【西方風雲編】それぞれの行く途

Episode_20.01 インバフィルの街


 インバフィルは平地に広がった街である。インヴァル半島の南端に位置する港を中心として、リムル海の西端海域への中継点という立地によって成立した交易都市国家といえる。また、良質な繊維作物を産する土地柄、早くから織物業が発達し、労働力の集約化が進んでいる土地でもある。中原地方や南方大陸と西方辺境地域を結ぶ交易の玄関口として、行き来する交易品と共に資本が集中した結果の繁栄であった。


 四都市連合が、リムルベート王国のノーバラプールに対して分離独立工作を仕掛ける以前、インバフィルとリムルベートの間の交易は、海路と、陸路が共に活発であった。その他に、インバフィルを起点とした航路は、独立都市デルフィル、コルタリン半島西岸の都市ディンス、そしてオーバリオン王国の港街スウェイステッドへの行き来が活発であった。実に三カ国一独立都市との交易の窓口であった訳だ。


 そんなインバフィルは他の四都市連合の都市国家と同様、平時は富を経済の発展に集中させている。そして、有事の際はその都度傭兵を雇用して事に当たる、という軍事的な方針を持っていた。そのため、喩え北に一日の距離にあるアドルムの街が長く他国の侵略に対抗している状態であっても、インバフィルの街中には緊張感は少なかった。それどころか、他の四都市連合の都市から送られてくる物資を捌くために広大なインバフィル港は港湾労働者を中心に活況に沸いていた。


 その景気の良さは、勿論アドルムの街を巡る戦争の賜物であった。しかし、少し騒々しく、又浮ついた好景気に豪商も庶民も浮かれた気持ちとなっていた。そんな、熱を帯びた交易都市に冷や水を浴びせ掛ける出来事が起こったのは今年の二月だ。カルアニス島の中央評議会で行われた中央評議員の改選選挙に於いて、インバフィルの代表であるランチェル・フェニエル評議員が落選したのだ。


 落選はそれだけでも重大な異変であった。しかし、その上ランチェル評議員は職権濫用の容疑を掛けられ選挙結果開票の場で逮捕されてしまったのだ。インバフィルの住民から見れば、ランチェル評議員は自分達の街に利益を誘導する優れた指導者であり英雄視される人物だ。そんな彼を襲った不幸に、インバフィルの住民達は中央評議会への不満を示すこととなった。


 その不満はインバフィルの住民による、ランチェル評議員の釈放嘆願と改選選挙のやり直しを求める運動として急速な広まりを見せた。そして三月中頃、実にランチェル評議員にまつわる報せがインバフィルに届いて二週間も経過していない内に、住民の一部が暴徒化するに至ったのだ。


 この時、インバフィルを守る兵力として、傭兵六千五百とは別にインバフィルの住民による義勇民兵隊三千五百が組織されていた。義勇民兵隊の役割は街の治安維持を肩代わりすることだ。しかし、武装した民兵組織の約半数が住民の暴動に参加する事態となっていた。そして、不満を持った住民と武装した民兵隊の一部は、インバフィル港に面した「四都市連合連絡会館」を包囲し、自分達の主張を押し通そうとする事態に陥った。


 結局、この時の暴動で「四都市連合連絡会館」を包囲した民衆は、傭兵部隊の介入によって二日で解散となった。本来ならば、暴動に参加した民衆の内、武装した義勇民兵隊の兵士は解散させられてしかるべき・・・・・である。しかし、現実にはそうならず、原隊復帰となった。


 これは、暴動鎮圧と時を同じくしてインバフィルに届いた報せ、


 ――インカス遺跡群に於ける「大回廊第四階層解放」――


 の結果、冒険者出身だった傭兵達が大挙して傭兵の仕事を放棄してしまった事に起因する。冒険者出身の傭兵達は、ある者は正規に違約金を支払い、またある者は脱走同然に失踪したという。そのため、四都市連合の傭兵局は、防衛兵力の増強が整うまでは問題のある義勇民兵隊を使い続ける必要があったのだ。


 その後、三月の末には傭兵局の手配により、千人の傭兵が追加投入された。しかし、四月に入るとインバフィルに隷属するボンゼがリムルベート軍の別働隊に襲われる事態が発生し、折角の追加人員と同数が援軍としてボンゼに出撃していた。


 そのため、インバフィルの住民と同じく不満を溜め込んだ義勇民兵隊の面々が街の警備に当たる状態は解決されることなく続いていた。ジェロ達「飛竜の尻尾団」がインバフィルに潜入したのはそんな時期であった。


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黒キツネ爺ランチェルは人気があったからな」

「各都市から一人中央評議を出すのは慣例だったからな、それが破られただけでも大事だが、ランチェルが落選するとはねぇ」


 そう言葉を交わすのは、リコットとタリルだ。二人の他にジェロとイデン、それにアント商会の密偵頭ギルと黒髪の巨漢セガーロも一緒に居る。彼らが居るのはアント商会の密偵部が設置したインバフィルの拠点である。港の倉庫街にほど近い、貧民街の端にある粗末な掘っ建て小屋である。室内は殺風景だが、密偵達に合流したジェロ達が寝泊まりに使っているため、少し荷物が散らかった状態になっている。男臭い室内には不似合いな大きな鳥籠が置かれ、その中には幾らか数が減ってしまった伝書鳩が餌箱のひえや砕いた麦を啄んでいる。


「確かにあのキツネ爺は、インバフィルの住民には人気があったが――」

「それだけで、暴動まで起こるか?」


 今度は腑に落ちない、といった風のジェロの言葉にタリルの言葉が重なる。彼等はインバフィル近郊の山村の出身だ。そのため、インバフィルでのランチェル評議員の評価は心得ている。交易事業に偏重しがちだったインバフィルに織物という産業を根付かせた殖産興業の功労者というのが専らの評判だ。しかし、それは街中に限った話で、郊外の農村へ行くと評価はガラリと変わる。穀物類の耕作面積を削り、繊維作物の植え付けを余儀なくされた周辺農村は、概ね彼に対する評価が厳しい。黒キツネという綽名も、痩身で髪を黒く染めたランチェルを揶揄する呼び方だ。


 インバフィル近郊の寒村出身のジェロ達のランチェル評議員に対する評価もあまり芳しいものでは無い。しかし、それを差し引き、インバフィルの街中に限った評判を加味しても、暴動が発生するほどの熱が住民に在るとは思えなかったのだ。


「……裏でオッサン達が画策したのか?」


 リコットは、少し疑いの目をギルやセガーロに向ける。すると、ギルが苦笑いと共にその疑問に答えた。


「オッサンといえば、お前らだって……まぁいいか。俺達にそんな力は無い。だが、裏で暴動を煽っていた連中が居たのは確かだ」

「へぇ。どんな奴らなんだ?」

「それは――」


 ギルの説明によると、住民の不満を煽ったのはインバフィル評議会の議員達だった。自分達の旗印でもあるランチェルの身柄を取り戻すために住民を利用した、という訳だった。しかし、


「まぁ、幾ら腹の黒い評議員の連中だといっても、戦時中の街中で暴動を起こすまでの覚悟は無かった……」

「でも、暴動になったんだろ?」

「そりゃぁ……なあ、分かるだろ」


 ギルはそう言うとニヤリを笑った。どうやら暴動の切っ掛けを作ったのはギル達の差し金だったようだ。住民全体の扇動は出来なくても、火に油を注ぐ真似は出来るという事だ。その事実に気付いたリコットは、わざとらしく肩を抱くと身震いする仕草を見せた。本業の密偵の本気を見た気持ちだったのだろう。


「まぁ、インバフィルが混乱すればブラハリー様もアルヴァン様もやり易いだろうと思って勝手にやったんだがな」


 誰も褒めていないが、一人で照れる風に頭を掻くギルはそう言うと説明を続ける。彼が言うには、暴動後に民兵隊が解散とならなかった事はまるで「天の配剤」のようだということだ。


「全く、この時期にインカス遺跡の大回廊が次に進むなんてなぁ。全く、あのお二方・・・・・は相当にツイテいる。それに、ボンゼを攻める時節も抜群だった」


 インカス遺跡群の大回廊第四層解放とボンゼ侵攻、この二つの出来事が立て続けに発生したため、インバフィルの防衛兵力は脆くなった状態を余儀なくされる。そして、不満分子である民兵隊を使い続ける必要に迫られているのだ。


あいつら民兵隊は、ハチの巣のような状況だ。ちょっと突けばまた直ぐに暴発するだろうな」


 ギルは自分の工作の結果を満足するように振り返っている。一方、そんな彼の話を聞いていた四人は別の疑問を持った。それは、


「ボンゼに向った援軍とアルヴァン様達の軍の戦いはどうなったんだ?」

「援軍が出発したのが一昨日だ。そろそろ何か情報が流れて来てもおかしく無いが、今は何も無い」

「まさか負けたってことは無いだろうな?」

「まさか……なぁ?」


 ジェロの疑問に答えるギル。少し不安そうなのはリコットとタリルだった。イデンは一人目を閉じたまま、マルス神へ祈りを捧げている。そして、そんな冒険者の様子を見たギルは良い考えを思い付いたように、彼等に向って言う。


「……ちょっとひとっ走り、ボンゼの方の様子を見て来てくれないか?」

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