Episode_20.03 補給物資転送
アーシラ歴497年4月8日 王都リムルベート
この日、朝からメオン老師の機嫌は
そんなメオン老師は、今、王城の第三城郭内に在る王立アカデミーの敷地内に居た。それも、通りに面していない奥まった場所にある「魔術アカデミー」の一画である。そこはメオンが二十数年前の一時期、副学長を務めていた事のある、彼にとっては「古巣」であった。しかし当時の彼はアカデミーマスターであったサハン・ユードースと反りが合わず、結局短期間で職務を返上した経緯がある。そのため余り良い印象の無い場所であった。この老魔術師が不機嫌そうに見えるのは、そんな経緯からだろうと周囲の者達は考えていた。
しかし、実際にはメオン老師の内心はそこまで不機嫌というものでは無い。
(ユーリーめ、便りを送って来たと思えば年寄をコキ使うことを考えておったのか……まぁ、元気でやっているならば良いか)
彼の内心はこのようなものである。血の繋がりこそ無いが、赤子のころから長く面倒を見てきた我が子の活躍は漏れ伝わっていた。しかし、やはり直接便りを得ることは別の嬉しさがあった。その上、機転を利かせた考えを実行するために頼られるというのも、老魔術師には
そんな彼が受け取ったユーリーからの便りは、ボンゼの街から伝書鳩にてトルン砦を経由してリムルベートに届いたものだ。その内容とは、
――発ユーリー・ストラス宛てメオン・ストラス
制御の魔石の魔力痕跡へ物資を送られたし。四月八日夕暮れ時に頼む。物資は食糧以外の装備消耗品。荷車三台分の空間を当方で確保する――
というものだった。それは、ユーリーが以前から思い付いていた魔術を使った物資補給の計画だ。イドシア砦で実行しようとしたが、その時は砦を解放することが出来たので実施する機会が無かった。その策をインヴァル半島東岸に進出した今、実行しようとしているのだ。
一方、この報せを昨日の日中に受けたメオン老師は直ぐにガーランド・ウェスタに物資の集積手配を頼んだ。ガーランドは常人から見れば奇想天外な話に驚いたが、
「儂は大昔に二度ほどやったことがある」
と言うメオンの言葉を受けて物資手配を約束した。その後メオンは王都リムルベートへ相移転で移動すると、今度は宮中魔術師ゴルメスに協力させ、魔術アカデミーの敷地を物資の集積場所としたのだ。
「そのような方法は思いつきませんでした……」
「普通の魔術師は戦場になど出ない。こんな事を思い付く方がおかしいのじゃ」
と答えるメオン老師の表情は何処か懐かし気だった。
実は召喚系統の魔術を用いて物資を遠隔地に送るという発想は、ユーリーは自力で思い付いたのだが、既に以前実行していた者が居た。それは、当時銀嶺傭兵団の首領マーティスと呼ばれていた男、ユーリーの祖父マーティス・エルム・リンザドールである。彼はメオンに言わせると「規格外の魔力」と「魔術技能」を持った男だった。その理由は後日明らかになるのだが、当時のメオンは彼と親しくなるまでその事実を少し薄気味悪くさえ感じていた。
そんな銀嶺傭兵団の首領は、転戦や速攻が必要な場面で時折この「魔術的な補給」を実施していた。尤も彼の場合は、送り先へ物資を転送するのではなく、彼自身が送り先となって特定の場所から物資を召喚する、いうならば「取り寄せ」という方法を取っていた。それは、転送よりも遥かに高度な魔術技能を必要とし、大量の
その当時を思い出していたメオンだったが、魔術アカデミーの建物前の場所に荷車が入って来る気配で、思い出と記憶を手繰る思考を止めると現実に意識を戻した。
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夕闇が迫った魔術アカデミーの敷地内には三台の荷馬車が縦に並べられている。その荷台には矢や槍、盾や鎧を修理するための物資等が満載されている。ユーリーの伝書にはどういった物資が必要かは明確に書かれていなかったが、そこは元侯爵で現宮中大伯老のガーランド・ウェスタの手配である。
そんな荷車を前に佇む魔術師は三人であった。一人はメオン老師である、もう一人は宮中魔術師のゴルメス、そして三人目は協力を申し出たサハン男爵であった。以前メオン老師と対立していた事もあるサハン男爵だが、お互いに老齢となった今、嘗ては考えられなかったような親交を持っていた。一重にユーリーが取り持った縁と言える。もっとも、サハン男爵の魔術師として魔力の量は人並みである。それはサハン自身も良く分かっていることだが、それでも、
「何かの足しに成れば」
と申し出たのだ。その申し出の理由が、彼の最後の教え子であるユーリーに協力したい、という意図を含んでいる事を知ったメオンは、それを断ることは無かった。
転送の魔術は、送り出す物の量や重さが大きくなると、必要となる魔力が飛躍的に増大する。そのため、メオン老師を補助する二人の魔術師は術中に
魔術アカデミーに在籍する魔術師達にこの光景を見せたいと意図していたのは宮中魔術師ゴルメスだが、寸前のところで思い留まった。或る意味「とっておき」の策として秘密にしておいた方が良いと判断したのだろう。そのため、アカデミーの敷地内には今三人の魔術師しかいない。
「そろそろ、頃合いじゃ。始めるぞ」
周囲は薄暗くなり始めている。見上げる先に聳え立つリムルベート城は、朱色の西日を受けて陰影を際立たせている時刻だった。ユーリーの指定通り夕暮れ時となった今、メオン老師は転送の魔術陣の起想に着手した。
(この歳で魔力欠乏症は嫌じゃなぁ)
最後にそんな独り言を内心で呟いた老魔術師は、それを機に意識を完全に指先へ集中させた。不可視の魔力が肚の底から湧きあがり全身を巡った後に指先へ誘導されていく。そして、魔力が集中した指先でメオン老師は巨大な魔術陣を虚空に描き始めた。
一方、その様子に二人の魔術師は夫々
三台の荷車は夕闇迫るアカデミーの敷地内から忽然と姿を消したのだ。そして、その場には虚脱感に膝を地面に付いた三人の魔術師の影だけが残されていた。
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同時刻、インヴァル半島南端地域、オーカスの街から西へ三十キロほど内陸の街道を進んだ場所には三千六百人の騎士や兵士、傭兵達の姿があった。アルヴァン・ウェスタ公子が率いるリムルベート王国第三軍である。彼等は進行を中断し野営の準備を始めていた。
そんな野営陣から少し離れた森の中、少し開けた場所に数名の人影があった。彼等は、開けた場所を目の前に距離を置くようにして佇んでいる。全員が開けた場所の中央に置かれたユーリーの持ち物である「制御の魔石」に注目している。固唾を飲んで見守っている、といっても良い雰囲気だった。
その場に居るのは、ユーリーとリリア、それにアルヴァンとヨシン、ガルス中将とブルガルト、魔術師のバロルにリコットを加えた八人だ。因みにリコットはつい先ほど第三軍に合流していた。
「なぁユーリー、何にも起きないけど?」
「黙って見ててよ」
リコットの声は、その場の雰囲気から何となく押し殺した声色だ。一方それに答えるユーリーは、声の調子に合わせつつも少し焦った雰囲気だった。
第三軍が必要とする物資の内、食糧はボンゼとオーカスで十二分に調達出来ていた。しかし、消耗した武器防具、特に矢は欠乏状態であり、弓や槍、盾も消耗が激しく不足していた。今この時点でそれ等の物資を入手できなければ、ボンゼに戻りデルフィルからの補給を待つ必要があった。しかし、それではアドルムの街へ正面攻勢を強めた第一、第二軍の動きに間に合わなくなってしまう。
「……仕方ない、今の戦力で――」
アルヴァンは苦しい選択の結論 ――物資不足でも進撃を続ける―― を言い掛ける。しかし、その言葉を割ってリリアが声を発した。
「風……いえ、空気が逃げていく」
「え?」
リリアの感覚は、目の前の開けた場所から一斉に逃げ出そうとする風、いや大気の様子を捉えた。それは彼女自身も見た事の無い光景であったため、発せられた言葉は意味が良く伝わらない。そのためユーリーは訊き返すような声を発したのだが、次の瞬間、
ギシィ――
と車軸が軋む音と共に、彼等の目の前に物資を満載にした三台の荷車が出現していた。
「……」
「……成功、かな?」
余りに突拍子もない出来事に、その呟きは誰が発したものか分からなかった。
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