Episode_19 プロローグ2 降霊術


 四都市連合使節団との謁見から数日後、既に使節団は交渉を終えオーバリオン王国を後にしていた。今回彼等が決めた事で最も大きな成果は、港街スウェイステッドに彼等の大使館を建設することだ。また、定期的に連絡使を行き来させることも決まった。そして、オーバリオンの優秀な軍馬とドルドの森で取れた貴重な薬草類を仕入れた彼等は、意気揚々と帰国の途に就いたのだった。


 そんな彼等は、駐在員として数名の商人風の男達をスウェイステッドに残していた。また、一人の若い女性をオーバリオンの王城に残していた。この若い女性は、使節団がまだ王城に滞在していた頃から、度々王の寝室を訪れていると軽く噂が立ち始めていた。ローラン王の側仕えの者達は、そんな噂を複雑な表情で黙殺している。


 そしてこの夜、ローラン王の寝室には珍しく彼を含めて三人の人物が居た。その内一人はローランの妻、王妃ナシルである。しかし、その王妃ナシルは、元はくつろげる自分の寝室でもあった部屋で怯えるような視線を周囲に向けている。窓も鎧戸も堅く閉じられた王の寝室は、長く暖炉に薪をくべられる事もなく、底冷えするように冷たい。そんな部屋を唯一照らすのは、部屋の真ん中にしつらえられた見慣れない様式の祭壇だ。そこに置かれた大きな銀皿の上では香木がゆらゆらと揺れ動く炎を上げ、王の寝室の壁に揺れ動く影を投げ掛けている。それがどうしても恐ろしく感じる王妃ナシルであった。


 しかし、王妃ナシルが怯えるのも無理は無いだろう。この部屋には四か月前に亡くなった息子の遺体が納められた棺が置かれているのだ。王家の墓に安置する事無く、息子の遺体を手元に置き続ける夫ローランの気持ちは分かるが、しかし、それは尋常の事では無い。彼女は、そんな夫を諌める意味でも、随分前に寝室を別にしていたのだ。


 しかしこの夜、彼女は夫ローランに促されいささか強引にこの部屋へ連れてこられた。そんな彼女は数か月振りに足を踏み入れた部屋の雰囲気に怯えていた。強く焚かれた香木を以ってしても隠しきれない腐敗臭が漂う部屋である。


 そうやって連れてこられた夫の寝室だが、そこには先客があった。その先客とは若い女であった。底冷えのする部屋に殆ど全裸に近い格好で、平然と敷物の上に胡坐座で座る褐色の肌を持つ若い女であった。これまでめかけの類を持つことが無かった夫であるローラン王が、ややもすれば扇情的とも言える姿の若い女を寝室にはべらせている。王妃であるナシルならば、その事に何等か感情を動かすべきなのだが、悋気りんきのような感情は全く湧きあがって来なかった。それは、その若い女の表情によるものだろう。


 祭壇の上に置かれた銀皿の上で燃え上がる香木の明かりを受け、その女の顔はチラチラとした陰影に彩られている。充分に美しい顔立ちと言えるが、その表情は全体として生気が無く、まるで精巧に作られた仮面のように動かない。若い女性の生気漲る四肢とは不釣り合いなほど、生き物としての気を発しない女性なのだ。


 その女性は半眼で揺れ動く炎を見詰めながら一心に何かを唱えている。王妃ナシルはその声を聞き取ろうと耳をそばだてるが、結局何を言っているのか分からない。そこで彼女は、隣で敷物の上に直接座った夫ローランを見る。夫の視線は祭壇の向こう側に置かれた息子の棺を凝視したまま動かない。


(……なにの儀式なのかしら?)


 何をしているのかまでは知らされていない王妃は、異様な雰囲気に更に恐怖を募らせる。心なしか、死臭が先ほどよりも強くなった気がする。しかし、彼女以外の二人は微動だにしない。そして、寝室の中には女の発する呟きとも呻きとも付かない平板な声が流れつづける。


 変化は突然やってきた。これまで半眼で炎を見詰めながら声を発していた女が突然硬直するように膝立ちとなると、奇声を上げたのだ。


「ひぇっ」


 その突然の挙動に王妃ナシルは堪らず悲鳴を上げる。しかし、夫ローラン王は別の反応を示した。


「ソマン? ソマンなのか!」


 ローラン王の視線はソマン王子の棺の上辺りに注がれている。そこには、焚き上げられた香木は発した白い煙の中に浮き立つような黄色掛かった燐光が揺れていた。儚げに薄い明滅を繰り返す燐光は、やがて人間の顔のような輪郭を取る。


「ソマン! 私の声が聞こえるか?」


 その輪郭を見詰めるローランは呼びかける声を発する。そして、


「見ろ、ナシル、ソマンが戻ってきた」


 と、驚きと恐怖で腰が抜けたようになっていた妻の腕を取ると無理矢理引き寄せる。


「ソマン、父だ。分かるか? 母も居るぞ」

「あああ、あなた、あれがソマンなの?」

「そうだ、ナシル。どう見てもソマンではないか」


 ローランの呼掛けに無反応なまま虚ろな視線で部屋を見回す燐光の輪郭、夫ローランはそれを亡くなった息子だと言うが、王妃ナシルにはとてもそうとは思えなかった。男の顔のようには見えるが、彼女の息子はもっと若々しかったはずだ。


 一方、棺の上に浮かび上がった輪郭は薄黄色の燐光を発する瞳で寄り添う王と王妃を見る。その姿は亡霊そのものだ。そして、亡霊は口を開く。燐光だけの存在である亡霊が声を発することは無いが、替りに膝立ちのまま硬直していた女の口からしゃがれた男の声が漏れた。


「おおおお、とおおさま……おかああああ、さま……」

「そうだ、父だ、ソマンよ何か言ってくれ……お前の命を奪ったのは誰だ? リムルベートか? それともセバスか? 誰だ、誰なんだぁ!」


 女の口を使い言葉を発した亡霊を息子ソマンと決めつけたローラン王は、狂ったように声を上げた。愛する者を奪われたその悲しみと怒りは、それを叩きつける相手を求めていたのだ。そんな彼は、亡霊にそう問いかけた。隣国の名が出るのは仕方ないが、そこに我が子でもあるセバス第二王子の名が出ることが悲しかった。


「ここは……ここは苦しい……寒いいいいい、苦しいいいいい。おとおおおおさまあ、私をもどしてくださああああああい。生きたい、いきたいいいいい――」


 しかしその亡霊は、ローラン王の問いの答える事無く、耳の奥に残るような苦しい悲鳴を上げると、現れた時と同じように突然消えてしまった。


「ソマン! 戻って来てくれ、ソマン!」


 ローラン王の悲痛な叫びだけが、寝室に木霊した。


****************************************


 その後しばらくして、落ち着きを取り戻したローラン王は、息子の霊を呼び寄せた褐色の女に問う。隣には顔色を真っ青にした王妃ナシルが動けずに硬直している。


「降霊術師よ、息子は戻りたいと、生きたいと叫んでいた。それは可能なのか?」


 王の問いは、非常識なものだった。死んでしまった者を甦らせることは最高位の聖職者が使う神の奇跡でも不可能なことなのだ。しかし、問われた方の女は、感情の抜け落ちたような生気のない声だが、ハッキリと答える。


「反魂という法があります。ただし、実行には死者の血を引いた生まれる前の赤子の命が必要になります……また、蘇った後も腐敗した身体は元には戻りません」


 降霊術師の女が言うのは、死霊魔術の高位の術だ。ロディ式魔術の系統とは異なるが、その降霊術師は可能だと言った。それを聞きローラン王は瞳を輝かせた。


「そうか、出来るのか!」


 しかし、直ぐに女の言葉をもう一度考えて落胆する。ソマンと血の繋がった生まれる前の赤子など、彼の妃レーナムの胎の中に居る子以外にありえない。


「ソマンの子……生まれ来れば、我が孫を……」


 その事実の意味を考えるように呟くローラン王だが、王妃ナシルは血相を変えて叫ぶように言う。


「あなた! それはいけません!」


 王妃ナシルは、先ほどまで恐怖に震えていたのが嘘のように、顔を紅潮させて叫ぶ。更に、


「この得体の知れない女の企みに違いありません! 出て行きなさい! この部屋から、この城から出て行くのです!」


 王妃の心は、身重で夫を失い離宮に籠ったままの義理の娘と、その腹の中の子を案じていた。そして、まるで悪鬼でも見るような形相で女を追い出そうと掴みかかる。


「わかった、ナシル。ソマンの子にそのようなことをする訳がないであろう、落ち着くんだ」


 降霊術師の女に掴み掛かったナシルは、そんな夫の言葉と共に引き剥がされる。その夜は、それでお開きになった。しかし、愛する息子と声を交わすことが出来るという誘惑に負けたローラン王は、それから頻繁にその降霊術師の女を寝室に招き入れる事になった。そして噂が立った。


 ――ローラン王は死者に魅入られてしまった――


 その噂は、喪に服したオーバリオンの民たちに一層深い憂鬱を与えるものであった。

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