Episode_20.12 狩る者、狩られる者 Ⅰ


 朝焼けの中鳴り響く咆哮に、ユーリーとリリアを含む集団はギョッとしたように周囲を見回した。咆哮はアドルムの街を挟む東西の谷間に反響すると、徐々に衰えながら響き続ける。だが、その反響の度合いから、その発生源は一つではなさそうだった。しかも、その内一つは明らかに近くの街並みから響いたと感じられた。


「リリア!」

「待って……なに? トロール? いえ……大きな猿」


 ユーリーの呼掛けを待たず、リリアは既に咆哮の発生源を探し当てていた。しかし、その異様な巨体を見つけ出しても、それが何か分からなかった。そんなリリアの視界 ――ヴェズルの視界―― の先で、倉庫のような建物から飛び出して来た二体の巨体はまるでましらのような軽快さで通りを飛び抜けると、一つの路地を見下ろして止まった。リリアの注意は、その巨体が持つ狼と人が混ぜ合わさったような風貌の頭部と、それが向けられる先を探る。そこには輪形に地面に縛り止められた投降兵の姿があった。そして、次の瞬間、凄惨な殺戮劇が繰り広げられた。


「きゃぁっ」


 リリアはその殺戮、いや捕食と言うべき光景を直視できず、悲鳴と共にヴェズルの視界を断ち切った。震える彼女をユーリーの両手が強く抱きとめる。


「どうした? なにが見えた?」

「大きな、猿、狼……とにかく大きな何かが人を……食べてた」


 その光景を思い出したリリアは生理的な嫌悪からその場で嘔吐する。一方のユーリーは震える少女の背を擦りながら、再び上がった咆哮の方へ顔を向ける。その先にはリムルベート王国軍の最前線がある。


「人を喰う狼のような、猿のような……」


 リリアの言葉と独特な咆哮の響きは、ユーリーに否応なくある魔獣の存在を思い出させた。かつてウェスタ侯爵領を襲ったオーク達が引き連れていた魔獣 ――食人鬼オーガー―― の姿が脳裏を過る。そして、同時に昨日捕えた伝書鳩が運ぼうとした一文を思い出した。


(最終作戦……食人鬼オーガーを放ってリムルベート軍にぶつけるつもりか)


 そう考えたユーリーは全てに納得がいった。夜明け前に戦線を後退させたアドルムの街の守備傭兵軍の動きも、巻き添えを怖れての事だろう。しかし、街中にはまだ少数ながら住民が残っているはずだった。恐らく調教されているとはいえ、食人鬼に住民と兵士の区別はつかないだろうと考える。


「酷い真似を……」

「うぅ……ユーリー、もう大丈夫よ……」


 非道な作戦に憤りを感じるユーリーの隣で、蹲っていたリリアが身体を起こした。大丈夫だと言う彼女は腰に付けた水袋から水を一口含むとそれを吐き出す。そして、気丈にも再びヴェズルの視界を求めた。


「オーガーっていうのね、アドルムに放たれたのは全部で六匹よ」

「そんなに……」

「二匹は私達の近くから北へ向かっている。その先にはリムルベート軍の前線があるわ。そして……」


 リリアはそこで言葉を言いよどませる。形の良い眉がこれ以上ないほど顰められている。


「東の高台からは離れているけど、東側に二匹……こっちは民家を襲っている。そして、北の二匹は、本陣近くで暴れているわ」


 リリアはそこまで言うと息を吐く。一方のユーリーは考えていた。食人鬼オーガーは強力な魔獣だ。ドラゴンほどではないが、偽竜ドレイク種やトロール種と比較すると遥かに厄介だ。何といっても、人間を襲うように調教テイムされたオーガーは、食欲を満たす目的以上に執拗に人間を襲うのだ。しかも、人間などでは太刀打ちできないほど強靭な肉体と驚くべき生命力を持っている。余程の猛者でも居ない限り、備えの無い部隊であれば一個小隊であっても簡単に壊滅する強力さなのだ。


 そんな強力な魔獣である食人鬼オーガーを倒すには、嘗て自分がした以上に強力な魔術による火力を濃密に集中させる必要が有った。そうでなければ、攻城兵器の固定弩バリスタなど、大きく重たい投射物を何度も撃ち込むくらいしか対応できない。


 その事実にユーリーは決心した。


「リリア、状況をアーヴへ伝えて」


 ユーリーはそう言うと立ち上がる。そして蒼牙の柄を握ると青色の刀身を鞘に納めたまま魔力を籠め正の付与術、加護を自分に掛けた。その様子にリリアは、ハッとして言う。


「ユーリー、まさか?」

「只の弓矢では効果が無さ過ぎる。その上近接戦など、被害が増えるだけの相手だ。僕が行く」

「じゃ、じゃあ私も――」

「駄目だ、リリアには役目がある。此処から僕を導いてくれ。動きが早い連中だ、油断すると囲まれる。そうならないように……後ろは任せた!」


 ユーリーはそう言うと、リリアの返事を待たずにフリギア神殿の鐘塔から飛び降りた。そして、途中で浮遊レビテーションの効果を得た彼は、フワリと地面に着地すると真っ直ぐ北を目指して走り出した。


「わかったわ……全力で任されるっ!」


 遠ざかる青年の後ろ姿に、リリアはそう語りかけていた。


****************************************


「今の叫び声は何だ?」

「さぁ、でも人間には思えません」

「獣……大型犬か熊の類か?」

「さぁ、斥候でも出しましょうか?」


 こんな会話が繰り広げられるのは、リムルベート側の夜間陣である。ハリス・ザリア率いる第二軍の騎士達は、後続の第一軍の部隊と共に大通りの交差点で陣を張っていた。今は行動開始前に、簡単な携帯口糧で食事を摂っていたところだ。そろそろ、少し離れた周囲に展開する同じような陣地に行動開始の伝令をだそうか、という時間だった。


「そうだな、斥候を出せ。一区画確認したら前進を開始するぞ!」


 ハリス・ザリアの命令に応じて、第二軍の兵士達が方々の路地へ散って行く。勇敢な騎士であるハリスは、昨日の市街戦で指揮官としての才を見せ始めていた。彼は徹底して周囲に斥候を配し、敵の立て籠もる路地や建物を探し当てると、そこに優先的に兵を繰り込んだ。前へ前へと突き進んだ印象が強いが、前線のハリスはそのように周囲に気を配りながら堅実に部隊を南下させていたのだ。そんなハリスは第二軍の騎士達に準備を急がせる。その声に応じて、第一軍の騎士達も遅れまいと準備を進めた。


 斥候が放たれてしばらく、恐らく十分もしない内に変化があった。西側の路地から斥候の一人が飛び出してきたのだ。


「ばけ、ばけもの! 化け物だぁ!」


 口の周りに白い泡を張りつかせた斥候の兵は、地面を転がるように夜間陣地に転げこむと、切れ切れの息をついてそう言った。


「人食い、食われた、化け物だ、こっちへ来る!」

「なんだ、ハッキリ報告しろ!」

「ばけもの、化け物なんだぁ!」


 ハリス自ら叱咤するように問うがその兵士の言葉は要領を得ない。周囲の騎士達も首をかしげる。しかし、


ググオッォォォォンッ!


 ついで、斥候兵が逃げ帰って来た方角、直ぐ近くから咆哮が上がると、その兵が化け物と称した存在が大通りへ姿を現した。黒い剛毛に覆われた身の丈三メートルを超え四メートルに迫る巨体は、自重を感じさせないほどの跳躍力を発揮し路地から民家の屋根に飛び移ると、それを踏み壊しながら更に跳ねて一気に第二軍の夜間陣地へと距離を詰めた。


「っ! 食人鬼オーガーか! 弓兵、距離を置いて展開! 騎士隊、歩兵隊前へ!」


 ハリスは本で得ていた知識と、目の前の特徴ある巨体を瞬時に照らし合わせると、斥候兵が化け物と称した存在の正体を見抜いた。そして、まるで大勢の敵兵に対するように、騎士隊と歩兵を前列に配し、弓兵を後列に配する布陣を号令する。それは、如何にハリスが優秀であっても、食人鬼オーガーの恐ろしさを知らない者には免れる事の出来ないあやまちであった。


「グゥオオォッ」


 二体の食人鬼は、前列を構成しようと通りに密集した歩兵の前に迫ると、無造作に左腕を薙ぎ払った。


「ぎゃぁっ!」

「うごぉっ!」


 ひと薙ぎで五人の兵士が吹き飛ぶ。しかも、振り抜いた食人鬼の掌には不幸な兵士が握られるように捕えられていた。そして、食人鬼は左手で掴んだ兵士を躊躇い無く地面に叩きつける。グシャツという鈍い音が響くと、兵士の上半身は堅い地面に叩きつけられ潰れてしまう。食人鬼は、その半分潰れた上で痙攣する兵士の残骸を一瞬だけ血走った瞳で見ると、迷いなく齧りついた。肉食動物がするように、最も栄養価の高い内臓の部分を食い千切った食人鬼は、それを咀嚼しながら残った下半身を対面する人間に投げ付けた。


「なんだ?」

「喰ったぞ?」


 前列の兵士達が動揺する。しかもその食人鬼は一体では無い。その一体がまるで野菜を喰うように兵士を食い千切る様子を見た別の一体はまるで、自分も、というように人間の前列に手を伸ばした。


「弓隊、放て!」


 そこで、ハリスの号令が響く。何とか準備を終えた弓隊の最初の矢が、その食人鬼へ殺到する。


「グオォッ!」


 風切音と共に放たれた数十の矢が食人鬼の顔面や胸に突き立つと、毛むくじゃらの巨大な魔獣は一瞬だけ怯むように動きを止めた。しかし、直ぐに態勢を立て直すと巨大な腕を伸ばす。


「騎士隊、突撃!」


 攻撃の定石として、自陣に引き付け射撃で怯ませた後に強力な突撃での敵の隊列を崩す、という定石が有る。ハリスの号令は正にそれをなぞったものだ。確かに迫る巨大な魔獣は弓矢の射撃に一瞬怯んだ。しかし、そこから先の展開は突撃した騎士隊にとって不幸な出来事であった。


 顔面や胸に突き立った矢は、その殆どが魔獣の身体に達していなかった。そして、ハラハラと剥がれ落ちる矢を振り払うように、食人鬼は両腕を無茶苦茶に振るった。突入する騎士に目掛けてである。


 金属の甲冑が拉げ、火花が上がり、多くの騎士が落馬する。食人鬼の持つ鋭い爪に分厚い胸甲を刺し貫かれた者も居た。


「クソッ! なんて頑丈な!」


 先鋒の騎士達が蹴散らされ、その左右を固める兵士達は逃げ場を求めるように右往左往する。その状況にハリスは自ら馬に拍車を掛けると前へ進み出た。


「後方弓隊、どんどん撃て! ここはザリア子爵家ハリスが受け止める!」


 無謀と蛮勇に恐怖、そして、それを上回る勇気。そこに勝利への執着が重なる。そしてハリスが下した決断は自らが盾となり巨大な魔獣の進撃を防ぎながら有効な遠距離攻撃の時間を稼ぐというものだった。それは捨て身であり、騎士ならば美徳、しかし常人ならば無謀な選択だ。その選択を行ったハリスに二体の魔獣が殺到するように襲い掛かる。


――ドンッ


 魔獣の振り下ろした腕を寸前で馬を操り避けたハリスは、足元の地面を深く穿った魔獣の攻撃の威力を敢えて無視する。そして、挑発するような口上を発した。


「我こそは、ハリス・ザリア! 下郎不浄なる魔獣共、我が槍を受けて――」


 しかし、口上途中のハリスにもう一体の食人鬼が襲い掛かった。振り下ろされる鋭い爪が、風を捲いてハリスに迫った。


(しまっ――)


 それを見上げるハリスは、防ぎようの無い運命に身体を硬くした。その時一条の赤い光が地面近くを走り、彼と魔獣の間に割り込んだ。

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