【西方風雲編】インヴァル半島の戦い

Episode_19 プロローグ1 手土産


アーシラ歴497年3月上旬 オーバリオン


 昨年冬の惨事で王太子ソマンを失ったオーバリオン王国は国全体が喪に服していた。大切な跡取りを失ったローラン王の指示により、国民全員が喪章を付け哀悼の意を表するよう命じられたのだ。その命令はスウェイステッドやカナリッジといった街は元より、草原を移動しながら暮らす遊牧民の子供にまで徹底された。


 そんな国全体が閉塞感と喪失感に包まれるオーバリオンの第二の都市スウェイステッドの中心にある小規模な城砦の中には、一人の青年が鬱屈とした表情で椅子に腰かけている。その青年は、全身で哀悼の意を示すように、上品な仕立てだが上下黒色の服を身に着け、窓の外に広がる港の景色を眺めている。スウェイステッドの港には、今大きな帆船が四隻寄港している。中規模輸送船が主な船であるこの港にとっては珍しい光景だが、これも今は亡きソマン王太子の功績の一つであった。


 青年は、そんな窓の外の光景から視線を外すと手元を見る。そこには、青年の身分を示す獅子の印璽で蝋印を押した何通もの手紙が置かれていた。しかし、それら全ては封を切られる事無く、差出人である青年の手元に戻って来ものだ。その事が示す事実に、青年の頬を涙が伝う。


(父上はおろか、母上まで私の手紙を拒むとは……)


 青年は唯一の理解者と呼んでもよかった兄を失った悲しみを、疎遠であった両親と分かち合いたいと願っていた。しかし、そんな彼の気持ちは、両親 ――ローラン王とその王妃―― によって拒まれたのだ。それは、彼自身の若かりし頃の素行の悪さと暗愚さが招いた取り返しのつかない絆の断裂であった。そして、その千切れてしまった絆を取り持とうと、奔走してくれた兄ソマンはもうこの世に居ない。


 そんな、どうしようもない寂寥感せきりょうかんが青年 ――セバス王子―― の胸を締め付け、涙を流させるのだ。しかも、


「失礼いたします殿下」

「……なんだ?」


 セバスの執務室である城砦内部の一室のドアを叩いた部下は、目を腫らせたセバスの顔を目に入れないように、すこし俯き加減に室内へ入ると少し遠慮がちに報告した。


「四都市連合使節一行の王都までの警護は王宮の第一騎兵隊が担うとのこと……スウェイステッドの兵による護衛は不要とのこと」


 今、スウェイステッドの港に寄港している大型帆船は四都市連合の船だ。それに乗って来た使節団を約一日の距離にある王都オーバリオンへ送り届けるのは、この街の管理を任された第二王子であるセバスの役割であった。しかし、王都側はそれを拒むように別の護衛を送り込んで来た。


「そ、そうか……わかった」


 失意のどん底、と言うべき声色の王子に、報告へやって来たスウェイステッド兵団長は心配を滲ませた顔色になるが、


「下がってくれ、通常任務に注力するように」


 と言われ、それ以上留まることも声を掛けることも出来なかった。そして、兵団長が去った後の部屋では、青年の低い嗚咽が長い間続いた。


****************************************


 オーバリオン王国の王都は平原の中の小高い丘を中心として建設された街だ。上空から見ると、王城を中心として同心円状に配された二層の空堀と王城を取り囲む高い城壁が特徴的で、人々が住み暮らす街の営みは最外層の空堀の内側から外へ向けて広がっている。人口七万人にも満たない王都としては小さなものである。また、国内にある主な都市スウェイステッドとカナリッジを併せても、都市部で暮らす人口は、その周辺の農村人口を含めても十万を少し超える程度だ。一方、都市部の周囲に広がる広大なオーバリオン平野には、街に定住して生活する人々の数とほぼ同程度の人々が遊牧民として生活をしている。そのため国の雰囲気は何処と無く牧歌的である。


 もともと、西方最辺境のこの地域には遊牧生活を行う部族が幾つも存在していた。そこに後から、やって来たのがオーバリオン王国の王族である。後からやって来て統治者となったオーバリオン王家は、家臣に爵位を与え土地を分け与えることはしなかった。それは、原住民である遊牧民の土地を侵すことになるからだ。そういった経緯で、オーバリオン王国には王族以外の貴族は存在しない。また、土地を介した支配・被支配の関係が無いため、厳密な意味で小領主たる騎士も存在しない。


 国王一人を頂点とし、当人の代限りの身分を与えられた家臣がその王を支える支配構造は「王権集約」と呼ばれ、他の大国とは趣を異にする。敢えて類似の支配構造を挙げるなら、中原の入口に位置するオーチェンカスク湖周辺にひしめく公国群の支配構造が類似した特徴を持っている。オーバリオンもオーチェンカスク湖周辺の公国も、国の規模が小さいが故に実行可能な支配制度と言える。


 その支配構造では、全ての権限は最終的に国王一人に帰属することになる。故に国王の素養とそれを支える家臣団、官僚集団の出来不出来が直接国の命運を左右することになるのだが、当代のオーバリオン国王ローランは、そう言う意味で両方に恵まれた人物であった。


 しかし、それも過去の話である。若くから軍事的にも政治的にも幾多の功績を上げた名君と言うべきローラン国王は、今「自らの全てを託せる」と誰に憚ることなく公言していた最愛の息子を失い、失意の底に突っ伏していた。既に国葬としての葬儀を終え、棺を代々の墓へ収めるべきなのだが、未だにローランは自分の寝室に息子の棺を置いたまま、嘆き暮らす日々を変えようとしなかった。


 忠臣の中には、そんなローラン王を諌めるため、


「セバス王子を中心とした体制造りを」


 と進言する現実的な者が居た。その者は、王が若い頃から側に仕えた老練の弓騎兵つわものであり、一線を退いた後も王の側に仕え続けた股肱ここうの臣である。しかし、その言葉にローラン王は狂人のように激昂すると、なんとその老臣の左腕を切り落とし王都から追放してしまったのだ。我が子等には厳しかったが、家臣には思いやりをもって接していた王とは思えない暴挙だった。そして、それ以来ローラン王に意見をする者は居なくなった。只、王妃や、側仕えの女官、侍従達は日ごとに強くなる死臭を誤魔化すため、香木を強く焚くのみであった。


****************************************


 だが、少ないと言っても人口二十万を超える一国の主として、ローラン王は望むと望まざるとに係わらず公務に追われることになる。この日の謁見もそんな公務の一つであった。


「……おもてを上げよ……」


 謁見の間にローランの力ない声が響く。対して拝謁の礼を取っていた者達が顔を上げる。先頭に立つのは「四都市連合使節団」の団長を務める浅黒い肌の小太りな男だ。


「名君の誉れ高きローラン陛下に謁見叶いましたること、このホゼック生涯の誇りとするものです――」


 使節団の口上を述べるのはチャプデイン選出の中央評議員ホゼックである。今回の使節団派遣は、昨年内定したオーバリオンと四都市連合の交易協定について内容を詰めるという表向きの目的を持っていた。


「我らの喜ばしい交易協定について、その合意に尽力されたソマン王子……時に厳しく、時に包み込むような態度で終始交渉を先導したそのお姿を我ら四都市連合の議員達は決して忘れないでしょう。今回の痛ましい報せに接し、誠に言葉がありません。今は心よりご冥福を申し上げます」

「……そうだったな、あれがソマンの最後の仕事になってしまった……協定の骨子は決まっておる。細かい内容は後日担当者同士で話して貰えるだろうか」


 ホゼックの言葉に、ローランはソマン王子の名を聞いたからだろうか、一層肩を落とすとそう言う。本来はこの後、四都市連合が持参した手見上げの披露などが続くのだが、ローランは侍従長に目配せした。謁見を終わらせる合図である。


「申し訳ないが、今は国中が喪に服しておるのだ。豪華な晩餐という訳には行かないが、使節団には食事の用意をしてある」


 ローランのそんな言葉が、実質的に謁見を終わる言葉となる。しかし、


「お待ちください、ローラン陛下」

「……なにかな、ホゼック殿」

「陛下が心寂しくしておられると思い、このホゼック、陛下のお心慰めのため、南方より面白き者を連れてまいりました」


 呼び止められて少し不機嫌になるローランに、ホゼックはそう言うと背後に目配せする。すると使節団の最後尾に置かれていた手土産品の中から一人の人物が進み出る。その人物は頭に金冠を被り、その冠からつま先までを南方様式の豪華な金糸による刺繍を施した紫染の絹で幾重にも被っている。ただ、その身長や布越しに分かる肩幅の狭さなどからどうやら女性だと言う事が分かった。


「心慰みとな?」

「はい……畏れ多くも」


 ホゼックはそう言うと自らその分厚い紫の絹布を捲り上げる。そこには、小麦色の肌を露わにした美しい女性の姿があった。布越しに垣間見える半身は魅惑的な曲線を描き、小麦の肌は香油を塗られたように光沢を放っていた。しかし、


「そのようなもの! 余を愚弄する気かぁ!」


 ローランはこの手の手土産・・・・・・・に心が動くような人物では無い。しかも今は息子を失った悲しみに暮れているのだ。四都市連合の使節団の意図を感じ取った王は逆鱗に触れられた竜の如き怒りを発した。


 だが、一方のホゼックは平然とした表情でローランの大喝を受け止めると、臆せずに一歩二歩と歩み寄る。剣に手を掛け、怒りを発した王に対して歩み寄るのだから、ホゼックという男の胆力は並みでは無かった。


「勘違いをさせたようで、大変申し訳ありません。どうかお許しを」

「勘違いだと?」

「ははぁ、この者、実は死者の魂を呼び寄せ、声を交わし合うことが出来るのです」


 その後、四都市連合中央評議員ホゼック・リートマーとローラン王は何事かヒソヒソと小声で話し合う。謁見が終了したのは、その話が終わった後だった。

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