Episode_20.08 誘兵陽動
――時間は一日溯って四月九日夜
アルヴァン率いる第三軍は、前日の街道監視所撃破を機に進軍速度を速めた。軍勢は街道沿いにインバフィルへ迫る進路を取ったが、夜の帳が降りると共にその進路を変更していた。
インバフィルの街には三つの街道が入り込んでいる。一つはインヴァル半島の海岸線をボンゼから続く街道、一つは内陸の村々を経てオーカスへと結ぶ街道、そして最後は北のアドルムから繋がる街道だ。その街道の内、内陸の街道をインバフィル目指して進んでいた第三軍であるが、彼等は軍を二つに分けると、主力部隊は街道を外れ農地に足を踏み入れた。インバフィルとアドルムを結ぶ街道を目指したのだ。
一方、そのまま街道に留まったのは暁大隊と黄金大隊である。この二個大隊はそのまま街道を南下してインバフィルを目指すことになっていた。そんな二個大隊約千二百の傭兵は途中で小休止を挟むと、ほぼ夜通し進軍してインバフィルを目指した。
暁大隊と黄金大隊の進行は大きな抵抗を受けることはなかったが、途中でインバフィル側の偵察斥候部隊と二度遭遇戦が発生していた。幸い相手方の斥候部隊は数十人規模の部隊であったため、二個傭兵大隊は大きな損害を出すことなくこれを退けていた。しかし、本来ならば殲滅することも可能であった遭遇戦だが、二度にわたって撤退する敵を無理に追撃することは無かった。
「頑張って逃げて、本隊を連れて来いよ」
逃げる敵兵に対して、馬上から弓を放つ暁旅団の副官ダリアの隣で少しふざけたような物言いをするのはブルガルトだ。大声では無かったが、その声は丁度矢を放ったばかりのダリアに届いた。ダリアの矢は敵兵の一人を射抜いていたが、彼女はそれ以上の矢を放つ事は無かった。
「撃ち方止め! 被害確認、報告せよ」
少し険が有るが、戦場ではよく通る声が凛と響く。すると、彼方此方で部隊の点呼を取る声が上がり始める。ダリアはそれを聞きながらブルガルトの方へ向くと、
「でも、思った通りに誘いに乗るかしら?」
と言う。そこに、後ろに下がっていた魔術師バロルがやって来ると、ダリアの言葉尻を捉えて言った。
「この時点で、戦闘部隊ではなく斥候部隊なんだ。恐らくインバフィル側は逃げ帰った斥候の報告で動揺するだろう」
「ああ、そして、報告とほぼ同時に街の北側に軍勢が現れれば、深く考える余裕はないさ」
バロルとブルガルトの言葉である。三人の会話が示す通り、暁大隊と黄金大隊はインバフィルに対する陽動部隊であった。陽動の目的は、リムルベート軍の本隊が攻勢を強めるアドルムの街へ、インバフィルから援軍が差し向けられる事を阻害することだ。そのため、明日十日の総攻撃に合せて、インバフィルから戦力を釣り出しておくことが、彼等の主任務であった。
「作戦は分かるのよ……でも、
ダリアは未だ不満気な様子でそう呟く。一方ブルガルトとバロルの二人は苦笑いでそんな副官を見ていた。青年騎士に対する興味が常に裏返しの反応として表に出るダリアの、変に純な所が少し可笑しかった。
****************************************
「なに! そんな所で遭遇したのか?」
同じ夜、といっても明け方に近い頃、斥候部隊からの報告を受け取った四都市連合作軍部長ロキシスは、思わず動揺した声を発すると報告を訊き返していた。リムルベート軍と遭遇戦を行い撤退した斥候部隊が報告した敵軍の位置は彼が考えていた以上にインバフィルから近かったのだ。
「はい、土地勘のある民兵の報告ですから間違いないかと。敵軍は凡そ千、恐らくボンゼに出現した部隊と同じとみて間違いないでしょう」
ロキシスの言葉にそう答えるのは、同じ作軍部長である。地位としては同じだが、元戦時作軍部総長であるロキシスに対する同僚の口調は丁寧であった。元の役職に敬意を払っての対応だが、ロキシス以下の作軍部長達は無意識の内に彼に判断を委ねる格好となっていた。そのため、インバフィル作軍部本部の部屋に居る者達はジッとロキシスの言葉を待った。
「……傭兵部隊に出撃準備を。四個大隊を繰り出せ」
ロキシスは迷いを表に出すことなく、そう判断を下した。インバフィルの防衛に当たる傭兵部隊はカルアニスからの援軍を待っている状態で、現時点では六個大隊約三千五百だ。その内の三分の二を繰り出して、姿を現したリムルベート軍を叩くというのがロキシスの判断だった。そうすると、同じくインバフィルの防衛を担う義勇民兵隊の不満分子と、インバフィルに残る傭兵部隊の数は拮抗してしまう。万が一暴動が再び起これば、鎮圧に手間取ることは必至だ。しかし、かといって戦力を出し惜しみすれば、貴重な戦力をすり潰される可能性もあった。今姿を現した敵は、ボンゼの兵力と援軍の兵力を相手に戦いを潜り抜けた強兵である。しかも、これまでの進軍を隠蔽しきった事実から高い錬度が予想された。そんな精強な敵を相手に、兵力が絶対的優位でない状況で戦力の逐次投入を行うことは失策中の失策だろう。叩くときは一気に叩く、これが最も良い選択肢だとロキシスは考えたのだ。
「念のため、東の海岸沿いの監視所に民兵部隊を配しておけ。不満分子の多い部隊を使い、奴らをしばらく街から遠ざけるんだ」
「了解いたしました」
ロキシスの指示を受け、一人の作軍部長が部屋を後にした。既に辺りは白み始め朝日が昇る時刻である。
「少し早いが、朝食にしようか」
ロキシスは部屋に残った数人の作軍部長にそう声を掛けた。そして、追従する返事を期待したのだが、そうならなかった。先程閉められた部屋の扉が勢い良く開かれたのだ。そこには、肩で息をした傭兵の姿があった。
「何事だ」
「敵だ、街の北に敵軍が現れたぞ!」
その傭兵は伝令役だったようで、敵軍の出現を告げた。その急な報せに作軍部長達は再びロキシスの顔を見る。一方、ロキシスも敵の素早い動きには驚いたが、何とか顔色を取り繕うと、不敵な表情を作ってみせた。そして、
「……丁度いい。傭兵部隊に迎撃を命じろ、街の近くで戦うならば戦力分散の怖れも少ない」
という事になった。
****************************************
インバフィルの街は港以外の外周を壁に守られているが、そんな壁の外にも街並みが続いていた。そして、北東方面から街へ入る街道沿いの壁外には、毎朝朝市が立つのが恒例である。周辺の農村から持ち込まれた新鮮な野菜や肉類といった食料品が中心の朝市である。しかし、この日の朝市は非常に寂しいものであった。リムルベート軍が進軍した街道沿いの農村に住む農夫達が、戦いの気配を察知してインバフィルまでやって来なかったのだ。
普段よりも閑散とした朝市の様子に、買い物にやって来たインバフィルの住民達は驚いたが、その驚きは直ぐに別の対象にとって代わられる。リムルベート王国軍が突然姿を現したのだ。
暁大隊、黄金大隊の順でインバフィルに接近した部隊は、そのままの順で壁外の市街地へ侵入すると、朝市の露店を盛大に破壊し始めた。本来ならば、戦略的に価値の無い朝市の破壊などする必要はないのだが、今回の作戦は陽動である。そのため、目に見える被害を大きくし、敵の迎撃意志を煽る必要があった。しかし、
「街人には手を出すな、市を壊して火を掛けるだけでいい!」
というような指示が飛ぶ辺りは、流石に「暁旅団」を中核とした大隊である。必要以上の無体な行為を行わず、綺麗に仕事を行うのはブルガルトの信念であり「暁旅団」の信念であった。他の傭兵部隊の者からすれば、少し滑稽、または
そんな、彼等の前に最初現れたのは街の治安を担う民兵部隊であった。しかし、態勢が整わない民兵達は各個撃破され、後退を余儀なくされた。そして、その後方から姿を現したのが、敵の本命である傭兵部隊だ。
「適当に戦って後退ってのは、中々難しいぜ……」
「役者の真似事だ」
インバフィル側の迎撃部隊と朝市の場所で戦線を展開する暁大隊の前線では、レッツとドーサの二人が組みになって敵の傭兵と切り結んでいる。ブルガルトをして「若手の有望株」と言わしめる二人は、中々に強く、敵と切り結びながらもそんな無駄口を叩く余裕がある。しかし、二人の言う事は尤もであった。そんな時、彼等の背後でダリアの号令が発せられた。
「敵は手強い! 一旦退いて立て直す!」
その声は彼女にしては珍しく焦りを帯びた調子だった。
「はは、ダリアさんは役者だな」
「まったくだ」
レッツとドーサの二人は、一瞬だけ顔を見合わせるとニヤリとした表情を作る。そして、他の仲間達同様にジリジリと後退すると、次の瞬間後ろを向いて逃走を開始した。
「追え! 暁旅団を倒せば名が上がる!」
対する防衛側の傭兵達は、そう気勢を上げて追撃を開始した。その後、前線は後ろに控えた黄金大隊が受け持ち、しばらくすると、その黄金大隊が後退し、再び暁大隊が受け持つ格好で交互に戦線を受け持ちながら、二つの傭兵大隊は街道を徐々に後退していくのであった。
この朝の襲撃で街道に誘い出されたインバフィル側の傭兵大隊は四個大隊であった。陽動作戦は、ひとまず順調に滑り出したといえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます