Episode_19.12 光翼と魔神


 五人組みの冒険者の一人、魔術師タムロが発した必殺の火爆矢ファイヤボルトは燃え上がる赤い炎を発して白い巨人の横っ面に飛び込んだ。しかし、その攻撃魔術を受けた白い巨人は、大きな炎の矢を事も無げ・・・・に振り払う。左手一本での所業だ。魔術によって生じた熱も、次いで起こった激しい爆発も、白い巨人には何の痛手も与えていなかった。そして、その攻撃はリリアと余裕の攻防を繰り広げていた白い巨人の注意を不用意に惹く格好となってしまった。


 白い巨人は、赤い瞳から生じる視線を愚かな魔術師に向ける。そして、注意を惹き付けようと攻撃を試みるリリアを全く無視するように、一気にタムロに向って床を跳躍した。


「逃げて!」


 リリアの叫び声は悲鳴のような声色となる。彼女はそんな警告を発しつつ、白い巨人の後を追うように床を蹴る。しかし、敵の方が一段速度が上だった。


「ひっ」


 棒立ちとなってしまったタムロに、巨人が放った蹴りが無情に襲い掛かる。まともに一撃を受けたタムロは殆ど床と水平に吹き飛ぶと、激流に翻弄されるあくたのように石床の上をゴロゴロと転がる。仰向けで止まったところで、タムロは口から赤色の泡を吐き続けた。


 リリアは、その攻撃には間に合わなかったが、蹴りを放った態勢の白い巨人に追いつくと、ミスリルの棒を戦槌のように打ち付けた。しかし、その一撃は巨人の手で受け止められてしまう。そして、リリアの武器は白い巨人にもぎ取られると、その勢いで遠くへ放り投げられた。まるで「お遊びはお終いだ」と言わんばかりの勝ち誇った感情が赤い瞳を通じてリリアに伝わる。


 武器を奪われたリリアには、最早対抗する術は無い。それでも身に着けた俊敏性を頼りに、巨人の殴打や蹴りを躱しつつ、か弱い抵抗として地の精によるストーンバレットや風の精による強風ブローを発して抵抗する。しかし、白い巨人にとって脅威にもならない弱い攻撃は、リリアを助けることが出来ない。そして、巨大な掌が遂にリリアの肩を捉える。


「キャァ!」


 リリアの肩を掴んだ白い巨人は強引に彼女を床に抑え込む。その瞬間、巨体に見合った禍々しい異様をリリアは視界に入れてしまう。引き締まった彫像のような腹筋に張り付くばかりにいきり立った・・・・・・それは、冗談のような光景であった。しかし、状況はそれが冗談でないことを伝える。肩を掴まれ床に押え付けられた彼女のズボンにもう一方の手が掛かったのだ。その事実に、リリアは白い巨人の意図を察して戦慄した。


「いや! やめて!」


 生理的な嫌悪が少女の悲鳴を生々しく響かせる。その瞬間、彼女の目の前で光が弾けた。


****************************************


 動く甲冑リビングメイルにトドメを刺し損ねたユーリーは、横殴りに弾き飛ばされていた。しかし、彼が石床に落下することは無い。空中を弾き飛ばされる短い間に、少し離れた場所で繰り広げられる恋人の危機を視界に収めたユーリーは怒りに包まれていた。愛する少女の命と貞操の危機に、一気に理性のたがが外れる。そして、彼の中に脈打つ使徒の血脈が目を覚ました。


 次の瞬間、広大な暗闇に包まれたドームに突然光が溢れだした。それは、真昼の太陽が地上に出現したように、唐突にホール全体を照らし出す強い光であった。そして、その光の中心には光輝くエーテル体の翼を目一杯に広げたユーリーの姿があった。


 その姿は神々しい。しかし今のユーリーはその端正な顔立ちを怒りに歪め、青く変じた瞳に殺意を湛えて敵を捉えている。そして、着地と同時に床を力強く蹴りつけると、目一杯広げた光翼を羽ばたかせる。広大なホールに閉じ込められた空気が震え、床に積もった埃が舞い上がる。その一瞬後に、その場にユーリーの姿は無かった。彼は、矢のように床スレスレを飛翔すると、リリアに圧し掛かった白い巨人に一気に肉迫する。


(死ネッ!)


 端的に現れた怒りの感情、ユーリーはその感情に任せるよう宙を飛翔すると、その勢いのまま右手の蒼牙を振るった。無意識の境地で振るわれた蒼牙は強烈な生命力エーテルを帯びて青い燐光を発する。そして、倍増された力の塊が白い巨人を横殴りに打ち据える。


 ドンッという衝撃と共に、巨体がリリアの上から引き剥がされ、後方に弾き飛ばされた。これまで一切の攻撃を受け付けなかった白い巨人だが、怒りに燃えたユーリーが叩きつけた生命力衝エーテルインパクトとも呼ぶべき強烈な攻撃は、巨人の持つ防御結界のような力場の強度を凌駕していた。


「ユーリー!」


 足元からは少女の恐怖と安堵が入り混じった声が聞こえる。その姿は、下半身の着衣を引き裂かれる途中、といった様子だった。丈夫な革製のズボンが、腰から外腿に掛けて縫い目に沿って引き裂かれている。しかし、それ以上には達していないため、ユーリーは心の何処かでホッとしていた。


「リリア、大丈夫か?」


 ユーリーは、起き上がるリリアを助けつつ問い掛けた。それに対してリリアは首を縦に振って頷くと、一言、


「また、そうなっちゃった・・・・・・・・のね」


 と言う。申し訳なさが漂った言葉だ。しかし、ユーリーはそれにかぶりを振って答える。


「大丈夫……」


 魔剣「蒼牙」の効果を受けて、心の中では怒りの嵐が荒れ狂っている。一旦収まりかけた怒りだが、起き上がるリリアを間近で見たユーリーは、その傷だらけの姿を目にして再び怒りを強く感じていた。そのため、微笑みを浮かべる事は出来ない。しかし、口調だけは優しくリリアに答えるユーリーだった。そして、彼は視線を少女から吹き飛ばした白い巨人へ移す。軽く十メートルは弾き飛ばされた白い巨人はひしゃげてしまった顔面を二人へ向けている。赤い瞳だけは相変わらずの無感情を示していた。


「反って都合が良い。さっさと終わらせる!」


 次の瞬間、白い巨人は床を蹴ると猛然と二人へ目掛けて突進を開始した。対するユーリーはリリアの前に立つ格好で、左手を前に突き出す。彼の左手は背中の翼を凌ぐような光を纏うと次の瞬間、大きな光の矢を撃ち出す。閃光と共に光が宙を走る。


 高速で突進してきた白い巨人は、自分からその光の矢に衝突する格好となった。そして、光の矢は巨人の胸に突き立つと光輪と共にはじけ飛ぶ。再び閃光と肉が爆ぜる鈍い音が起こる。


 ――バンッ


 光が収まった後、再び後方に吹き飛ばされた白い巨人は惨たらしい姿になっていた。胸に突き立った光の矢は、そのまま左肩と左腕を吹き飛ばし、首の半分も抉り取っていたのだ。しかし、ユーリーの攻撃はそれで止まらなかった。撃ち出した光の矢を追うように再び宙を飛翔した彼は、一撃を受けて転倒した白い巨人の頭上に達すると再び左手を突き出す。


 そこからは一方的な虐殺であった。床に倒れ、無残な姿になった白い巨人に対して、ユーリーは空中から一方的に光の矢を放った。先程の一撃とは異なり、一つ一つが小さい光の矢は、投射型の攻撃魔術「光矢ライトアロー」に似ている。最高位とされる極属性光の攻撃魔術は、生半可な魔術師に扱えるものでは無い。勿論ユーリーの魔術もその域には達していない。だが、光の翼を纏い使徒の力に目覚めた状態のユーリーは、その強力な魔術に似た攻撃を惜しげも無く使うことが出来る。


 度重なる閃光と光輪がドームの内壁を照らす。そして一連の攻撃が終わったとき、白い巨人が居た場所は、石床が抉れて窪地のようになっていた。その中心には無残に引き千切られ押し潰された白い巨人の肉と骨が散乱している。ユーリーの苛烈な攻撃は、彼の言葉通り、速やかに白い巨人という存在を葬っていた。


 その時、トドメを刺し損ねていた動く甲冑リビングメイルがようやく接近してきた。その様子に気付いたユーリーは、最早その場から動く事も無く光の矢を再び撃ち出す。宙を飛ぶ光の矢は、狙い通りに動く甲冑リビングメイルの破損した左肩に飛び込んだ。そして、巨大な甲冑は内側から破裂するように爆散してしまった。


 冒険者達を瀕死に追い込み、ユーリーやリリアを窮地に追い込んだ強力な敵だったが、覚醒したユーリーの力は、それらを凌駕する圧倒的なものだった。


****************************************


(ナンダアレハ?)


 ドームの中心に聳える円柱の上でその光景を見て居たバスバズールは、不意に圧倒的な力を振るうように変化した人間を、驚きを以って観察していた。その存在は、この次元に遍在するエーテルという力を使い、本来魔力を必要とする魔術と同じような現象を起こしていた。


(……アレガ使徒ナノカ?)


 バスバズールは古い記憶を呼び起こすと、その存在を思い出した。それは、彼をこの次元に召喚した魔術師達から聞いた言葉だ。当時、発展途上だった生命魔術の研究を深めるため、異次元から召喚された下級魔神であるバスバズールは、強力な制約ギアスを掛けられ、魔術師達へ技術と知識を伝授することを強制されていた。


 その過程で、この下級魔神は魔術師達の目的を何となく察していた。それは、強力で不老不死に近い生命体を人工的に創造する、というものだった。そして、その代表例として示されたのが古エルフや竜、そして使徒という存在だった。因みに、古エルフは魔力や生命力に秀でているが肉体的な脆弱性という欠点を持っていた。一方使徒という存在は、検体や素体サンプルが無いため、魔術師達の口頭による説明だけだった。しかし、その存在は古エルフを上回る魔力と生命力を備え、尚且つ強靭な肉体を持っているということだった。


(アノヨウナ存在ト、無理ニ衝突スルベキデハ無イナ)


 この次元に召喚され、元の次元に送還されることも無く只封印されていたバスバズールは、つい先ほどまでその怒りをぶつける先を探していた。しかし、自身が造り出した強力な複製生物ホムンクルスを難なく倒した存在を目にし、彼はあっさりと考えを変えていた。この下級魔神は、狡猾だが柔軟な思考を持つ存在だった。


 そんな彼は頭上を見上げる。純粋なエーテルの放つ光に照らされたドームの天井は高さが三十メートルほど有りそうだった。しかし、魔神の感覚はその天井の先に外界が広がっている事を感知していた。


(一旦何処カニ身ヲ隠シ、帰還ノ術ヲ探ルトスルカ……)


 そう決心した魔神は背中の翼を大きく広げた。濡れたような光沢を持つ漆黒の翼である。そして、彼は背中の翼を羽ばたかせると空中に舞いあがろうとした。しかし次の瞬間、彼の足元で、円柱型の構造物の様子が一変した。


 これまで青い燐光を放っていた表面の幾何学模様だが、バスバズールが飛び立とうとした瞬間、一斉に赤色に転じたのだ。そして強烈な光を放った表面の模様は一気に空中へ広がると、次いでバスバズールの身体へ向かって収束した。


(シマッタ……制約ギアスガ)


 それは、魔神にとっても予想外の出来事だった。彼をインカス遺跡群、いや生命魔術実験場に封じ留めた魔術師達は狡猾で姑息な策を準備していた。廃棄に際して破壊ではなく封鎖を決定した魔術師は、その深奥に至る順路を何段階かに分けて階層を作っていた。有名なインカス遺跡の大回廊にある階層構造がそれである。そして、深奥部の一つ手前である第四層を開く鍵と共にこの下級魔神を封印したのだ。


 しかも、この下級魔神の性格を見越した魔術師達は底意地の悪い仕掛け ――魔神束縛《デモイックギアス》―― をこの円柱の構造物に仕込んでいた。もしも封印を解かれて侵入者と対峙した際に、侵入者に迎合したり逃走を図らないように、鍵の番人として機能を果たすように、と意図された魔術的な仕掛けである。


 そして、この強力な制約系ギアスの魔術を掛けられたバスバズールは「逃走する」という選択肢を奪われ、侵入者と対峙することを強制される。


「……」


 彼は天井を見上げていた視線を再び下へ向ける。そこには、純粋なエーテル《光翼》を身に纏った存在が居た。しかも、その人間なのか使徒なのか判然としない存在は、青い瞳で真っ直ぐとバスバズールを見据えていたのだった。

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