Episode_20.20 インバフィル戦争の行方


 アドルムの街は北側の城壁を破られた翌日の夕方には、陥落した、といって良い状況となっていた。その日の早朝に街の南方へ退いた守備傭兵部隊は、その後北に戦線を押し上げることは出来なかった。それには、アドルムの街の背後を突いたウェスタ侯爵家公子アルヴァン率いる第三軍の活躍が大きかった。


 守備傭兵部隊に対して西側の市場に出現した第三軍の存在が陽動となり、数的均衡を保っていた守備傭兵部隊は勢力を二つに割ってしまったのだ。そのうえ、割った勢力が夫々手痛い打撃を受けていた。市場に陣取ったリムルベートの第三軍へ向かった部隊は、通りと路地の配置を上手く利用したリムルベート側によって奇襲を受け、壊滅に近い損害を出して南へ撤退した。


 また、街の南東に残った勢力に対しては、侯爵ブラハリーが率いる第一軍の本隊が正面攻勢を仕掛け、これを南に追いやっていた。更に南、インバフィルの方角へ撤退する傭兵達には、市場に向かった勢力を撃破した二百騎以上の騎士が再三に渡って追撃、突撃を繰り返した。その執拗な攻撃によって、多くの傭兵や四都市連合の将校は倒れるか、撤退を諦め降伏した。結局無事にインバフィルまで辿り着けた傭兵や指揮官は千に満たなかったということだ。


 こうして、リムルベート王国軍は要害の地アドルムを攻め落とす事が出来た。実に半年近く拮抗していた戦況がようやく動き出したのだ。そして、一旦動き出した戦況は雪崩を打って、一方に傾く。リムルベート王国軍の総大将ウェスタ侯爵ブラハリーはその日の夜の内に残存勢力を再編成すると、翌朝の日の出を合図にアドルムからインバフィルへ進軍を開始した。


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アーシラ歴497年4月13日


 三日前、十日の午後から始まったインバフィル港での暴動は、ようやく沈静化へ向かっていた。暴動に先立ちインバフィルの街を襲撃したリムルベート王国の部隊を北へ追撃した傭兵部隊が街に帰還し、そのまま暴動鎮静に当たったことが理由だった。但し、六個大隊という勢力を繰り出し行った追撃は芳しい戦果を挙げることが出来ず、逆に進む先々で手痛い反撃を受ける格好となっていた。そのため、インバフィルに帰参した傭兵部隊は正味四個大隊前後に数を減らしており、その上疲労困憊であった。


 そんな傭兵部隊だが、この期に及んでようやく意見を集約したインバフィル評議会の強い要請により、休む間もなく暴動の鎮圧に参加することになった。そして、評議会からそれなり・・・・の強硬手段を用いることを許された傭兵達は、暴力的に鎮圧に取り掛かった。インバフィル港の暴動が鎮静化へ向かったのは十二日の午後の事であった。


 しかし、この強硬的な鎮圧が思わぬ事態を招き込んだ。これまで四都市連合作軍部の指示に従順に従っていた義勇民兵隊の大部分が暴力を用いた暴動鎮圧に抗議するため、職務を放棄したのだ。この事態に一旦収まり掛けた暴動は、翌朝十三日の朝早くから、今度は評議会の議事堂付近で再発の気配を見せた。そこに、アドルムの街陥落、の報せが舞い込んだのだ。


 フロンド提督率いる第三海兵団と輸送船団が港に入港したのは、そんな時だった。


 おかを目の前にして、三日間も港の沖に停泊を余儀なくされていた船団は、入港してホッと一息吐きたい心情であった。しかし、そんな彼等を迎えたのはロキシス以下作軍部の面々とインバフィル評議会の落胆と絶望が籠った出迎えであった。


「たった五百……」

「中央はインバフィルを、我々を見捨てるつもりか!」


 援軍の少なさに絶句する作軍部長ロキシスを後目に、インバフィル評議会の有力議員が強い抗議をした。しかし、それを受けるフロンド提督には抗議に対処するための権限は無い。勿論、この状況で援軍が少ないと言われても、それを魔法のように増やすことなど出来るはずがない。


「提督の海兵も街の防衛に回って貰えるのでしょうな? アドルムが落とされたのですぞ!」


 アドルムが落とされた、という言葉にフロンドは驚いたが、その感情を押し殺すとゆっくりと首を横に振った。


「私の艦隊及び海兵達は港で待機せよと命令を受けております」

「そんな……」

「それとロキシス総長……失礼、ロキシス殿、こちらは貴殿宛ての命令書になる」


 フロンド提督の他意の無い言い間違いに、ロキシスの表情は険しくなる。そして、彼は差し出された命令書をもぎ取るように手にすると中を読む。


「……おのれ……ヒューブめ」

「私は中身までは知らないが……インバフィル海軍の方にも先程命令書を送ったところだ。海兵団に関係のある内容は?」


 命令書を握り、怒りに肩を震わせる元戦時作軍部総長は、そんなフロンドの言葉を受けるとキッと顔を上げた。そして、


「評議員、私は今を以ってインバフィル防衛の任務を解かれた。今後、残存する傭兵部隊の指揮はインバフィル評議会に帰属することになる」

「な、なんだと……貴殿までインバフィルを見捨てるつもりか」


 ロキシスの言葉に、フロンドは「やはり」という顔つきになる。一方、インバフィル評議会の議員は文字通り彼にすがるように取り付いて言う。その様子にロキシスの表情に迷いが浮かんだ。


 ロキシス元作軍総長に対する周囲の人物評価は「権威に迎合的な人物」というものである。長くランチェルの子飼いとして「主陸派」の代表格であったため、そのような評価となっていた。確かにそのような側面もある。「中央評議員に推す」と言われた時は降って沸いた出世の幸運に小躍りしたものだ。そんなロキシスは俗な男であった。しかし、同時に心の中には武人としての意地も残っている。元々は部下であった、ヒューブ現作軍総長に対する反発もある。そして何より、今回の戦いを始めるための企てに携わった者として、戦いを終わらせる責任を感じる心も有った。そんな彼は決心したように言う。


「これは進言というより、提案だ。暴動の鎮圧は一旦諦め、街の北に残存兵力を集めるのだ。そこで、北からやって来るリムルベートと食い止める」

「しかし、敵は五千を下らないという報告だ。我々の手元にあるのは三千程度の兵力だぞ、食い止めることなど――」

「勝てるはずは無い。しかし、そこで戦って粘ることで停戦交渉……いや、恐らく降伏条件の交渉に持ち込める可能性はある」


 ロキシスは、現時点で考えられる最も良い戦いの終わらせ方を提案する。


「なんと……降伏……」

「もしも、フロンド提督が引き連れた船団に四千、いや三千の援軍が乗っていれば、この状態からでも巻き返しは可能だった。しかし、五百では……厭な喩えだが、背後にインバフィルを背負い、住民に大きな被害が出る市街戦という状況を逆手にとって交渉すれば……インバフィルはリムルベートの軍門に下っても評議会位は残すことが出来るかもしれない」


 目まぐるしく動く頭脳が捻り出した提案だったが、ロキシスには不思議とそうなる見通しがあった。今インバフィルに迫るリムルベート軍を率いるのはウェスタ侯爵という人物だ。敵将の分析を疎かにしない四都市連合の作軍部は、このウェスタ侯爵ブラハリーという人物を、何よりも民草の生活を大切にする人物、と分析していた。ならば、敵対勢力といえども、市街地で住民を巻き込む戦いを行うのは本意ではないはずだ。そこに、交渉の余地があるとロキシスは考えた。


 一方、そう言われたインバフィルの評議員は言葉を詰まらせながら、不安気に言う。


「しかし、我らに荒くれの傭兵の統率など……ましてや、大軍を相手に持ち堪える采配など出来るはずがない」


 その言葉は道理だった。しかし、ロキシスは胸を張って言う。


「だから、インバフィル評議会は私を軍事顧問として雇うのだ。指揮は私が執る」

「な! ロキシス殿、正気か!」

「正気も何も、戦を始めた以上、どう終わらせるかは……始めた者の責務だろう」

「そうか……」


 ロキシスの決意に、フロンド提督が驚きの声を発する。しかし、ロキシスは何処か達観したような表情でそう返していた。しばらく沈黙が続く。そして、不意にフロンド提督が口を開いた。


「この事は報告しなければならない」

「分かっている。他の作軍部長や関係者の退去を支援して欲しい」

「それは、任せてくれ……貴殿は死ぬ気か?」

「まさか、いい具合の所で投降する……捕虜になるだろうが、リムルベート王国の王都を見聞してやるつもりだ」


 フロンドの問いにロキシスは笑って言う。肚が決まったという雰囲気だった。


「ならば……もしも同じく捕虜となった私の部下達に会ったら……済まない、と」

「ああ、引き受けた」


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 翌日、四月十四日の未明。夜明けには未だ三時間ほど時間を残した頃合いにインバフィルの北側に姿を現したリムルベート軍の総数は六千余であった。第一、第二、第三軍から重傷者を除外し、健在な、又は軽傷だが戦闘に支障の無い者達で再編成した軍であった。彼等は、アドルムの街に負傷兵を残し、只管街道を南下すると守りの弱まったインバフィルへ到達していた。二日間に及ぶアドルムでの戦闘を終えて直ぐの移動に、兵士や騎士達は疲弊していたが、ここが踏ん張りどころ、と気を入れていた。そのため全軍の士気は高い水準を保っていた。


 そんなリムルベート軍は夜明けを待ってインバフィルへ攻撃を仕掛けるつもりであった。狙いは港に近い「四都市連合連絡会館」及び「インバフィル評議会議事堂」そして「海軍本部」である。街の中枢というべきそれ等の施設を押えることが戦略目的だった。そして、軍勢は息を詰めて夜明けを待った。


 しかし、そんな状態のリムルベート軍は思わぬ事態に直面した。なんと寡勢のインバフィル側が、夜襲を仕掛けてきたのだ。街を南に見て街道に展開したリムルベート軍はその東西を数百人から千人規模の部隊に襲われた。しかも、この時点でリムルベート軍はインバフィルの苦しい内情を把握していなかった。そのため、夜襲を仕掛けた敵部隊が少数の兵力を巧みに機動させ、大軍を装っていた事に気付けなかった。


 勢力不明の敵集団に襲われたリムルベート軍は、当然の如く街道の両脇、東西に対して防衛線を敷く。そして、夜明けを待って敵の勢力を見極め反撃に移ることを意図した。しかし、インバフィル側はその動きを予期したように次の手を打った。街道の両脇に注意を向けたリムルベート軍に、インバフィルから続く街道を真っ直ぐ北上した一集団が突撃したのだ。


 それはリムルベート軍からは松明を手に持った騎兵の集団に見えた。しかし、実際は違う。インバフィルの街にそのような騎兵の部隊は残されていなかった。それどころか、その集団には兵や指揮官の姿さえ無かった。それらは、鞍に騎手の代わりに篝火を乗せられた軍馬、燃え盛る荷台を半狂乱で曳く荷駄馬、角に松明を括りつけられた港湾作業用の牛、更には尻尾に松明を括りつけられた野良犬で構成された動物の集団だった。自らの身に括り付けられた炎に追い立てられた動物の集団は、混乱するリムルベート軍に突入する格好となる。


 そうして助長される混乱はリムルベート軍の全体に伝播し、東西の両端を臨機応変に攻めるインバフィルの部隊を助けることになった。


 その未明の戦いは、これまで陸戦で連戦連勝を誇っていたリムルベート軍に初めて一方的な損害を与えたものだった。なまじ、攻撃前に全軍を集結させていた配置が被害を大きくした。しかし、そんなインバフィル側の攻勢は、やがて朝日が夜の帳を取り除くにつれて白日の下に曝される。


 リムルベート軍の東西両端は、敵が予想外に少数で有ったことに驚くが、排除することに代わりは無い。そして、差し向けられた大部隊を前に、夜の間大軍を翻弄した傭兵部隊はあっさりと投降した。


 一方、夜明けと共に開けた視界の先、リムルベート軍の南には千数百の傭兵部隊が防御線を張っているのが見て取れた。リムルベート軍の総大将、ウェスタ侯爵ブラハリーは全軍に南進を号令した。千数百の防衛部隊に数千の大軍が押し寄せた。


 しかし、そこでもインバフィル側は予想外の粘りを見せた。戦線を少しずつ下げながら、限られた兵力を巧みに使い、突出するリムルベート軍の先端を削り続けたのだ。しかし、結局は大軍の前の寡軍。やがて戦線を崩壊させたインバフィル側は街に逃げ込むと城門を硬く閉ざす。そして、


「ブラハリー様」

「うむ」

「停戦を求める旗……でしょうか?」

「そう、だろうな」


 リムルベート軍の前には城門の上の塔に掲げられた白地に黒の十字が描かれた旗が翻っていた。そして、間を置かずに城門が少し開くと、同じ旗を持った騎兵が一騎リムルベート軍の前へ進み出た。それは停戦交渉の使者であった。


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 この日の停戦交渉で、ウェスタ侯爵ブラハリーが率いるリムルベート軍は苦節十か月の月日を以ってインバフィルの街を無血占領するに至った。

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