Episode_20.16 激突! ヨシン対食人鬼


 第三軍の先頭を走るのはウェスタとウーブルの騎士達だ。アルヴァンを守る一部を除いた七十余騎が一斉に通りを駆ける。その最先頭を駆けるヨシンは、先ほどのアルヴァンの言葉を噛締めつつも、


(第一軍を襲ったオーガーは恐らくデイルさんが、そして第二軍を襲った方はユーリーがやったんだろう……ならばオレだって)


 と、意気込んでいた。そんな彼は背の低い建物が密集した場所を駆け抜ける。そして、通りの右手側に建つ大きな建物 ――「黄麻ギルド」の倉庫―― の角を曲がったところで、視界が開けた。そこは平時ならば沢山の店が出る市場であったが、先日からは街の北から戦いを逃れてきた住民達の避難場所となっていた。そして、少し前から食人鬼オーガーの狩場と化してしまった場所だ。


 ヨシン達の目の前で、四メートルに迫る巨体が次々と住民を襲っている。巨大な腕をひと薙ぎさせる毎に住民が弾き飛ばされ、噴き上がる鮮血が薄霧のようにもやって見える。巨大な食人鬼は、犠牲となった若い女の腹だけを食い破り、次の獲物を求めている。


 一方の住民側は、突然、しかも街中に現れるはずの無い魔獣の出現に大混乱となっていた。夜明け後の朝であったため、暖を取る焚火には朝食を煮炊きするために薪がくべられ、それが、住民の荷物や掘っ建て小屋に燃え移り、濃い煙が立ち上っている。そんな状況下で、今度は見知らぬ騎馬の集団が広場に突入してきたのだ、混乱はいよいよ収拾がつかない事態に陥り掛けていた。


「食人鬼の注意は俺が引き受ける! 他は住民を避難させろ!」


 体格に優れる上、俊足の軍馬を駆る若い騎士は、身分としては正式な騎士ではないが後ろに続く正騎士の面々を振り返り号令を発した。全く立場をまきまえていない不遜な行為だが、その声と雰囲気に正騎士達は思わず従ってしまった。そして、


「我らはリムルベート王国の騎士! 助けに来たぞ!」


 ヨシンは馬上から大きな声で逃げ惑う住民達へ呼びかける。彼はそう叫びながら、単騎、暴れる食人鬼へ向かって行った。一方、後続の騎士達は彼の後ろに続くと、住民と食人鬼の間に壁のように割って入った。


「何でリムルベートが?」

「しらねぇよ」

「そんな事より、早く逃げるぞ」

「逃げるったって」


 それでも住民達の混乱は直ぐには治まらない。そこに、今度は傭兵大隊を率いたアルヴァン達が追いついて来た。


「住民達よ、よく聞け! 私はリムルベート王国ウェスタ侯爵家公子アルヴァンだ。戦の最中ではあるが、住民を巻き込む卑劣な作戦を行った四都市連合の暴挙を見過ごすことは無い! 諸君らは落ち着いて南の森へ逃れよ! 我らが守る故、もう安心だ!」


 その声はヨシンが発した大きいだけの怒鳴り声とは違い、市場の広場に明朗に響き渡った。普段は少し高い声質を気にしているアルヴァンだが、こういう時は自分が生まれ持った器質に感謝するのである。そして、アルヴァンの口上を受けて住民達は徐々に混乱を収める。それでも、直ぐ近くで騎士達と食人鬼が戦いを繰り広げている状況には変わりが無かった。


「さぁ落ち着いて、我らの進んだ道を通って南へ逃れるのだ。兵達が諸君の後ろを守る。安心して進め」


 馬から下りたガルス中将は自ら住民達を先導する。騎士達の援護に回る傭兵大隊とは別に、ウェスタ・ウーブル連合軍の兵士達がそんな住民達を広場から連れ出して行った。


****************************************


 憐れな犠牲者を鋭い牙にかけ、鮮血と絶叫が支配する凄惨な饗宴をほしいままに繰り広げていた食人鬼オーガーは、口を満たす熱い血潮と両手が伝える肉を引き裂く感触に酔っていた。だから、足元へ矢のように迫る騎士の存在に気が付かなかった。両手に犠牲者を掴み、頭から交互に齧りついていた魔獣は、その足元が全く無防備だった。


「うらあぁっ!」


 魔獣の足元に突進したヨシンは、両手で構えた愛用の斧槍「首咬み」を気合いと共に一閃させて、駆け抜ける。ヨシンの膂力に馬の突進力が加わった斧の刃は、食人鬼の太い腿に食い込み、筋肉を割って腱を断ち切る。そして、骨まで達する深い傷を負わせた。鋭さよりも丈夫さを重視して造られた斧槍は、歩兵用の武器といっても山の王国謹製の品だ。流石の切れ味を示していた。


「ググオオォォッ!」


 突然の激痛に食人鬼は苦痛の咆哮を上げる。そして、手に持っていた犠牲者の死体を怒りに任せて地面に叩きつけた。グシャリという嫌な音が咆哮に紛れて伝わる。食人鬼は、自分に深手を負わせた存在を追って周囲を見回す。いつの間にか、魔獣の周囲は騎乗の騎士が取り囲んでいた。


「お前の相手はこっちだぁ!」


 自分を取り囲んだ騎士の誰が自分を傷付けたのか? そんな視線を送っていた食人鬼に、背後から大声が放たれた。そこには再び騎馬による突進を試みるヨシンの姿があった。


 ――ブウゥンッ


 素晴らしい速さで距離を詰めるヨシンに対して、食人鬼は振り返りざまに太い右手を振り払う。その動きに、食人鬼の腰の辺りを狙ったヨシンの突撃は狙いを遮られ、そのまま右手の手首に自分から衝突していく格好となる。


 ――ガシャァッ


 激しく甲冑を打ち付ける音と馬の嘶きが響く。ヨシンの愛馬は衝突の瞬間頭を下げて食人鬼の右腕を下に潜るように躱し、走り去る。しかし、その背に乗るヨシンには避ける場所が無かった。馬の速度のままで巨大な右手に衝突した彼は、弾き飛ばされるように馬上から投げ出されてしまった。それでも、衝突の一瞬前に刺突に切り替えた攻撃によってヨシンの「首咬み」は鋭い穂先を全て巨人の右手首に埋め込んでいた。


「ウップ……痛ってぇ……」


 頑丈な若い騎士は、弾き飛ばされた衝撃をものともしないように直ぐに起き上がる。だが、無傷では無かった。彼はひしゃげて視界が効かなくなった全閉兜を脱ぎ捨てると、その場で血が混じった唾を地面に吐く。地面には、真っ赤な唾とその後を追うようにボタボタと鼻血が垂れた。たった一撃で満身創痍である。ヨシンは唾を吐いた瞬間、肋骨に鋭い痛みを感じた。肋骨だけではない、全身痛くない所を探すほうが難しいほどだ。だが、


(痛いってことは、生きてる証拠だ。まだ戦える!)


 流石に大声は出せないが、ヨシンは心の中でそう吠えると、体中から闘志を掻き集めて腰の長剣を抜き放った。持ち主と同じように頑丈さだけが取り柄のように作られた重い長剣が、今は不思議と軽く感じられた。それは全身を巡り身体の末節に行き渡った戦う意志の成せる業だったのかもしれない。とにかくヨシンは長剣を正眼に構えると、目の前の巨体に対峙した。一方、巨大な食人鬼オーガーもまた、血走った眼に憎悪を湛えてヨシンを見下ろしている。その右手首にはヨシンの「首咬み」が突き立ったままだ。


「グゥオォッ!」


 先に仕掛けたのは食人鬼だ。短く吠えながら、無傷の左手を振るう。地面を掠めるように、ヨシンを狙って振るわれた巨大な腕。その先端には丈夫ななめし皮に覆われたような掌とその先の鋭い爪がある。しかし、ヨシンは飛び退くどころか、一歩踏み出すとその掌を迎え撃つように「折れ丸」を構えた。その動作に今度は食人鬼の方が嫌がるように振り抜く腕の軌道を上に逸らせた。右手首に突き立ったままの斧槍が発する痛みが、更に傷付く事を本能的に恐れさせたのだろう。


「でぁっ!」


 その瞬間、ヨシンは身を屈ませながら振り抜かれる食人鬼の大きな掌目掛けて「折れ丸」を振るった。ゴツンという鈍い音共に鮮血が舞い、太い小指が切り飛ばされた。一方「折れ丸」もまた、ヨシンの手を離れると弾き飛ばされるように宙を舞った。その一撃で食人鬼の巨体は仰け反る。傷ついた左手を右手で庇う仕草となる。そして、武器を失ったヨシンの目の前には「首咬み」の柄が差し出される格好となった。


(ツイてる!)


 咄嗟に考えることなどこの程度だ。殆ど本能的に斧槍の柄に取り付いたヨシンは渾身の力でそれを引き抜くと、その反動を身体の回転に換え、まるで木こりが大木を斬り倒すが如く斧状の刃を振るう。食人鬼の傷付いた太腿に再び強烈な一撃が加わった。ヨシンの一撃は食人鬼の太い大腿骨に、それを断ち折る勢いで食い込んでいたのだ。


「グゥォオオオ、オオオオオオオンッ!」


 更なる痛みに食人鬼の苦痛に満ちた咆哮が上がった。しかし、その咆哮は先ほどまでとは趣が異なったものだ。この瞬間、飼い慣らされたテイムド食人鬼オーガーは本能的に感じ取っていたのだ、目の前の人間を倒さなければ自分が死ぬことになると。それは、食人鬼の中の野生を呼び起こす。痛みや傷付く事への怖れを完全に捨て去った荒ぶる魔獣の本性が解き放たれた合図であった。


 片膝立ちとなった食人鬼は、再び斧槍を振りかぶったヨシン目掛けて傷を負った両手を庇う事無く前へ突き出した。対するヨシンは、その動きの変化に不意を突かれる格好となった。自分を握ろうと伸びてくる大きな掌に向けて「首咬み」を咄嗟に振るうのが精一杯だった。そうして振るわれた「首咬み」が、今度は食人鬼の左の掌から人差し指を斬り飛ばした。しかし、それと同時に、反対の右手がヨシンの胴をガシと掴んでいた。


「しまっ――」


 握りこまれる強烈な握力にヨシンの胴鎧が軋み音を上げると、最初の一撃で折れた肋骨が焼けるような鋭い痛みを発する。そして、一緒に掴まれてしまった左腕の骨がミシッと音を立ててあっさりと折れた。余りの激痛にヨシンは「首咬み」を取り落としてしまう。


「ヨシーーンッ!」


 その様子にアルヴァンの悲鳴のような声が響くが、ヨシンの意識はそれを聞き取る事が出来なかった。食人鬼の右手に掴まれた彼は、そのまま宙へ持ち上げられていた。その先には大きく開かれた食人鬼の口があった。鋭く大きな乱杭歯らんぐいばには、先ほど食われた住民の衣服が引っ掛かっていた。


(食われる!)


 襲い掛かる激痛も忘れてしまうほどの、本能的な恐怖がヨシンを支配する。その時――


 ――ヒュン、ヒュン


 不意に頭上を風切音が通過した。同時に、突然滝壺に放り込まれたような水流が襲った。そして、彼の身体は巨人の掌から滑り落ちていた。ヨシンは訳が分からず混乱する。しかし、絶体絶命の危機を脱したことは確かだった。食人鬼の足元に滑り落ちたヨシンは、一瞬だけ逡巡した。命の危機を脱した彼の本能は、敵から遠ざかることを訴える。落下の衝撃で再び襲ってきた全身の激痛、そこに敵から逃げたいという本能が重なる。ヨシンは無意識に、その場を這って逃れようとした。しかし、次の瞬間、彼の健在な右手はいつの間にか泥濘ぬかるみとなった泥の中でカチリとした硬い感触を探り当てていた。それは、彼の愛剣「折れ丸」の柄頭だった。


(……逃げるなんて、とんでもない!)


 馴染んだ感触に勇気が湧きあがる。彼は泥の中に埋まった折れ丸を右手一本で握ると身体を起こした。何故か痛みは感じなかった。そして見上げた先には、両目に矢を突き立てられ、右手を強烈な水圧によって肘の先から失った食人鬼の姿があった。足元を泥濘ぬかるみに取られ、身動きできないまま、残った左手で両目の矢を抜こうとしている食人鬼を斜め下から見上げる格好となったヨシンは、握った「折れ丸」を無造作に振った。


――バンッ


 振るわれた「折れ丸」は食人鬼の腿の傷口を再び斬り付けた。その一撃で、傷口の奥に隠され、巨体を辛うじて支えていた腿の腱が切断された。まるで攻城兵器の捻じりバネが解き放たれたような音が響く。そして、巨体がヨシンの方へ目掛けて倒れ込んだ。しかし、ヨシンはそこから動かない。その代り、真っ直ぐに「折れ丸」の切っ先を上へ向けた。そして、食人鬼の巨体がその上に倒れ込んで来た。


 ヨシンが掲げた「折れ丸」の切っ先は食人鬼の喉元に斜め下から突き刺さると、そのまま太い筋や血管を切り裂き、太い頸椎に当たって止まる。そして、巨体の重量が剣を掲げるヨシンを押し潰そうとするが、


「うらぁぁああっ!」


 一旦沈み込んだ両膝を絶叫と共に伸展したヨシンは、そのまま全身の力を右手の剣に集めるようにして突き上げた。切っ先が硬い頸椎の表面を滑り柔らかい場所に潜り込む。そして、ズズッという手応えを発して更に奥へ入り込んだ。やがてその感覚がもう一度硬い感触に当たると同時に、食人鬼の巨体は大きな痙攣を発してそのまま力を失った。


 ヨシンが勝利した瞬間だった。

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