Episode_20.14 狩る者、狩られる者 Ⅲ


 食人鬼は身体が大きく、その割に動きが素早い。しかし、地に足を付けて身体を支え、両手を振り回して攻撃するという動きは、人間やオークのそれと変わらない。確かに強力な膂力や指先の鋭い爪は恐ろしい武器だが、殺気立って向かってくる敵兵の武器と結局は同じことだ。デイルは無理矢理そう決めつけると、二匹の食人鬼オーガーと対峙する。倒された後に「食われる」という大きな違いは、敢えて考えないようにした。


 デイルや他の騎士の号令により、食人鬼の周囲からは兵士達が遠ざかった。そんな中で進み出たデイルに、二匹の食人鬼は猛然と襲い掛かる。強力な筋力を備えた丸太のように太い腕とその先端に生えた五本の爪がデイルに殺到する。


 ――ブゥンッ


 最初の攻撃を、身を屈めて躱したデイルは、頭の上を通り過ぎる魔獣の腕が風を捲く音を耳で聞いた。恐らく鎧や兜など役に立たない威力を持つ一撃だろう。しかし、彼はその事実に萎縮するようなやわな騎士ではない。身を屈めた態勢のデイルは、そこを目掛けて横殴りに振られる別の食人鬼の一撃を今度は後ろに跳び退いて躱す。そして、飛び退きざまに業物の大剣を振るった。ゴンッという硬い衝撃と共に、魔獣の指が宙を舞う。鮮血が迸った。


 小指を失った食人鬼は、自らの出血に興奮したようにいきり立つ。一方、最初に攻撃を仕掛けてきた食人鬼は、仲間の負傷を気に留める事もの無く、両腕を振り回してデイルを追撃する。


(ちっ……流石に二匹では)


 致命的な攻撃を躱し続けるデイル。彼は敵の巨体に臆することなく、その動作を見極めていた。兜を脱ぎ捨て、広い視野を得た彼にとって、食人鬼の動きは読みやすい・・・・・ものだった。本能の赴くままに力を振るう魔獣の動きは俊敏で強力だが、その反面単純だ。そのため、紙一重ながら魔獣の攻撃を躱し得ていたのだ。しかし、それが二匹同時となると逆に反撃する隙が無かった。その時――


「弓兵、構え。放てぇ!」


 そんな号令と共に、デイルの斜め後方城壁側から多数の矢が射掛けられた。デイルを巻き込み兼ねない難しい射線であったが、リムルベートの兵士が放った矢は正しく二匹の食人鬼の上に降り注いだ。矢の殆どは魔獣の体表を覆う黒い剛毛に弾かれるが、中には幸運にも身体に達するやじりがあった。そして、その内の二つが、無傷だった食人鬼の狼のような鼻柱と左目に突き立った。


「グゥオオッ!」


 顔面に矢を受けた食人鬼は、目前をチョロチョロと逃げ回る人間から、離れた所にいる多数の鬱陶しい人間達へ狙いを切り替える。そして、一声吠えると猛然とそちらへ目掛けて大地を蹴った。結果的に、デイルの目の前には彼に小指を切り落とされた一匹が残った。


「これなら!」


 敵が一匹になったところで、デイルは気合いを入れ直す。対する食人鬼は自分の小指を切り落とした人間に憎悪の籠った眼を向けると、先ほどよりも一層激しく両腕を振り回し襲い掛かる。だが、目の前の一匹に集中するだけで良くなったデイルは、左、右と振り回された致命的な攻撃を躱しつつ更に大剣を振るう。再び硬い手応えを得たデイルの愛剣は今度は食人鬼の右手の人差し指を跳ね斬った。


 宙を舞う自分の小指を視界に捉えた食人鬼は、次いで襲う痛みに思わず手を押えて仰け反る。巨体を支える両脚がデイルの前に無防備に曝された。そこに、別の一匹を警戒する必要が無くなったデイルは矢のように飛び込む。そして、駆け抜けざまに腰だめに構えた大剣を食人鬼の膝裏へ叩き込んだ。デイルの義父ガルスの更に父の代に山の王国で鍛えられた大剣は、古びる事無く鋭い切れ味を保った切っ先を頑丈な魔獣の膝関節に刺し込んだ。腱と動脈を断ち切り、骨に達する手応えがデイルの両手に伝わる。


「グォォォン」


 その一撃により、食人鬼は自らの身体を支えることが出来なくなり片膝を地面に付いた。攻防の主が入れ替わった瞬間だった。


****************************************


 城門内側の広場で繰り広げられる戦いは、当初食人鬼が一方的に兵士を襲う展開だったが、騎士デイルがそれ等の魔獣を引き受けたことで様子が変わった。二匹が同時にデイルに襲い掛かっていた時は、攻撃を避けるだけで精いっぱいだったデイルだが、彼が魔獣の注意を惹き付ける間に、リムルベート軍は反撃の準備を整えることが出来たのだ。そして、弓矢の一斉射によって、二匹の食人鬼はバラバラの攻撃対象に向う事になった。


 一匹を受け持つだけになった騎士デイルは、着実に魔獣へ痛手を与えている。一方、別の一匹が向かった先には、大勢の弓兵と、それを背に分散して配置についた騎士や歩兵の姿があった。そして、それらを指揮するのは城壁の上へ逃れた侯爵ブラハリーであった。彼は、逃げざるを得なかった事を悔やむが、


(私があの場にいれば、全員が私を守ることになる……それでは、効果的な反撃が出来ない)


 と考えることで、情けなさを打ち消していた。


「攻撃は弓矢で行う。騎士も歩兵も無理に立ち向かうな!」

「オウッ!」


 小滝村を襲ったウェスタ侯爵領オーク戦争の戦訓から、強力な敵である調教されたテイムド食人鬼オーガーに接近戦を挑むことは犠牲が増えるだけだと分かっている。そのため、ブラハリーは時間は掛かるが弓矢による射撃で敵の生命力をすり潰すつもりだった。


「弓兵、放て!」


 彼の足元の広場では、各隊の指揮官が号令を掛ける。そして、百を超える数の矢が再び食人鬼へ襲い掛かる。今度は距離が近い事もあって、多くの矢が魔獣の身体に突き立った。しかし、毛むくじゃらで巨大な猿の如き魔獣は怯むことも弱ることも無く、前列の騎士や兵士に襲い掛かった。


「退避、退避!」


 襲われた集団は、後ろではなく横へ避ける。勢い、食人鬼もそれを追うようになる。そして、弓兵に対して横面を向けた魔獣に再び矢の雨が襲い掛かった。


「なんて頑丈な……」


 侯爵ブラハリーは苦虫を噛み潰すような表情でそう呟く。魔獣の身体に突き立った矢はまるで針山のように見える。しかし、食人鬼は目に留めた騎士と兵士の一団を執拗に追い回す事を止めない。その動きは素早く、また味方に近いため、後列の弓兵達は狙いを定めるのが難しくなった。その間、騎士と兵士の一団は徐々に追い詰められていった。その時、


「ブラハリー殿! 準備が出来たぞ」


 そう声を掛けたのは、山の王国義勇軍を率いるドワーフの王子ポンペイオだ。彼もまた、城壁の上へ避難させられていたのだが、避難先でジッとしていた訳では無かった。彼は一緒に城壁上へ避難した戦士団の一部と技師達に破損した固定弩バリスタを応急修理させていたのだ。元々は自分達の投石で破損した固定弩だが、幾つかは破損の度合いが軽く、一射、二射なら問題無く使える状態だった。


 但し固定弩は全て城壁の外へ向いて据え付けられていた。そのため、ドワーフ戦士団は手斧や戦槌を使い、固定弩の基部を破壊した。そして、城壁との接続を失った固定弩を六人のドワーフ戦士が担ぐ格好で無理矢理城壁の内側へ向けたのだ。彼等の背に担がれた状態で、固定弩は巻き上げ式の捻じりバネを目一杯に張って、短槍のような長さと重い鏃を備えた特製の矢を装填されていた。


 ブラハリーはその光景を驚いて見るが、ポンペイオ王子は構わずに配下の戦士達を城壁の際まで進ませる。そして、自分は別の戦士に肩車をさせた状態で、固定弩の射線と目標物オーガーの位置を合せる。


「お、王子、危ないですぞ!」

「戦いなのだ、危なくて当然!」


 ブラハリーの心配もどこ吹く風の若いドワーフは小刻みに固定弩の傾きや向きを調整させる。


「ええい、デカいくせにピョンピョン跳ねおって!」


 中々定まらない狙いに、ポンペイオ王子は苛立った声を上げる。その足元ではドワーフ戦士団の面々に限界が近付いていた。流石に据付式の攻城兵器を肩に担いで長時間居ることは、頑丈さに定評のあるドワーフ戦士でも難しかった。


「王子、早くしてください」

「流石に重くて」

「腰がぁ」

「ええい、情けない。後半日はそうしておれ!」

「ひぇぇ」


 泣き言と無茶苦茶な叱咤が飛び交う。そんな城壁の上の様子であったが、その下の広場では深刻な状況になっていた。食人鬼に狙いを定められた集団がいよいよ逃げ切れなくなり、兵の一人が大きな手で掴み上げられたのだ。食人鬼の手に掴まれた兵士は必至で剣を振り回すが、抵抗空しく大きく宙に吊り上げられた。食人鬼は掴んだ兵士を一度じっくりと観察すると、匂いを嗅ぐ仕草をした後に大きな口を開いた。咽返るような生臭い息が兵士を覆う。


「た、たすけ――」


 大の大人の男でも、泣き叫ぶしか術が無い。一方周りの仲間達は、直ぐ後に起こる凄惨な捕食劇を想像して蒼褪めた顔となるばかりだ。しかし、その一瞬を待っていた者が居た。


「仰角、射角共に良し! 狙うは大猿の口の中! 発射ぁっ!」


 城壁の上のポンペイ王子は、兵士を喰うために動きを止めた魔獣にようやく狙いを定めると、思い切り手元の引き棒を倒す。ガチという金属の感触と共に、張力を溜め込んだ捻じりバネが勢いよく腕木を弾き、腕木から弦を伝った力は重たい特製の矢を撃ち放った。


 ――バキィィ!


 矢が撃ち出された瞬間、固定弩は捻じりバネの反動を吸収できずに跳ね上がる。母材の木が引き裂かれる音と、台となっていたドワーフ戦士達が吹き飛ぶ悲鳴、そして反動で戻ってきた弦がポンペイオ王子を反対側へ弾き飛ばす音が響く。


「うぎゃぁ!」


 城壁の上にドワーフ達の悲鳴が響いた。しかし、発射後の散々な様子とは裏腹に撃ち出された矢は真っ直ぐ飛んだ。そして、短槍の長さを持つ矢は口に放り込まれる直前の兵士の頬を掠めて、大きな口を開いた食人鬼の口蓋こうがいへ突き刺さると、そのまま脳髄を貫き脳天から鏃が飛び出すほどの深さで魔獣の頭蓋を撃ち抜いた。その瞬間、巨体は電撃に撃たれたように硬直し、そのまま力を失い仰向けに地面へと倒れ伏した。


****************************************


 ポンペイオ王子と山の王国義勇軍のドワーフ達が食人鬼オーガー一匹を屠ったのとほぼ同時に、騎士デイルが対峙した食人鬼もトドメの一撃を受けていた。それは、四肢の腱を全て断ち切られ、全身刺し傷だらけの姿となり、最後に渾身の一撃を首筋に受けたものだった。トドメの瞬間、デイルの刺し込んだ大剣の根元からは、人間の背丈を遥かに超える血の噴水が上がったという。


 結局、夜明けと同時に侯爵ブラハリーの直衛陣を襲った食人鬼襲撃の騒動は、犠牲者百数十人を出しつつも、一時間程度で終息していた。


「前線の夜間陣へ伝令。準備を整え前進を開始する!」


 混乱が過ぎ去った騎士や兵士達は、ブラハリーの号令により進軍の準備を整えるのであった。

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