Episode_19.19 ボンゼ侵攻 援軍


 インバフィルを出発した四都市連合の援軍は海岸沿いの街道を、ボンゼへ向かって進んでいた。その本隊の進行に先だって、海岸に沿って広がる森の中には本隊の安全を確認するための斥候部隊が展開していたのだ。ユーリーとリリアに接近したのは、そんな斥候部隊の一つだろう。


 リリアは軽く微睡まどろんでいたが、周囲の気配を伝える風の精霊や地の精霊の声には意識を振り分けていた。殆ど無意識の事であるが、ドルドの森での修行の成果の一つといえるだろう。そして、彼女はそれ等精霊の囁き声の他に、若鷹ヴェズルの視界をも共有することが出来る。斥候スカウト野伏レンジャーとして周囲を警戒、索敵させれば、彼女の右に出る者は居ないと思われる能力だ。


 しかし、何事も万能という訳にはいかない。木々の梢に隠された森の中は、上空から見下ろすヴェズルの視界が効き難い。そして、敵方の斥候部隊にも同じように精霊術師が居て、風や地の精霊に干渉し続けていれば、精霊達の囁き声も小さくなる。そのため、普段よりも気付くのが遅れてしまったのだ。


「どっち?」

「あっちの方」


 押し殺した声で敵の方角を聞くユーリーに、リリアは西の方を指す。


「まだ気付かれてないわ、距離は三百メートルね」


 そう囁くように言うリリアは、そこで言葉を切るとユーリーの方を見る。「どうするの?」と問い掛ける視線であった。一方のユーリーは逡巡する事無く答える。


「やり過ごそう」

「うん」


 今この場で戦闘を起こしてしまえば、その後の敵の動きは周囲を警戒するものとなり遅くなる。それではボンゼの街に対して遅攻を演出する試みが無駄になってしまう。本来、敵性地域に深く入り込んだリムルベート第三軍は戦術的には速攻を行いたい。だが、それを我慢して遅攻に徹するのは、少しでも多くの敵勢力をインバフィルという拠点から釣り出し、離れた場所ボンゼで叩くためである。そんな思惑から、敵に警戒を高めさせないため、ユーリーは隠れてやり過ごすことを選択したのだ。


 その判断を受けたリリアは、そっと風と地の精霊に働きかける。精霊達の働きによって、自分達の気配や存在を相手に伝えないようにするのだ。尤も、リリアが感じ取った敵部隊の精霊術師の力は強いものでは無かった。そのため、本気を出せば精霊封止エレメンタルシーリングで周囲の風と土の精霊を支配下に置くことも出来る。しかし、それでは逆に相手に勘付かれてしまう恐れがある。そのため、隠密にやり過ごす手段として緩慢な手段を選択したのだ。


 一方、ユーリーは慣れない付与術を発動するため意識を目の前の魔術陣に集中する。自分や友好的な対象に効果を発する正の付与術だが、今ユーリーが試みている術の魔術陣は負の付与術に似通った特徴があった。そのため、普段とは違う展開行程を行う必要があるユーリーは、時々詰まりながら左手を虚空に彷徨わせる。そして、何とか補助動作法を用いて展開を終えた付与術「|透明化《インビジブル》」が発動に至ると、ユーリーとリリアを魔力が包んだ。


 「透明化《インビジブル》」は効果を付与された側には認識しにくいが、文字通り対象を透明にしてしまう。非常に便利な付与術であるが、欠点としてはほんの些細な行動によって効果が解除されてしまうことだ。そのため、効果を維持するためには小声で発声することや大きく呼吸をする事さえ出来ない。


「……」

「……」


 予め打ち合わせていた二人、ユーリーは透明化という付与術の特性をリリアに教えていた。そして、息を詰めて姿と気配を消した二人の少し先 ――街道と反対の森の奥側―― で積もった枯葉を踏みしめるザッザッという音が聞こえ始める。その音が十人以上の集団の足音となって聞こえて来た時、芽吹く前の森の木々の隙間から、斥候部隊の姿が垣間見えた。全部で二十人前後の集団は、それなりに注意深く周囲の気配を探りながらドムン村の方へ進んでいく。斥候らしく片手剣に弓矢という軽武装で、身軽に動ける革鎧を身に着けた集団であった。そんな彼等の注意は既に前方に向けられており、それを横から遠巻きに見るユーリーとリリアの存在には遂に気付く事が無く通り過ぎていく。


 しかし、二人は万が一を期してもうしばらくそのままで待機していた。すると、今度は街道側から大勢の集団が進んでくる気配がした。斥候の後を追うように街道を進むインバフィルからの援軍であった。


(数は……千人以上……四都市連合の編制だと五個中隊、いや一個大隊か)


 目の前の街道を通り過ぎるのは、少し崩れた五列縦隊を組んで街道に目一杯広がった軍勢であった。軍勢の主力は傭兵で武装はバラバラだが徒歩の軍勢である。そして、隊列の中ほどには指揮官と思しき揃いの金属鎧を身に着けた男が五名、夫々騎乗して進んでいる。恐らく四都市連合の中隊指揮官達だろう。五個中隊で一個大隊を編制するのは四都市連合の一般的な編制だった。


 そうして、目の前の街道を通り過ぎるボンゼへの援軍を見送った二人は、そのまま森の奥へ姿を消した。その後「敵援軍発見」の報せは、風の精霊によって中継役の精霊術師に伝えられると、それを二回繰り返してオーカスの街に滞在する「暁大隊・・・・・」のブルガルト達へ伝えられるのだった。


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4月5日午前 ボンゼ川


 ボンゼ川を挟んで南北で対峙するリムルベート王国第三軍とボンゼの街の傭兵部隊は、この二日間散発的な弓矢による攻撃に終始した。そして、三日目となるこの日も昨日同様に両軍の弓兵部隊が川の岸まで進むと、大型の設置式矢盾を前面に繰り出し、その影から矢を放ち始める。しかし、リムルベート王国第三軍側の背後に控えた騎士や兵士、それに傭兵達はこれまでの二日間とは違う緊張を漂わせていた。


 インバフィルからボンゼに向う敵の援軍の様子は、昨日の内にアルヴァンの元に届けられていた。情報の伝達は、オーカスから第三軍の陣まで、伝令役が夜通し走って伝えるという単純な方法で行われた。一方、日が昇ってから二時間程経過したころに、別の報せも舞い込んだ。それは、一羽の若鷹の足に括り付けられた短い文章による伝達だった。アルヴァンの側で馬を並べていたヨシンの全閉式の兜クローズドメットに降り立った若鷹は遠慮なく金属製の面貌をつつくと・・・・自分の存在を主張した。


 ――ボンゼに入った援軍は街に留まる模様。ボンゼへの攻撃を実行する。攻撃は本日夕方、奮闘を――


 若鷹ヴェズルの足に括り付けられていた紙片に短く書かれた文字はユーリーの物だ。その文面は予め幾つか用意していた計画の一つ、つまり、ボンゼに入った援軍が街の防衛を優先させた場合に備えた計画を実行に移す事を予告していた。


 こうなると、ボンゼ川を挟んで消極的な拮抗を演出していた戦線を押し上げることがアルヴァン率いる部隊の役割となる。そして、アルヴァンは今日の戦いが始まる前、各部隊長に敵前渡河の実行を伝えていたのだった。


 しかし、三日目に突入した戦いはこれまでの戦いを踏襲するように、川を挟んでの矢の応酬という形で通常通りに始まった。両軍とも犠牲を厭わず敵に損害を与える、というよりも寧ろ被害を最小限に抑えるように立ち回っている。だが、その攻防が一時間ほど続いたところで、消極的な拮抗はリムルベート側から崩されることとなった。弓兵が射撃の拠点としていた設置式の矢盾に、後方に控えていた傭兵達が取り付いたのだ。そして、彼等は十数人で一つの矢盾を持ち上げるとそのまま川の流れへ足を踏み入れる。


 この不意の動きに対して、対岸のボンゼ側の傭兵部隊の弓兵達は矢盾の前進を阻止しようと射撃を集中させる。しかし、リムルベート側の弓兵は、全員が盾の影から姿を現すと、そんなボンゼ側の弓兵達へ向けて一斉に矢を放つ。百を超える矢が一度に放たれると、ボンゼの傭兵部隊には少なくない犠牲者が出る。


 機先を制されたボンゼ側の傭兵部隊は、態勢を立て直すことを意図し、魔術師による縺れ力場エンタングルメントを発動した。丁度ボンゼ川の南岸一帯に飛翔物の勢いを減衰する見えない力場が形成されると、リムルベート側の矢と、応射するボンゼ側の矢の両方が中途半端な位置で勢いを失い河原に落下した。それは、一旦態勢を立て直すためにボンゼ側が行った対応だったが、それを待ち構えていたのはリムルベート側の騎士や兵士、それに弓兵以外の傭兵達だった。


「今だ! 全騎前進!」


 部隊の後方に位置していたアルヴァンは指揮棒代わりに業物の片手剣ロングソードを振り下ろす。そして、彼の隣に控えていたガルス中将が命令を繰り返した。


「全騎前進、敵陣を破るぞ!」

「応っ!」


 勇ましい掛け声と共に、百騎の騎士が駆け出す。その後方には、兵士や傭兵達が続いた。


「オメーらっ、雇い主に良い所を見せるぞ!」

「臨時賞与!」

「オオォ!」


 「オークの舌」の首領ジェイコブの掛け声に応じる傭兵達は、勝手な事を叫びながら騎馬の後を追い掛けると次々に川へ飛び込んで行った。

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