Episode_19.11 心音


「ひぃっ!」


 リーズの引き攣った悲鳴は、普段の勝ち気な性格からは想像もできないほど怯えが籠っていた。白い巨人の赤い瞳を向けられただけで、恐怖の余り足に力が入らないと感じた。しかし彼女、いや、彼女が持つ松明の炎から発せられた精霊術は白い巨人の注意を惹くに十分だった。彼女としては不運である。


 白い巨人は片足で踏みつけていたルッドの身体を蹴り飛ばすと、次いでリーズに向って床を蹴る。六メートル以上離れていたはずなのに、白い巨人は数歩の歩幅で彼女に肉迫すると、大木の幹のような腕を振り上げ、拳を彼女へ叩きつける。


 しかし、白い巨人の拳が叩きつけられる一瞬前、リーズの身体は後ろから差し込まれた黒い棒に打たれて弾き飛ばされていた。巨人の拳は空を切った。


「ゴメン! ロンさん、お願い」


 伸縮式の槍ストレッチスピアの柄の部分を伸展し、それでリーズを弾き飛ばしたのは、他ならぬリリアだった。彼女は短く詫びる言葉と共に、一人無傷で残ったアフラ神の侍祭ロンに後を託す。ロンの足元にはモルトの他に、蹴り飛ばされたルッドと弾き飛ばされたリーズが横たわっている。リリアの意図を汲み取ったのかは定かではないが、ロンは慌てて三人の仲間に神蹟術による治癒ヒールを掛けて行く。


 その様子を最後まで見届ける余裕が無いのはリリアだ。実際俊足ストライドの効果を得た彼女は、白い巨人とリーズの間に割って入ろうと飛び込んだのだ。しかし、白い巨人の動きが速過ぎて間に入ることが出来ず、咄嗟に槍の柄を使ってリーズを乱暴に撥ね飛ばすのがやっとだった。つまり、三メートルに届くという巨体を誇る白い巨人は俊足の効果を得たリリアに匹敵するほど俊敏に動く事が出来るという事である。


(……どうすれば……)


 リリアは、強敵の出現に焦りを感じた。というのも、彼女が得意とする精霊術が大幅に制限を受ける状況であるからだ。広大な空間であるホールであっても、外界と隔絶された空間には変わりない。そのため、彼女が最も得意とする風の精霊術は威力を大幅に落とすことになる。しかも、人工的に作られた周囲の石壁は地の精霊の働きが弱い。そのため、屋外なら無尽蔵といえる風と地の精霊の力を殆ど利用できない状況に陥っていたのだ。次善の策として利用しやすい火の精霊術を先程から使っているが、松明の炎を根源とする火の精霊もまた力が弱かった。


 対抗策の少なさに逡巡するリリアだが、白い巨人は彼女の事情に構うことは無い。白い巨体を一度縮ませ、力を溜めるような素振りをすると、次いで猛然とリリアに肉迫し、手足を凶器に猛攻を振るう。


(はやっ――)


 最早、心が感じた印象が言葉にならないほどの早さで繰り出される巨人の猛攻に、リリアは俊足の効果を生かして対抗する。一撃一撃が全て必殺の打撃である。それを文字通りの紙一重で躱し続けるリリアは、それでも数回反撃を試みていた。伸縮式の槍ストレッチスピアの穂先を形成する片手剣は取り付ける暇が無かった。そのため、今の彼女が手に持つ武器はミスリル製の棒である。片端に剣を取り付けることを想定し、反対側に重量のある石突を備えた棒は、柄の長い戦槌のようだ。その石突を振るうリリアだが、彼女の攻撃は白い巨人の身体に届くことは無かった。全ての打撃が、身体に届く前に、見えない何かに弾かれるのだ。


(なんなのよ!)


 そんな攻防が繰り返されるが、形勢は明らかに白い巨人に有利であった。リリアは攻撃の決め手も無く、俊足ストライドの効果も時間が過ぎれば切れてしまう。一方の白い巨人は防御の心配無く、只管ひたすらに破滅的な打撃を打込むだけだ。必ず破綻を迎える攻防の拮抗に、リリアは戦慄を覚える。


 一方、一人蚊帳の外のようであった五人組みの冒険者の一人、魔術師タムロは、ルッドが打ち倒された時から身を伏せて息を殺していた。それは恐怖から来る逃避の行動だったが、そんな彼の目の前で可憐な少女が強力な敵と渡り合っている。仲間もみんな傷ついた。その状況に、少年のような無邪気さを残した魔術師は奮起した。


(やってやる、やってやるぞ……僕の最強の魔術だ)


 心の中でそう繰り返す彼は、彼にとっては最強・・・・・・・・の攻撃魔術である火爆矢ファイヤボルトの魔術陣を起想するのだった。


****************************************


 動く甲冑リビングメイルと対峙したユーリーは冷静に立ち回っていた。この時点で彼は、リリアを含む冒険者達が別の存在白い巨人に行く手を阻まれている事は知らない。彼の背後で繰り広げられている攻防だが、目の前の敵に集中するユーリーはそれを察知することが出来なかった。そのため彼は、目の前の敵さえ何とかすれば後は安全だと考えていたのだ。そんなユーリーは冷静に自身に正の付与術である「加護」「防御増強エンディフェンス」を発動すると、次いで「魔力検知ディテクトマナ」を発動した。


 魔力を視覚的に見る力を得たユーリーは、目の前の甲冑に覆われた巨体を見る。左右四本の腕による猛攻を何とか躱しつつの付与術発動であるため、時間が掛かった。しかし、そんなユーリーの目には、普通に映る甲冑の巨人とは別に、その甲冑の中に存在する青い燐光を視認していた。それは、干からびて小さくなってしまった人体の四肢のように、動く甲冑リビングメイルの重厚な甲冑の内部に隠されていた。


(これがゴーレムの一種なら、中の屍体が核だな!)


 養父の記述した本の文章を参考に、ユーリーはそう思い極めると対抗策を考える。しかし選択肢は多く無い。極属性光の攻撃魔術である光矢ライトアロー光爆波ライトバーストを使える訳ではないユーリーにとって、重厚な金属甲冑を打ち破る方法は限られている。ユーリーはそれ等の方法に考えを巡らせ、多少強引な手法を取る事に決める。そして、魔剣「蒼牙」の増加インクリージョンの効果を得るため、魔力を青い剣身に移した。


 しかし、その間も動く甲冑リビングメイルは攻撃の手を緩めない。左右合計四本の手に握られた武器を驚異的な膂力りょりょくで次々と繰り出してくる。目の前の物を全て薙ぎ払う攻撃には、狙い澄ました一撃が持つ鋭さは無い。しかし、時折石床に当たり、火花と共にその表面を抉り取る威力を持っていた。その一撃を身体に受ければ、例えミスリル製の仕掛け盾で受け止めたとしても、打撃力によって一発で戦闘不能に陥るだろう。打撃や衝撃を緩和する防御増強の付与術であっても、破城槌で殴られるような威力を減衰することはできないのだ。


 その事を充分承知しているユーリーは、紙一重の回避を続けながら魔術陣の起想・展開を行っていく。そして、一撃必殺の攻撃に意識を割きつつ複雑な魔術陣を展開したユーリーは攻撃術「火爆矢ファイヤボルト」を発動する。ユーリーが使用できる攻撃術の中では単体に対して最も威力が高い術だ。発動した火爆矢は、ユーリーの目の前で白熱した巨大な炎の矢として具現化すると、次の瞬間動く鎧リビングメイル目掛けて宙を走る。


 ――ドオオンッ


 白熱した巨大な炎の矢は、狙い通り敵の左肩付け根に命中する。そして小規模な爆風が動く鎧リビングメイルの巨体を一歩押し下げ、上半身を仰け反らせる。


(よし!)


 巨体が繰り出す連続攻撃に割り込んだユーリーの攻撃魔術は、次の攻撃までの時間を作った。そして自らが造り出した間隙に、ユーリーは立て続けに同じ攻撃術を放つのだ。初歩的な魔術である火炎矢ファイヤアローならば、補助動作無しで放つ事の出来るユーリーだが、中級の魔術である火爆矢ではそう言う訳に行かない。左手による補助動作で起想した魔術陣を展開し炎の矢を具現化させて放つ、という手順が必要になる。そして、魔力マナの消費量も格段に大きい。しかし、ユーリーは普通の人間と比較してずば抜けて・・・・・魔力が多い。使徒という種族との混血のせいか、それとも母方の血脈に由来するのか、それは定かではないが、事実として彼の魔力は今の人間としては規格外だ。


 次々と繰り出される白熱した炎の矢は、全てが動く甲冑リビングメイルの左肩に着弾する。生身の人間なら一発で葬ることが出来る威力だが、そんな攻撃を十回近く受けても、この敵はようやく片膝を床に落とす程度であった。しかし、繰り返し高温に曝された甲冑の左肩部分は徐々に赤熱していく。その様子を見たユーリーは、魔力の消耗による頭痛を堪えながら、次の攻撃術を発動する。


 ユーリーは余りその術を使うことが無かった。しかし、魔術陣の構成や展開過程が火爆矢ファイヤボルトと似ているため、何とか発動に漕ぎ着けた。そして、ユーリーの目の前には凍てつく冷気を放つ氷の槍が姿を現す。それは、槍の形状による物理的な加害と極低温の冷気による加害を同時に行う氷結槍アイスジャベリンという投射型の中級攻撃魔術だ。


(なんとか、なれよ!)


 ユーリーは冷気を放つ氷の槍を動く甲冑リビングメイルの赤熱化した箇所に叩き込んだ。完全に賭けである。赤熱化した金属を急速に冷却することで、硬度は増すが脆くなる。焼き入れという技術をユーリーは山の王国で聞きかじって・・・・・・いた。そんな半端な知識を元にした作戦であった。


――バシィィ


 氷の槍は、狙い違わず動く甲冑リビングメイルの左肩に直撃すると、次いで冷気の爆発を起こす。敵の巨体は、片膝を付いた状態でその一撃を受けて大きく仰け反る。そして、突然生じた大きな温度差によって周囲は靄に包まれるが、その一瞬、ユーリーは頑丈な甲冑の表面に蜘蛛の巣状のヒビが走るのを見た。


(よし!)


 狙い通りの現象に、ユーリーは気合いを入れると一気に敵に駆け寄る。手に持つ蒼牙には既に魔力が籠められている。そして、一気に間合いを詰めたユーリーは跳躍しつつ、敵の左肩へ肉迫すると、蒼牙の切っ先と共に魔力衝マナインパクトを叩き込んだ。


 バキィッという乾いた金属音が響いた。そして、動く甲冑の左肩は小さな金属片を撒き散らして陥没するように破壊された。ユーリーはぽっかりと空いた鎧の穴に蒼牙を差し込もうとする。しかしその時、ユーリーの耳は少し離れた所で起こった悲鳴を聞いていた。それは有ってはならない悲鳴、つまり、愛する少女リリアが発した悲鳴だ。


 その悲鳴に、ユーリーは反射的にそちらの方を見る。少し遠くて分かりにくいが、視線の先には、見たことも無いような白い巨人と対峙する二人の人影がある。二人の内一人は今まさに蹴り飛ばされたところだった。強烈な一撃を受けたその人影は信じられない距離を弾き飛ばされ床に転がる。そして、白い巨人は残りの一人に狙いを定めたように次の攻撃に移っていた。


(まさか、リリア!)


 動く甲冑リビングメイルにトドメを刺す直前で他に気を取られたユーリー。彼は愛する少女の悲鳴と、振り返った先の光景に集中し過ぎてしまった。そして、それが致命的な隙を生んだ。次の瞬間、ユーリーは敵の反撃を横殴りに受けて宙を舞う。


 しかし、ユーリーは強烈な一撃を受けて宙を舞いつつ、視界の先でリリアのような人影を捕え続けた。不思議な事に、時間の流れがゆっくりに感じる。そしてゆっくり動く時間の中で、視界の先の少女は白い巨人に何とか対抗しようとする。しかし、武器を奪われ打撃を躱し切れずに態勢を崩した彼女は床に転倒した。そして、床に倒れた彼女の上に、白い巨人が覆いかぶさる。その態勢は、まるで白い巨人が少女を凌辱しようとしているように、ユーリーの目には映った。


(……ッ!)


――ドクンッ


 その光景にユーリーの理性が焼き切れた。ゆっくりと動く時間の中、耳元で盛大に鳴り響く心臓の鼓動だけが速度を速める。


――ドクンッ、ドクンッ


 視界が急激に青味を帯びる。

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