Episode_20.13 狩る者、狩られる者 Ⅱ


 ――ドオォォンッ!


 その瞬間、ユーリーの放った火爆矢ファイヤボルトは、ハリス・ザリア目掛けて振り下ろされた食人鬼オーガーの掌に直撃した。魔剣蒼牙の持つ増加インクリージョンの効果を敢えて抑えて発動した炎の魔術は、それでも熱と炎、そして衝撃と爆風を生み出す。その威力に凶暴な魔獣の片方の掌は、恐ろしい爪を生やした指ごと抉れるように吹き飛んだ。


 一方、至近で爆風を受けたハリス・ザリアも、その衝撃で馬ごと押し倒されるように落馬した。


「ハリス殿!」


 味方の騎士や兵士が、そんなハリスを助け起こす。そして何とか起き上がったハリスが目にした光景は、二匹の食人鬼を相手に対峙した若い騎士の姿だった。


(ユーリー・ストラス……)


 黒い甲冑を身に着け弓と矢筒を背負った線の細い輪郭と、涼し気な表情が印象的な若者。ハリスはその若い騎士の名を直ぐに頭に思い浮かべる。以前の作戦会議で分不相応にも発言を行い、言った内容を侯爵ブラハリーに認めさせた青年だ。


 しかし、ハリスがユーリーを直ぐに認識できたのはそれが理由ではない。彼の弟ダレスを非行の道から救い出し、しかし同時に手の届かない所へ遠ざける原因となったのがユーリー・ストラスという青年だ。感謝と憎悪という矛盾した感情を向ける相手、その青年が、まるで自分達を庇うように食人鬼と対峙しているのだ。


「助けられた……」


 ハリスはそう呟く。認めたくないが、事実だった。その時、不意に不自然な風が彼の周りを包んだ。


(第二軍のみなさん、射線の邪魔です! 脇に避けて!)

「な、なんだ?」

(いいから、早く退かないと魔術の巻沿いになる!)


 その声は凛とした響きに少し必死さを滲ませた少女のものだった。ハリスだけが聞いたのではない、周囲の騎士や兵士達にも聞こえていた。


「全員、道の脇へ!」


 訳が分からない中、ハリスはそう命じていた。


****************************************


(ダレスの兄さんだったか)


 初撃で難を逃れた騎士の素性を認めたユーリーはホッと内心で息を吐く。しかし、事態は決して好転した訳ではない。手負いとなった一匹、そして無傷のもう一匹は、背後から追いついたユーリーを敵と見做して向かってきたのだ。しかも、闇雲に向かってくる訳では無かった。何処にそんな知恵があるのか? と思うが、手負いの一匹が真正面からユーリーに向うのに対して、もう一匹は道沿いの民家の屋根を伝うと側面から背後に回り込もうとする。


(ユーリー、後ろに回ったわ!)


 ユーリーの耳元では、リリアの緊張した声が小さく響いた。頼んだ通り、彼女は離れたフリギア神殿の鐘塔からユーリーを見守ると「遠話」を通じて状況を報せてくる。


「分かった!」


 二対一の状況で受けに回れば挽回出来ない不利な状況に陥る。そのため、ユーリーは速攻を仕掛けることに決める。先ずは目の前に迫る手負いの一匹が目標だ。都合よく、射線の向こうに居た第二軍の騎士や兵士達は大通りの端へ退避していた。


(リリアか? 助かる)


 綺麗に開いた射線に、味方を巻き添えにする恐れが無い事を確認したユーリーは、抜身の蒼牙に魔力を籠めると、簡単な補助動作と共に再び火爆矢ファイヤボルトを発動した。今ではすっかり得意な魔術となっている中級程度の攻撃魔術は、ユーリーの魔力と増加インクリージョンの効果を得て白熱した巨大な矢の形で具現化する。そして次の瞬間、炎の線を宙に残して食人鬼の巨体へ突き刺さった。


 再び起こった炎と轟音は先ほどの比では無い。少し離れた通りの脇に避けている騎士や兵士達にも衝撃と熱が伝わった。しかも、それは一度きりの攻撃では無かった。ユーリーは険しい表情で目の前の魔獣を睨みながら同じ動作を繰り返し、二つ、三つと火爆矢を造り出して全てを食人鬼へ投げ付けたのだ。その一つ一つが食人鬼の肉を突き破り、剥き出しになった骨や内臓を焦がす。規格外の魔力量を持つユーリーだからこそ成せる力押しの攻撃であった。


 そして、そんな強烈な攻撃が四度繰り返され、唐突に止んだ。巻き上げられた通りの土煙の向こうで、黒い巨体を誇る食人鬼は支えを失ったように前のめりに倒れ込んだ。ドスンという地響きと共に再び土埃が舞い上がる。その身体の前面は、黒く炭化するほど焼け焦げピクリをも動いていなかった。


 その様子に、脇へ避けていた騎士や兵士達はトドメを刺そうと近寄るが、次の瞬間、ビクンと痙攣する食人鬼の動きに慌てて距離を取る。食人鬼オーガーの最も恐ろしい点は、この強靭な生命力にあったのだ。そのため、ユーリーは用心しつつも蒼牙に再び魔力を籠め、トドメの攻撃へ移ろうとする。しかし――


(ユーリー、後ろ!)


 唐突として背後で膨れ上がった殺気と存在感、そして耳元で響く少女の悲鳴に、ユーリーは反射的に振り返る。そこには自分目掛けて振り下ろされる巨大な食人鬼の腕が有った。回り込んだもう一匹の食人鬼が一気にユーリーの背後へ詰め寄り、致命的な一撃を放ったのだ。剣の如く鋭い爪が迫る。しかし、ユーリーは怯まない。


「うらぁぁっ!」


 親友ヨシンを彷彿とさせる蛮声とともに、ユーリーは蒼牙を振るい食人鬼の腕を迎え撃つ。魔力を充分に溜め込んだ蒼い刀身は、ユーリーだけが見る事の出来る念想上の魔術陣を孕んで毛むくじゃらな腕を迎え撃った。


 ――ゴゥンッ!


 ユーリーの蒼牙は充分な魔力を籠められた時、鋭利シャープネスの効果を付与された魔剣に匹敵する切れ味を示す。その刀身が分厚い筋肉と腱を切り裂き食人鬼の骨に達した瞬間、ユーリーは追い打ちのように魔力衝マナインパクトを発動した。その瞬間、念想上の魔術陣は白い燐光を発して霧散し、次いで渦を巻く魔力マナの塊が奔流となって相手を打ち据えた。


「グォォンッ!」


 凶悪な魔獣であっても痛みを感じるのだろう。腕の肉を裂かれ骨を砕かれた魔獣は、悲鳴のような咆哮を上げつつ、魔力衝の余力に跳ね飛ばされて通りに面した商店の軒先へ頭から突っ込んだ。


(この店の主には悪いが……)


 ユーリーは、心の中で少しの罪悪感を押しやると、意を決して邪悪な存在にトドメを刺す事を決意した。


「ダレスの兄さん! そっちの一体は任せたから!」


 ユーリーは振り向きもせずハリスにそう言うと、尻を通りに突き出した格好で商店に頭から突っ込んだ食人鬼に火爆矢を雨のように降らせたのであった。


****************************************


 アドルムの城門内側に陣取ったブラハリーの直衛部隊は、突然の魔獣による急襲に混乱に陥り掛けていた。しかし、完全に統率を乱すことは無かった。そこは、リムルベート王国第一騎士団の騎士と兵士という矜持、直衛に選ばれたという誇り、そして、頼もしい味方の存在が在った。


「兵士も騎士も散開だ! 一か所に固まると纏めてやられるぞ!」


 直営陣の中から駆け出した騎士デイルは、そんな指示を出しながら自らは二匹の食人鬼の前に躍り出た。ラールス家伝来の大剣を構えた彼は、二匹の魔獣に対して油断なく身構えると、殺気を迸らせる。それは、まるで野犬を威嚇するような所業である。しかし、魔獣にとっては、自分達に対して挑みかかる意志を見せる相手は無視できない存在だった。二本足で大地を歩く矮小な存在は皆、彼等の前で竦み上がり恐怖に身動きが取れなくなるのが常なのだ。しかし、今、目の前に立つ人間は明らかに立ち向かう意志と「殺してやる」という殺気を放っていた。二匹の魔獣は揃って、目の前の騎士を敵と見定めた。


 デイルは最初恐怖した。目の前に迫る二匹の食人鬼オーガーの姿に怖さが勝ったのだ。しかし、次の瞬間、少し奇妙な発想を得ていた。それは、


(あの時かなわなかった敵、今ならどうだろうか? ……試してみたい)


 というものだった。小滝村での戦いでは、愛するハンザを庇いつつ、決して死ねないという覚悟に少し萎縮していたかもしれない。決して死ねないのは今でも変わらないが、あの時と違い、今の自分には更に積み重ねた修練があった。そして、背後には忠誠があった。


 愛と忠誠は似ているようで少し違う。愛は止めようとしても溢れ出る自然な感情だ。そして、同意を得た相手からも同じ感情が返ってくる。それは心地の良い安らぎと、時に少し苦い葛藤が入り混じった人生の喜びを体現する行為だ。生きるという行為と切り離す事の出来ない根本的な感情といえる。


 一方忠誠は、生きて行く上で必ずしも必要なものではない。しかし、騎士として、兵士として、戦場に立つ者として生きて死ぬためには、時として勇気を上回る力を与えるものだ。それは常に見返りを伴っている。その見返りとは、時として俸給や恩賞であり、時として所領地の安堵であったりと様々だ。それは、養う家族、一族を持つ者にとって、揺らぐことの無い拠りどころとなって、戦う勇気を支える。自らの死を以ってしても、終わることの無い家族一族への保障が約束されている。だからこそ、戦陣で男達は勇敢に戦えるのだ。


 デイルは今の自分の境遇に感謝をしていた。妻であるハンザに恋い焦がれたのは、決して家名を得ようと意図した訳ではない。もしもこの恋叶わなければ駆け落ちしようとさえ思っていたほどだ。しかし、ハンザの生家ラールス家とその主家ウェスタ家はそんな彼とハンザに優しかった。病に倒れた生母をラールス家の墓地に埋葬し、一介の哨戒騎士を正騎士に取り立て、ウェスタ侯爵家の重鎮であるラールス家の家督を継がせ、リムルベート王国の三大侯爵の一角を担うブラハリーの手元に常に付き従わせている。


 妻ハンザに面と向かって言う事は無いが、その事実をデイルは常に感謝の気持ちで捕えていた。そして、その恩に報いる機会を待っていたのだ。


「歩兵! 散開しろ! 弓兵、狙って撃て!」

「ブラハリー様とポンペイオ王子は?」

「城壁に避難した! 大丈夫だ!」

「おらぁ、お前達、猿の化け物に舐められて堪るか!」

「オウッ!」


 考えを内心に向けていたデイルは、不意に戦場の喧騒に意識を引き戻された。考えを巡らせていたのは一瞬の事だろう。目の前には二匹の毛むくじゃらで巨大な魔獣が居る。やるべき事は決まっていた。


「ウェスタ侯爵家筆頭騎士デイル・ラールス。いざぁ!」


 大音声に叫んだデイルは、魔獣に向って突進していた。

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