Episode_20.10 アドルムへ


 九日の夜に街道を外れて西進を開始したリムルベート第三軍は、ウェスタ・ウーブル連合軍の騎士と兵士合せて五百数十名、それにオークの舌大隊と骸大隊が夫々八百を少し下回る数で続き、合計で二千百余の勢力である。彼等は街道外れの荒れ地や耕作地、そして点在する農村の軒先を通り真っ直ぐ西を目指すと、翌日十日の昼前にはアドルムとインバフィルを繋ぐ街道へ出ていた。予定よりも半日早い行軍であったが、途中で何度か小休止を入れても、この早さで進軍していたのだ。


「ここまで来れば、アドルムまでは後半日か。思ったよりも楽に進めたな」

「丁度、真夜中近くに到着することになるね……どうする、アーヴ?」

「夜襲か!」


 街道を北へ向かって進みだした軍勢はオークの舌大隊、ウェスタ・ウーブル連合軍、骸大隊の順で進んでいる。そして、その集団の丁度中程に位置する場所ではユーリーとヨシン、それにアルヴァンが馬を並べて進んでいた。そんな彼等は今後の行動に付いて意見を交わしていた。


「翌朝、日の出と共にアドルムを南から攻めるつもりだったが、時間的に余裕があるな……」


 ユーリーとヨシンの言葉にアルヴァンは考え込む風になった。半日前倒しで行軍出来ているという事実を何か戦略上の有利に換えたいという気持ちなのだろう。そこへユーリーが思い付いた考えを提案した。


「どうだろう、少数を潜入させて……例えば、高台とかを確保できれば、敵側を混乱させられる」

「高台かぁ……」


 ユーリーの提案に、自分の活躍の場は無さそうだと察知したヨシンは、少しつまらなさそう・・・・・・・な表情となると、鞍の後ろの荷物袋からアドルムの街の地図を取り出して広げる。何時かユーリーから「地図くらいちゃんと見て」という指摘を受けたヨシンは、彼なりに真面目に受け止めていたのだ。


「なあ、高台だったら、ここら辺なんかが良いんじゃないか?」


 地図を広げたヨシンは、そう言うとユーリーとアルヴァンの馬の間に割って入る。そして、広げた地図の幾つかの点を指していた。それを左右から覗き込む格好となったユーリーとアルヴァンは、


「東の高台、フリギア神殿の塔、あとは……」

「黄麻ギルドの倉庫だね」


 ヨシンの指が示す場所を見て、そう言っていた。因みに彼らが見て居る地図は一般的なアドルムの全景が描かれた地図を基にしているが、膨大な注釈が書かれた特別なものだ。路地や通りの広さ、屋根の高さや建物の階層数等が綿密に書きこまれている。まだ、微かに交流が残っていた頃に、リムルベート側が調べ込んでいた情報を基にした戦略地図であった。


 その地図上に記載された三つの地点はどれも南側から侵入しやすく、南側から街を攻める予定の第三軍が想定する、敵の防衛線の背後に位置していた。孤立する危険性は高いが、占拠出来れば戦いを有利に進めることが出来る。


「夜の間に、これらの場所を占拠できれば……」


 ユーリーの提案とヨシンの指し示す場所を見て、アルヴァンは納得したように頷くと伝令兵を隊列の前後に走らせた。夫々の大隊長であるオークの舌のジェイコブと骸中隊のトッドを呼び寄せ、詳しく相談するつもりであった。


****************************************


 その後アドルムを目指して街道を北に進み続けた第三軍は、途中でアドルムからインバフィルへ向かう伝令兵を数名捕えていた。また、上空では南へ向かう伝書鳩を三羽、リリアの若鷹ヴェズルが捕えていた。


 伝令兵役の傭兵は未だ幼さが残る少年であった。そんな少年傭兵は捕虜となると大人しく情報を提供した。それによると、アドルムの北の城壁はドワーフが改良した投石塔トレビュシェットによって破壊され、リムルベート軍は街の北側に侵入した、と言う事だった。捕虜となった傭兵は、その事実とともにアドルムの街への援軍要請をインバフィルに伝える途中だったという事だ。


 一方、ヴェズルが生け捕りにした三羽の鳩は元の伝書を抜き取られ、代わりに偽の伝書を取り付けて空に放たれた。抜き取った伝書の内容は、時系列的に徐々に押される戦況を伝え、援軍を催促するものだった。だが、夕方に捕えた最後の一羽は、


 ――我、最終作戦の発動を決す。住民感情に留意されたし――


 という、意味不明の内容を持っていたのだった。内容は意味不明だが、何かしらとっておき・・・・・の作戦が有ることを知った第三軍は、夜の帳が辺りを覆う時刻を待って進軍の速度を速めた。更に、本隊から分離した三つの小集団は、街道を急ぐ本隊を突き放す勢いで街道を北へ駆け、夜の闇に姿を消して行った。


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 本隊を抜け出て先行した一行は、夜明けの三時間ほど前にアドルム近郊の森で馬を降りた。彼等は三つの集団合計六十人で構成された部隊であった。集団ひとつは二十人で編成され、その内訳は骸大隊に多く配されていた弓兵が中心で、潜入を補佐するための精霊術師と護衛役の傭兵が数人含まれている小集団だ。その集団のひとつに、ユーリーとリリアの姿も有った。二人とも弓矢の心得がある上、魔術と精霊術に長けているため、この任務はうってつけ・・・・・だった。ただし、危険な任務となるため、ユーリーは少し複雑な心境で装備を確認していた。


(もう少し考えて喋るべきだったな……)


 という反省がユーリーの心を占めている。というのも、彼が考えた策は実行可能な範疇の難易度であり可也かなり高い効果が期待できたが、その反面失敗すると敵中に孤立無援となる危険な作戦だった。しかし、それを思い付いてアルヴァンに提案した時、ユーリーは無自覚に見習い騎士時代やコルサス王国で過ごした日々の感覚で居た。つまり、リリアの事を失念していたのだ。


 しかし、その事に気付いた時にはもう遅く、作戦の段取りは矢継早に決まって行った。そして、自分もその中に組み込まれた時点で、ハシバミ色の瞳を持つクオーターエルフの少女は、さも当然のように参加を志願したのだ。


 彼女の参加をユーリーは二重の意味で断れなかった。一つは「一緒にいる」という恋人としての約束のため。そしてもう一つは戦術的に彼女の参加が非常に有意義であるためだ。南から攻める予定の第三軍に対して、彼らが潜入潜伏しようとする三カ所の内、街の南端から一番遠いのが西側に位置するフリギア神殿の鐘塔だった。距離は二キロほどになる。その距離で精霊術の「遠話テレトーク」を届かせることは、並みの術者には無理な注文だった。しかし、北風の王フレイズベルグの加護を受けているリリアにとっては、苦になる距離では無い。それどころか、アドルムの街を東西に横断して、東方の高台とも交信が可能であった。


「冷静に考えれば、お嬢ちゃんがフリギア神殿に居座るのが一番妥当な選択だな」


 というオークの舌の首領ジェイコブの言葉を待つまでも無く、生存と生還、作戦の成功にとって、それが最も合理的な選択だったのだ。そして、アルヴァンの決定によってその布陣が決まった。決定した後のアルヴァンの表情は申し訳なさそうで、ユーリーとリリアの二人を心配するようなものだった。それもまた、ユーリーの気持ちを重くしていた。


(どっちつかずになってるよな……僕は)


 親友を助けるために、戦いに身を投じる。しかし、自分が戦いに身を投じれば、例えどんなに止めたとしても、恋人リリアは同行するだろう。結果として親友を助けるために恋人を危険に晒すことになる。しかも、その危険に打ち勝つために恋人の力を頼りにしている。そのくせ、いざとなると、その選択を後悔する。ユーリーはそんな自分の割り切れない考えを持て余して溜息を吐いた。


 そんなユーリーに後ろから声を掛ける男がいた。声を掛けて来たのは骸大隊に所属していた弓兵の男だ。元々はオーメイユの街で投降した傭兵で、女の精霊術師と二人組みで仕事をしている、といった話をユーリーは覚えていた。なんといっても、しょっちゅう喧嘩をしている男女なので、目立つ存在だったのだ。


「ユーリー、だったよな?」

「はい……何か?」


 会話をするのは初めての相手であるため、ユーリーは怪訝な声で訊き返した。すると、その弓兵の男はグッとユーリーに近付いて、ユーリーの甲冑の肩当てを掴んで言う。


「若い癖に冷静沈着で経験は豊富。剣も弓も魔法も使い、その上指揮官に直接作戦を上申する……大した奴だよ」

「はあ……」

「ホントは文句の一つも言ってやろうと思ったんだ。危ない作戦を思い付きやがって、ってな。だけど、お前もあの子・・・を連れて来てるんだな……」


 弓兵の男はそう言うと、少し離れた所に居るリリアの方を見た。リリアの所には、彼の恋人と言われている女精霊術師が近付き何か言葉を交わしているところだった。弓兵の男は、リリアと会話をしている自分の恋人を少しだけ見詰めると視線を再びユーリーに向ける。


「俺もお前みたいに強ければ、勇んで二人で戦うんだが……こっちの方はからっきし・・・・・ダメでな」


 弓兵の男はそう言うと剣を振る仕草をする。一方、ユーリーの方は男が言わんとしている事が分からずに無言であった。


「金のために傭兵をしているが、その金は彼女と生活するために必要な金だ。だが、その金を得るための傭兵と言う仕事に、彼女も絶対付いてくる……だったら、俺に出来ることは何が有っても彼女を守る……まぁ実際は危ない所を助けられてばかりだがな」


 弓兵の男はそう言うと少し自嘲気味な笑いを発した。ユーリーは段々とこの弓兵が何を意図して言葉を掛けて来たのか分かって来た。きっと、緊張しているのだ。戦いを生業としながら、戦いを怖れているのだ。そして、何より愛する者を失うことを怖れている。だから、似たような境遇の者を見つけて心の中を吐き出し、楽になりたいのだろう。そう考えたユーリーは、相手の意図に乗ってみることにした。


「お互い、似たようなものですね。でも、僕は何が有ってもリリアを守ります」

「おお、言うねぇ。すかした若造だと思っていたが、見直したよ。この戦いが終わったら、一杯――」

「そういう約束は止めておきましょう。自然とそんな機会が来ますよ」


 ユーリーの言葉を意気に感じた弓兵の男は「戦いが終わったら一杯奢る」と言い掛けたが、それをユーリーに止められてしまった。この手の話は験が悪いというのは、傭兵だけではなく騎士や兵士の間でも常識だったのだ。


「そ、そうだな。じゃ、頑張ろうぜ」


 前にも似たような事があった既視感を覚えつつ、弓兵の男はそう言う。丁度その時、彼の恋人である女精霊術師が少し苛立った声で彼を呼んだ。


「なにやってるのよ、そろそろ出発よ! もたもたしないで!」


 険のある声だが、普段通りなのだろう。弓兵の男は肩を竦めると短く「じゃあな」と言って歩き出した。彼等の集団はアドルムの街の南側にある「黄麻ギルド」の倉庫へ向かう事になっていた。

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