Episode_18.26 彼女のやり方


 翌日早朝、昨日のオークによる襲撃があった時刻と同じころ、インカス遺跡群前庭部の東端に一人の人影があった。森の中を続く道を辿って来たと思われるその人影は、ビクビクとした様子で周囲を見回しながら、早足で建物の残骸が立ち並ぶ区画へ足を踏み入れた。


 その人影は、深緑色の外套を被り頭までフードに覆われているが、背を丸めるようにしてフードの前合わせを両手で握り、やや内股で小走りに走ると遺跡の中へ入り込んだ。フードの奥から垂れている長い髪や、心細そうに周囲を警戒する振る舞いからみて、大柄ではあるが、その人影は女性のように見えた。


 石組みの建物の残骸、外壁だけを残した建物や、二階以降が崩れた建物に囲まれたその場所は広場のように見える。ちょうどポッカリと何も無い石畳が綺麗に残った場所だった。そこに辿り着いた女性の人影は、周囲を見回すように頭を振ると、


「言われた通りに来ました! お金も持っています!」


 と言う。如何にも田舎の村の女房といった声色は少しだけ若さを残したものだった。そしてその女性の人影は、外套の中から皮袋を地面に落とした。チャリンと硬貨が鳴る音が、遺跡の間に木霊する。すると、


「皮袋を開いて見せろ!」


 という男の大声が聞こえてきた。しかし、周囲の建物に反響したその声は、何処から発せられたのか、その女性の人影には分からなかった。そして、その人影は少し躊躇うようにそのままの姿勢を取る。不意にサワッとした風がその人影の辺りを通り過ぎる。その後、人影は屈みこむように、足元の皮袋に手を遣ろうとする。その体勢でも、外套の前合わせは片手で握ったままだった。


(大丈夫よ、バレテない)

「ちょっと、この態勢は難しい」

(がんばって)


 風が運んできた少女の囁くような声に、青年のボソボソとした声が応じる。そして、外套がはだけない・・・・・ように、慎重に片手で持ったままのユーリー・・・・は苦労して前屈みになると、皮袋の口を閉じた紐を解き、口を大きく開いた。


「これでよろしいでしょうか? ダムンは無事なんですか!」


 再び女の声が響く。しかし、それはユーリーが発したものでは無い。離れた場所に居るリリアが風に乗せて声を送っているのだ。しかも、少ししゃがれた・・・・・中年女性の声真似付きであった。


(まったく……リリアは大したもんだよ)


 隠密行動に優れる彼女の策を全面的に受け入れたユーリーは、内心そう呟きながら、女装しているこうなった経緯を思い出していた。


****************************************


 昨日夕方近くに誘拐の報せを受けたダムン少年の母親は当然の如く半狂乱となっていた。直ぐにでも村を飛び出そうとする彼女を、夫と二人の冒険者、それに村長の四人がかりで引き留め、説得し、何とか落着きを取り戻させたのは既に夕暮れ時の事であった。その様子を痛ましく見ていたユーリーとリリアは、きっと自分達に子供が居て、その子供がこんな目に遭えば、これほど取り乱すのも無理は無いと思っていた。


 ダムン少年が巻き込まれた経緯に、ユーリーとリリアの落ち度は無かった。しかし、特にリリアは責任を感じていた。逃走したオークを追討するためにその場を離れなければ、または、先にダムンを安全な村の中へ誘導していれば、こんな事には成らなかったという後悔があった。勿論、そんな事で彼女を責める者は皆無だったが、それでも少女は心を痛めていた。


「必ず助けます。でも協力してください!」


 とは、そんなリリアの真剣な声だった。この力強い言葉にダムンの両親は頷く。そして、リリアは幾つかの注文をした。


「古着でいいので、奥さんの服を貸してください。あと、申し訳ないですが髪の毛もお願いします」

「髪の毛なんて、どうするの?」


 リリアの言葉に、藁にもすがる気持ちの両親は頷くが、疑問を挟んだのはユーリーだった。対してリリアは、


「ユーリー、今回は私のやり方でやらせて。貴方にも協力してもらうから」


 と言ったのだ。ユーリーと話す時の彼女にしては珍しく、その声には有無を言わさない強さが籠っていた。そんな気迫に圧されたユーリーは二度三度と頷くのみとなる。


 その後、ダムン少年の母親の髪の毛をバッサリと切り落とし、同じく彼女の服である丈夫な木綿製のワンピースを受け取ったリリアは、先ず服のほうをユーリーに押し付けると、


「着て頂戴」

「えぇ?」

「いいから、早く! ちゃんとしてくれたら、今度スカートを履いてあげるから!」


 と言うのだった。因みにリリアが見返りとして提示した条件は、以前に二人の間であった、軽い口喧嘩の内容を指していた。普段着のように革鎧を身に着け下も革製のズボンであるリリアに「たまには女の子らしい格好でもすればいいのに」と何気なく言ったユーリーの一言が原因となって起こった口喧嘩であった。ユーリーとしては本当に他意の無い言葉だったのだが、女性であるリリアは少し受け取り方が違ったようだ。


 尤も、旅から旅へと続く日々では、美しく着飾る暇はない。余計な荷物と思い、そんな欲求を押し殺していたリリアにしてみれば、「人の気も知らないで」と思うのは当然であろう。結局その時の喧嘩はユーリーが全面的に謝罪することで鎮火していた。


 そんな数か月前の話を引合いに出されて押し付けられた「女装」という役割に、可也大きな抵抗感を残したユーリーであるが、対する少女は既に彼の鎧を脱がしに掛かっていた。いつの間にか完全に鎧の着脱方法を習得していたリリアは持前の器用さを発揮する。結局、あっという間に軽装板金鎧を剥ぎ取られ、更には、鎧下の革製の衣服までも剥ぎ取られたユーリーは、結果肌着だけとなった。ユーリーは、この冗談のような発想に付き合う代償を考えて無理矢理自分を納得させると、ダムン少年の母親の衣服を身に着けた。


 ダムン少年の母親は女性としては可也ガッシリとして、大柄な部類に入る。一方のユーリーは男としては平均程度の身長で全体的に細身である。結果として、彼女の衣服を身に着けたユーリーは、腰から尻に掛けては余裕があったが、肩と腕周りは非常に窮屈であった。特に腕は力を籠めると木綿の生地が裂けそうになる。


「直している暇はないから、これで行きましょう。ユーリー、ちょっと背中を丸めて俯き加減になってくれる?」

「はい……」


 既に色々諦めたユーリーは大人しくリリアの言う通りにする。一方それを見たリリアは、


「そうね……この状態で外套を羽織れば何とかそれらしく・・・・・見えるわね」


 と満足した様子だった。


 その後、リリアの言葉通り、ユーリーは外套を羽織るとダムン少年の母親の髪の毛を二つに束ねて紐で繋げたものを首飾りのように肩に掛けてフードを被る。


「これなら大丈夫。暗い内ならばちょっと見ても分からないわ」

「でも、これだと武器が持てないよ」

「そうね……じゃぁ私の剣を使って」


 と言う事で、ユーリーは俯き加減に丸めた身体でリリアの片手剣ショートソードを押し抱くような格好となった。リリアの養父である暗殺者ジムの形見の剣は片手剣としても小振りであるため、外套の下に隠すことは問題無かった。その上で、


「じゃぁ、僕の剣はリリアが持って行って」

「分かったわ」


 と言う事になった。その後幾つか打合せを重ねた二人は、その夜の真夜中付近に馬でセド村を出発した。因みにワンピースを着たユーリーは普段の感じで馬に跨ることが出来なかったので、普通の鞍に無理矢理横乗りしていた。愛馬の黒馬は、そんな乗り手の姿を見ると何とも嫌そうに一度鼻を鳴らしたが、なんとか言う事を聞いてくれた。


 そして、明け方前に目的地であるインカス遺跡群を前にして馬を降りた二人は、その場に二頭の馬を繋ぐ。


「合図するから、そしたら先へ進んでね」

「喋っちゃだめなんだね」

「声は私が風の精霊を使って届けるから、ユーリーは喋らないでね」

「わかった」

「……ごめんなさい。変な方法に付き合わせて」


 言葉の通り、リリアは申し訳なさそうにユーリーの姿を見る。一方のユーリーは、ダムン少年が誘拐された件でリリアが気負っているのを感じていたので、その事を口にした。


「大丈夫だよ。でも、変に気負っても良くない。無理はしないでね」


 女の格好をさせられた状態で不貞腐れる事も無く、逆に自分を心配するような声を発するユーリーに、リリアは近付くと両腕を広げてしがみ付く・・・・・ように抱き付いた。


「ありがとう。大丈夫よ……あと、スカートの件は覚えておいてね」


 そう言うと、彼女はつま先立ちになり、啄むようにユーリーに口付ける。そして、離れ際にユーリーの下半身を頼りなく覆うワンピースの裾をサッとまくり上げた。


「もしかして、こういうのやりたいの? フフ、良いわよ。じゃぁね」


 と悪戯っぽく言うと、音も立てずに森の中へ走り去って行った。その後ろ姿に掛ける言葉が見つからず、ユーリーは無言で彼女の姿を目で追うのみであった。


****************************************


 そんな経緯で女装した格好でインカス遺跡群に居るユーリーはジッと相手の声を待つ。すると、


「そこで待ってろ! 金を確かめる」


 という声が掛かった。そして、しばらく待つとユーリーの目の前に三人の男が現れた。彼等は、ヨマの町の宿屋で見かけた顔では無かった。


(三人、ということはリリアの方にも三人か)


 冷静にそう考えるユーリーは、前かがみのまま後へ下がるようにして金貨の入った袋から離れる。ちょうど、村の女が荒くれの男達を怖れているように見えるよう、ゆっくりとぎこちなく下がるのだった。

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