Episode_19.17 ヨマの町進出
アーシラ歴497年4月1日 王都リムルベート
この日、一人の旅人がマルグス子爵家を訪ねていた。その旅人は手綱も鞍も轡も着けていない野生馬のような、しかし見事な白馬を従えている。白馬は馬具の類を何も身に着けていないが、唯一頭には頭巾を被せられている。まるでドルドの森に生息する一角獣を模したような立派な角飾りの付いた頭巾だった。
そんな馬を連れた旅人は、パッと見て年齢不詳の女性である。引き締まった体型は女性特有の柔らかさというよりも、戦士のような厳めしさを醸している。しかし、その一方で彼女は何処か乙女のような生気漲る雰囲気を発散していた。
そうして門前に立っていた女性だが、やがて屋敷の中から使用人の老僕が小走りに駆け出ると、門を開けて一人と一頭を中へ招き入れた。
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「カトレア? それにスプレニも! 懐かしいわ……でもどうして?」
旅人を迎えたのは、マルグス子爵家に寄宿するノヴァだ。産み月を前に、大きく前に突き出た腹を少し重そうに持て余しているが、それでも彼女は快活に旧知の訪問客を出迎えた。
対する旅人の女性と一本角の白馬は、そんな彼女の姿を驚きと共に見ると、しばらく声が出ないようになる。旅人の格好をした女性はノヴァが呼んだ通りドルドの森の守護者の導き手カトレアだ。嘗て
「……やっぱり、身籠ったと聞かされていても、そのお腹を見ると驚くな」
カトレアは、ノヴァの腹を指してそう言う。遠慮のない物言いだが、守護者の道を(或る意味)踏み誤った
「これはレオノールと、お前の父親ヘルムからだ」
カトレアはそう言うと柔らかく
「ありがとうカトレア……でも、お医者の話じゃ赤ん坊は一人よ。こんなに沢山……どうするのよ」
腹を
「そんなの、私が知ってる訳ないじゃないか……守護者なんだし」
彼女の表情は、とても六十歳を過ぎた女性のものでは無い。どちらかと言うと、まだ恋を知らない乙女のような表情だった。そんな彼女は続けて言う。
「えっと、デイル……だったかな? その奥さんも身籠っているのだろ。レオノールはその人の分もって……」
丁度、カトレアがそんな事を口にした時だった。マルグス子爵家の門前に新しい人の気配があった。それは、
「あら、お客様ですか。早春といっても未だ外は寒いです。ノヴァ様、屋敷の中へ」
と、女性らしい言葉遣いが板に付いたハンザと、
「ブルル……」
嘗ての朋友であるスプレニの姿に鼻を鳴らす
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「ハンザは……騎士デイルの奥さんだな。レオノールが言っていた。一度ドルドに来るように誘ったのにいつになっても姿を現さない、と」
女三人の会合は場所をマルグス子爵家のノヴァの自室に変えていた。因みにスプレニを見た瞬間、ルカンは回れ右して引き返そうとしたが、その後をスプレニが追う格好となっていた。一角獣と
「夫からはエルフの樹上都市ドリステッドの幻想的な美しさは聞いております。レオノール女王陛下から直接お誘いを頂いているとのことですが、生憎夫は多忙な身でして……」
ドルド流の敬称を排した呼称で語るカトレアの言葉にハンザはそう答えた。お互いに女性でありながら武人である。最初は実力を測るような雰囲気だったが、直ぐに打ち解けていた。因みにハンザの腹もノヴァと似たような状態で、デイルとの間の第二子を身籠っている。
「先程ノヴァに贈った品は、ハンザとデイルの子にも分けるように、というのがレオノールの託けだ」
そう言うカトレアに対して、旧知の仲のノヴァが問い掛ける。
「でも、なんでカトレアが来たの? 守護者の育成とか密猟者対策はいいの?」
「ああ、育成の方は一番若いのがサーリャ……ドルド河の戦いで囮にされた少女だが、あの子が随分元気になったので、一段落だ」
ノヴァの問いに答えるカトレアは、少し嬉しそうにそう語る。サーリャというのは、
「それに、カナリッジ側からの密猟も本当に減ったよ……一度レオノールが直接出向いて
カトレアの言葉によれば、オーバリオンとドルドの国境付近も安定しているようだった。
「で、カトレアはいつまでこっちに滞在するの?」
「ああ、それなんだが、レオノールは八月まではリムルベートに居て、そのまま使節団をやって来いって……
カトレアの言う使節団とは「西方同盟連絡使節団」のことだ。今年はドルドが使節団を派遣する年である。例年ならば、愛想の無いエルフの集団が訪れるところだが、どういう訳か、今年は守護者のカトレアがその役に任じられたようだった。
「でも……滞在場所はどうしよう? マルグスさんの屋敷も……」
ノヴァは少し困った風に言う。マルグス子爵家の屋敷は以前よりも広いが、それでも部屋数に余裕の有る豪邸とは程遠い。そのため、カトレアが滞在できるような部屋は余っていなかったのだ。そこへ、ハンザが言う。
「だったらウチへ来られたらどうですか? 丁度増築したところですし、夫が戻るのはいつになるやら……もしも都の雰囲気が合わなければ
そして、カトレアはハンザの言葉に甘える形で、夫が不在のハンザの家に寄宿することになった。その後、彼女達のお喋りは可也長い時間続いたという。
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同日 インヴァル半島東岸 ヨマの町
デルフィルからインバフィルへ向かう街道が不自然に賑やかになったのは二週間ほど前からだった。殆どが冒険者や行商人という旅人達は皆一様にオーカスを目指すと話していた。デルフィルとインバフィルを結ぶ短距離の海路が事実上閉鎖となっているため、陸路を進むしかない、という話だった。
当然インカス遺跡での「大回廊第四階層解放」が噂として伝わっているヨマの町では、そんな旅人達を不審に思う者は少なかった。それどころか、町でも数少ない宿「金色の綿帽子亭」は連日満室で一階のホールにも簡易ベッドを作って対応するほどだった。「金色の綿帽子亭」の主人はヨマの町の相談役であるが、降って沸いた本業の多忙ぶりに相好を崩しっぱなしだったという。
しかし、そんなヨマの町に
彼等の先頭で馬を駆る若者は、屈強な騎士を旗手として従えると、侵入者に対して無防備だったヨマの町へと入った。そして、突然現れた軍勢の姿に戦々恐々とするヨマの住人達に向けて、少し高いが良く通る声で堂々と口上を述べる。
「我々はリムルベート王国、第三軍である。これからしばらくヨマの町の南に陣を張り滞在することとなる。ヨマの町の人々には極力迷惑の掛からぬように約束する。そして、食糧や物資を売りたいという者が有れば、進んでその申し出を受け適正な価格で買い取ることも約束しよう」
その青年、アルヴァン・ウェスタはそこで一旦言葉を区切ると周囲の住民を見回す。そして、
「私の名前はアルヴァン・ウェスタ。リムルベート王国ウェスタ侯爵家の公子だ。町の代表者と話をしたい――」
その後、町の住人が作った人垣から青年と少女に肩を押されるように、おっかなびっくりの様子で一人の老人が進み出た。ヨマの町の相談役である「金色の綿帽子亭」の主人と、彼を促すユーリーとリリアである。そんな三人とアルヴァンは通りの真ん中で少し会話を交わした。そして、アルヴァンの隣で旗手を務めていた黒塗りの甲冑を身に着けた大柄な騎士は、本隊の方へ引き返すと、部隊を引き連れて町の外側を迂回するように南へ続く街道へ出た。
後続の荷馬車から陣の構築に必要な物資が下ろされると、先ず中心となる大きな幕屋が立てられ、それと同時に南側へ向けた馬防柵の構築が始まる。リムルベート王国第三軍の陣が、陣地らしく見え始めたのはその日の夕方過ぎになってからだった。
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