Episode_20.15 第三軍の進撃


 ユーリーの魔力衝で吹き飛ばされ、商店の軒先に頭から突っ込んだ食人鬼オーガーは尻の方からユーリーの火爆矢ファイヤボルトを六発受けてこと切れていた。最後の一撃では、損害を受けた商店の屋根が崩壊し、体毛と脂肪を燃え上がらせた魔獣の身体から火が移り小規模な火災となっていた。


 一方、通りに突っ伏した魔獣の方はハリス・ザリアと他の騎士達によってトドメを刺されていた。頑丈な頭蓋には後頭部から馬上槍が差しこまれ、その穂先は魔獣の脳髄を破壊していたのだ。


 そんな凄まじい戦いの後、といった雰囲気の陣地に侯爵ブラハリーの直衛陣から発せられた伝令兵が到達した。


「後方、直衛陣からブラハリー様から伝令兵です!」

「直衛陣、魔物の襲撃を受けましたがこれを撃退。前進準備に掛かっております。第二軍は第一軍と合力し前進せよ、とのお達しですが……」


 伝令兵は侯爵ブラハリーの命令を伝えるが、それを言いつつも周囲の雰囲気に戸惑った風になった。その様子に第二軍の指揮官ハリス・ザリアは端的に状況を伝えた。


「こちらも襲われた。食人鬼オーガー二体だったが……あの男・・・の助けで切り抜けた。こちらの損害は軽微!」


 ハリスはそう言うと、少し離れた所で商店の小火ぼやを消火する作業を手伝っている若い騎士を見た。近くの井戸から水を汲んだバケツを運ぶ彼は、他の兵士から「魔術で何とかならんのか?」と聞かれて「それは無理なんです」と答えていた。余りいかつい外見ではないので、兵士達はまるで兵士同士で話すように気軽に軽口とも文句とも取れる内容で若い騎士に話し掛けていた。


(……そういえば助けられたのだな……礼は……言わねばなるまい)


 ハリスはそう考えると、伝令兵と周囲の騎士達へ向き直る。そして、


「前進命令だ、準備はどうか?」

「準備整っております。小火ぼやの消火が終われば何時でも!」


 というハリスの問い掛けに、他の騎士や兵士長が答える。その答えを聞き、ハリスは伝令兵に問い掛けた。


「という事だ。ブラハリー様は御無事なのか?」

「はい、直衛陣は百人前後の被害を出しましたが、騎士デイル様と山の王国義勇軍の活躍によって二匹とも討ち取られました」


 ハリスは伝令兵から直衛陣の様子を聞くと、ウンウンと頷く風になった。騎士デイルの強さをよく見聞きしているハリスは、密かにウェスタ侯爵家の筆頭騎士に憧れ、目指すべき目標としていたのだ。


「ならば良し。周囲の夜間陣にも伝令を走らせろ。二十分後に前進開始だ!」


****************************************


 第一軍の騎士デイルとドワーフ戦士団が二匹の食人鬼オーガーを打ち破り、第二軍に向ったユーリーも同じく二匹を打ち倒したころで、フリギア神殿の鐘塔に居るリリアは注意を東側に放たれた二匹の食人鬼に向けていた。


 上空を舞う若鷹ヴェズルの視界を得たリリアは、眼下で暴れる二匹の魔獣を追い続ける。それらは、東の高台下の倉庫から解き放たれ、僅かに残ったアドルムの住民を襲いながら、リムルベート軍の居る北では無く、南東 ――後退したアドルム守備傭兵部隊―― の方角へ進んでいた。しかし、しばらくすると、二匹一緒に行動していた食人鬼は夫々別の方向へ向きを変えた。一匹はそのまま南東へ進むが、もう一匹は西へ向かったのだ。そして、西に進路を変えた魔獣の先には、住民達の一時避難所となった広場と「黄麻ギルド」の倉庫があった。


 その状況を確認したリリアは「黄麻ギルド」の倉庫に潜んだ集団と南の森に潜んだ第三軍本隊に相次いで遠話の風を送った。「黄麻ギルド」の倉庫に潜んだ集団は、既に自分達でも巨大な魔獣の接近に気付いていたようだが、三十人弱の弓兵だけではどうしようもなく、静観するということだった。一方、アルヴァン率いる本隊は、


(そうか、食人鬼で此方の前線兵力を削る作戦だったか……住民を巻き込むとは汚い真似を)

「北側の第一第二を襲った方は片付いたみたいです。それほど大きな被害も出ていない様子です」

(そうなのか! それは……凄いな……では、南に向かった二匹は?)

「一匹は後退したアドルムの守備部隊を追っています。もう一体はそちらに近い『黄麻ギルド』倉庫付近に避難していた住民の集団に目を付けたみたいです」


 リリアの遠話に応じているのはアルヴァン本人だった。リリアを相手に状況を確認する会話を交わし、南に向かった二匹のオーガーの所在を伝えたところで会話は一旦途切れた。但し、遠話の効果は繋がったままだったので、アルヴァンと周囲の面々の交わす会話が聞こえてきた。


「避難中の住民へ向かっているのか……」

「黄麻ギルドの連中からも先程情報が入ったが、避難民は五百人程らしい」

「……物凄い数の被害が出るぞ」

「アーヴ、敵対していても住民は別だ。進もう、助けるんだ」

「ちょっと待てよ。勇気や正義で命を張るのは騎士だけにしてくれ」

「お主、その物言いはあんまりではないか?」


 どうやら、第三軍はこの状況で食人鬼に襲われる可能性の高い避難民を助けるために進軍するかどうかで意見が割れているようだった。誰のものか判然としない声が不明瞭にリリアに伝わってきた。不明瞭な会話はそのまましばらく続く。リリアの耳には、「敵の位置が」とか「追加の報酬を」といった断片的な言葉が伝わって来たが、やがて話は纏まったようだった。


(リリアさん)

「あ、はい!」

(後退した守備部隊の場所は?)

「そちらの森から見て北から北東に掛けて展開しています。部隊の西の端は黄麻ギルドの倉庫から五百メートルくらいです」

(わかった、黄麻ギルドの倉庫は真っ直ぐ北だな?)

「はい」

(では、進軍を開始するから誘導してくれ)

「分かりました!」


 直ぐに、アルヴァンは第三軍に前進の号令を掛けた。そしてウェスタ・ウーブル連合軍を先頭にリリアの誘導を受けた一団は、当初の作戦を変更し敵性勢力下のアドルムの街へ侵入した。その目的は、敵方の街の住民を助けるというものだった。


****************************************


 進軍する第三軍の先頭、ウェスタ・ウーブル連合軍の集団の後方を進むアルヴァンは、自らの決定に少しだけ自信の無さを感じていた。住民を助けるということは、戦略目標であるアドルムの街の占領にとって必ず良い方向に働く行為だと確信はしている。しかし、アドルムの街を守る守備傭兵部隊に側面を突かれる恐れがあった。また、食人鬼オーガーという強力な魔獣に対して、どれだけ兵力が損耗するかも分からなかった。


 最悪の場合、食人鬼を追い払ったところで側面をアドルム守備傭兵部隊に突かれ、部隊が壊滅するという可能性がある。その危険性は二個傭兵大隊の内「骸大隊」のトッドが強く主張した点だった。彼は、


「戦略的に無関係な住民を救うために命を賭ける……アンタは若いがまとも・・・な指揮官だと思っていたが、飛んだ思い違いだったよ。だが、やると決めたら途中で退くなよ!」


 と、凄まじい剣幕で言い募っていた。結局アルヴァンはその剣幕を宥めるために、幾らかの追加報酬を約束せざるを得なかった。今となって思えば、したたかな傭兵団の首領に良いようにやられた、と思わない訳でもない。


(まぁ、それで全力を出してくれるならば……)


 アルヴァンは内心そう呟くと、そんな考えを押し込んだ。そうやって進むアルヴァンに、二頭の馬が歩調を変えて近寄ってくる。先に馬を寄せて来たのはヨシンだった。


「心配か?」

「……そりゃ、そうだろ」

「大丈夫だ、オレが付いてる。オーガーなんて屁でも無い。あの頃・・・とは違うんだ」

「あの頃……ああ、小滝村の件だな。確かに少年兵の頃とは違うだろうけど……ヨシン、気負って突出するなよ」

「分かってる……ったく、ユーリーみたいな事を言うなよ」


 ヨシンは、彼なりにアルヴァンの緊張をほぐそうとしたのだろう。そう言うと軽く笑って馬を進め、元の場所に戻って行った。一方、後から近づいてきたのは「オークの舌大隊」のジェイコブだった。


「大将、トッドの事はあんまり悪く思わないでくれ」

「……悪くは思っていない。寧ろ冷静な指摘だと思っている。だが、どうして?」


 今は同じ勢力に所属しているが、傭兵団同士は良い仕事を得るため熾烈な競争をするのが常と聞いているアルヴァンだ。そのため、他の傭兵団の首領を庇うようなジェイコブの言葉に素直な疑問が湧いた。


「どうしてって……まぁ、骸の前の首領・・・・・・、先の戦いで死んじまったが、ゴルムスとは古い付き合いだったんでな。何かにつけて、トッドをよろしく、と言われていたんだ」

「そのゴルムスとトッドは親子なのか?」

「いや、トッドは戦災孤児だ。丁度ブルガルトのところのダリアちゃんと一緒だな。トッドが暮らしていた村は、今みたいな食人鬼オーガーの襲撃で壊滅したって事だ。それで、防衛側だったのが死んじまったゴルムスが率いていた骸中隊だ。だが、骸は昔から弓は強いが、近接はからっきし・・・・・だ。結局、その時の骸中隊は、村を放棄して撤退せざるを得なかった」


 「オークの舌」の首領ジェイコブが語る話を聞きつつ、アルヴァンはトッドの反応の真意を何となく理解した気がした。


「じゃぁ、トッドは食人鬼が暴れ回った村の生き残り……」

「そう、だからな、トッドとしては見過ごせない状況さ。だが、首領が死んで、その養子と言うだけで傭兵団を引き継いだトッドだ、雇い主に強面こわもてに凄んでみたのは――」

「手下の手前、仕方なし……ということか」

「まあ、本当のところは知らねぇ。でも、そんな気がしたって所さ……俺が今喋ったことは内緒で頼むよ、大将!」


 「オークの舌」の首領ジェイコブはそう言うと自隊に戻って行った。一方、アルヴァンは今の話に思い悩んでいた心を改めていた。


(人々を巻き込む戦争……この期に及んで出来る事など、如何被害を少なくするか位だ……しかし、無辜の人々を巻き込む戦いとは業が深い……彼我の差など、無いな)


 その考えは決してジェイコブが伝えた内容を反芻するものでは無かった。しかし、彼が伝えた言葉から枝葉が伸びて、その先に実った考えであった。そして、アルヴァンは敵性勢力の只中であることを一瞬忘れ、戦いの無い日々を思い描いた。その情景は、眩しい初夏の日差しのように生命力に溢れた愛する人ノヴァの笑顔と被って頭の中に広がって行った。


(アルヴァン様! 二百メートル先が市場です。食人鬼は……ああぁ! 今、広場に飛び込みました!)


 不意に告げられる凶報。アルヴァンは自然と手綱を握る手に力を籠めた。そして、


「全軍駆け足! 広場に魔獣が突入したぞ!」


 アルヴァンの号令を受け、通りを進んでいた隊列は一気に速力を上げた。前方に在るはずの市場の広場はまだ見えないが、微かに人々の悲鳴が聞こえて来るようであった。

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