Episode_18.14 暗闘


Episode_18.14 暗闘


 アーシラ歴497年2月下旬 カルアニス島


 ――雲上区の評議員連中の事などは、俺達には関係ない――


 カルアニスの港で働く者も、街で働く者も、殆どの者達は自分達を頭上から見下ろすように聳える白亜の議事堂の内部についてはその程度の関心である。しかし、中央評議員改選の投票が近付くにつれ、街はソワソワとした雰囲気に包まれていく。上の面子めんつが変わっても、下々の暮らし向きが変わることは無い。そううそぶきつつも、心の何処かでは大きな変化を怖れている。苦しい日々の生活に、より大きな枷が掛けられる事がありはしまいか? 人々の怖れは、そのようなものだった。


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 一週間前にカルアニスに乗り込んできたインバフィル選出のランチェル中央評議員は、この日の夜、主陸派の主な面々と秘密の会合を持っていた。場所は雲上区にある私邸ではなく、カルアニスの街の中層にある目立たない料理屋の二階だ。この付近にはランチェル中央評議員の持ち物・・・といっても過言では無い商業ギルドの会館と、インバフィル織物ギルドの出張所がある。また、この料理屋も、彼がめかけの女性にやらせている店で、実質彼の持ち物である。


 周囲の二箇所の建物と、この料理屋の一階には彼の護衛の他、密会相手の主陸派の面々の護衛が詰めている。選挙を明後日に控えた今、不測の事態に対する備えは万全であった。


「ホゼック殿、やはりカルアニスの議員達や海洋ギルドを懐柔するのは難しかったか?」


 豪華な丸テーブルに着いた黒髪の老人がそんな声を発した。テーブルに配された料理に手を付ける様子もなく、陶器のカップに注がれた熱い茶を啜るのみのこの老人がランチェル・フェニエルである。髪を黒く染めているため、若々しい風貌に見える。


「それなりの成果は出ているが……『切り崩し』と言える程ではない」


 そう答えるのは浅黒い肌の中年男、ホゼックである。同じ主陸派に属する彼は腹の底に陰謀を押し込んでこの場に居るのだ。


「ロキシス、お主の所、傭兵局の連中はどんな具合だ?」

「は、四票全て私へ投票すると確約をとっております」

「うむ、やはり商業ギルドの票はロキシスに分配するべきか……」


 彼等は、二日後の選挙における「票読み」を行っていた。評議会を構成する評議員は全部で七十人、全員が一票を持っている。その構成は四つの都市の議員が各十人で合計四十人、そこに海軍の要職者で構成される十人の票、そして四つの主要なギルドと傭兵局が夫々四人の評議員を持っているので併せて二十人分の票、という内訳だ。


「カスペル中央評議員も、此方の票の切り崩しを行っていますが……結果は此方と同じようなもの、という見方です」


 少し思案顔になったランチェルに、ホゼックがそんな声を掛ける。現在の中央評議員は各自が十票を確実に確保する状況だ。そのため、各ギルドと傭兵局の二十票が浮動票となり、これを取り合うという格好になる。その上、ランチェル陣営は自分の子飼いである傭兵局戦時作戦運用部総長のロキシスを当選させようとしているのだ、票読みは難しいものだった。


「一度整理しましょう、各ギルドの内私を推すと約束した人物は――」


 ロキシスは、少し紅潮した顔色で自分を推すと約束した各ギルド選出の評議員の名前を挙げていく。それを何食わぬ顔で聞くホゼックだが、その内心の奥底では、暗い企みが形を持っていたのだった。


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 そんな秘密の会合の翌日、選挙前日の夕方、インバフィル港湾ギルドの会頭で評議員でもある男の元に火急の報せが届いた。順風を受けた快速帆船でも三日かかる距離にあるインバフィルから届いた報せは彼の妻からのもので、魔術ギルドに高額な報酬を払い「転送」の魔術を使用して即座に送られてきたものだ。


 カルアニスに囲っている若い妾と久々の密会を満喫していたその男は、最初妻からの報せにギョッとした表情を作った。しかし、魔術ギルドを利用するほどの緊急な内容ということで、表情を取り戻すと届けられた書状の封を開いた。そこには震えるような筆跡だが間違いなく妻の文字が乱れた調子で書き連ねられていた。


 気が動転したのだろう、要領を得ない文章が続くが、内容を読み取った男は顔色を無くすと、すり寄ってくる若い妾の袖を払い、


「今日は、帰ってくれないか」


 と冷たく言い放つ。妾の方は、つれない・・・・態度に抗議しようとするが、男の蒼白な顔色で冷や汗を額に浮かべる様子に、声を発する事無く退出していった。そして、一人残された男は呟く。


「誘拐だと……」


 妻の手紙には、夫婦にとって一粒種の息子が誘拐された事実が書かれていた。今日の午前中に乳母と世話係の下男と三人で外出した十歳になったばかりの息子が、そのまま帰ってこない、という内容だった。そして、遅い帰りを心配して待っていた妻の居る屋敷に、午後遅くになって布包みが投げ込まれた。屋敷の下女達がそれを拾い上げて中を開いて見てみると、驚いた事に一緒に出掛けていた下男のものと思われる左手が手首から下を切断されて包まれていたのだ。更に、その手は紙片を握り締めており、そこには


 ――白票を投じれば直ぐに解放する。我々は見ている――


 とだけ書かれていたということだった。


「……どう言う事だ……」


 インバフィルの港湾ギルド会頭であるこの男は、今回の中央評議員改選の選挙で、ロキシス・ガーバン作軍部総長に投票することが決められていた・・・・・・・。当然、インバフィル選出の中央評議員であるランチェルの一存でそうなっていたのだ。しかし、


(息子のためだ……それに白票なら誰がやったか分かるまい)


 男には他の選択肢は無かった。


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 夜更けともいうべき時刻だが、チャプデイン選出の中央評議員ホゼック・リートマーは私邸の中庭に設置された四阿あずまやで一人佇んでいた。三月下旬の夜は、肌寒さを残しているが、ホゼックはそれを厭わないように、もう半時間はそうしていいた。


 ふと影が動いた。隣の屋敷と敷地を隔てる壁際の植木の辺りだ。そして、低くこもった男の低い声が聞こえる。


「手筈通り。八人の評議員は白票を投じざるを得ない状況に陥れた……」


 感情の欠片も感じさせない声には、特徴も抑揚もない。平板な調子で発せられた声だ。それは、命じられた役割を果たした事のみを告げる。


「わかった、ご苦労だった。レゴ――」


 対するホゼックはそう返事をして、ついで「レゴアノ殿によろしくと伝えよ」と言い掛ける。しかし、それを言えなかった。その瞬間、影から異様な圧力を感じたのだ。それは、剣を握ることのないホゼックでもそれと分かる「殺気」だった。


「と、とにかく、ご苦労だった」

「……」


 影は現れた時と同じように、注意しているはずのホゼックを嘲笑うように唐突に消える。周囲は再び無音に戻った。ホゼックの溜息に似た吐息が漏れる音がやけに大きく響いた。


(アルゴニアの影……無明むみょう悪鬼あっき共……か)


 内心で呟くホゼックの心は、刻み込まれた恐怖を打ち消そうと躍起になるが、果たせなかった。彼は、周囲にわだかまる夜の闇が急に恐ろしいものに思え、早足で屋敷の中に戻るのだった。


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 カルアニスの街を見下ろすように聳える雲上区の評議会議事堂、その白亜の建物の中心には、大きな半円形の大議場がある。そこでこの日、中央評議員の改選選挙が行われた。選挙は候補者を立てて、誰が良いかを投票する方式ではない。評議員全七十名の中から自薦他薦問わずに「これ」と思う人物の名前を記入した票を投じるのだ。


 これは、伝統的に決められた方法だった。事前に候補者を立てていた時代もあったが、色々と血生臭い事態が生じたため、今の方式になったのだ。結局、票の行方は事前の根回しや工作によって決まるので、喩え候補者を立てることをしなくても選挙自体には問題は無かった。そして、事前に候補者が立つ、という事が無くなった結果、選挙の結果は固定化されていた。それは良い意味では四都市連合内部の政治力の安定、という形で現れるが、悪い意味では全体の硬直化と評議員制度の形骸化を意味していた。


 そのため、大多数の評議員達は選挙の結果を「変わり映えしないもの」と決めつけて見守っていた。しかし、役人の手によって開票作業が衆人環視の元で行われるにつれ、大議場はどよめきに包まれる。あり得ないことが起こりつつあったのだ。


「海軍部選出ダーフィット・スミッツ評議員得票十二。ニベアス選出アーベルト・シミリック評議員得票十一。チャプデイン選出ホゼック・リートマー評議員得票十。――」


 得票数の高い者から順に名前が読み上げられる。しかし、ホゼックが十票と発表された時点でインバフィル選出議員達が騒がしくなった。


「カルアニス選出カスペル・フリンテン評議員得票十」


 選挙を取り仕切る役人がそう読み上げると、遂にインバフィルの議員達からは


「不正だ!」

「異議あり! 認められない!」


 などと野次や怒号が飛び始めた。しかし、役人が結果を読み上げる声に変わりは無かった。


「傭兵局選出ヒューブ・グロッグ議員得票九。インバフィル選出ランチェル・フェニエル議員得票八。傭兵局選出ロキシス・ガーバン得票二。無記名白票八」


 ヒューブの名前が五番目に呼ばれた時、喧騒はインバフィル議員の辺りから一気に大議場全体に広がった。永く中央評議員を勤め、政治力的にカスペルと双璧を成していたランチェルが落選した瞬間だった。これは同時に、リムルベートと戦火を交えるインバフィルが中央評議会に直接意志を伝えられなくなった事実をも示していた。


「インバフィルを見捨てるのか!」

「四都市同盟違反だぞ!」

「我々はどうなってもいいのか?」


 そんな怒号は、他の大勢の議員達が発するどよめき・・・・に混じり込むと、只の音の塊になる。そして、そんな音を割ってカスペル中央評議員が声を発した。その老齢からは想像もつかない、張りのある良く通る声だ。彼は席から中央の演壇に向かいつつ大声を発する。


「中央評議員として、インバフィル選出の元中央評議員ランチェル・フェニエル議員に対する懲罰動議を発したい! ランチェル議員は、中央評議会の専権事項である他国に対する侵略行為を地方議会の権限範囲である防衛行動であるように偽装策謀し、四都市同盟の相互防衛規定をみだりに用いて軍事力の私物化を図った疑いがある」


 インバフィルの議員達は、突然の動議に息を呑む。その中で一人、名指しで批判されたランチェルは刺すような視線を演壇のカスペルに向ける。だが、カスペルはその視線を余裕の表情で受け止めると、


「新しい中央評議員の諸君、この動議を正式に評議会の議題とすることに賛成の者は挙手を願いたい」


 と呼びかけた。すると、まず新しく選出されたヒューブが真っ先に挙手する。それにつられてニベアスのアーベルト中央評議員も挙手する。これで五人中三人が賛成したことなり、ランチェル議員に対する懲罰動議は正式に議題となった。


 それは、四都市連合の政治力の均衡が崩れ、新しい形へ移り変わる瞬間を示した事件だった。


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