Episode_18.15 インヴァル半島東岸


 インヴァル半島東岸域は、隣のコルタリン半島との間に湾を形成している。その湾の最奥に位置するのがデルフィルと少し内陸にあるダルフィルの二都市である。だが、そんな二都市を除くと、東岸域には人口が集約した都市というものは二つしかなく、その規模は小さいものだ。


 そもそも、インヴァル半島の東岸は土地が痩せているうえに、農業に欠かせない河川が少ない。そのため、多くの人口を養うには不向きの場所であった。それでも、北部では漁業を中心に生計を立てる集落が点在し、南部は乾燥に強い繊維作物の耕作地帯である。


 そんなインヴァル半島東岸をデルフィルから南に向かい、二日の場所にスカリルという漁業都市がある。そのスカリルから更に一日半南下すると、ボンゼという農業都市がある。ボンゼとインバフィルの間は約二日の行程である。そういう位置関係に在るスカリルとボンゼがインヴァル半島東岸の代表的な小都市であった。そして、それら二つの小都市は、その位置関係から、スカリルはデルフィルと友好的な関係を持っており、一方のボンゼはインバフィルとの結び付きが強かった。


 この年の二月上旬にコルサス王国王子派の首領レイモンド王子と密会を果たし、半島東岸域への軍派遣について内諾を得たユーリーとアルヴァン達一行は、その帰り道に再びデルフィルに寄ると、スカリルの代表者と軍派遣に関する条件の交渉を行っていた。交渉はリムルベートにおもねるデルフィルの意向を受けたスカリルからは、難しい条件が提示されることは無く、限定的な金銭供与のみが条件となり合意に至っていた。


 因みに、その金銭供与は近々派遣される軍が食糧や物資を買い求める形で支払われる事になっていた。そのため、リムルベートにとっては当然の支出の一部と言う事が出来た。それでも、国庫財政に関する内容を約束する権限をアルヴァンは持っていない。しかし、コルサス王国から帰参したアルヴァンは、デルフィルの街で父である侯爵ブラハリーからの連絡を受け取っていた。それは、


 ――インヴァル半島東岸域への軍派遣について、正式にガーディス王の許可が下りた。お前は正式に軍使という扱いになる。現在アドルム平野に展開する王国軍の裁量権の範囲内で、自由に交渉してくるが良い――


 という内容で、彼等の行動が正式にリムルベート王国から認められたことを報せるものだった。


「良く考えてみると、可也無茶な独断専行をやってたんだな」


 その話を聞いたヨシンの感想は素直だが、核心を突いたものだった。


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 昨年十二月末に、アルヴァンに対してデルフィル、コルサスへの根回しを命じた侯爵ブラハリーは、当初完全に内密のまま事を進めようとしていた。しかし、トルン砦に移ったアルヴァンから、渉外官チュアレの助力を借りたい、という打診を受けた際にその考えを改め、正式にガーディス王の許可を取ることにしたのだ。


 そんな彼は、後方で補給物資の指揮を執っていたウーブル侯爵バーナンドに軍勢の指揮を一時的に預けると、騎士デイルのみを共に付けて王都リムルベートに戻っていた。そして、王宮内の根回しに大急ぎで取り掛かったのだ。特に反対しそうなコンラーク伯爵の一派を封じ込めた上で、ブラハリーは満を持してガーディス王に策を相談した。それは謁見時の上奏という形ではなく、極限られた面々で行う軍議という格好を取っていた。その場で、


「アドルムへの正面攻撃は予想される被害が大きく、たとえ成功したとしてもインバフィルまで軍を到達させることは難しいと思われます」


 と侯爵ブラハリーは正直に語った。それに対して第一騎士団の副団長を務める騎士が予防線を張るように言った。


「しかし、第一騎士団は負傷者を抱えており、これ以上の増援は王都の守りに支障をきたす恐れが……」


 彼の心配は尤もだ。先のノーバラプール事変の時のように、四都市連合の優勢な海軍勢力が王都リムルベートに押し寄せる事態は最も憂慮すべき危機であった。更には、


「ウェスタ殿とウーブル殿が身を切って軍役に尽力しているのは充分承知しております。しかし、今、オーバリオンとの国境は些か不安定で……」


 というのは三大侯爵の一角、ナブール・ロージアン侯爵の言であった。昨年末に隣国オーバリオンのソマン王子を襲った悲劇の後、オーバリオンは可也神経質に国境を固めている。言外に、リムルベートの策謀を疑うような雰囲気であった。そのため、リムルベートの西の国境を守るロージアン侯爵としては、援軍を出したいのは山々なれど、より重要な問題が目の前に在る状態だった。


「分かっております。王都の守りは手を抜く訳には参りません。その上、オーバリオンのローラン王は……その心中は測り兼ねますが、警戒し過ぎても、逆に気を抜き過ぎても、余計な詮索の種を与えるようなもの。ナブール殿のご苦労も良くわきまえております」


 それらの人々に対して侯爵ブラハリーは理解を示す言葉を述べる。そして、


「兵は足りぬ。されど、ここで退けばインバフィル、いや四都市連合の横暴を認めたようなもの。決して退く事はできません。ですから――」


 と前置きして、若い騎士が話した策を骨子として肉付けした「インバフィル攻略作戦」を説明したのだった。


「……傭兵か……統率は問題ないのか? いざいくさの本番となって使えぬようでは意味が無い」


 ブラハリーの説明を聞いたガーディス王の疑問である。ガーディス王の言葉は西方辺境諸国の一般的な「傭兵」に対する認識 ――士気を保ちにくく、戦況が悪化すると逃亡する、その上統率を軽んじ金次第で裏切る―― に基づいていた。それに対してブラハリーは、その疑問を解消するべく説明をした。


「傭兵という者達は、存外仕事に忠実です。その上、金づくの世界に生きておりますので、裏切りを極端に嫌う者も多いというのが実態です。約束通りの待遇であれば、約束通りの働きを見せる。それが彼等の矜持のようです」


 侯爵ブラハリーの言葉は、ブルガルトの受け売りだった。彼自身も完全に信用しているわけではない。しかし、敢えて自信を持ってそう言い切った。そして、


「東岸へ配する軍は、我が息アルヴァンに指揮を執らせます」


 と言う。場合によってはインバフィルを守る敵勢力と単独で衝突する可能性がある危険な別働隊を息子に任せるというのは、この作戦に対する意気込みを見せて反対されにくくするための方便でもあった。


「アルヴァンか……お前の息子は大丈夫なのか?」

「それ位はやってくれましょう」


 長期間砦に籠城していたアルヴァンを気遣うように、思わず訊き返すガーディス王だが、ブラハリーは平然と答える。気遣いには気付かぬ振りをした。その上で、決して「それ位」と言われる軽い事柄ではないが、若い内から非凡さを見せていた自分の息子ならばやり遂げるだろう、と信じるブラハリーである。


「そうか、分かった。既にデルフィルとコルサスへ向かっているアルヴァンは正式にリムルベートの使者としよう。権限については、ブラハリーに任せる」

「ありがとうございます」

「うむ……私も早く頼りになる息子が欲しくなった。成功したあかつきには祝宴を開く故、全力で事に当たるように」


 晩婚であったガーディス王は、そう冗談めかして言う。そして、その時の軍議は解散となった。


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 正式に軍使となったアルヴァンだが、その時点で大半の仕事は終えていた。そんな彼の一行は、小都市スカリルとの交渉を最後にしてトルン砦への帰路に就いた。二月中旬の事であった。しかし、その一行の中には黒髪の青年騎士の姿と、いつも彼の側に居る少女の姿は見られなくなっていた。

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