Episode_18.21 セド村襲撃事件


 翌朝というには早すぎる時間。リリアは頭の中に直接呼びかけるような意志・・を受けて目を覚ました。ダムン少年宅の狭い一室の隅で藁を敷いた床の上に二人で身を横たわり眠りに就いた彼女は、愛する青年の身体と腕に絡み付いたようになっていた自分の腕を引き抜くと、ゆっくりと起き出した。身に着けた装備の類は日中のままだ。そんな彼女は、少しだけユーリーの寝顔を見ると、軽く顔を寄せて頬に口付ける。そして、


「ねぇユーリー、起きて」

「ん……ん、ああ……」


 軽く頬に押し当てられた柔らかい感触と、額のあたりを撫でるサヤサヤとした髪の感触にユーリーは少し唸ると目を覚ます。そして、


「動きがあったの?」

「うん……やっぱり西の方にオークの群れが居るわ……六十匹ね」


 目覚めると同時に、意識や視界を共有する若鷹ヴェズルの視界を読み取ったリリアは、ユーリーの質問に明確に答えた。一方、彼女の言葉を聞いたユーリーは溜息とも、気合いを入れる声とも取れない音を発すると肚に力を入れる。そして、


「わかった、じゃぁ手筈通り。僕は皆に知らせるから、リリアは――」

「分かってるわ。西口で落ち合いましょう」


 と言う事になった。


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 セド村はお世辞にも外敵に対して充分な防御力を持つ村とは言えない。村の周囲に張り巡らされたのは子供の身長ほどの木の柵のみだった。因みに北側にはそんな柵すら作っておらず、ストム川が村の中と外を分ける境界線代わりになっている。そのため、本当に襲撃が有るならば、リリアが使う地の精霊術による防壁が防御のかなめになる。特に、西側から一辺倒いっぺんとうに攻めてくる敵に対しては、地の精霊の助力によって発動する地の壁アースウォールは有効な防御手段となる。そのため、リリアは一足先にセド村の西の入口付近へ向かった。


 少し離れた森の上空を舞う若鷹ヴェズルは、眼下に広がる南の森に集合したオーク集団の姿を視界に捉え続けている。夜明けの薄明かりもささない時間だが、冬枯れの森に蠢く集団は、上空の若鷹ヴェズルからは丸見えだった。奇襲によって村を襲うつもりのオーク達も、上空から常に見張られているとは思いもしない状況だった。


「六十前後かぁ……多いわね」


 余裕と言う訳ではないが、ユーリーの実力を良く知る少女は、そう呟くと不敵な笑みを漏らしていた。


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 ダムン少年はこの夜、結局一睡もせずに物音に耳を澄ませていた。そして、夜の闇が薄まる時間帯に、ごそごそとした物音を聞くとベッドから飛び起きた。


「ダムン! あら、起きていたのね。母さんと一緒に東側へ避難するわよ」

「分かった。お父ちゃんは?」

「もう出て行ったわ、心配しなくてもいいから、さぁついてきなさい」


 慌ただしい様子の母親に促されて、ダムン少年は小屋を後にする。既に男女二人組の冒険者の姿も、父親の姿も無かった。


(やっぱりオークが襲って来たんだ)


 ダムン少年はそう考える。まだ争うような物音は聞こえないが、薄闇に沈んだ村の西側では、大勢の村人が起き出して、ダムン少年と母親のように東側へ避難しようとしていた。ダムン少年は母親に手を引かれるようになりながら、村の中央を通る道へ出る。周囲には同じような村人が大勢いた。皆、無言の内に恐怖を押し殺して東へ急ぐ。


 小さな集落であるセド村に見合った道は細く、そこを大勢の人々、百五十人前後の村人が一度に東を目指したため、とても混雑していた。その上、周囲は薄闇の時間である。人々はお互いの姿を頼りに、ひと塊で進んだ。そんな状況だから、好奇心に駆られた少年の手が、母親の手をすり抜けたとしても、母親にはどうすることも出来なかった。


 そして、村の東側に広がる農家が集まっている場所まで逃れた西側の村人達は、ヒソヒソと声を押し殺して話を始める。女子供ばかりの集団は、村の防衛に向ったおっと達の身を案じる会話になる。また、その頃には農家の人々も起き出して来て、何事か? というやり取りが、彼方此方で始まっていた。ダムン少年の母も近所の同年代の女性や、農家に嫁いだ友人に話し掛けられ、そちらへ注意を移すことになった。彼女が、息子の姿が見えない事に気付くのは少し後の事であった。


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「西側は僕達が守りますので、皆さんは西から南に回り込んでくるオークを村に入れないようにしてください」

「わかったが……お前さんは本当に大丈夫なのか?」


 ユーリーは五十人以上集まった木こり達に対して、南側を重点的に守るように伝える。しかし、木こりの代表であるダムン少年の父親は、そう言うユーリーを見て少し心配そうな表情となる。確かに、屈強な森の労働者である木こりの基準から言えば、ユーリーの外見は細く、頼り無く映るのだろう。その事は、ユーリー自身も良くわきまえている。


「大丈夫ですよ。でも、苦しくなったら応援呼びますから、その時はよろしくお願いします」


 先ほどリリアから届いた遠話テレトークによる情報では、敵のオークの数は六十前後だという。正直な話、何も無い平坦な場所でこの数と対峙するのは少し厳しい。しかし、リリアの地の精霊術で障害物を造り出し、それに阻まれた相手に対して、大規模な攻撃魔術である火爆波エクスプロージョン火爆矢ファイヤボルトで対抗すれば、なんとかなる可能性はあった。ただし、冬枯れの乾燥した季節に、村の近くで炎の魔術を使う事を説明して納得させる手間が惜しいので、その事には触れないユーリーであった。


 一方のダムン少年の父親は、そんなユーリーの説明に、やはり納得しきっていない様子だが、更に何かを言い掛けたところで、別の木こりがユーリーに声を掛けてきた。


「おう兄ちゃん! 馬を連れてきたぞ! 立派な馬だな、軍馬みたいだ」


 その木こりは、東側の農家に預けていたユーリーとリリアの馬を連れて来たのだ。彼の感想は正しかったが、そうです、と言う訳には行かないユーリーは、


「すみません」


 と言いながら、彼から手綱を受け取ると、近くの家の柵にそれを緩く繋いだ。馬に乗って戦う事はないだろうが、念のための備えだった。そこへ、如何にも寝起き、といった風情のセド村の村長が、血相を変えて駆け込んできた。


「一体何の騒ぎだ!」

「ああ、村長、オークの襲撃だ」

「なんだと……お前、勝手に騒ぎを起こしおって! オークなど何処にも――」


 村長の問いに、ダムン少年の父親が答える。しかし、周囲は未だ夜明け前の静寂に包まれている。何処にもオークが発するような雄叫びや村を襲う物音は無い。そのため、村長は睨みつけるような視線をユーリーに向けてきた。そして、何か文句の続きを言い掛けた時、周囲にそれと分かる不自然な風が起こった。そして、


「来たわ、数は六十二匹。今の所全員が村の西側に向って来てる!」


 その場に居ないはずのリリアの声が聞こえてきた。この現象に不慣れなセド村の村長や木こり達は驚いたように周囲を見回す。一方ユーリーは、その声を受けて、


「分かった! 今そっちに行くから無理しないで」


 とリリアに対して返事をする。そして、


「皆さん、ここは任せましたよ!」


 と言うと、村の西口を目指して駆け出していた。


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「なんだか村が騒がしくないか?」

「気付かれたかな?」

「まぁ、気付いたところでどうしようもないさ……俺達は南の森の中に居ることになってるんだ」

「そうだ。そして、村が襲われた事に気付き、村を助けるためにオークに立ち向かう」

「そして、オーク達を適当にあしらって、アイツラが逃げ出す」

「村は全滅を免れ、俺達は村を救った英雄として後金を貰う……オークの連中もそこそこ略奪できて、三者三様に満足してお終い……我ながらいい計画だ」


 南の森から、村の西口付近まで接近した六人組みの冒険者は、小声でそう言い合う。押し殺した笑い声を立てる者までいた。そんな彼らの目の前には村の西側へ続く小道を行くオークの集団の姿があった。彼等の中で、ひと際体格が立派な一匹が、冒険者達の潜む森を見ると、彼等に気付いたのか気付かないのか定かではないが、一度手を挙げる仕草をした。


「ああいうのは、止めて欲しいな」

「まあいいじゃないか、今回で手切れさ」

「おい、アレはお前が言っていた二人組の冒険者じゃないか?」

「どれどれ……良く見えないが、きっとそうだな。言った通りに西口に立ってやがる」

「バカほど律儀とはよく言ったもんだ」


 冒険者の一人が、村の西口に佇む二人の人影に気付いた。そして、ヨマの町の宿屋でリリアに手を掛けようとした男が二人を確認すると、嘲るような声が上がった。


「頼むから、女の方は殺すなよ」

「どうだかな……アイツら、戦いになると見境が無くなるからな……五体満足に残ってることを祈るんだな」


 そう言い合う六人組は、一旦森の奥へ戻る。頃合いとしては、日が昇るころに「村を助けるために駆け付けた」という体裁を取るためだった。


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 六十二匹のオークの群れは、約束された略奪劇に興奮が最高潮に達した。目の前には寝静まった村が在る。行く手を塞ぐのは頼りなさそうな外見の人間二人のみ。その状況に群れの首領である大柄なオークが手を振り上げ、そして一気にそれを振り下ろした。襲撃開始の合図である。


 セド村の西口一帯にオークが発する雄叫びが響き渡った。

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