Episode_20.11 魔獣の咆哮


 アドルムの街への侵入は拍子抜けするほど簡単に完了していた。元々北から迫るリムルベート王国第一、第二軍の集団に対して夜間の警戒線を敷いていたアドルムの守備傭兵軍は、南に対して無頓着であった。彼等の認識では、南に外敵が侵入するはずは無いのであるから、これは仕方ない事といえた。そして、その監視の緩さを突いた小集団は主に風の精霊術の効果を得て、無音となって夜の街の中を進んだ。侵入経路が最も長かった西のフリギア神殿に進出したユーリーとリリアが加わる集団であっても、敵兵に気配を察知されることは無かった。


 ユーリーとリリアを含む小集団二十の傭兵達はフリギア神殿の敷地内に潜入すると、神官や下働きの者達が済み暮らす神殿本館をやり過ごし、背の高い鐘塔へ取り付く。鐘塔の入口は施錠されており、傭兵の一人がこれを力任せに打ち破ろうとしたが、その動きをユーリーは寸前のところで止めさせると、リリアを促した。


「こんな錠前、朝飯前よっ……って今のリコットさんの真似なんだけど分かった?」


 そんな冗談と共にリリアは、ユーリーの息が思わずウッと詰まるほどの笑顔を振りまいた。白み始めた夜明け前の薄明かりの下で、敵地内に侵入した傭兵達の緊張を和ませようと意図したリリアの笑顔は確実に効果を発揮していた。


「はは、こんな可愛らしいお嬢ちゃんとご一緒出来るなんてなぁ、ツイているやらいないやら」

「マルス神の御遣い、戦乙女バルキリーが本当に存在するなら、この娘のようなのだろうな」

「オレ、今度食事に誘ってみる」

「止めとけ、またヤケ酒に付き合うのは御免だよ」


 敵中で和んで見せるのは、肝の据わったつわものの習性だろう。そう思うユーリーは一部聞き逃せない話を耳にしつつも、それを無視すると全員を促す。「朝飯前」の言葉通り、鐘塔の鍵はリリアの手によってあっさりと開錠されていた。そして、彼等は一目散に鐘塔の内側を巡るらせん状の石階段を駆け登って行った。


 鐘塔の高さは地上から十五メートルほどであった。その最上部には大きな青銅製の鐘が吊るされている。そして、東西南北に張り出した鐘塔からは、白み始めるアドルムの街を明瞭に見渡すことが出来た。早速リリアは風の精霊を呼ぶと、先ず東の高台に陣取っているはずの一団へ風を送った。


「フリギア神殿組、配置完了よ。東の高台さん、状況伝えて」

(わっ、本当に届くんだな、ビックリした……東の高台準備完了)


 リリアの呼掛けに、東の高台へ配された年配の精霊術師が返事をした。少し驚いたようだが、彼等の視点から見える状況を報告してきた。


(リムルベートの軍勢は街の北から三分の一進出して夜を迎えたようだな。前線の陣地が幾つか見えるが、一番突出したのは中央の大通りの交差場所にある……そっちからのほうが近いな)

「分かったわ、ありがとう」

(アドルム側の防衛線は丁度街の半分を境にしている、そちらさん・・・・・の三百メートルほど北だ……いや、待て。連中、南に移動を開始したぞ)

「え?」

(気を付けてな)


 そんなやり取りだった。東の高台はインヴァル山系から張り出した尾根が壁のように街へ迫る崖となっている場所だ。その中腹には嘗て城壁を作るために用いられた石切り場の跡地があった。その石切り場の麓の作業監視小屋は丁度街の南から東を監視するのに適した場所であった。市街に近く、高所に在るためユーリーやリリアが居るフリギア神殿の場所まで一望できるのだ。


 そんな東の高台と交信を終えたリリアは周囲を探るため、風の精霊や地の精霊の声に耳を傾ける。同時に上空を舞うヴェズルの視界も借りて周囲を探索した。確かに東の高台が言ったように、リリア達の場所から北に三百メートルほどに位置していた敵兵の防衛線は、夜明けを待たずに南側へ移動を開始していた。しかし、その様子はアルヴァン率いる第三軍の存在や街中に潜伏した彼女達に気付いた、という風では無く、単純に後退しているようである。


 リリアはその様子を隣のユーリーに伝えると、次いで南側に位置する「黄麻ギルド」の倉庫へ風を送り込む。直ぐに反応があった。


(リリアちゃん、こっちは問題無いわ。そっちはどうかしら?)

「問題ないですが、敵が戦線を南に下げ始めました。そちらの周囲はどうですか?」


 「遠話」に応じて声を送って来たのは先ほどユーリーに話し掛けていた弓使いの恋人である女精霊術師だった。短い会話だったが意気投合していた彼女にリリアは状況を伝える。


(倉庫の東側に市場の跡地があるけど、今は大勢の住民が避難場所に使っているわ。周りには六十人規模の小隊が二つほどいるみたいだけど……)

「これから増える可能性があるわ、気を付けて」

(分かった。しばらくは隠れたままでいるわ)


 戦線の動きを伝えるリリアの情報に、遠話の先の彼女は緊張した声で返した。リリアはそこで一旦、黄麻ギルドの倉庫と交信を切った。辺りは、後三十分もせずに夜明けという時刻である。東に聳えるインヴァル山系の山々の頂きは朝日を受けて黄金色の輝きを発していた。


「配置は確認できたわ。戦線が動いている事も本隊へ伝えないとね」

「ああ、たのむよ」


 部隊間の配置を確認したところで、リリアは南東の森の中に潜んでいる本隊へ三度目の風を送る。リリアの支配下にある風の精霊は二キロを超える距離を伝ってアルヴァンやオークの舌の首領ジェイコブを捉えていた。そして、繋がった風にリリアは声を乗せようとするが、その時不意にズキリと鈍い頭痛を感じた。思い返せば、今日の未明から集団の潜入を助けるために精霊術を使い続けていたリリアである。そのため、彼女の魔力は限界に近付いていたのだ。


 しかし、健気な彼女は力を振り絞ると声を発しようとする。一方、その様子を察知したユーリーは彼女の集中を乱さないように、そっと魔力移送マナトランスファーの付与術を発動すると、そっと彼女のうなじの辺りに手を当てた。


「アルヴァン様、こちらアンッ!」


 呼びかけと同時に、ヒヤリと心地良い冷たさを持ったミスリルの籠手が首筋に触れたため、リリアは嬌声に似た声を出してしまった。彼女はサッと振り向いてユーリーを見ると恨めし気な、それでいて流れ込む魔力にホッと一息吐くような変な表情になっていた。一方、そんな声を届けられたアルヴァン達の、


(っ! リリアさん? どうした?)

(敵に発見されたのか?)

(状況を!)


 混乱気味な声が伝わってくる。声の主はアルヴァン、ヨシン、ガルス中将のようだった。リリアは短く読唇術の要領で、


(もう、ビックリした。でもありがとう)

(ごめんね)


 とユーリーと言葉を伝え合い、そして、離れた森の中の集団に応じた。


「すみません、魔力欠乏で思わず……潜入潜伏は問題ありません。三カ所とも予定通りです」

(そうか、渡した魔石は遠慮なく使ってくれ)

(ったく、精霊術は魔力の消費が少ないから術者は自分の消耗度合いに注意しなければ駄目だ。お嬢ちゃん、気を付けなよ)

(……何やってたんだよ、二人で……)


 リリアの言葉に返事をするのは、アルヴァンとオークの舌の首領ジェイコブだ。二人の後ろではヨシンらしき声が何かブツブツいっているが、聞き取れなかったことにするリリアは次いで敵情を報せる。


「敵の防衛線が南に下がっています。リムルベート側の攻勢ではなく自発的に防衛線を下げているようです」

(なに? どういう事だ?)

「アルヴァン、ユーリーだ。夜明けと同時の攻勢は一旦中止してくれ。これじゃ、下がった防衛線にまともに突っ込む格好になってしまう」

(ユーリーか……分かった。変化が有ったら知らせてくれ。それまで攻撃開始は待つ)


 リリアの遠話に割り込む格好でユーリーが自分の声をアルヴァンに伝える。遠話の先ではアルヴァンが少し考え込んだ風になるが、ユーリーの要請を受け入れる事となった。何の意図を以っての後退なのか分からないが、明らかに寡兵である第三軍は、攻撃を待つ以外の選択は無かった。


****************************************


 やがて、谷間の街であるアドルムに東のインヴァル山系から昇った朝日が金色の光の筋を投げ掛ける。薄く街全体を覆った朝靄を切り裂く朝日の光は、一日の始まりにして日常を再開する時間の訪れ、新生や再生、活力や生命力の象徴である。しかし、今この街に降り注ぐ光は残虐な「殺し合いの合図」でしかなかった。


 その事実を端的に示すような咆哮が谷間の街に木霊した。


――ググォォォォンッ


 その大きな咆哮は野生の獣のものでは無い。明らかに邪な意志を持った、朝日の光に似つかわしくない殺意の塊のような声である。

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