Episode_19.18 ボンゼ侵攻 展開


4月3日 インヴァル半島東岸ボンゼ近郊


 ヨマの町にリムルベート軍の小規模部隊が進駐した。


 この報せは当然ボンゼに到達した。それは、第三軍を率いるアルヴァンがヨマからボンゼへ続く街道を封鎖しなかったために生じた情報の流出だった。しかし、これは意図して行われた策略の一部だった。


 元来、周囲に敵性勢力を持たないボンゼの街は、リムルベート軍の出現に過剰な反応を見せた。町を牛耳る綿花ギルドは雇い入れた傭兵部隊を街の北の街道沿いに展開すると同時に、インバフィルへ援軍要請を発した。その使者がインバフィルへ到着したのは、ヨマの町の南にリムルベート軍が陣を構えてから二日後の事である。そして、この二日の間にアルヴァン率いるリムルベート軍第三軍はヨマの町での足場固めを終え、戦闘部隊を南へ展開していた。


 ヨマの町から街道を南へ進み、小さな村を迂回して更に進んだ第三軍は、ボンゼ川の北側に布陣した。その陣容は、ウェスタ・ウーブル連合軍の騎士百騎と兵士五百を先鋒とし、傭兵集団「オークの舌」が中心となった「オークの舌大隊・・・・・・・」八百人を後詰とした合計千四百の兵力である。一つの街を攻めるには少し心許ない兵力であるが、士気と錬度が高いウェスタ・ウーブル連合軍は言うに及ばず、四個傭兵中隊で構成される「オークの舌大隊」と呼ばれる傭兵達も一筋縄では行かない強者揃いだ。


 対して、ボンゼの北に展開してリムルベート軍を待ち構える格好となった傭兵部隊の数は千五百。数の上では拮抗している。彼等はボンゼ川を防衛線に見立てると、川の南側に布陣していた。因みにボンゼ川はそれ程大きな川ではない。その川幅は両岸の河原を含めて差し渡し四十メートルほどである。また、水量も少なく、雪解け水が流れ込む早春であっても、その水深は膝上程度、もっとも深い場所でも腰まで水に漬かることは無いものだ。


 そんなボンゼ川を挟んで対峙した両軍の戦闘は、翌日四月三日の早朝から開始された。先ずはリムルベート第三軍の弓兵が進み出て敵陣に向い長弓を放つ。対するボンゼの傭兵側は、数名含まれていた魔術師が「縺れ力場エンタングルメント」を発動してその攻撃を防ぐ。しかし、発動された力場魔術は彼等側の弓の応射も妨げる事になった。結果として、散発的に矢を放っては魔術の効果が切れるのを待つ、という消極的な戦闘に終始することになった。この戦闘では両軍ともに数名の負傷者を出しただけであった。


 ボンゼ側の傭兵部隊は、インバフィルからの援軍を待つ構えである。そのため、この消極的な戦況は「思惑通り」である。一方、戦略的には速攻を仕掛けたいリムルベート側は、防衛側の消極戦に引き摺られるように、攻勢に出る機会を逸していた。少なくても、ボンゼ側の傭兵部隊にはそのように映っていた。


「矢を放てば魔術で防がれる。しかし、その魔術の効果が続く間は、敵も弓矢を効果的に使えない。敵側が魔術で矢を防いでいる間ならば、敵前渡河は問題無く完遂できるでしょう」


 ガルス中将の言葉である。夕暮れ時を迎え、戦闘が中止されたボンゼ川の北側では、簡易な陣幕の中で軍議が開かれていた。ガルス中将の言葉は、その会議の初めの発言だった。


「向こうさんの魔術師の数は四人だ。縺れ力場エンタングルメントという魔術は、そこそこに魔力を消費するものだ、日中に十回以上それを使った相手の魔術師はヘロヘロだろうな」


 と、意見を述べるのは「オークの舌」のジェイコブだった。有能な精霊術師である彼は、敵の勢力の中でも注意すべき魔術師の数を言い当てていた。更に、凄腕の傭兵団を束ねる首領だけあり、専門外の魔術に関しても一定の知識を思っていた。そんな彼は常識的な分析を述べる。


「こっちから夜襲を仕掛ける振りをして、敵の魔術師をもっと疲れさせたらどうだろう?」


 と、積極的に相手の魔術師の消耗を誘う策を言うのはヨシンだ。この若い騎士は、リムルベート第三軍全体としての作戦・・・・・・・・を把握している。しかし、生来の積極的な性格は消極策に終始するべき場面でも、何か仕掛けたいという気持ちとなって表れていた。そして、彼の言葉にガルス中将以外のウェスタ・ウーブル連合軍の騎士達が頷いた。今日の日中の戦いで、彼等騎士の活躍できる場面は無かった。そのため、全員が力を持て余している状態だった。


 しかし、アルヴァンはゆっくりと首を横に振る。


「矢防ぎの魔術は、実際に渡河攻撃を仕掛ける時に盾として逆に利用したい。余り疲弊されるのも困るな……とにかく、しばらくは様子見として今日のような攻撃に終始するんだ」


 アルヴァンはそう言うと全体を見回す。そして、


「茶番だが我慢するんだ。本格攻勢の開始は敵の援軍がボンゼに到着してからだ」


 と念を押すように言うのだった。


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 ヨマの町でアルヴァン達と合流したユーリーとリリアは再び別行動をとっていた。二人はセド村を通り再びオーカスの街へ戻ると、冒険者に紛れて街に潜伏する傭兵達との連絡網を再確認した。因みに、幾ら冒険者が増えたといっても、二千を超える傭兵達は流石に数が多過ぎる。そのため、傭兵の半数は幾つかの集団に分かれると、オーカスの東にある森の中に身を隠すように野営していた。それ等野営組とオーカスの街に潜む潜伏組の傭兵達の連絡は基本的に冒険者に扮した伝令役が行うことになっている。


 一方で、インバフィルからボンゼへの援軍の動向を探る斥候は、オーカスから森の中の小道を真っ直ぐ南に下ったドムン村の付近で街道を監視していた。


 彼等とオーカスに潜む傭兵達の連絡は数人の精霊術師を介した遠話テレトークで行われることになっている。そして、ユーリーとリリアはオーカスの街に留まることなく、斥候としてドムン村付近の森に潜んでいた。この二人が、いわば最もインバフィルに接近したリムルベート王国側の勢力という事になる。


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4月4日 オーカス南の森、ドムン村付近


 四月のリムル海を森の中から望むユーリーとリリアは、余り変り映えのしない街道を眺めていた。四月に入るとこよみの上では季節は春だ。確かに周囲の木々は枝の先端に若葉の芽生えを生じている。しかしそれが萌え始めるには、まだ少し時間が必要なようだ。それでも、朝夕の肌寒さは少し緩み、日中の森の空気は心地良いといえる程度になっていた。それは、数日野営をする覚悟の二人にとっては有り難い気候の変化である。


 街道へ視線を向ける二人は、インヴァル半島南端の切り立った崖が多い海岸線から、さらに山地へ向けて続くなだらかな傾斜に広がった森の中にいた。そして、近隣のドムン村の誰かが、薪か材木のために切り掛けて、そのまま放置したような朽木の山に身を潜ませている。ユーリーは、春を迎えて動き出したばかりの森の雰囲気を感じつつ朽木の影から頭だけを出していた。ふと、土と苔が混ざったような臭気が鼻腔をくすぐった。


 朽木の表面では、地虫の類が日向を目指して這っている。その先には、それをついばむために山鳥が止まっていた。クイックイッと首を器用に動かして周囲を警戒しつつも、ユーリーとその隣で休んでいるリリアには警戒心を向けない山鳥は、次の瞬間足元に這って来た地虫を鋭い嘴で摘み上げると、殆ど一瞬の動作でそれを呑み込む。そして、何事も無かったかのように再び首を彼方此方に向ける。


 そんな様子に少し気を取られたユーリーは、そのまま視線を隣で休むリリアに向ける。敵性地域の只中での野宿二日目という事も有り、ユーリーもリリアもここ数日ささやかな欲望を肚の底に閉じ込めている。そのためだろうか? 木漏れ日を半身に受けて瞑目し、微かな寝息を立てる少女の姿は、ユーリーにはハッとするほど美しく映った。


(……綺麗だな)


 海風に揺れる枝が、ゆらゆらと日差しを揺らす。そして、春の日差しの白と木の枝の影の黒が、プックリと薄紅色に膨らんだ唇からスッと引き締まった頬を抜け、少し尖った耳へと陰影を投げ掛ける。耳に掛かる明るい栗色の髪は、まるで繊細な金細工のように、揺れる日の光をキラキラと反射している。


 ユーリーは愛する少女の寝顔に思わず魅入られたように視線を向け続ける。開けば大きなハシバミ色の瞳を持つ両目は長い睫に彩られつつも少しだけ切れ長な輪郭を作り、変な力み無く安らかに閉じられている。全体的に日焼けや垢じみた色のくすみを感じさせない白い肌は、張りのある頬を通るとしまった顎の線に行き付く。思わず指でなぞりたくなる、ユーリーはそんな欲求に思わず手を伸ばしていた。


 しかし、彼の指がリリアの顎の輪郭をなぞる一瞬前、目の前の朽木に止まっていた山鳥は騒々しく羽ばたくと空へ舞い上がる。ついで、リリアがパッと目を開いた。


「敵の斥候よ……近いわ」


 リリアが発した押し殺した声に、彼女の寝顔を愛でるように眺めていたユーリーは咄嗟に表情を作り兼ねて、変な顔になるのだった。

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