Episode_20.21 凱旋の夜


 第三次アドルム攻勢を経て終結したインヴァル戦争の結果、四都市連合の一角であったインバフィルはリムルベート王国の支配下に帰属することになった。これに伴い周辺のオーカスやボンゼもその支配に組み込まれ、インヴァル半島南端から東岸の一部はリムルベート王国の勢力圏となった。


 四都市連合との停戦交渉は当初難航が予想された。しかし、交渉の蓋を開けてみると、四都市連合側に継戦の意志は薄く、またリムルベート王国側が莫大な額の賠償金請求を取り下げたため「インバフィルの施政権を放棄する」という四都市連合側の事実上の敗北宣言で幕を閉じた。交渉過程では四都市連合側からは「捕虜の返還」に関する強い要望があったが、リムルベート王国側は回答を留保し続けた。


 一方、インバフィルは四都市連合とは別に個別の都市として「評議会」の存続を申し出ていた。この要求に対しては、リムルベート側で対応が分かれ一時紛糾したが、


「十数万の人口を持つインヴァル半島南端の占領政策は生半可ではない。既存の体制を利用し、円滑さを優先するべきだ」


 というウェスタ侯爵とウーブル侯爵の意見を取り入れ、これを承認することとした。但し「インバフィル評議会」はリムルベート王国の執政官の下に置かれる事となり、議員の選出方法を見直すことが条件となった。


 そして、占領後の治安維持を新しく派遣されてきた第一騎士団に譲り、施政を執政官に引き継いだリムルベート軍の大部分は、安全となった海路で王都リムルベートへ帰還することとなった。それは、アドルム無血占領の日から数えて二週間後の事だった。


****************************************


アーシラ歴497年4月末


 帰還したリムルベート軍を待っていたのは王都の住民による盛大な歓迎と、リムルベート王家による論功行賞だった。封建制度の国であるリムルベートにとって、戦勝によって得られた領土領地は家臣である爵家に分け与えられるべきものだ。しかし、久しく対外的な大戦おおいくさを経験していなかったリムルベート王家は、この論功行賞にしばし頭を悩ませることになる。取り敢えず、この日までに決まっていた事とは、


 ――インバフィル、アドルム、オーメイユをリムルベート王家直轄地とする――


 ということだけだった。つまり、その周辺に広がる広大な土地と農村、又はオーカスやボンゼといった中小規模の街の処遇はこの時点では決まっていなかった。それらの空白地帯の存在は、その後しばらく、王城や王都に於いて色々な噂の種となった。そして、第二騎士団所属として戦いに赴いた中小爵家の当主や家来達、又は第一騎士団所属の当代騎士達はそんな噂に一喜一憂するのであった。全体として浮ついた空気が王都のみならず、リムルベート王国全体を包み込んでいた


 勝利の報せに高揚した王都に帰参後、インバフィル攻略を行った軍勢は一度身形を整えると、改めて隊列を組み王城へ凱旋した。そして、ガーディス王直々の出迎えを受けた軍勢の内、騎士達は第一騎士団、第二騎士団を問わず全てが王家主催の晩餐に招かれた。また兵士達と傭兵達は第二城郭内の騎士団詰所前に張られた宴席で盛大に酒や食べ物を振る舞われることになった。そしてこの時ユーリーは、リリアと共に第二城郭の兵士達の宴に参加していた。


 大貴族の公子であるアルヴァンは言うに及ばず、何故かヨシンもその場に居なかった。彼等は、第一城郭内の王宮で開催された晩餐に参加しているのだ。この待遇の差には理由があった。実はユーリーの名前は第二次アドルム攻勢に出撃した騎士の名簿には載っていないのだ。カルアニスからインバフィルを経由してイドシア砦に辿り着いた彼は、恋人リリアと共に傭兵として名簿に記載されていた。一方、身分的には上級兵という扱いになるウェスタ侯爵領哨戒騎士のヨシンは、何故かマルグス子爵家の正騎士として名簿に記載されていた。恐らく相当昔に偽造した「マルグス子爵家の遠縁の男子」という身分が影響したのだろう。結果的に、この戦籍名簿の記載の差によって、ユーリーとヨシンに対する待遇に差が生まれてしまったのだ。


 これにはアルヴァンもヨシンも、リリアでさえ怒った。しかし、当の本人であるユーリーは全く気にするどころか、


「いいよ、僕はリリアと一緒に気楽に美味い物を食べて適当に過ごすから」


 という事だった。そして、


「なら、オレも第二城郭の方へ参加する」


 と言い出したアルヴァンに対して、


「……駄目だろ、アーヴ」


 とそれを押し留めていた。ユーリーが駄目だと言う理由をアルヴァンも良く分かっている。以前祖父に宛てた手紙に書いていた反省 ――他の貴族とも好誼を通じる努力をする―― を実行するならば、今夜の晩餐は又と無い好機なのだ。何と言っても二十一歳の若さで三千の、しかもリムルベート王国の常識でいえば雑兵にるいされる傭兵を統率して見事な働きを見せた勝利の立役者の一人なのだ。凱旋の際には、ガーディス王がアルヴァンを名指しで褒めたくらいだった。しかも彼にはまつわる・・・・話が幾つも有った。


 例えば、第一次アドルム攻勢の際に陣中でただ一人、総大将コンラーク伯爵の采配に異を唱え戦線から左遷されたこと。そして、左遷された先で見事に敵の砦を落とすも、逆に包囲され籠城を余儀なくされたこと。そして、三大侯爵の一角であり、本来は良好といえない関係である従兄バーナスと協力し籠城を耐え抜いたこと。籠城戦の最後には家紋に頂く竜が助勢にやって来たというほら話・・・まで出回っていた。そして、第三次アドルム攻勢に際しては天才軍師さながらの采配を以ってインヴァル半島東岸を南進し、敵中深くに入り込み、インバフィルを攪乱しつつアドルム攻略の楔となった事などだ。


 また、婚約者である女性との婚姻を内密にし、勝利の暁には大々的に発表すると誓ったこと ――尤もこれはウェスタ侯爵家が後付けした理由だが―― といった艶っぽい話も備えている。


 彼が今夜の晩餐の主役の一人であることは確実だった。そして、その立場を利用し方々の爵家貴族と好誼友好の切っ掛けを作るのは、いわば彼が彼自身に課した責務であった。


「……分かった。だが、明日か明後日には邸宅で盛大に戦勝記念の宴を開くから、その時は……」

「勿論さ、今日は飲み過ぎないようにしておくよ」


 ユーリーの言葉に納得したアルヴァンはそう言う。対してユーリーは冗談めかして答えていた。一方、ヨシンは、


「お、オレ、どうすればいいんだよ」


 と戸惑っていた。彼はウェスタ侯爵家の哨戒騎士ではなく、マルグス子爵家の正騎士として軍役外から参加したことになっていた。同様の弱小子爵家の騎士は少なく無かった。


「ヨシンは、アルヴァンの隣に立っていればいいと思うよ」


 そんな幼馴染の包帯が取れない身体を見ながらユーリーはそう言った。


「立ってるだけでいいんだな?」

「ああ、デイルさんもそうするだろう。デイルさんとヨシンだ。リムルベートきっての豪傑二人がアーヴの隣に立っていたら、肚に思う所がある連中も黙って笑顔になるしかないさ」

「……そ、そうかな……」


 という会話だった。ユーリーにそう言われたヨシンは、その後大人しくアルヴァンに同行した。まるで近衛騎士のように、晩餐中は終始アルヴァンの斜め後ろにピッタリと張り付いていたと言うヨシンの様子を、ユーリーは後日デイルから聞くことになった。


****************************************


 ユーリーはそんな経緯を思い出しながら、目の前の焚火を眺めていた。その場所は第二城郭内の騎士団詰所前の広場だ。数年前、中位魔神と死闘を繰り広げ、地面も建物もボロボロになった場所だが、当時の破壊の爪痕は綺麗に整備されていた。


 彼は手に持った木製の杯には余り口を付けていなかった。腹の具合は、宴会の初めにまわってきた食べ物を一気にパクついたので落ち着いている。そんな彼は、只、チラチラと動く炎を見ながら、周囲の喧騒を聞き流している状態だった。


 屋外に仮設された宴会場では、そこかしこで吟遊詩人の歌声や楽器が鳴り響いている。それに合わせて故郷の歌を歌う兵士達は相当酔いが回っているのだろう。中には聞き知った歌もあった。そんな歌声を掻き消すように、時折怒鳴り声なのか歌声なのか分からない野太い声が方々から響いてくる。


 ユーリーが腰を落ち着けた場所は、焚火に近く料理も直ぐにまわってくる場所だった。リムルベート側の遠慮なのか偶然なのか判然としないが、その場所は第三軍に加わった傭兵大隊の首領を勤めたブルガルトやジェイコブ等にあてがわれた特等席だった。しかし、この瞬間、ユーリーはポツンとその場所に座ったままだった。傭兵団の首領達は手下の傭兵達に手を引かれるように、別の場所へ移っていた。ユーリーの隣に居たリリアも、精霊術師の女に誘われて少し離れた場所で話し込んでいる。


 ユーリーは周囲の喧騒に聴覚を委ねながら、これまでの事、そしてこれからの事を考えていた。


(……ヨシンはあのままマルグス子爵家の跡取りに収まれれば大した出世だ。ヨシンなら何とかなるだろう。アーヴの方もしばらく手助けなど要らないだろうな……だったらやっぱり、レイの方が気になるな……今はどうなっているのだろう? 姉さんは元気でやっているのかな?)


 考えることは、そんな事だった。騎士になりたいと思っていたのは昔の話だった。今のユーリーは自分が役に立つ場所を求めていた。そして、自分が役に立てる場所は戦いの場くらいだろう、とも考えていた。その考えは、彼を少し切ない気分にさせた。


(結局、戦いのある場所になるんだな……)


 戦いや争いなど無い方が良い。誰しもが思っていることだ。だが現実には平和と融和の理想を説いたところで戦いは無くならない。寧ろ未来永劫延々と繰り返される宿命のように感じられる。そんなユーリーは、一つの戦いが終わった今、新たな危惧を感じていた。それは、インバフィルを諦めた四都市連合の対応に起因していた。「何がどうだ」という確証はないが、その諦めの良さに不安を感じていたのだ。


 更に、カルアニス島で女魔術師アンナと伯父である使徒アズールから聞かされた話と託された問い・・・・・・がその不安に拍車を掛けた。四都市連合との戦争とは別の次元で起ころうとする企み ――大崩壊を再び起こす―― その意図は全く謎である、しかし、


(必ず……そう遠くない未来、何かが起きる)


 そんな不吉過ぎる考えが、確信めいた予感となってユーリーの胸中を占めていた。その時、


「よお! なんだ、全然飲んでないな」


 思索に意識を遣っていたユーリーは突然話し掛けられて少し驚いた。話し掛けたのは暁旅団のブルガルトだった。彼は、ユーリーの杯を見ると呆れたように言って無理矢理ワインを注いできた。溢れるワインが地面を濡らした。


「いいよ、そんなにいつも飲んだくれている訳じゃない!」

「ははは、不貞腐れてるのかと思ったんだが、元気じゃないか」


 ユーリーは何時かの酒宴での一幕を思い出してブルガルトに言う。対するブルガルトは飄々とした表情で相手にしない。そして、彼は自分の杯を差し出すと、乾杯を促した。ユーリーもそこまで愛想を悪くする必要は感じないので、彼に合わせて杯を空けた。喉元で絡み付くような渋い液体がゆっくりと胃の腑に落ちるのを感じる。


「食人鬼二体を瞬殺だってな……やっぱり強いなユーリー」

「瞬殺じゃない。結構危なかった。それに、ブルガルト、アンタには敵わない」

「ふんっ……どうだか。兵の連中がどんな話で盛り上がってるか聞いたか?」

「さあ?」

「今回の戦いで一番強かったのは誰かって。食人鬼一体を無傷で倒した騎士デイル、満身創痍ながら力勝ちした騎士ヨシン、固定弩で倒したドワーフの王子様は除外だったな。そして、第一候補は二体をあっと言う間に倒した青年なんだそうだ」

「……」

「なぁ、一度断られた上でもう一度言うが、俺達と一緒にやらないか? お前さえよければ、暁旅団を任せてもいい。お前がダリアと一緒になってくれれば、俺としては最高の筋書きだ」


 突拍子もないことを言い出すブルガルトにユーリーは驚いた表情となった。


「ブルガルト、あんた酔っぱらってるのか?」

「まさか、俺は素面だ」


 そう答えるブルガルトだが、焚火の明かりを受けた顔は確かに赤らんでいた。


「……度々誘ってくれるのは嬉しいが、やっぱり断るよ」


 周囲を包んでいた吟遊詩人や楽士の奏でる楽器の音色は、いつしか一つの旋律になっていた。そして、その軽快な旋律に合せて兵や傭兵達の掛け声めいた声が上がる。大勢が輪になって音に合わせながら踊り、そして喝采を上げていた。


「やっぱり……な」


 周囲は騒々しくも楽し気な音に包まれるが、この二人は少し沈んだ雰囲気だった。そこに、快活な少女の声が掛かる。


「ユーリー! 一緒に踊りましょう……ってお話中だった?」

「いや、話は済んだところだよ、お嬢ちゃん」


 ブルガルトはそう言うと立ち上がり、仲間の輪へ戻って行った。一方ユーリーは、その後ろ姿にチラと視線を送るが、


「ねぇ、ユーリーィ」


 というリリアの声に、


「そうだね、踊ろうか」


 と応じると、笑顔と共に立ち上がるのだった。内心に渦巻く言い知れない不安を、パッと華が咲いたようなリリアの笑顔が打ち消してくれることを願っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る