Episode_19.20 ボンゼ侵攻 渡河攻撃


 この二日間、敵を眼前に腕を撫すだけで過ごしたウェスタ・ウーブル連合軍の騎士百騎は猛然と浅いボンゼ川を渡る。縺れ力場エンタングルメントの力場によって矢は役に立たず、只でさえ重装甲に覆われた正騎士達はまったく無傷で川を渡り切る。


「応戦! 横隊列組めぇ!」

「弓兵、さっさと下がれ! 早くしろ」

「来たぞ、槍、構えっ!」

「もたもたするな! 来たぞぉ!」


 ボンゼ側の傭兵部隊に矢継早の怒号が飛び交う。


 迎え討つボンゼ側の傭兵団は、不意に起こった騎士による正面突撃に防衛線を間に合わせようと必死に指示を出すが、射撃合戦に出番が無いと気を抜いていた後方歩兵部隊は横隊防衛線の構築に手間取っている。


 ボンゼ川の浅い水深と緩い流れを強靭な馬力で渡り切り、いの一番・・・・に敵の防衛線に斬り込んだのは黒染の甲冑を身に着けた大柄な騎士だった。その騎士は、他の騎士が持つ馬上槍ホースマンズスピアと異なり、錐状きりじょうの穂先の左右に斧状の肉厚な刃と、くちばしのように尖ったピックを備えた斧槍ハルバートを馬上で振るっている。その重たい武器を軽々と扱う騎士は、言わずと知れたヨシンである。歩兵が両脚をしっかり地面に踏ん張って扱う武器を、不安定な馬上で振り回す姿は、この青年の凄まじい膂力を簡単に想像させるものだった。そして、彼の馬の直ぐ後ろには、腕自慢の正騎士達が遅れを取り戻そうと追随している。


 ボンゼ側の傭兵部隊が防衛線の構築を完了する前に、その中央に切り込んだヨシンは、槍衾やりぶすまとも呼べない密度の薄い槍の穂先を愛用の斧槍首咬みで振り払うと、ついでラールス家から贈られた巨体を誇る愛馬で敵の前線兵を踏みつける。押し入るような挙動と共に、栗毛の軍馬は数人の前列兵を蹴り飛ばした。


(どうする、突っ込むか? いや!)


 ここ数年ですっかり持ち主の気性を理解している軍馬は前へ向けて突進したがる。しかし、寸前のところで考えを改めたヨシンは馬体を挟んだ両膝の力を加減すると、馬の鼻先を敵の左翼に向けた。視界の悪い全閉式の兜クローズドメットだが、限られた視界からヨシンは最大限の情報を読み取る。今彼は自軍の先頭に立っている。敵陣に深く突貫し、相手の混乱を誘うことは重要であるが、今の場合、後続の騎士や徒歩の兵士、傭兵達の突入口を確保することが重要だった。


 猪武者のようなヨシンだが、本人の自分に対する評価はいざ知らず、彼は親友ユーリーと比しても見劣りする事の無い慧眼の持ち主だ。そして、その鋭い観察力と大胆な発想は殊更ことさら、戦場に置いて遺憾いかんなく発揮される。そんな彼は、敵陣への突貫ではなく後続の味方を助けるために、馬の進路を直角に変更すると敵側の横隊陣を横から崩す動きを取った。


 改造と補修を重ねた彼の鎧は既に軽装板金鎧ライトプレートと呼べないほどの防御力を持つ。そんな甲冑の脇腹を幾つかの敵の槍の穂先が滑るが、ヨシンは構わずに整いつつあるボンゼ側の横隊陣を横から踏みつけるように蹂躙して行った。時折首咬みを振るうが、殆どは愛馬を強引に前進させ、正面を向いた敵兵を横から蹴散らしていく格好だ。


 ヨシンが敵の前列兵を五メートルに渡って蹴散らしたとき、背後から悲鳴が上がった。思わず振り返ったヨシンは、彼の後ろに付いていた三騎の正騎士が敵兵達によって馬上から引き摺り下ろされる光景を捉える。


 その正騎士達は、恐らく身分の低いヨシンに対する対抗意識があったのだろう。ヨシンが切りこんだ突破口から敵部隊に突入すると、そのまま強引に真っ直ぐ突進を続けたのだ。しかし、ようやく態勢を整えつつあった敵の傭兵部隊に阻まれ、突進の勢いは一気に衰えてしまった。そして、勢いを失った馬上の騎士は容易く傭兵に取り付かれると、一気に地面へ引き摺り下ろされてしまう。


 落馬した三人の騎士は、何とか敵兵を振り払うと馬上槍で応戦している。しかし三人の内一人は落馬の際に何処かを打ち付けたのか気絶したように動かない。そのため二人となった騎士に、二十人近い敵兵が群がる格好となっていた。


(チッ、情けないぞ!)


 後続の騎士達は敵前列に出来た綻びを押し広げるように動いている。歩兵が追いつくには少し間が有る。そのため、突出した三人の騎士は半ば孤立していた。その状況にヨシンは舌打ちすると、馬の向きをそちらに向ける。度々方向転換を強いられたヨシンの愛馬は不機嫌そうに鼻を鳴らすが、乗り手の意図を汲んで短い距離を駆けた。そして、


「適当にしててくれ。 ――うぉらぁ!」


 馬上のヨシンは愛馬にそう声を掛けると、落馬した三人の騎士に群がるような敵兵の集団目掛けて鞍から跳躍した。


――ガシャン!


 と、着地の衝撃に金属甲冑が鳴る。その様子に、敵兵の意識がヨシンへ向いた。三人の騎士を取り囲んでいた二十人の集団は、揃いの胸甲を身に着けていることから同じ傭兵団なのだろう。


「活きの良いのが来やがった!」

「囲んで討ち取れ!」


 敵の傭兵は気勢を上げると、五人がヨシン目掛けて走り寄る。防具は揃いだが、武器はバラバラだ。短槍を持つ者が一人、斧槍ハルバートを持つ者が一人、片手持ちの戦金槌ウォーハンマーを持つ者が一人、残り二人は盾と片手剣ショートソードという構成だ。ヨシンは、敵の武器を素早く見分けると、全閉式の兜の面貌を上げた。カチッという音と共に視界がグンと広がる。


「掛かってこいやぁ!」


 蛮声に喉を振るわせたヨシンは、言葉とは裏腹に自分から仕掛けていく。五人の敵の構成から、盾持ち二人が正面から相手を釘付けにして左右から長尺の武器を持つ者が攻撃を仕掛ける、という戦法を見切っていたのだ。そんな彼は、自分を取り囲むように向かってくる敵の一番右側へ突進する。そして、両手に持った「首咬み」を渾身の力で叩きつけた。


――バキッ


 その傭兵は手に持った短槍でヨシンの一撃を受け止める。しかし、敵の槍はヨシンの重たい一撃を受け止め切れずに圧し折れてしまう。そして、頑丈に仕上げた斧槍の刃がそのままの勢いで横殴りに傭兵に襲い掛かる。


「ゲェ!」


 まさか槍を圧し折られると思っていなかった傭兵は、無防備な首筋に「首咬み」の一撃を受けると、仰け反り倒れた。半ば切断されるように斜めに切り裂かれた首から噴水のように血飛沫が飛び、何処か間抜けな笛を鳴らすようなヒューという断末魔が響く。


 一撃で敵を葬ったヨシンは止まらない。機動性を重視する軽装板金鎧ライトプレートを基本にして、そこから装甲が厚くなるよう改造した彼の鎧は、最大限に動きを妨げない。ウェスタ侯爵領内の特殊兵科である哨戒騎士は徒歩で戦うことも想定しているからだ。そんな装備が完全に身体に馴染んだヨシンは、まるで獣のように猛然と駆けると、次の敵 ――戦金槌ウォーハンマー持ちの傭兵―― に文字通り襲い掛かった。


「うらぁっ!」


 振りかぶる動作から、全力を籠めて振るわれる斧槍は、穂先の先端で風を捲きつつその敵兵を襲う。その勢いに、敵兵は咄嗟に首をすくめるように居竦いすくんでしまった。成す術のない敵兵に、無情な刃が襲い掛かる。


 一撃を受けた敵は殆ど声を発することも無かった。ヨシンの首咬みは、咄嗟に身体を守るように縮こまった敵の左腕を肩下から切断すると、そのまま脇腹に食い込み胸甲の縁に刃を打ち付けて止まる。どう見ても即死の一撃に、その敵は立ったまま絶命した。しかし、その敵の死骸は最後の抵抗を示すように、身体に埋め込まれた首咬みの穂先を離さなかった。


 グッと力を籠めても手元に戻らない「首咬み」を何とか敵の身体から引き抜こうとするヨシンは、その時一瞬の隙を生じていた。そして、その隙に乗じて盾持ちの敵兵二人がヨシンに切りかかった。


 武器としては一般的な片手剣ショートソード二振りがヨシンへ襲い掛かる。ヨシンはそこで「首咬み」を諦めると襲い掛かる敵に向き合う。大き目の円形盾を持っている敵兵だが、今はヨシンの隙に付け込むために攻撃に移っている。それはヨシンにとって都合の良い状況だ。


 剣技を中心に鍛錬を重ねてきたこの若い騎士は、相手の初太刀を右に跳んで躱す。その動作で、二人揃って斬り付けてきた敵の左側に移動したヨシンは、次いで相手が左手に持っている盾を踏みつけるような蹴りを叩き込んだ。蹴りを受けた敵兵は、大きく仰け反ると隣の味方を巻き込んで姿勢を崩した。そんな敵二人が体勢を立て直した時には、二人の目の前に長剣「折れ丸」の切っ先が迫っていた。


 そして、ピュッ、ピュッ、と折れ丸の鋭い剣先が風切り音を二度発すると、二人の敵兵は見事に首筋を切り裂かれその場に崩れ落ちる。ヨシンに向ってきた敵兵は斧槍ハルバートを持った残り一人だが、あっという間に四人の仲間を葬ったヨシンに対して攻撃に踏み出せずにいた。一方のヨシンは、敵兵の死骸に食い込んでしまった「首咬み」に取り付くと、思い切り死骸を蹴り飛ばす勢いでそれを引き抜いた。


「こっちから行くぞぉ!」


 そして左右の手に長剣と斧槍を構えたヨシンはそう吠えると、残りの敵兵に向う。敵兵はその勢いを怖れて他の仲間の元に駆け戻る。ヨシンはそれを追う格好になると、三人の騎士を取り囲んでいた敵兵に斬り込んで行った。


****************************************


 敵陣中央で孤立した三騎の騎士の元へヨシンが血道を付けたころ、後続の徒歩の兵士と傭兵が、崩壊した前列の隙間から敵陣に斬り込んだ。ヨシンは、後続の兵を指揮していたガルス中将とアルヴァンから援護を受ける形で三人の騎士を守り切っていた。この時点で、ボンゼ側の傭兵部隊は、陣形も戦術も意味を成さない乱戦に陥っていた。組織的に連携した防戦が取れないため、傭兵達は各所で孤立したり、分断されたりしている。


 それでも、もともと数の上では拮抗していた両軍だ。ボンゼ側の傭兵部隊は何とか踏ん張ってリムルベート側の攻勢を跳ね返そうとする。特に四人いる魔術師は、的確に魔術を使うために乱戦から距離を置こうと移動を開始した。しかし、そんな魔術師を打ち倒したのは、傭兵集団「オークの舌」の首領ジェイゴブが放った水の大精霊を用いた精霊術だった。


「大地を潤す水脈の主、脈打つ水流の権化たる水蛇よ、来たりて我に助力し給え――」


 ジェイコブの呼掛けに応じ、ボンゼ川の水流が形を変える。そして水面から唐突に巨大な蛇の鎌首が持ち上がる。それは水蛇と呼ばれる水の大精霊の姿だ。


「彼の敵を討ち払い給え!」


 続いてそう発したジェイコブは、声と共に四人の魔術師を指し示す。すると、鎌首をもたげた水蛇は、次の瞬間水面から跳躍するように宙へ舞い上がる。その姿は巨大な一本の投げ槍のようでもあるし、脈打つ透明な大蛇のようでもあった。それが水の大精霊の力を借りて発動する高位の精霊術「水蛇の槍ナムナングニル」である。


 浮かび上がった水の大蛇は、驚愕の表情を浮かべる四人の魔術師目掛けて宙を走る。魔術師達は、対魔術障壁マジックシールド魔力套マナシェルを発動し、更に火爆矢ファイヤボルト氷結槍アイスジャベリンといった攻撃術を水蛇に向けて撃ち放つ。しかし、放たれた水蛇の槍は無意志の投射物ではない。明確な意志を備えた大精霊は、それらの攻撃を躱すと魔力を減衰する力場を回避して頭上から逆落としの軌道で魔術師達の足元に炸裂した。


――ドバァン


 強烈な破裂音と共に泥を含んだ黒っぽい水柱が陸上に現れた。魔術師達は一網打尽にされていた。


「これで、勝負有りだろ」


 今の一撃に魔力の大半をつぎ込んだジェイコブは仲間に支えながら半笑いでそう言う。そして、その通りとなった。


「降伏しろ! 逃げれば追って討ち取るまでだ!」


 少し高い声音でアルヴァンが呼びかける。それを受けて彼方此方で敵の傭兵部隊に降伏を呼びかける声が起こった。その状況に、ボンゼ側の傭兵部隊は抵抗を諦めたように武器を投げ捨てて呼掛けに応じるのだった。


 この日、ボンゼ川で起こった戦闘は四時間かけてリムルベート側の勝利で終わった。結果的にリムルベート側は死者百人、負傷者百五十人。対してボンゼ側は死者八百人を出して残りが捕虜となった。

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