Episode_19.02 ボンゼの街
インヴァル半島東岸部南端に位置するボンゼの街は、繊維作物の一つである綿花の栽培が盛んな土地だ。収穫された綿花はボンゼの街に集められると、海路や陸路でインバフィルの織物ギルドが管轄する工作所へ卸される。そこで質の良いインバフィル綿織物となるのだ。勿論穀物類を中心とした基幹農作物も生産されているが、金銭収入に大きく寄与するのはやはり綿花だった。
しかし、綿花を産するボンゼ付近の農家は、必ずしも裕福と言う訳ではない。寧ろ、地主である豪農と、その土地を耕すだけの貧しい小作農の二分化は激しいと言える。ヨマの町ではそう言った雰囲気は感じられなかったが、ボンゼまで南下すると主要産業を取り巻く環境は効率を求めた結果、そのようになっていた。
そんなボンゼの街近隣の農村の状況を、ユーリーとリリアは各農村を巡る旅の中で知り得ていた。それは、セド村を襲った六人組の冒険者とオーク集団による偽装襲撃事件を解決し、冒険者達が騙し取った礼金を返却して回るという行程でもあった。オーク襲撃による被害と、莫大な金銭負担を強いられた農村の数はセド村を除くと五つ。そんな村々へ訪れ、事情を説明し報酬を返却するユーリーとリリアは、殆どの村で歓迎を受けることとなった。
ユーリーとリリアは、そんな村人達から
「インバフィルに従うボンゼが地主達に協力を要請した。その結果、インバフィル防衛支援の名目で金銭、又は食糧として貯えていた穀物類を取り立てられた」
と言う事だった。特にボンゼの街に近い村々は自主独立とは言いつつも、その土地の多くはボンゼに豪邸を構える大地主の持ち物である。そのため、小作農家が大勢を占める農村は、謂わば封建制度における領地領民と変わりは無かった。しかも、インバフィルの威光を仰ぐ地主達は、四都市連合の一角を占めるインバフィルの地方議会評議員への覚えを良くするため、
そんな村々を襲ったオーク集団による襲撃事件だったのだ。村々は正に身を切る気持ちで六人組への報酬を捻出したのだろう。それだけに、その金銭が返却された時の喜びと安堵は大きかった。勿論、中には騙された怒りを、同じ冒険者の
そんな道中であるから、ユーリーとリリアは歓待を受けることが多かった。貧しい村の精一杯の持て成しは、既に成された物であるため有り難く頂く二人だが、夜の間に男女分けられた寝室の内、ユーリーに割り当てられた部屋にやって来る村の娘には辟易とした。そういう文化土壌なのか判然としないが、毎夜毎夜、判で押したように
勿論、このような行いがリリアに察知されない訳がない。また、ユーリーが受け入れるはずも無い。しかし、村が変わっても毎夜繰り返される同じような試みに、リリアは毎度怒りを以ってユーリーの部屋へ突入することになった。ユーリーとしては溜まったモノではないが、繰り返される愚かな試行に、頭に血が上った彼女は、毎夜そんな村の娘を説教と共に追い返すのだった。尤も、追い返される村娘達も自分の境遇を心から受け入れた訳ではないので、毎度涙を浮かべて感謝の言葉を残して立ち去って行く。そんな繰り返しにユーリーは自分が悪人のような気分になっていた。また、リリアは、度重なる女の訪問に一度も好奇の感情を見せなかったユーリーに安心するような気持ちを持った。しかし、それは男女の機微に関する問題である。リリアは努めて少し腹を立てた様子を維持していた。
そんな背景があるから、ボンゼの街に入った二人の会話は終始ユーリーが下手に出る格好となる。
「ねぇリリア、何か食べたいものない?」
「うん……」
「あ、これなんて、似合うんじゃないか?」
「そうね……」
それなりに人通りの多い夕暮れ時の大通を歩く二人。ユーリーは終始機嫌の悪いリリアに何度も話し掛けるが、少しふくれっ面の少女の返事は素っ気ない。
実はリリアとしては、そこまで怒っている訳ではない。だが、健気に機嫌を直そうと話し掛けてくるユーリーを見るにつれ、何となく態度を改める切っ掛けを失っているのだった。そう言った事情でムッとした表情のまま歩くリリアは、ふと足を止めた。そこは大きな酒場の前だった。
「入りましょう」
「え? い、いいよ」
二人が宿泊場所とした宿は街の外れにある小さな宿だった。馬を預けておける宿は大体街の入口付近に在る。例の如く一階は酒場となっている宿だったが、その規模は宿同様に小さなものだ。情報収集の旅をしている二人であるから、人の集まる酒場で周囲の客の言葉に耳を傾けるのは仕事の一環である。より多くの人が集まる大きな酒場はその目的に
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――酒場の客の会話は情報の宝庫だ――
これは、リリアの養父ジムの言葉だ。凄腕の暗殺者であると同時に密偵としても優れていた彼女の養父は、リリアを暗殺者に仕立てるつもりは無かった。しかし、母親の形質を受け継ぎ暗視と精霊との親和性を持った少女の才能に、つい自分の知っている知識や技術を教え込んでいた。
――将来何かの助けになれば、それでいい――
というのがジムの言葉であったが、確かに養父の教えは彼女の役に立っていた。そんな彼女は夕暮れ時から混み合った酒場の中で、度々席を移動しながら酔客の会話に耳を傾けていた。因みにユーリーは、彼女から離れたところで同様に話を聞いている。しかし、その視線はチラチラとリリアを追っていた。
彼女はそんな愛する青年の少し心配するような視線を感じつつ、
(ボンゼ周辺の村の人達も言っていたけど、臨時で税の徴収があったのね……そして、ボンゼはインバフィルの指図で傭兵を雇った。多分アドルムの街と反対側の東に対する念のための備えね)
リリアはそうやって情報を結び付ける。この日しばらく街中を歩いた彼女だが、確かに通りの彼方此方に装備はバラバラだが旅の途中とは思えない武装した男達が
(でも数が分からないわね……)
通りを少し歩いただけで、彼方此方に見掛けたのだから可也の数を雇い入れたとは分かるが、正確な人数を知りたいと思うリリアである。その時、
「おいねーちゃん、エール、お代わり!」
席を移動しようとテーブルの間を歩いていたリリアは、酔客の一人からそんな声を掛けられた。旅荷を解いて宿に置いて来た彼女だが、両腰に剣と短剣を帯びて、革鎧と同じ革製のズボンに丈夫なブーツを履いた姿を店の給仕と勘違いするとは、その酔客は相当酔いが回っているようだった。
「バカだな、店の人じゃないぞ、ったく……お嬢ちゃん、ゴメンな」
男の連れがそんな声をリリアに掛けた。二人連れのその客はよく見ると同じ革鎧に同じような
「いいですよ、持ってきましょうか?」
「え? いいのかい、悪いね」
リリアは、ニコリと微笑むとその連れの男から代金分の銅貨を貰いカウンターへ行く。そして、エールの注がれたカップと自分用のワインを注いだ杯を持ってテーブルへ戻る。
「相席いいですか?」
「え、いいよ! どうぞどうぞ」
リリアの言葉に男は相好を崩すと長椅子を詰めてリリアの座る場所を空ける。そこに座る前、チラと酒場の反対側に視線を向けたリリアは、ユーリーがムスッとした顔で自分を見ていることに気が付く。しかし、敢えて気が付かないようにそのまま二人連れの男の所に座るのだった。
「いや、こんな別嬪さんと酒が飲めるなんて嬉しいねぇ」
「ういっ」
「やだ、そんなことないですよ。でも、そちらの人少し飲みすぎなんじゃ?」
「ああ、こんな機会に勿体無いね。でも嫁さんと喧嘩して嫁さんが家を出て行ったってことだから、まぁ勘弁してくれ」
「へー、どうしてですか?」
「給金が安くて暮らしていけないんだってさ。まぁ俺達衛兵の給金の安さはボンゼでは有名だからな、嫁さんが怒って出てくのも分かるぜ」
「そうなんですか」
「なのに、傭兵達は俺達の倍の給金なんだとさ、それを大勢も雇って――」
「そんなに雇ったんですか?」
「ああ、千人雇って、来月には五百人追加になるらしい、ったく綿花ギルドの連中は何でもインバフィルの言いなりさ!」
男の連れは酔いが回り切ったのか、エールを半分ほど空けると俯き加減で喋らなくなった。しかし、彼の連れは、リリア相手に饒舌に愚痴を言い続ける。リリアとしては、相手が勝手に聞きたい情報を話してくれる楽な仕事であった。そうして、リリアの誘導に疑う事無くしばらく話を続ける衛兵の男であった。
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粗方の話を聞き終えたリリアは酒場を後にした。殆ど同時に酒場を出たユーリーとしばらく離れて歩くが、自然とお互い歩調を合わせるように、いつの間にか並んで宿を目指していた。しかし、二人の間に会話は無かった。今度はユーリーが不機嫌そうな顔をしていたのだ。
そのまま無言で歩き続け宿に到着した二人に、初老の店主が声を掛ける。
「お食事お済ですか?」
「はい」
「じゃぁ、蒸し風呂を使って下さい。一人しか入れないほど狭いですが、入口の扉は鍵がちゃんと掛かるようになっていますので」
「わかりました」
そんな短い会話を済ますと二人は部屋へ戻る。
(……怒っちゃったのかしら……)
同じ部屋に入った後も無言で装備品を外すユーリーに、リリアは少し後悔めいたものを感じた。冷たくされた上に、他の男と仲良く話す様子を見せられては、流石のユーリーも怒るのは無理も無いだろう。
「蒸し風呂だって、先に入ってきなよ」
「う、うん……」
しばらくぶりに聞いたユーリーの言葉に、リリアは先に一階離れにある蒸し風呂を使う。そしてサッパリして部屋に戻るとユーリーに謝ろうとしたのだが、彼はムスッとした表情のままで入れ違いに部屋を出て行ってしまった。
「……しょうがないわね」
そんなリリアの少し悲しそうな呟きが部屋に響いた。
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「はぁ……」
狭い蒸し風呂の中に溜息が籠る。ユーリーとしては、情報収集の目的があるとはいえ、見せつけるように他の男達と話し込んでいたリリアの姿に何とも言えない嫌な気持ちを感じていた。その気持ちは、彼女に向うものなのか、それとも自分に向うものなのか、それが分からなくてスッキリとしない。もしもこれが嫉妬ならば、
(男の嫉妬なんて
そう思うが、モヤモヤとした気持ちは晴れなかった。
(そういえば、喧嘩するのはこれが初めてかな……喧嘩……なのかな)
喧嘩、という言葉に若い彼は少し動揺する。大好きな彼女と一緒にいれば、喧嘩になんてなるはずが無い、そう思っていた。しかし、現実はどうもそうでは無いらしい。愛情が深い故に、些細な事に腹が立つ。「愛憎」という正反対の意味の単語が一つになった言葉をユーリーはふと思い出していた。
(……仲直りしたほうが良いな……)
結局ユーリーは、至極当然な結論に至ると、サッサと身体を洗って部屋に戻ることにするのだった。
そして、部屋に戻ったユーリーだが、少しバツが悪く俯き加減で部屋に入ると、
「あの、リリア……」
と言いながら視線を上げる。そして少女の姿を視界に入れると、そこで固まってしまった。
「ねぇ……似合うかしら?」
そこには、薄手の肌着で上半身を隠し、淡い緑色の綿地のスカートを履いたリリアの姿があった。普段の茶色っぽい革製の外見とは異なり、如何にも柔らかそうな布地に身体を包み、スラリとした両足を膝上から露わにする姿に、ユーリーは自分が言い掛けた言葉も、少女からの問い掛けへの返事も忘れて見入ってしまった。
「ねぇ、仲直りしましょう……」
一方のリリアはそう言うと、履き慣れないスカートが恥ずかしいのか少し内股になりつつ、トンッとユーリーの胸に飛び込む。そして、
「意地悪してゴメンなさい」
と少し甘えるように言うのだ。こうなってしまえばユーリーに言葉は無い。何度も頷くように頭をコクコクと振ると、自然と背中に回した両手に力を籠める。そしてそのまま小柄な身体を抱き上げると一人用の大きさのベッドに運び込むだけである。
この夜の出来事はここで終わりだが、若い恋人同士の部屋の隣を割り当てられた中年の行商人は災難だったかもしれない。初めは好色と好奇の入り混じった気持ちで耳を
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