち着くのだろう?」


 そう切り出したマルグス子爵は左右に座ったドラスとセバスに目配せすると、一度頷いて懐から手紙を取り出した。それは封を切られていたが、間違いなくウェスタ侯爵家の蝋印が押された手紙だった。


「それは?」

「実はヨシン君……前々から、君を私の、当家の養子に迎えようと思っていたのだ」

「は?」


 突拍子もない申し出にヨシンの間抜けな声が重なる。しかし、マルグス子爵は構わずに先を続けた。


「既にウェスタ侯爵家にはお願いの手紙を送っていてな、これが返事だ」


 そう言って差し出された手紙は、アルヴァンの筆跡であった。そこには、


 ――祖父である大伯老ガーランド、及び父、侯爵ブラハリーの意向を確認した上でお返事いたします。我が親友ヨシンを貴家の養子にという申し出でについて、ウェスタ家として何ら異論は御座いません。優秀な騎士でありそれ以上に心許せる親友が貴家の跡継ぎに成るならば、これは私にとっても無上の喜びです。彼の第二次、第三次アドルム攻勢における功績はそのままマルグス子爵家の功績となるように働きかける事を同時にお伝えいたします。万が一、本人が嫌だと言う場合は、私か彼の幼馴染のユーリー・ストラスへご一報下さい――


 という内容の事が書いてあった。しかし、


「……マーシャ、これどういう意味?」


 やはり、事態を呑み込めていないヨシンの間延びした声が応接に響いた。

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