Episode_19.14 インカス第四層解放


 墜落した魔神に駆け寄るユーリーは、素早く蒼牙を振るう。そして、あっという間に一対の翼を背中から断ち切っていた。その痛みに、床にうずくまっていた魔神が仰け反る。既に空中へ逃れる事も出来ず優位を一つ失った魔神は、逃走したい気持ちと制約ギアスによる強制のせめぎ合いに陥る。まともな思考は残っていなかった。


 そんな魔神は起き上がると同時に、狂ったように辺り構わず闇のつぶてを乱射する。周囲の光景が歪むほどの衝撃が連続して起こるが、リリア達の方へ流れた闇の礫は全てヴェズルが遮っていた。一方ユーリーはその瞬間を空中に逃れてやり過ごす。飛行技術は拙いが、既に空中に飛び上がる術を無くした魔神に対してユーリーの優位は圧倒的だった。そんな彼は、既に両手は光輝く矢を備えている。その気配に気付いた魔神は上空を見上げる。そしてくちばし状の口を開くと何か言い掛けた。しかしユーリーには、その言葉が発せられるのを待つ義理も、聞く理由も無かった。


 突き出す両腕の先に閃光が瞬くと、それは際限なく続く雷光のように長い時間、ドームの内壁を照らし出した。その時ユーリーが発した光の矢による攻撃は、リムルベートの王城で中位魔神を一度は追い詰めた事のある連続攻撃だった。漆黒の骸骨たる中位魔神は、その後復活したが、下位魔神であるバスバズールには成す術が無かった。


 そんな魔神は最期の瞬間、頭上に振り上げられた光輝く刃を見ると不意に起こった笑みを堪えきれないように表情を歪めた。


(ソウダ……結局、死デスラ、ヒトツノ相ノ転移ダ)


 通常の生物が持つ生死観を超越した魔神。しかも生命魔術を極めた存在であるこの鳥型の下位魔神は、遥か昔に悟った事実を思い出すと愉快な心持になっていた。生という状態はあくまで存在が示す「相」の一つに過ぎないのだ。「死」という状態すら、そんな「相」の一形態に過ぎない。生命という概念を超越し、それを遥か上空から達観したとき、各自の個体存在は魂を中心に据えた相の流転でしかない。


 その事を思い出した下位魔神バスバズールは、苦痛ではなく、寧ろ微笑みを以って、ユーリが放った極大の光の刃をその身に受けていた。そして、彼は解放された。魔神という役割と、この次元に留められた枷、魔術による制約ギアスですら、魂となった彼を縛る事は出来なかった。


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 ユーリーが有翼の魔神を打ち倒した瞬間、ドームの中心に聳えていた円筒の構造物は出来上がった時と同じような唐突さで元の床に戻った。しかし、その三重の同心円の中心部分だけは完全に床に埋没せずに地上に留まっていた。それはユーリーの目線ほどの高さを持った水晶柱で、存在を主張するように白っぽい魔力の光を放っている。


「なんだ……?」


 光翼を消し去ったユーリーと、心配して駆け寄ってきたリリアがその水晶柱へ近づく。近くで見るそれは天然の水晶ではなく、角を落として綺麗な円柱形に加工された筐体ケースだった。その水晶柱は二人が接近したことを察知したように半周グルリと回転する。すると筐体内部に置かれた物を取り出すための開口が出現する。


「……魔術書と……なんだろうこれは?」


 そこに置かれていた物は、乳白色の外装を持つ立派な魔術書と紅金色に輝く握り拳大の塊だった。ユーリーは魔術書をリリアに渡すと、その塊に手を伸ばす。ユーリーはその塊を掴み上げると予想外の重さに驚いた。しかも、その塊は金属特有の冷たさは無く、寧ろひと肌と同じような熱を放っていた。


「ねぇ、それって心臓なんじゃない?」


 隣から覗き込むリリアは、少し眉を顰めてユーリーの掌の塊を見る。紅金色の塊は確かに心臓を象った形状をしていた。しかも血管や筋肉の構造が見て取れるほど精巧に作られている。


「何に使う物か分からないけど、もしかしたら魔術書の方に何か書いてあるかもしれないね」


 ユーリーはリリアにそう答える。一方、二人の目の前にあった水晶柱は中身を取り出されるのと同時に、ズズッと床面まで下がり床と一体化してしまった。それと同時に少し離れた所で発生した重たい振動がドームに伝わってくる。それは、この時この場に居た彼等には分からない事だったが、第四層へ続く大回廊の階段を塞いでいた壁が開いた振動だった。


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 その後、ユーリー達は水晶柱から取得した魔術書と紅金色の心臓、それに、三重の円柱構造と魔神などの魔物が現れる切っ掛けとなった四つの宝石を回収し、オーカスの街への帰路についた。


 帰路は中々に困難なものだった。モルト、ルッド、タムロという三人の冒険者は可也の重傷で、ロンが行う神蹟術の癒しヒールを受けても直ぐに目覚めることは無かったのだ。そのため、一人ずつ大回廊の入口まで運ぶ必要があった。その重労働はリーズとロンの二人にユーリーが加わり行うことにして、その間、リリアはオーカスの街に一足先に戻ると、荷馬車と自分達の馬を連れて遺跡に戻ることになった。


 ようやくインカス遺跡群の前庭部まで戻った一行は、そこでリリアが荷馬車を連れて戻るまでの間休息を取った。そして、負傷者を荷馬車に乗せた一行がようやく街に辿り着いたのは、彼等がオーカスの冒険者ギルドで出会ってから四日後の午前のことであった。


「色々ありがとう」

「助かったよ」


 ユーリーとリリアの二人に礼を言うリーズとロンは心からの安堵と感謝を示していた。二人は、一時はユーリー(とリリアも含まれるようだ)の強力過ぎる力を目の当たりにして、警戒するように態度が硬くなっていた。しかし、その後仲間の三人を遺跡の外へ連れ出す際も協力を惜しまなかったユーリーとリリアの対応に、再び態度を軟化させると、まるで旧知の仲間のように打ち解けていた。


「三人とも、早く良くなるといいね」

「うん……本当にありがとう」


 モルト、ルッド、タムロの三人はオーカスの街のフリギア神殿が運営する救護院に収容されていた。彼等の治療に多大な寄進を求められたが、遺跡から持ち帰った宝石の一つを売ることでその費用を賄っていた。更に残り三つの宝石を全て売れば金貨にして二百枚の収入となるだろう。彼等にしてみれば、決して「骨折り損」の冒険では無かった訳だ。


「しかし、この何だかわからない金細工まで貰っていいいのか?」


 そう言うのはロンだった。宝石を売り払えば可也の収入のとなるため、ユーリーとリリアにも相応の報酬を支払うことが出来る冒険者達なのだ。しかし、ユーリーもリリアもその申し出を断ると、報酬の代わりとして遺跡の水晶柱から取得した品の内、魔術書を貰うことにしたのだ。特に理由は無いのだが、強いて言えば


(魔術書ならお爺ちゃんへの良い土産になる)


 というユーリーの考えであった。


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 そうしてリーズとロンの二人と別れたユーリーとリリアだが、その後もしばらくオーカスの街に留まっていた。二人はオーカスからインバフィルの様子を探ろうとしていたのだ。そうしてオーカスに滞在を続けた二人は、一週間ほど滞在する内に街の様子が一変したことに気付いた。三月初めに訪れたころは閑散とした印象を与える街だったが、今は一気に人、特に冒険者が増えたのだ。


 これには理由があった。実はユーリー達が遺跡から戻った翌日に、インカス遺跡群の大回廊を探索していた別の冒険者の一団が大発見をしたのだ。それは、これまで第四層に続く大回廊の階段を塞いでいた壁が消滅している、というものだった。


 この噂は瞬く間に広がった。オーカスだけに留まらず、インバフィルの街にも伝わった。原因は定かではないが、とにかく壁が無くなった、という噂は日銭稼ぎのために傭兵稼業をしていた冒険者達の冒険熱を再び焚付けるものであった。


 その結果、僅か数日でオーカスの街は冒険者でごった返すまでになっていた。殆どの冒険者達は、傭兵の仕事を蹴ってインバフィルからオーカスに戻ってきた者達だ。勿論、違約金や前金の返還を求められただろうが、手付かずの遺跡を探索できる好機は千載一遇のものだ。危険は大きいが見返りも大きいことを知っている冒険者達は、前金を返し違約金を払ってさっさとオーカスの街へ戻ってきたのだ。特に手元に余裕のある腕利きの冒険者から順に戻ってくるようになった。


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 夕食のために「十文字屋」に来ていたユーリーとリリアは、見違えるように客でごった返した店内を見回すと、インバフィルから出戻ってきた人々の話を聞こうとする。しかし、そんな冒険者達の話題の中心はこれから向かう大回廊の第四層と「誰が第四層を解放したか?」という話題ばかりだった。中には既に第四層に足を踏み入れ成果を上げた面々も居るようで、何かしら魔術具のような物を周囲に見せびらかし羨望の眼差しを受けている。


「これは、情報収集どころじゃないね」

「そうね……」


 因みに、この土地に不案内なユーリーとリリアには、街が急に活気づいたように見えた。しかし、昔からオーカスで冒険者相手に商売をしている者達に言わせれば、やっと昔に戻った、ということだ。数十年前に第三層の壁が取り払われた時は、今以上の賑わいだったという。


「これからもっと増えるぞ。中原の方に行っちまった連中も大慌てで戻ってくるだろうからな」


 とは「十文字屋」のカウンターで酒を準備する老人の言だった。ユーリーとリリアは二人してカウンターで飲み物を受け取るついでに、その老人と少し会話を交わしていた。


「もっと人が増えるんですか?」

「ああ、だってお嬢ちゃん、二十年程前の最盛期にはオーカスだけで一万五千人も人が居たんだ。最近少し増えたが、それでも倍半分・・・の差だよ。ハイ、ワインだよ」

「ありがとう」

「お嬢ちゃんとそっちの優男の兄ちゃんもインカスの第四層目当てかい?」

「え、はは……しばらくは……」

「遠慮、しておきます」


 老人の問いにリリアの答えとユーリーの答えが重なった。その言葉に老人は肩を竦めると、カウンターの上の銅貨を摘み上げて奥へ引っ込んで行った。


「冒険者の人達、もっと増えるんだね……ユーリー、これからどうする?」

「うん。ちょっといい考え・・・・が浮かんだ気がする」

「へぇ、どんな?」

「これを飲んだら宿に帰ろう。部屋で話すよ」

「ふふ、お話してくれるの? 服を脱ぐ前? それともベッドの中?」

「ちょっ」


 リリアの言葉に頬を赤くするユーリーは酒に酔った訳ではないだろう。そんな恋人の様子にハシバミ色の目を細めた少女は言う。頬を染めていたのは彼女も同じようなものだ。


「どっちが先でも良いわよ。でも、私はこっちが良い……かな?」


 そう言う彼女はスッと顔を近づける。ユーリーは彼女が頬への口付けしようとしている、と考えて動きを止めた。しかし、頬を行き過ぎたリリアの口は、そのまま黒髪を掻き分けると、軽くユーリーの耳たぶを噛んだ。


「え? どういう意味? ねぇ、リリアぁ」

「内緒よ、さ、帰りましょう」


 新たな冒険の場に興奮を示す冒険者達で「十文字屋」のホールは大いに盛り上がっている。そんな中、混み合う店内の客を器用に躱して先へ進む少女と、それを追う青年。その光景は、如何にも酒場の雰囲気に溶け込んでいた。

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