Episode_20.07 人を喰うモノ


 正午を少し過ぎた時刻から市街戦へと突入した戦いは、既に夕方に迫る時刻に達していた。しかし、戦いの音は止むことが無かった。


 防衛線を市街へ下げた四都市連合側は、街の建物を上手に使いリムルベート軍の進撃を食い止めようとした。対するリムルベート側は、地の利こそ相手に譲るものの、戦意と部隊としての錬度で傭兵達を上回っていた。特に、表通りや裏通り、細い路地などに分散して局地的に戦闘が発生する市街戦では部隊間の連携が鍵となる。その点で、リムルベート側は高い錬度に裏付けられた部隊間の連携を発揮していた。


 リムルベート軍は裏通りや路地を優先的に制圧しに掛かる。対する傭兵達は、路地を封鎖したり建物を利用したりしながら対抗する。中には魔術や精霊術を織り交ぜてリムルベート軍を押し返した傭兵部隊もあったという。


傭兵には雑多な技能を持つ者が多い。魔術師や精霊術師などはその最たる存在だ。それらの者達がうまく運用されれば、画一的な戦力を揃える正規軍に対して戦力的有利に立つことができる。しかし、軍全体としての統率を取りにくい市街戦では、戦力のムラ、という形で負の作用をしてしまう。


戦力に勝る部隊がリムルベート軍を押し返しても、周囲の他の部隊がリムルベート側に押し込まれてしまえば、彼らは敵中に孤立する形となってしまう。敵中に孤立すれば、その後の運命など分かり切ったものだ。魔術や精霊術も無限に使える力ではない。結局、包囲され消耗させられたところに攻撃を受けて全滅或いは投降する他ない。


 戦況は部隊間の連携を緊密に取ったリムルベート側が徐々に戦線を南に押し下げる形となる。そんな戦線の最前列に立つのは相変わらずハリス・ザリア率いる第二軍の部隊である。二個大隊を編制していた第二軍であるが、当然の如く損耗は激しく、今や一個大隊規模の兵力も残っていない。しかし、元々第二騎士団所属の騎士達は、生まれた時から騎士となるべく鍛えられた強者揃いの諸侯の騎士である。しかも、長く平和が続いたリムルベート王国にあっては、戦場で名を上げる機会はそれほど多く無かった。そのため、自家の名誉や主家の誇りを背負った騎士達は衰える事無く、少しずつ前進を続けている。


「ハリスの第二軍を下げさせろ。あれでは、武勲を上げても全滅してしまう」


 そんな奮闘振りは、それを聞いた総大将ウェスタ侯爵ブラハリーをして、前線交替の命令を発令せしめるほどであった。


 侯爵ブラハリーは城壁前の広場に本陣を設営すると、活発に各部隊へ伝令を走らせている。本陣の規模は直衛に残った一個中隊と、後続の補給部隊のみである。本陣としては可也かなり無防備に見えるが、アドルムの地形は東西に狭い。前線を掻い潜り侯爵ブラハリー周辺を襲撃することは不可能と見極めての布陣だった。


 そして、丁度ブラハリーが前線のハリス・ザリアへの伝令を発したところで、後続の山の王国義勇軍の一部が追いついて来た。


「ブラハリー殿、戦況は?」

「これは、ポンペイオ王子、先ほどは見事なご采配で……お蔭でなんとか押しておりますが、此方の消耗も中々大きいですな」


 声を掛けてきたポンペイオ王子に対して、ブラハリーは隠す事無くそう言った。


「夜間の攻撃は中止とせざるを得ません」

「そうか……戦力不足というならば、我らの戦士団はいつでも前線に出られるぞ」

「ははは、先ずは本陣直衛でお休みください」


 リムルベート三大侯爵の一人と山の王国の王子がそのような会話を交わしている時、先ほどの伝令と入れ違いに前線の第二軍から伝令が届いた。


「報告致します! ハリス・ザリア様旗下第二軍は大通り沿いの広場を確保、ここに夜間陣地を形成致します!」


 伝令兵の言葉に、ブラハリーや騎士デイル、他数人の直衛部隊の騎士達とポンペイオ王子が机上に広げられたアドルムの街の地図を見る。


「伝令兵、その広場はここで間違いないのか?」

「は、はい」


 騎士デイルがその場で畏まっていた伝令兵を呼び寄せ、地図上の一点を指して問うと伝令兵は頷く。その場所は南北に長いアドルムの街を北から三分の一ほど進んだ大通り沿いの広場であった。


「よし、ならば周囲に展開した第一軍の部隊にもその広場へ集合するよう伝えよ。夜間の攻撃は中止だ。良いな」


 侯爵ブラハリーの指示で、再び複数の伝令兵が各部隊へ向けて散って行った。


****************************************


 やがてアドルムの街に夜の帳が降りる。両軍とも、日暮れを過ぎても散発的に戦闘を繰り広げていたが、それもしばらく前から止んでいた。流石に、夜の闇の中では如何に篝火や松明を焚いたとしても、敵味方の識別は難しい。同士討ちを誘発するような戦闘は、兵の損失という意味でも、士気の維持という意味でも、意味の無いものである。


 そうして、アドルムの街は戦いと戦いの合間に訪れた静寂に包まれる。街に戻りつつあった住民達は既に南の方へ避難したようで、人気ひとけの無くなったアドルムの街は、妙に静かな夜を迎えていたのだ。


 そんな中、アドルムの街の西側の或る一画では、四都市連合側の投降した傭兵達十数人が後手に縄を掛けられて路地に放置されていた。彼等はお互いの腰の辺りを別の縄で繋がれ、それが地面の杭に結わい付けられているため動くに動けず、その場で腰を下ろして夜が過ぎるのを待っていた。幸い重傷者はおらず、精々が酷い打撲程度だ。


「腹減ったな」

「リムルベートの連中、俺達の事を忘れてるのか?」

「さぁな……まずは街を攻めることで手一杯なんだろう、気長に行こうぜ」


 傭兵達は特に知り合いという訳では無かったが、一か所に集められた虜囚の境遇に言葉を交わすようになっていた。


「そういえば、ここら辺は例の倉庫・・・・の近くだよな?」

「例の? ああ、そうだな。後は街の反対と城門近くにもあったな」

「俺達も近付くなって事だったけど、なんだったんだろう? お宝でもあったんなら、ガッポリ、リムルベートが押えちまったんだろうけど」


 彼等の話題は街に三つ建てられた倉庫だった。住民はおろか傭兵にも近付くなと言われていた場所だ。時折、四都市連合の将校と思しき連中が出入りしているとは噂になっていたが、一介の傭兵達には倉庫の中身は知らされていなかった。


 やがて夜は更け、朝に近付く。薄らと白み始めた空気の中、インヴァル山系の稜線に朝日が昇り、金色の光条が戦場と化した街に休息の終わりを告げるように投げ掛けられる。投降した傭兵達は窮屈な姿勢で地面に身体を横たえると皆眠りに落ちていた。その時、


――ググゥォォォォォォ!


 突然、白み始めた闇を切り裂くような音が響き渡った。その音はまるで獣か巨人の咆哮のように、谷合のアドルムの街に響き渡る。


――ググゥォォォォォォ……


 すると、山壁に反響したのだろうか、同じような咆哮が遠くから響いてくる。突然の大きな音に、車座で眠りに落ちていた傭兵達は飛び起きた。


「な、なんだ?」

「さぁ……」

「戦闘再開にしても早いなぁ」


 彼等は口々にそう言い合う。そこへもう一度大きな咆哮が響き渡った。それは明らかに彼等が居る路地の近く、例の倉庫の方から発せられていた。そして、傭兵達の一人が蒼褪めた顔色で呟く。


「これ……オーガーの声じゃねぇか?」

「なんだって?」

「お、おれ、前にオーチェンカスクとロ・アーシラの小競り合いで見たんだよ。声も聞いた……まさか……」


 蒼褪めた顔色の傭兵は以前の戦場で見かけた、飼い慣らされた食人鬼オーガーの姿を思い出していた。兵器として運用される凶暴な魔獣は、幸いその時は彼の味方側が繰り出したものであった。そして、結果はオーチェンカスク側が劣勢を一度挽回するほどの威力であったのだ。


「まさか、四都市連合の連中が仕込んでいたのか?」

「お、おい、やばいぞ。叫び声が近い」


 傭兵達は見たことが無くとも、戦場での食人鬼オーガーの恐ろしさを聞き知っていた。そのため、慌てたような、恐れたような声が幾つも上がった。しかし、運命は無情である。彼等の心配は的中していたのだ。その証拠に、ドシン、ドシンという地響きが彼等の方へ近づいてきた。


「ホントかよ……どうする?」

「皆、何とか杭を抜くんだ、逃げなきゃ食われる!」


 誰かの声で全員は我に返ると、自分達を地面に繋ぎとめている杭を何とか引き抜こうとする。しかし、両手を縛られた状態の彼等はもがく・・・だけで、杭はビクともしない。


「チクショウ!」

「早くしろよ!」

「うるっせぇよ!」


 そんな怒鳴り声が交わされるが、その内一人が斜め上を見上げた状態で動きを止めた。そして、


「ひっ、ひえぇ!」


 喉から絞り出される声に、全員が視線の先を追う。そこには路地の両脇に建つ民家や商家の屋根上に頭を覗かせた二つの巨大な生き物が居た。狼と人間を混ぜ合わせたような顔面は、鼻から口に掛けて狼のように前に突き出て、巨大な犬歯が剥き出しとなっている。そして、まるで自ら赤く輝くような血走った眼は、爛々として目の前の傭兵達えさを見下ろしていた。


 その巨体は両脚がやや短く、両腕は長い。体表は黒い剛毛で覆われており、一見すると猿のような体格だが、三メートルを超える巨体と鋭い爪を備えた指は決して猿のものでは無い。紛れもない食人鬼オーガー、しかも戦場で人ばかりを襲うように調教されたテイムド食人鬼オーガーであった。それが二匹も居たのだ。


「あ、あぁ……」


 殺気と食欲を帯びた獰猛な視線に射竦められた傭兵達に、成す術は無かった。そして、朝日が照らしだした路地に、傭兵達の絶叫と骨が砕け肉が弾ける不快な咀嚼音、そして獲物を獲り合う二匹のオーガーの唸り声が鳴り響いた。


****************************************


 食人鬼が出現したのは、この西側の一画だけでは無かった。街に点在した三つの倉庫から殆ど同時に、この獰猛な魔獣が放たれたのだ。そして、その一つは侯爵ブラハリーの本陣からとても近い所に在った。


「敵襲! 敵襲ぅ!」


 本陣周辺を警戒していた兵士が声を上げる。その声が丁度陣中食を準備していた輜重兵や騎士デイルなどの直衛の騎士達に届くと、本陣はにわか・・・に慌ただしくなった。


「何事だ!」

「歩哨兵が襲われたと!」


 幕屋から飛び出て来たデイルは既に普段通りの甲冑に身を包んでいる。彼の事だから、寝る時も身に着けたままだったのだろう。そんなデイルは本陣の西側へ駆けて行く兵の一人を呼び止めると状況を尋ねた。しかし、呼び止められた兵も事態が分かっていないようで、要領を得ない説明となる。そこへ、


「オーガーだ!」

「化け物が出たぞ!」


 という兵達の叫び声が聞こえてきた。そして、


――ググォォォォンッ!


 本陣の直ぐ近くからそんな咆哮が上がったのだ。それは、デイルにとって忘れる事の出来ない魔獣の上げる咆哮だった。


「……オーガー!」


 デイルは、襲撃者の正体に一瞬腹の底が冷たくなるのを感じた。未だ哨戒騎士だったころ、ウェスタ侯爵領を襲ったオークの軍勢が引き連れていた食人鬼オーガーと対峙したデイルは、瀕死の重傷を負い生死の淵を彷徨ったことがあった。その時の記憶がよみがえったのだ。


(……生半可な対応では、部隊が壊滅してしまう)


 しかし、彼は湧きあがる恐怖を呑み込むと大声で周囲に指示を飛ばす。


「ブラハリー様とポンペイオ王子を安全な場所へ退避させろ! 罠かもしれない、護衛はしっかり付けるんだ!」


 そして、デイルは本陣の中を走りながら、


「弓兵を集めろ! 一般兵は投石だ。接近戦を仕掛けてはならない!」


 と声の限りに指示を発する。そうする内に、デイルの目は黒い剛毛の巨体を視界の先に捉える。そして、業物の大剣を抜き放つと、猛然とそちらの方へ駆け出して行った。

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