Episode_18.24 誘拐


 夜明け前に始まった襲撃は、セド村に損害を出すことなく幕を閉じつつあった。既に辺りは白み始める頃合いだ。そんな朝の空気の中、リリアは土壁の上から地面へと飛び降りる。


 彼女は、一瞬だけ壁際で身をすくめたまま怯える少年に声を掛けようか迷うが、今は別に優先するべき事があった。そのため、


「ダムン、そこにいなさい!」


 とだけ声を掛けると走り出した。逃げるオークの首領を追って南の森に入ったユーリーの後を追うのではない。彼女の攻撃を逃れて逃走を続ける二匹のオークを追うためである。残りのオーク達は酷い火傷と、彼女の放った矢や精霊術を受けて地面に突っ伏している。未だ息の有る者も居るだろうが、再び立ち上がり逃走を図る者は居ないだろう。


 一方、リリアの遠距離攻撃から何とか逃れた二匹のオークは、揃ってストム川の河原に広がる枯れ茅の野原に飛び込んで逃走を図っていた。背の高い枯れ茅に紛れて逃げ切るつもりなのだろう。リリアはそんな二匹を追撃しようとしていた。一匹二匹といっても、村を襲うようなオークを残しておけば必ず将来の禍根となるからだ。また、それらの性情や習性を良く知る身としては、女としてそれら・・・を許すつもりは無かった。


「ヴェズル!」


 そんな彼女の頭上には、彼女を母親と慕う若い鷹が空を舞っている。その若い鷹は、リリアが発する「必ず討ち取る」という強い意志を受けて、枯れ茅の野原を掻き分けて進む二匹のオークを上空から追い続けた。リリアとオーク達の距離は三百メートルほどであるが、精霊術の付与術である俊足ストライドの効果を発したリリアは文字通り疾風の勢いでオーク達との距離を詰めていた。


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 村の西口に一人残される格好となったダムン少年は、先ほど目の当たりにした恐ろしい戦いの光景におののいていた。男として格好悪いと思うが、早鐘のように鼓動を続ける心臓も、腰が抜けたように力の入らない足も、まだ幼い少年にはどうしようも無かった。


 丁度土壁にもたれかかるようにしてジッとしている少年だが、そのままそうしている訳には行かなかった。頭上高く聳え立った土の壁が不意に小刻みな振動を始めたのだ。


「な、な、な」


 驚きの声と共にダムン少年は咄嗟に壁から遠ざかろうと地面を這う。そんな彼の背後で村を守った土壁は軽い地響きを立てながら崩れ去った。


「うわっぷ」


 ドサリと崩れた土壁は、少年の下半身の上に重石の様に覆いかぶさる。もうもうと舞い上がった土埃にむせる少年は、反射的に土に埋まった身体を引き抜こうと必死でもがく。そして、片方の靴を土の中に埋めたまま、何とか這い出たダムン少年は不意に自分を覗き込む視線を感じて顔を上げる。


「え?」


 そこには、昨日森で見かけた冒険者の姿があった。決して助けようと駆け付けた訳ではないことは、その剣呑な雰囲気から分かった。そのため、少年は咄嗟に逃げようとするが、次の瞬間、強かに頭を殴られ地面に突っ伏してしまった。


「よし、さっさと逃げるぞ」


 意識を失ったダムン少年を麻袋に詰め込んだ冒険者はそう言うと、一目散に西の街道へ駆けて行った。


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 南の森に飛び込んだユーリーはその後直ぐにオークの首領に追いついていた。村付近の森は木立の密度が疎らであった。そのため、ユーリーは少し回り込むように走り込むと、逃げるオークの首領の前に飛び出すようにして行く手を遮る。


「チクショウ!」


 既に抜身の蒼牙を右手に握ったユーリーに対し、オークの首領は肩で荒い呼吸をしながら悪態を吐くと、大振りな鉈剣ファルシオンを抜き放った。斬りかかって来る意志を見せる相手に、ユーリーは右手の剣を前に出し、身体をやや斜めに向ける変形した正眼の構えを取る。対峙すると見上げるほど大きな相手オークだが、ユーリーは余裕を持って切っ先を相手の眉間に向ける。


「退ケヨ!」

「武器を置け」


 噛み合わない言葉一度が交わされると、次の瞬間オークの首領は無茶苦茶に鉈剣を振り回して突っ込んで来た。刃物というよりも鈍器というべき武器は、ブンブンと唸りを上げるとユーリーの頭部を横殴りに狙ってくる。


ブンッ!


 力強い一撃は確実に相手の頭蓋を粉砕する威力を持っている。しかし、当たってこその威力・・・・・である。ユーリーは、何とも鈍い振り・・・・の下を、身を屈めるようにして余裕を持って躱す。体力と膂力に物を言わせた攻めを得意とする相手と散々手合せしてきた青年は、親友の名を出すことも失礼に思えるほど程度の低い相手に対して、無情な決断を下していた。


 振り抜かれた鉈剣は再び振り戻される。しかし、振り戻しの一撃に対して、ユーリーは素早く一歩踏み込むと、その鉈剣を握るオークの右手首を狙った。魔力を籠められた魔剣、素晴らしい切れ味を示すと、オークの太い手首を容易く切断した。


「ウワァ!」


 振り抜かれる腕は手首から先を失い、汚らしい血を辺りに振り撒く。ユーリーは、その出血させも躱してみせると、無防備となったオークに詰め寄り強い前蹴りを叩き込む。鳩尾みぞおちに革ブーツの硬いつま先を叩き込まれたオークは、悶絶の声を上げる事も出来ず、その場に膝を付いた。


「抵抗を止めろ、手足を落としても用は足りるんだ」


 足元にひざまずく格好となったオークの首領の首筋に青味掛かった刀身を押し当てたユーリーは、精一杯の低い声でそう告げる。対するオークの首領は抵抗が無意味であることを悟ったように項垂うなだれると、健在な左手を挙げる仕草を返した。


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 北のストム川の方へ逃げたオーク二匹を追うリリアは、彼等の所在を、上空を舞う若鷹ヴェズルの視界で確認しつつ、先回りするように河原へ出た。河原にはこの季節特有の薄い川霧が立ち込めているが、彼女にとって薄い霧は障害にはならなかった。そして、河原の大きな石の影に一度身を隠したリリアは、枯れ茅の野原を突っ切って河原に飛び出してきたオーク二匹を認めると直ぐに攻撃に移った。矢が既に切れていたため、リリアの攻撃手段は手に持った伸縮式の槍ストレッチスピアだ。


 それは、コルサスへ向かう途中に立ち寄った山の王国で、ドワーフの王と王子によって仕立てられたリリア専用の武器であった。槍の柄を構成する部分は真銀ミスリル製の筒になる。それが、三段階の収縮と伸長を自在にする構造となっている。それは、ドワーフの王をして「失敗作の在庫整理」と言わしめた物であった。ドワーフの王ドガルダコが何を思って造ったのか、その心はリリアには知る術はないが、全体として「継ぎ槍」と呼ばれる槍の構造に似たリリアの槍は、一般的な継ぎ槍に在りがちな構造の脆弱さを示すことは無かった。一度伸長すると、槍の柄は強固な一本物の柄と同じ強度を示すのだ。


 その上、ミスリルで作られた柄は軽く強度に優れている。そんな柄の先端に取り付けられるのは、普段リリアの腰に差された養父ジムの形見の片手剣だ。双剣術を得意とした養父がのこした左右一対の剣の片割れ、右手剣は薄く鋭い刀身はそのままに、槍の穂先に納まるように造り替えられていた。元はつばに相手の剣を絡め取り折るような意匠が施されていたが、今は単純な十字鍔に改められ、握りを造り替えることにより、槍の穂先の役を果たしているのだ。


 そんな槍を構えるリリアは、河原に飛び出してきた人影を認めると一気に距離を詰める。


「いやぁ!」


 音も無く、しかし、音と同じような速さで一気に間合いを詰めた彼女は不意に気合いの声を上げると、最初の一撃で一匹のオークの首筋を薙ぎ払った。暗殺者の刃は槍の先端に在っても健在で、カミソリのようにオークの頸椎とその中を通る太い神経の束を断ち切る。


「ウワァァ、あ――!」


 糸が切れた操り人形のように、力無く河原に倒れ込む仲間を見たオークは、そんな驚愕とも悲鳴とも付かない声を上げる。しかし、その声の素となる息を吐き終える前に、古エルフの血を四分の一受け継ぐ少女が操る槍の穂先は、そのオークの心臓を正確に刺し貫いていた。


 無言の河原に、音を発するものは居なかった。ただ一度、少女はミスリルの柄の先端に取り付いた刀身を払う。纏わり付いた汚い血液と脂肪がボダボタと河原の石を濡らした。


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 オークの首領を捕えたユーリーと、残存したオークを掃討したリリアは、殆ど同時にセド村の西口へ帰還していた。彼等を迎える村の人々は、南の森ににらみを利かしていた木こり衆が殆どだったが、中には表情を決めかねて、変な顔のままの村長の姿もあった。


 既に夜明けを迎えた村は、一戸たりとも損壊する事無く、一人たりとも危害を加えられることは無かった。その事実に木こり衆は喝采を以って青年と少女の二人組である冒険者を迎え入れた。


「いや、何と言う大活躍。すばらしい……恐れ入りました」


 とは、複雑な表情をしたセド村の村長の言である。どうも、最初にユーリーとリリアの二人組を六人組のおまけ・・・くらいに考えて当てにしていなかったことを気にしているようであった。一方、


「全部やっつけるとは、見掛けに合わず大したもんだ」


 とは、木こりの纏め役であるダムン少年の父親の言葉だった。ユーリーとリリアは、そんなダムン少年の父親に言い難そうにしながら言葉を掛けた。


「あんまり叱らないで下さい。あの頃の少年は好奇心が何より勝るものです。僕も自分の村が襲われた時は、養父の目を盗んで襲撃者を見に行ったものです」

「ダムンに怪我なんかありませんか? 多分大丈夫だと思うけど、怯えているようなら優しくしてあげてください」


 だが、ダムン少年の父親は、そんなユーリーとリリアの言葉に対して、疑問を滲ませるようにして返事をする。


「はぁ……しかし、ウチの子が何か?」


 少年の父親は、そんな風に言うと首をかしげる。彼の認識では、息子は妻と共に村の東へ避難していたはずなのだ。そこへ、


「あなた! 大変、ダムンが見当たらないの!」


 ダムン少年の母親の悲鳴に似た声が割り込む。その声に驚いたのは、父親だけではない。ユーリーとリリアも目を剥いたように驚いていた。


 そして、オークの襲撃を防ぎ切ったセド村は、慌ただしく周囲の森に男達を送り出す。いつの間にか行方不明となった少年を探すためだった。そして、その日の午後遅く、村の西口に出来た土壁の跡である低い土山の中で少年の靴の片割れが見つかるのと、不審な馬が西から村に近付くのは殆ど同時の出来事であった。

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