Episode_18.23 決着?


 土壁の上部を矢のように駆けるユーリーは左手の仕掛け盾を展開すると、そのまま更に数歩駆ける。そんな彼は、火爆矢の爆風が薙ぎ払った場所に落下したオークと、その手に掴まれたダムン少年を視界の中心に据えると、オークの集団目掛けて宙を舞った。何の仕掛けもなく、只我武者羅がむしゃらに飛び込んだのは、咄嗟の判断だった。


(助けないと!)


 その心はかつて目指した哨戒騎士の心根 ――人々を守る―― を思い出したものかも知れない。若しくは、オークに掴まれたまま地面に倒れ伏す少年の姿が、嘗ての自分と重なったのかもしれない。又は、単純に見殺しに出来ない、と感じた末の行動だったかもしれない。とにかく、理由はどうあれ、彼はオークの集団の只中に飛び込んだ。


 細身の身体は、決して華奢な訳ではない。しっかりと引き締まった筋肉に覆われた身体は見掛けよりも目方がある。その上軽装といっても金属鎧を着こんだユーリーの重量は可也の重さになる。それが、走り込んだ勢いを付けて飛び降りた場所は、ダムン少年を引きずり落としたオークの背中の上であった。


「グェッ」


 着地と同時に足元で鈍い音が生じる。ボグッと足に伝わる感触は背骨を圧し折ったものだろう。そのオークは堪らず、蛙が潰れたような声を発する。対してユーリーは、着地と同時に逆手に握った蒼牙の切っ先をそのオークの首筋に突き立てる。ゴリッという感触と共に切っ先が脊椎を断ち切る感触を得る。そして、引き抜きざまに、周囲を取り囲んだオークの集団目掛けて魔力衝マナインパクトを発動した。


 魔剣「蒼牙」が持つ増加インクリーションの効果を受け、威力と効果範囲が増大した魔力の塊が、オークの集団を打ち据える。その一撃だけで大柄なオークが三匹吹き飛んだ。


「あ、あぁ……」


 仰向けに転倒した状態で腰が抜けたのか、立つことが儘ならないダムン少年は、呻き声と共に茫然とした表情でユーリーの動きを追っていた。


「ダムン、立てるか?」

「あ……は、はい」


 ユーリーはそんな少年を背後に庇いつつも、左手で彼の襟を掴むと引っ張り上げるように立たせた。そして、土壁を背にするような場所に移動する。周囲には、火爆矢ファイヤボルトの爆風から立ち直ったオーク達が集まりつつあった。警戒と殺気の籠った視線を発する彼らに、ユーリーとダムン少年は土壁の際へ追い詰められた格好となる。


 オークの集団による突進で幕開けとなった早朝の襲撃劇は、魔術と精霊術を操る二人組の介入により様相を一変させていた。しかし、仲間の数を二十匹弱に減らされて尚、オーク達は戦う姿勢を崩さない。ひしゃげた豚鼻の顔に怒りの表情を浮かべた彼等は、人間の男と子供を壁際に追い詰める半円状の囲みを作ると、首領の合図を待つ。一触即発の緊張した雰囲気が辺りを包む。


(数は二十……突破できるか?)


 ユーリーはこの状況を打破する方法を必死で考える。自分一人ならば何とかなるかもしれないが、少年を一人庇った状態では、こちらから討って出る事は難しい。しかし、壁際に追い詰められ、半円状に包囲された状態に留まれば、防御など出来るはずも無い。最善の方法は、火炎矢フレイムアローといった即座・・に発動できる魔術を連発して力押しに押し切ることだ。しかし、幾ら習熟したといっても、完全に隙を見せずに魔術を放つ事は不可能である。どうしても、魔術陣の起想に意識を移す瞬間が訪れる。


(何でも良い……一瞬だけ敵の注意を逸らせれば)


 ユーリーはその瞬間に値するだけの「切っ掛け」を求める。そして、直ぐに思い出した。自分は一人で戦っていた訳ではない事を――


「ユーリー!」


 斜め上方から響く少女の叫び声、それは立て続けに鳴り響く弦音つるねによって掻き消されるが、間違いなく愛する少女のものだ。そして、文字通り矢継早に射掛けられた矢が、オークの頭上に降り注いだ。オーク達はその音を聞くと咄嗟に頭上へ注意を向ける。そこへ襲い掛かった数本の矢が不運なオーク達に突き立つ。


 リリアが放った矢は四本、二十のオークに対して数は足りないが、ユーリーが求めた「一瞬の隙」を作り出すことは可能だった。頭上に注意を逸らしたオーク達に、今度は正面から濃密な火炎矢が降り注いだ。「蒼牙」に魔力を籠める手間さえ惜しく、ユーリーは素の状態・・・・で炎の魔術を立て続けに放つ。一度に五本が増加インクリージョンの効果を受けない場合の限界である。しかも、燃え盛る炎で出来た魔力の矢は、一発でオークを仕留めるほどの威力はない。しかし、人並み外れた魔力を持つユーリーは、その威力の低さを手数で押し切るように、矢継早に炎の矢をオーク達に投げ付ける。


「ウガァ!」


 殆どのオークはその攻撃に怯む。中には装備に炎が燃え移り地面を転げまわる者も居る。しかし、中には逆に突っ込んでくる者も居る。極至近距離で対峙する場合、その戦法は或る意味正解かもしれないが、それだけにユーリーはその動きを読んでいた。


ガキィ


 振り上げられた両手持ちの戦槌がユーリー目掛けて振り下ろされるが、対するユーリーは冷静にその軌道を見極めると、オークの懐に飛び込む。長柄の武器が苦手とする近い間合いで、片刃剣の鍔元付近で一撃を受け止めたユーリーは、次いで始まる力比べには付き合うつもりは元から無かった。青味を帯びた材質不明の刀身を粗末な柄に沿わせて滑らせると、分厚い革手袋のみで守られたオークの指がスパスパと撥ね飛んだ。


「ギャァ」


 片手の指を切り飛ばされたオークは反射的に手を抱え込むようになる。対するユーリーはその剥き出しの後ろ頭を仕掛け盾の縁で強かに殴りつけた。そして、再び火炎矢フレイムアローを撃ち放つ。次々と投げ付けられる投射型の魔術に、それ以降、オークの集団は完全に圧される格好となり、炎を振り払って突進する者は居なかった。


(……こんなの……凄い)


 壁際に身体を預けるようにして縮まるムン少年は、目の前の青年の戦い振りに息を呑む。年頃の彼の事だから、同年代の友達と掴み合いの喧嘩をすることはあった。しかし、そんな子供同士の喧嘩とは全く次元の違う暴力が目の前で吹き荒れていた。相手の命を奪おうとして、睨みつける黒い瞳は畏れを誘発するような眼光を湛える。そして、その雰囲気そのままに、無遠慮にやいばを振るい、炎を放つ。血沸き肉躍る冒険譚をお伽話として思い描いていた少年は、圧倒的に凄惨せいさんな現実に打ちのめされる。意識せずとも漂ってくる生身の肉と血が焦げる匂いに、咽るような吐き気を感じたダムン少年は、その場で嘔吐していた。


(こわい……こわい!)


 頭に思い浮かぶ言葉はその三文字だ。今すぐ逃げ出して、母の身体にしがみ付きたい、そんな気持ちが巻き起こるが、彼の背後には相変わらず分厚い質感を持った土壁がそびえ立っていた。


****************************************


 戦いは一度主導権が傾くと、その後は挽回が不可能なほど一方的に進んだ。近付いて殴る事しか攻撃のすべを持たなかったオークの集団に対して、ユーリーとリリアの二人組が仕掛ける魔術と精霊術、そして弓による遠距離攻撃は圧倒的な優位をもたらした。途中で、ダムン少年に関する予想外の出来事が発生したが、窮地を脱したユーリーとリリアは優位に戦いを進める。


 そんな状況に、流石のオーク達も戦意を保つことが難しくなった。特に大柄な集団の首領が逃げ出した後は、十匹未満に数が減ったオーク達は蜘蛛の子を散らすように一気に逃走を始めた。ユーリーはバラバラな方角に逃げるオークの中から、首領に狙いを付けるとその後を追う。


「リリアは他のを!」

「分かったわ!」


 青年の呼掛けに応じるのは、土壁の上に陣取るリリアだ。彼女は愛用の黒塗りの短弓によって、逃げようとするオークを射抜いて行く。時には石礫ストンバレット拘泥の枷スラッジバインド鎌鼬ウインドカッタといった精霊術を織り交ぜる彼女から逃げ切れるオークは居ないだろう。


 一方のユーリーは、意図があってオークの首領を追いかけていた。殺すのではなく生け捕りにして、悪だくみを洗いざらい白状させたかったのだ。そんなユーリーと南の森に逃げ込もうとするオークの首領は脚力を競うような状態になるが、追いすがるユーリーが一枚上手だった。いみじくも親友から「訓練馬鹿」の称号を得ている青年は、冒険者をかたる旅の中でも鍛錬を怠っていなかった。一方、略奪を後方から指揮し、時に女、時に酒、と贅を尽くしたオークの首領は大きな身体らの殆どが脂肪と、本来の機能を忘れた筋肉で覆われているだけだ。徐々にユーリーがオークの首領との距離を詰める。


「待て!」


 ユーリーの鋭い声が響くが、待てと呼ばれて待つ者は居ないのがこの世の道理だ。特に後ろ暗い犯罪者であれば、一層逃げるものだ。オークの存在自体が違法であるリムルベートと比較して、インヴァル半島東岸の都市群の法はどうなっているか、ユーリーは知らない。しかし、明らかに法を、いや、人々の生存を侵そうと試みたオーク達は万国の法に照らしても違法であるはずだった。その絶対の確信がユーリーの言葉に力を籠めさせる。しかし、それでもオークの首領は逃走を止めなかった。


 村の西口の少し開けた場所を突っ切った一匹と一人は、そのまま南の森へ飛び込むように姿を消した。

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