Episode_19.08 青銅の扉


 ユーリーとリリア、それにリーズとロンの四人は、時折短い休憩を挟みつつ九十九折つづらおりに続いた登り坂の通路を踏破していた。途中では、相変わらず骸骨戦士スケルトンを中心とした敵が襲ってきたが、一行の中に居るリリアは、そんな敵の動きをいち早く察知すると不意討ちを許さなかった。しかし、大回廊に入ってもう半日以上の時間が経過しており、その間、終始周囲の地の精霊の声を聞き続けたリリアは軽い頭痛を覚える程度に消耗していた。


「大丈夫……じゃないね。さぁ――」


 その様子に気付いていたユーリーは、通路が途切れた所で魔力移送トランスファーマナの付与術を発動するとともに、そっとリリアの頬から首筋へ手を遣る。瞑想に似た行程で体内に念想された魔力マナはユーリーの場合「白い燐光」という像を結ぶ。ユーリーは魔力移送の付与術の効果と共に、相手リリアの輪郭をすり抜けて白い燐光が少女の身体に染み渡るような像を念想した。


「はぁ……うん、大丈夫よ」


 ユーリーから魔力を受け取ったリリアは少し深い溜息を吐くと、一度頬と肩でユーリーの手甲を装備した手を挟むと、ギュッと力をこめてから離す。冷たいはずの真銀ミスリルの手甲だが、まるで血の通った掌のように温かく、リリアには感じられた。


「少し休憩しませんか?」


 ユーリーはそう提案した。戦いによる消耗という意味では、さほどでは無い。辛そうだったリリアの顔色も良くなっている。しかし、大回廊に潜って、もう半日以上が経過しているのだ。恐らく外はもう夜だろう、そう考えての提案だ。しかし、そのユーリーの提案にリーズは首を振る。


「もう直ぐ先なのよ、そこまで行ってからにしたい」


 今、四人は登り坂の通路を潜り抜け、久しぶりに勾配の無い平坦な場所に出ていた。正面には真っ直ぐと奥へ続く幅の広い廊下が続いている。この構造は、彼女達を残りの仲間と分断した「扉」の場所に近いのだろう。


「このまま真っ直ぐ……そうだな、二百メートルも進まない先に例の扉が有るんだ、そこまで進もう」


 これは、ロンの言葉であった。


「私は大丈夫よ」

「そうか……じゃぁ、そこまで行こう」


 ついでリリアもそう言う。仲間を案じる二人の気持ちをおもんばかっての言葉であった。結局リリアの言葉を受けて、ユーリーは頷く。そして四人は目の前の通路に足を踏み入れた。勾配の無い通路の幅は広く、真っ直ぐ先へ伸びている。その通路の左右には、幾つもの小さな通路へ続く分岐がポッカリと口を空けていた。その先が何処に繋がっているのか分からないが、「灯火」による灯りも、松明の炎も届かない闇であった。


 もしも、それらの小さな通路から一斉に魔物が飛び出して来れば、簡単に取り囲まれてしまう。そんな窮地を思浮かべたユーリーは、リリアの方を見る。真っ直ぐ進めるのは、彼女の精霊術による周囲への警戒のお蔭なのだ。


「リリア、周囲の状況は?」

「動くモノが居る気配は無いわ……でも、瘴気が濃い」

「うん、私もそう思う。前よりも濃いわ」

「わかった、ゆっくり進もう」


 不死者の発する独特のオーラは一般に「薄黄色の燐光」として認識される場合が多い。そして瘴気とは、それが空気に溶け込んだような状態を指している。そして「オーラ視」の能力を持ったリリアとリーズは口を揃えて、そんな瘴気が濃いというのだ。ユーリーは念のため「加護」の術を掛け直した。そして、正の付与術による恩恵が効果を発揮した瞬間、リリアが鋭い声を発した。その声には誰に向けた訳でもない疑問と、驚きが籠っていた。


「なんで! 囲まれてる!」

「数は?」

「五つ、いえ、六つよ!」

「多いな! 扉まで走るぞ」


 ユーリーの言葉に一行は弾かれたように通路を駆け出す。ユーリーの判断は、前方に在る閉じた扉を背に戦うというものだった。既に通路の真ん中辺りを過ぎている一行にとっては、戻るよりも進むほうが早かった。そして何より、


――シャァァッ――


 金属を石に擦り付けたような不快な音を発し、黒い人影が彼等の背後を塞ぐように通路に飛び出してきたのだ。


「早く! 急いで」


 先頭に立っていたユーリーとリリアは、先にリーズとロンを行かせると後ろから襲い掛かる黒い人影達を迎え撃つ。ユーリーが発した火炎矢ファイヤアローが小さな通路から飛び出した一体を直撃する。ボンボンと炎の矢が爆ぜる音が響いた。そして、


「炎よ、不浄を焼き尽くせ!」


 ついで、リリアが炎の精霊に命じる声が響く。炎の舌フレイムタンの精霊術は、ユーリーが発した火炎矢の炎を何倍にも大きくすると、その黒い人影はまるで篝火かがりびのように燃え上がった。


 しかし、黒い人影 ――屍食鬼グール――は全部で六匹居た。別々の通路から飛び出してきた屍食鬼だが、ユーリーとリリアの姿、それにその背後を逃げるリーズとロンの姿を見つけると一斉に距離を詰めてくる。獲物に狙いを定めたように魔物の細く赤い目が大きく見開かれていた。


「僕の弓が効く!」


 距離を詰める敵を前に、ユーリーはそれだけ言うと前方に集中する。数は残り五匹。ぬらりと湿り気を帯びた長い爪と、細く鋭い歯がビッシリと生えた口、そして血のように赤い目を持つ全身真っ黒な敵の姿は、リムルベートの王城、謁見の間で対峙した時と同じであった。そんな屍食鬼達だが、我先にと飛び掛かってくる様子に連携の意図は見られない。


(これなら――)


 ユーリーは既に抜身の「蒼牙」とミスリル製の仕掛け盾を構えると、先頭の一匹に意識を集中する。その屍食鬼は、両手の爪を振り回すと、ユーリーを切り裂かんとばかりに飛び掛かる。斜め上から振り下ろされる爪は毒を帯びた禍々しさを持つが、ユーリーはその一撃を素早く後ろに下がり躱す。そして腕を振り下ろした直後の敵に対して、数段素早く踏み込むと、その喉元に片刃剣の切っ先を突き込んでいた。


「ギョェェッ!」


 一撃を受けた屍食鬼は絶叫と共に仰け反る、しかし、切っ先が両刃の造りとなっている「蒼牙」を持つユーリーは、刺突の体勢から伸びた腕を引き戻すように剣を振り戻す。魔力を帯び、切れ味の増した魔剣は然したる抵抗もなく、屍食鬼の首を半分切断してユーリーの手元に戻った。一方、一撃を受けた屍食鬼は首から黒い煤のようなものを吹き出し、その場に崩れ落ちる。


 その時、ユーリーの左右から殆ど同時に別の二匹が飛び掛かる。その様子を既に察知していたユーリーは、迷いなく左側の敵の攻撃を盾で受け止める。その屍食鬼は、もう一本の腕を振るおうとするが、それを振り抜く直前にユーリーの「蒼牙」はその肘から下を切り飛ばす。そして、手首を返したユーリーはそのまま敵の胴を斬り払った。再び吹き出した黒い煤が床を汚す。


 ユーリーは左右から襲われていたが、右側の敵には構っていなかった。何故なら、


ヒュンッ


 と鋭い風切り音と共に、一本の矢が右側の敵の胸に突き立ったからだ。古代樹の短弓から撃ち出された援護の矢は、弱い極属性光を帯びている。そして、闇が凝集したような屍食鬼グールに対して、その一撃は致命的だった。短弓の矢程度では発生するはずのないドンッという衝撃音が起こり、その矢を受けた屍食鬼は後ろに吹き飛んだ。その先には燃え続けている炎が有る。


「炎の精よ!」


 射撃後の姿勢のまま、リリアは更にそう炎の精霊に命じる。追加の燃料を得た炎は再び大きく燃え盛った。


 この時、既にユーリーとリリアは六匹の屍食鬼の内、四匹を倒していた。しかし、残り二匹となった屍食鬼グールは怯むことなく向かってくる。それらの持つ血のように赤い目は、まるで生有る者を憎むような、憎悪に似た昏い光を灯している。だが、普通は怖れを感じさせる彼等の外見も、ユーリーとリリアには通用しない。既に攻守の立場は逆転していたのだ。


 ユーリーの蒼牙と、リリアの古代樹の短弓がそんな二匹を黒い煤に変えるのは、直ぐの事だった。


****************************************


 こうして屍食鬼の襲撃を跳ね除けたユーリーとリリアは先へ逃げたリーズとロンを追って扉の前へやって来た。精緻な意匠を持つ青銅の扉を前に、二人は心配そうに来た道を窺っていたが、ユーリーとリリアが無事であることを知ると、感嘆と安堵を示した。


「ほんと、二人って強いのね」

「そうだ、これからは一緒に冒険者をやらないか?」


 そんな言葉を発する二人に、少し笑って返事を濁したユーリーは、リーズを促すように言う。


「この扉はリーズさんに開けて貰わないとね」

「そうね、わかってるわよ」


 それからしばらく、リーズが扉の施錠を解除するための作業を見守りながら、他の三人はしばしの休憩となった。ユーリーは見慣れない罠解除の作業を続けるリーズをチラチラと窺っている。彼女は、青銅製の扉の周囲を調べると、一か所に目星を付けて石ノミと金槌を道具入れから取り出した。道具が足りないと言っていた彼女だが、足りなかったのはこの石ノミだということだ。


「壁の中を通っている仕掛けはこれが無いとね」


 と、誰に対して言う訳でもない独り言を呟きながら、彼女は壁の一部分を砕き始める。カンカンという規則正しい音が暗い通路に響いた。しばらくその作業を続けた彼女は平滑な石壁の一部を砕き取る。その内側には思った通りの空洞があった。


「これね」


 そう呟く彼女は、ユーリーには用途が分からない金属製の道具を取り出すと、それを壁に出来た空洞に突っ込み中を探るようにする。やがて、彼女腕は殆どが穴の中に入ってしまった。


 ユーリーはその作業から一旦目を離すと、隣のリリアへ視線を向ける。彼女の方は、両開きの青銅製の扉を凝視していた。扉には精緻な装飾が施されている。今風の草木を象徴化した様式とは異なる時代を感じさせる装飾は、四つの異なる構図を扉の上に浮き立たせている。


「リリアはこういうの・・・・・に興味があるの?」


 そんな扉を凝視するリリアの様子に、ユーリーはてっきり彼女が扉の意匠に興味を持っているのかと思った。しかし、そんな彼の言葉はリリアによって否定される。


「え? ああ、違うわ……この奥、何か気味が悪い感じがして」

「瘴気?」

「うーん、それも有るけど。ちょっと違うわね……」


 リリアは青銅の扉を通して感じられる不死者の気配薄黄色のオーラの他に、別の物も感じていた。敢えて表現するならば、それは黒紫で光の無いオーラであった。光の無いオーラとは矛盾した表現だが、リリアにはそうとしか喩えようがない。そして、彼女は過去に同じ物を感じた記憶を思い出していた。それは、数年前リムルベート王城を襲った中位魔神が放っていた存在感に似ていたのだ。


「強いて言うなら、あの時の魔神――」

「ヨシ! 開くよ!」


 躊躇いがちに言うリリアの声と、興奮気味のリーズの言葉が重なる。そして、


ズズズズズズズゥゥゥンンッ――


 そんな二人の言葉を掻き消すように重たい振動が起こった。それは扉が開く程度の振動では無い。まるで遺跡全体を揺さぶるような強い振動だった。それが、不意に扉の奥から伝わって来たのだ。


「え? 私、失敗した?」

「罠か?」


 扉の開錠と振動の発生が同時だったため、リーズとロンは驚いた声を発する。ユーリーもリリアも一瞬、罠の発動を警戒した。しかし、何も起きなかった。振動が治まった後には、続く空間へ向けてポッカリと黒い口を空けたような、開かれた扉が有るだけだ。


「……と、とにかく、行ってみよう」


 ロンの言葉は微かに震えていた。

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