Episode_19.03 冒険者の街へ


 つい二週間前までは、身を切るように冷たく乾いた北風が吹き荒れた街道も、三月に入ると心なしか春めいてくる。朝夕の冷え込みは厳しいが、日中の日差しは温かみを帯びつつあるように感じられる。そして、何といっても一日中ゴウゴウと吹いていた北風が弱まっているのは事実だった。


 そんな天候の変化を感じながら、ユーリーはインヴァル半島東岸の街道を進んでいた。彼の隣には当然のように、乗馬を習得したリリアの馬が並んで進んでいた。喧嘩とも言えない些細な気持ちの行き違いは、それ自体が栄養であったように若い二人に吸収されると、絆を少し強くするように作用した。宿を出る時には店主に小言を言われたが、それすら微笑んでやり過ごす二人だった。


 そんな二人が進む街道の周囲には、耕作前の綿花畑が広がっている。一応人の手は入っているが、どこか荒れ地を思わせる寒々しい光景が広がっていた。しかし、それもしばらくのことで、二人の行く先には新芽を芽吹く前の森が横たわっていた。


 ボンゼを出た後の街道はその先のドムン村から二手に分かれている。一つは切り立った崖が多いインヴァル半島南端の海岸線に沿うようにインバフィルを目指す道。途中の崖が途切れた場所に漁村が点在しているだけの街道で、これを通ると約二日でインバフィルの街に到着出来る。もう一つは内陸を通り北側からインバフィルへ入る道だ。内陸の街道沿いには冒険者の街とも呼ばれるオーカスや、幾つかの農村が点在している。直線距離は海岸線の街道よりも長い上、オーカスを過ぎてしばらくは街道の整備が悪い山道ため、この経路で進むとインバフィルまで四日掛かることになる。


 ユーリーとリリアはボンゼの街で仕入れた情報に基づき、海岸沿いではなく内陸の道を進んでいた。というのも、海岸を通る道が主要な街道であるため、そちらにはインバフィル側の哨戒部隊が街道を監視のために行き来していると聞いたからだ。無用な敵勢力との接触を避けるため、ユーリーが内陸の道を選択したことは自然な判断であった。


 ユーリーは隣を進むリリアの肩に手を伸ばす。何と言うことのない仕草だが、ふと触れてみたくなったのだ。一方のリリアはそんなユーリーに気が付くと彼の方を向いて微笑む。だが、この場にはそれを許さない存在があった。バサバサという慌ただしい羽音と共に一羽の若い鷹が空から舞い降りる。そして、ユーリーが手を伸ばしたリリアの肩に、それを遮るように止まった。


「うわっ、ビックリした!」

「あはは、ヴェズルは完全にヤキモチ焼きね」

「クエッ!」


 結局、伸ばした手の着地点を失ったユーリーの手は、代わりに伸びたリリアの手を掴むと手を握り合うようになる。そんな二人の間に止まったヴェズルは二人の顔を交互に見比べると、力強い両脚で跳躍して、ユーリーの伸ばした腕に足場を移した。そして、リリアと繋いだままの彼の手を鋭い小刀のようなくちばしでつつき始める。


 ミスリルの籠手をコツコツとつつく大き目の音が馬の蹄の音に混じる。


「駄目よ、そんなことしたら」


 リリアの声は、そんな若い鷹の仕草を楽しんでいるような響きがあった。二人と一羽の旅は次の目的地を目指していた。


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 ユーリーとリリアの二人が内陸の街道を選んだのは、インバフィル側の歩哨と遭遇することを嫌った理由の他に、もう一つ理由があった。それは、冒険者の街と呼ばれるオーカスの街の様子を見ておきたかったからだ。


 少し前に滞在したセド村と、インカス遺跡群の前庭部を通ることで行き来できるオーカスの街は、インバフィルとの距離も近いため戦略的に重要であった。また、街に大勢いると思われる冒険者が今の戦争をどう考えているのか? という点を確認する必要もあった。インバフィル側に心理的に近いならば最悪の場合敵性勢力の拠点となりかねない。有名な遺跡群に一攫千金を夢見て挑む彼等は、魔術や精霊術といった特殊な、しかし軍事的には有用な技能を持つ者が多い。そのような勢力が敵方に付くならば大きな障害となることは間違いなかった。


 勿論、彼等が戦争に無関心ならば部隊を通過させることもできる。その上、今はまだおぼろであるが、ユーリーの頭の中には或る戦略が出来上がりつつあった。それが実行可能かを確認するためにも、オーカスへ行くことは必要な行程であった。そして、馬を駆って旅を続ける二人は、ボンゼを出発したその日の夕方にはオーカスの街に辿り着いた。


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 オーカスという街は規模で言えばボンゼよりも可也小さく、寧ろヨマの町に近いと言える。主要な産業が有る訳でもない小さな街なのだ。以前、最も人口が多かった時代では、その数は一万を超え二万に迫る規模であった。しかし、今の人口は当時の半分にも満たない。そのため、夕暮れ時の街は閑散とした雰囲気を発していた。通りを歩く人達の中には、中原地方や四都市連合から流れてきた冒険者達の姿があるが数は多くない。そのため、彼等彼女等を相手にする商売も停滞気味だった。


 一般的に政治情勢が安定している西方辺境域では、治安の維持は統治者が担っており冒険者に対する需要は少ない。そのため、リムルベートやオーバリオン近辺は冒険者にとって生活しにくい国々であると言える。一方、そんな西方辺境国から東を見ると、内戦を続けるコルサス王国、統治者が定まらない西ベート地方、定期的に戦争を起こすベートとオーチェンカスク国境地帯、小公国の集合体であるオーチェンカスク地方など、為政者が充分に治安へ配慮できない、または配慮しない地域が広がっている。更に、リムル海を跨いで広がる四都市連合は、治安の維持に積極的に冒険者を活用しているし、中原を飛び越えた東方辺境地域も状況はオーチェンカスク地方と似ていた。


 そのため、冒険者達にとってはオーカスという街は彼等が活動できる最西端の街ということができた。そんな西の果ての街が嘗て大きな賑わいをみせていたのは、ひとえにインカス遺跡群のお蔭という事が出来る。世界各地には古代ローディルス帝国期やその前の上古、神代時代のものと思われる遺跡が点在している。ニベアス島の地下に広がる大迷宮や、オーチェンカスクの北に横たわる龍山山脈の裾野、モリアヌス鉱床周囲の龍山遺構、中原と南方を繋ぐ南北回廊の近くの海に沈んだ海底都市群は有名どころである。インカス遺跡群もそれ等に並び称される有名な遺跡であり、一攫千金を夢見る冒険者を惹き付けて止まない土地なのだ。


 しかし、インカス遺跡群に冒険者達が押し寄せたのも二十年以上前の話だ。そのため現在のオーカスは細々と探索を進める冒険者達の拠点という役割に留まっていた。そんな街に到着したユーリーとリリアの二人組は、例によって街の入口近くに在る馬の世話が出来る宿に部屋を借りると、早速街を見て回る。


「今日は遅いからまた酒場で話を聞いて、冒険者ギルドは明日にしましょう」


 というリリアの案だが、ユーリーに反論は無かった。そんな二人は街を東西南北の十字に走る大通りを歩くと、色々な店や露店に目を止めながら、大き目の酒場を探す。そして、大通りが交差する、最も人出の多い場所に差し掛かったところで、一軒の大きな酒場を見つけると、そこに入ることにした。


 エールを醸造するための巨大な木樽の底板に「十文字屋」と書き付け、それを看板代わりに店の前に出した酒場は、トトマ街道会館のように一階が広いホールで、二階は安宿になっているということだ。既に別の場所に宿を取っているユーリーとリリアは、入口近くで別れると、食事か酒を目当てにした客を装いつつ、集まった客の話を聞いて回ることにした。


 既に日も沈んだ夕食時であっても、十文字屋の一階に客の姿は疎らだった。ポツポツと空席が目立つテーブルの間を、ユーリーは小さ目のカップに注いだエールを片手に歩く。空いている席を物色する一人客に成りきる彼は、既に幾つかのテーブルで酔客の話に耳を傾けていた。そして分かったことは、


(インバフィルの戦争の話をしている人は殆ど居ないな)


 と言う事だった。大体の客は仲間と固まって飲んでいるか、友人連れのような雰囲気である。仲間同士の客は愚にも付かない与太話が中心で、友人連れの客はお互いが自慢話を競争している風であった。中には、給仕の少女を上の安宿に誘おうとしつこく声を掛ける一人客や、熱っぽい様子で見詰め合う男女の客の姿もある。だが、この街から三日と離れていない場所にある大都市インバフィルとリムルベート王国の戦争の話題は、出来事の重大性と比較すると、とても少なかった。


 戦争に関する数少ない話の中でユーリーが耳にしたのは、


「冒険者の大半はインバフィルに行ったみたいだな」

「寂しくなるな……このままいったらオーカスは無くなっちまうんじゃないか?」

「まぁ、競合相手が少ないんだ、その分『大回廊』の探索がやり易くなったと考えようぜ」

「そうだな……戦争なんてくだらない事に首を突っ込まないで、遺跡に籠って第四層の鍵を見つける、これがオーカスの冒険者の正しい姿だ」


 というような話だった。どうも、大部分の冒険者はインバフィルの傭兵募集に流れたらしい。そして、冒険者達にとっては戦争の行方は余り興味が無いようだった。


(……まぁ考えてみれば、この土地出身の人は少ないだろうしな)


 そう考えたユーリーは改めて周囲を見回す。疎らな客であっても、髪の色や肌の色、身体つきから顔付きまで雑多な特徴を持つ人々が集まっていた。その中には当然西方人の特徴を示す者も居るが、殆どはインヴァル半島出身者ではないだろう。そして、国や社会といった既存の枠組みの中で生きていくことをよしとしない者達の集まりが冒険者である。国同士の戦争など「究極的にくだらない」出来事なのだろう。


 彼方此方と席を変えて、酔客達の話に耳を傾けるユーリーは隣に座る男達の話を粗方あらかた聞き終えると、次を求めて立ち上がる。そして、ついでの癖でリリアの姿を探そうとした瞬間、後ろから人にぶつかられた。驚いたユーリーだが、何とか態勢を保ち、ぶつかって来た相手を振り返る。


「痛ったぁ! どこ見て歩いてんのよ!」


 ユーリーはキンキンとした声の主を探して視線を少し下げる。そこには、美しい金髪と少し尖った耳を持つ少女と言ってもいい人物が額を押えながらユーリーを睨みつけていた。ぶつかった拍子にユーリーの鎧で額を打ったのだろう、白い肌は額の部分だけ赤くなっていた。


「なんとか言いなさいよ! 口もきけないのっ?」


 ハーフエルフだと思われる少女は、美しい顔立ちをしているが、とにかく言葉が汚かった。それに、理由はよくわからないが殺気立っている。しかしその格好は、昔のリリアのように革製のベストを身に着け、両腰に小剣を帯びている。ユーリーは咄嗟にその少女が冒険者だろうと見当を付けていた。


「なんとかって、そっちがぶつかってきたんだろ。そっちが謝りなよ」

「なんですって!」


 至極当然なユーリーの言葉に頭に血が上ったのか、その少女の手がスッと腰の小剣に伸びる。そこで、別の声が掛かった。


「リーズ! 何をやってるんだ!」


 彼女の後ろから声を掛けた人物は人間の青年だった。ユーリーよりも少し背の高い人物だが、全身黒いローブを纏い、腰を麻縄で結んでいる。質素な格好だが、何処となく品の良さを漂わせた青年だ。ユーリーはこの青年には見覚えはないが、その格好には見覚えがあった。アフラ教の宣教師や熱心な信者が好む格好である。

 

「ロン、だって!」

「今はそんなことしている場合じゃないだろ、こっちへ来い!」

「ちぇっ」


 ロンというアフラ教徒の声に、リーズと呼ばれたハーフエルフの少女は舌打ちすると、一度だけキッとユーリーを睨んでから踵を返した。そして、人混みの中に紛れるように消えてしまった。


「なんだったんだ……」


 思わず呟くユーリーは、ふと思いついて胸甲の内側に仕舞った財布を確かめる。だが、心配したようなスリの類でも無いようだった。


「なんなんだよ、一体」


 尚更納得いかないように、ユーリーはもう一度呟いていた。

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