Episode_20.19 アドルムの決戦 Ⅱ


 市場へ北から進入しようと試みた傭兵部隊は、それを待ち構えていたリムルベート側の部隊によって、市場入口で足止めされることになった。その場で防衛線を展開したリムルベートの別働隊と傭兵部隊は、一瞬だけ睨み合う格好となった。


「回り込むことは出来ないが、挟み撃ちには違いない! 前進、突撃!」


 この部隊を指揮する四都市連合の将校はそう号令を発すると、配下の傭兵達を防衛線へ突入させた。彼から見て、リムルベート側の部隊は六百に満たなかった。直ぐに突破できると考えるのは常識的な判断だった。


 しかし、この場で防衛線を張っているのは傭兵を主体とした士気の乏しい部隊では無かった。それは、ウェスタ侯爵家アルヴァン公子が直接指揮を執り、前線を歴戦のガルス中将が受け持ったウェスタ・ウーブル連合軍の騎士と兵士からなる部隊である。彼等は遥か遠くのデルフィルから、インヴァル半島東岸域を転戦しながら此処まで辿り着いた歴戦の部隊である。また、昨年の第二次アドルム攻勢も経験している。現時点で西方辺境地域に於いて最も実戦経験が豊富な精鋭部隊と呼ぶべき集団だった。


「怯むな! 押し返せぇ!」


 ガルス中将の怒号が飛ぶ。そして、騎士と兵士達は力押しに攻め込んで来た傭兵部隊の前列をガッチリと受け止めると、見事に弾き返した。盾と槍で固めた強固な槍衾やりぶまが高い防御力を発揮したのだ。突進した仲間達が槍に突かれ盾で殴られる様に、後続の傭兵達は前進を躊躇する。


「魔術で突き崩せ!」


 と四都市連合側の指揮官の号令が響く。その号令に応じて、部隊の中に混じっていた魔術師が攻撃魔術を発動した。幾条かの雷撃がリムルベート側の前列に襲い掛かると、破裂音と共に前列の兵士が吹き飛び、槍衾の隊列が崩れる。対するリムルベート側は弓兵が応射したが、元々少数であるため狙いは正確でも効果は薄い。


 魔術師の傭兵は、崩れた隊列にダメ押しをするために再び雷撃を投げ付けようとした。しかし、今度は様子が違った。生じた雷撃は宙を走ったが、先ほどと比較するまでも無く威力は小さかったのだ。


「どうした?」


 指揮官は不機嫌そうに叱咤の声を発する。対する魔術師は不思議そうな表情で周囲を見回した。そんな魔術師の視線が背後を向いたとき、彼は驚いた声を発した。


「なんだ?」

「み、道が無い!」

「何をたわけた……」


 魔術師は、自分達が進んで来た道の方を見て、道が無いと言う。その言葉に指揮官や周囲の将校達は無意識に確かめようと視線を送った。そして直ぐに驚きに目を見張った。そこには、あるはずの大通が消え去り、代わりに周囲の街並みと変わらない建物の姿が有ったのだ。


「一体……」


 指揮官は我が目を疑うように二度三度と瞬きをした。一方の魔術師は、雷爆矢ライトニングボルトが急激に威力を失った現象と、目の前に虚像が現れた現象から或る事実を察知した。


「これは、敵の魔術――」


 しかし、彼はその言葉を言い終えることが出来なかった。目の前を塞いだ街並みを割って・・・・・・・、不意に一本の矢が飛んできたのだ。それは低い弾道を飛ぶと真っ直ぐに魔術師の喉へ突き立った。そして、その矢を合図にしたように、突如現れた街並みの虚像は霧が晴れるように掻き消える。道はあるべき姿に戻ったが、同時に居るはずの無い千人規模の部隊が姿を現した。リムルベート王国の兵士達である。しかも至近距離だ。


「進め!」


 矢を射った青年 ――ユーリー―― は、短弓を背中に仕舞うと代わりに剣を抜く。そして、傭兵部隊が市場の防衛線に対して行ったように、彼等の後端に向けて炎の魔術を撃ち放った。たちまち後列の傭兵達、主に弓兵や指揮官が炎に包まれる。


「後ろから敵襲だ! 後ろを守れ!」


 火炎矢ファイヤアローの雨から逃れた指揮官は号令を発する。しかし、狭い通りに展開した傭兵達は直ぐに陣形を整えられない。右往左往するばかりの傭兵達の間をリムルベート王国の新手の兵士達が浸透するように割って入り、通りはたちまち乱戦の場となった。そんな中で、傭兵部隊の指揮官は肉迫する新手の勢力から距離を置こうと、隊列の中央を目指していた。しかし、その行く手は遮られる。割って入ったのは、黒塗りの軽装板金鎧ライトプレートを身に着けたユーリーだった。


 彼は無言で手に持った剣を指揮官に向ける。僅かに反った刀身は蒼味掛かった鈍い光沢を持ち、切っ先から三分の一が両刃で、手元に近付くにつれて片刃に変じる。ユーリーは蒼牙の切っ先を指揮官に向け、刀身を上に向けると顎をしゃくって見せた。明らかな挑発である。


「おのれ、若造が!」


 その指揮官はユーリーの仕草に激昂すると、腰の長剣を抜き放った。正午近くの日光を受け、ギラリと光が反射する。その指揮官は、可也かなり腕の立つ人物であった。有象無象の傭兵達を力尽くで従わせる必要もある四都市連合の作軍部の将校達は剣技や戦技に明るいことが必須条件だ。その上、明晰な頭脳の働きを求められるため、敷居が高く門が狭い役職といえる。そんな作軍部の将校の中でもこの指揮官は剣の腕が立つ方・・・だった。その自信が目の前の生意気な、しかも大して強そうに見えない細身の青年に斬り掛らせたのだろう。


 ――ヒュンッ


 上段から正眼に移り、そのままグッと喉元を狙う突き。切っ先が生じる風切音は鋭い。しかし、ユーリーはそれを紙一重で躱してみせた。ユーリーから見れば、確かに鋭い刺突だが親友ヨシンのそれと比べるまでも無かった。しかも敵の指揮官が持つ長剣バスタードソードは、長年の修練の相棒であった親友の得意武器だ。自ずと間合いが身体に染みついている。


 喉元への突きを外した長剣の切っ先はその指揮官の手元に戻ると、今度は両手持ちとなって鋭い斬り払いをユーリーの右手目掛けて打込んできた。刃渡りの長い長剣を両手に持っての強振だ。ユーリーはその一撃を咄嗟に身を引いて躱そうとした。しかし、その刹那、彼の視界は不自然さを捉えていた。


(手の動きと足の運びが逆だ――)


 ユーリーの左上から右下の手元を狙う一撃ならば、相対する敵はその強振の勢いを押えるため右足を前に出して踏ん張るのが定石だ。しかし、今ユーリーと相対する敵の指揮官は右足を奥に残したまま一撃を繰り出していた。その不自然さに気付いたユーリーは本能的に悟った。


(この一撃は捨て・・だ)


 その瞬間、ユーリーは振られる相手の剣の軌道の下に蒼牙の刀身を寝かせると、その一撃をミスリルの籠手ガントレットで受け止めた。


――ガキィッ


 敵の指揮官の一撃は籠手の表面を覆った燻し加工の銀板を弾き飛ばすが、その奥の真銀ミスリルの装甲で完全に止められた。そして弾き上がる剣先であるが、敵の指揮官は構う事無く、奥に置いていた右足を踏み出し、体重を乗せた渾身の一撃を振るおうとする。これが狙いだったのだ。剣を刃物ではなく、鈍器の一種のように考え、相手の守りが薄い所に叩きつける。斬るのではなく叩くことで相手を屈服させる実践的な戦法である。しかし、そこには一つ、思惑と違う所が有った。それは、ユーリーが最初の一撃に対して何もせずに防具の強度を頼りに受け止めただけ・・、という点だった。


 振りかぶられる途中にある指揮官の長剣は「虚」、一方、腰だめの格好で保たれたユーリーの蒼牙は既に攻撃に転じる「実」の状態にあった。そして勝負が決する。


「ぐぅっ!」


 次の瞬間、ユーリーは敵の指揮官の胴を薙いでいた。魔剣である蒼牙に魔力を籠めて切れ味を増した状態だ。その斬撃は飴細工のように鋼の胴鎧を切り裂くと、相手の内臓に達する一撃となっていた。その一撃を振り抜いたユーリーは、足元にうずくまる敵の指揮官と手に持った蒼牙を交互に見る。剣の切っ先から三分の一が赤黒い血に染められていた。助かる傷ではないが、かといって即死でもない、苦痛が長く続くだけの致命傷。剣にこびり付いた血糊の深さは、そんな事実をユーリーに伝える。


 一瞬の躊躇いの後に、ユーリーはその切っ先を足元目掛けて振るった。蹲って傷口と溢れ出るはらわたを押えていた敗者の苦悶がピタリと止んだ。


「押し込め! 今が好機!」

「進め! 蹴散らせ!」


 遠くから親友アルヴァンと老騎士ガルス中将の怒号が近付いてきた。市場を巡る戦い、いや、アドルムの街を巡る戦いはその行方を決しようとしていた。


(ユーリー、大丈夫?)


 人いきれ・・・・と血の匂いに咽返る通りに涼しい風が吹く。その風は愛する少女の心配そうな声を伝えてきた。その声の調子にユーリーは一瞬目の前がぐるりと回り、足元が揺れるような感覚を覚えた。蓄積した疲労は凄まじいが、それが引き起こした眩暈ではない。ならば何か、


(今すぐ抱きたい……!)


 という事だった。愛する少女の白い肌とあられもない姿・・・・・・・が目の前を過る。不意に沸き起こった激しい情動に、ユーリー自身が戸惑った。


(ねぇ、どうしたの? 怪我してるの? 返事をして!)


 耳元では心配する声が流れ続ける。しかし、ユーリーは自分の抱いた劣情に近い情動を素直に吐露出来ず、


「い、いや……大丈夫だ。第一軍の本隊はどうなった?」


 と訊き返すのが精いっぱいだった。


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