Episode_18.13 提督の憂鬱


(この店もボロくなったもんだ……)


 男は、そんな独白と共に小さな杯に注がれた火酒を煽る。いかめしい風貌の中年男である。その男はカルアニス海兵団の将校であることを示す制服を少し着崩し、店の入り口を見通せる奥まったテーブル席で椅子に深く腰掛けている。洋上の日光によって焼け尽くした黒い顔には幾つもの古傷が刻まれている。その男はテーブルに刻まれた傷に目を落とす。男の顔の古傷同様、年季の入った傷だった。


 店の場所は、カルアニス港の東側に広がる下層港湾労働者向けの居住地域の外れ、倉庫街との境目付近だ。しかし、二十数年前には海軍と海兵団の練兵場があった場所である。その当時は、気前の良い海の将兵を相手にした商売で賑わっていた地区だが、今は見る影も無く寂れていた。増え続ける人口に押し出されるように、それらの練兵場はもっと東に移転している。だが、この店はその当時から現在まで変わらずに同じ場所で商売をしているのだった。


 店には当時から名前が無かった。しかし、常連だった海兵達は「波待ちナディアの店」と呼んでいた。当時この店を一人で切り盛りしていた三十代前半の未亡人ナディアの名前にちなんだ綽名だった。彼女の夫は船乗りだったが、乗っていた中型帆船が難破し乗組員は彼を含めて誰も帰ってこなかった。それでも、ナディアは夫の帰りを待つように店を遣り続けていた。そして、周囲が練兵場の移転に合わせて引っ越すときも、


「移ったら、場所が分からなくなっちまうだろ」


 と言って店の場所を変えなかったのだ。そんなナディアも既にこの世を去っており、今は彼女のたった一人の息子が妻と共に店を切り盛りしていた。


(船乗りなんて、因果な商売だな)


 カルアニスに寄港した時は、必ずこの「波待ちナディアの店」に立ち寄る男は、もしかしたら、そんな気丈な未亡人ナディアに惚れていたのかもしれないし、そうでないかもしれない。それは誰にも分からない事なのだ。


 男は、空になった杯に素焼きの壺から火酒を注ぐ。その時、軋むような音を立てて店の扉が開いた。


「フロンド! 済まない、待たせたか?」


 後からやって来た男の連れは、男と同じような四十代後半の人物だった。黄色に近い金髪は短く整えられているが、前頭部から頭頂部に掛けては見事に禿げあがっている。そして、室内で働く事が多いのだろう、多少太り気味の身体つきだった。彫像のように険しい顔つきの男とは違い、男の連れはどことなく柔和な表情を備えていた。


「いや、それほど待った訳では無い。久しぶりだな、ルキーノ」


****************************************


 店で待っていた方の男の名はフロンド・バスパ。四都市連合が誇る海軍戦力の一角、第三海兵団を率いる提督だ。一方、後から来た人物はルキーノ・ファルス。四都市連合中央評議会に直属する傭兵局の常設運用部総長である。


「フロンド提督……いや、フロンド、急に一体どうしたんだ? 普段はカルアニスに寄港しても、連絡一つ寄越さない癖に」


 フロンドの向かいに座ったルキーノは、彼から酒壺を奪うと自分で杯に注いで一口で飲み干す。そうしてから、半分不満の混じった声をフロンドに投げ掛けた。


「お前は選挙の件で忙しいのか?」


 対するフロンドは、同年代で一二を争う出世頭に対して、取り方によっては厭味に聞こえる言葉を返していた。


「バカ言え! 一応俺も評議員だが、議員達の権力争いとは距離を置いているよ……」


 そう言うルキーノだが、その言葉尻は含みを持ったように弱かった。一方のフロンドは、そんな様子の友人を見ながら、本題を切り出した。現場一筋の提督にとって、白亜の評議会議事堂内で行われる権力闘争など「どうでも良い」事に過ぎなかった。


「ルキーノ……何故艦隊をインバフィルから引き揚げさせた?」

「あ……ああ、そのことか……」

「そのことか、じゃないぞ。インバフィルの海軍だけでは、援軍も補給物資も送り切れない。オーゼン台地で孤立している部下達は飢えているにちがいない!」


 激昂とまでは行かないが、フロンドは声を荒げて言う。彼が気に掛けているのは、昨年十一月に派遣し、リムルベートに迎え討たれた後オーメイユの街に逃げ込んだ海兵団部隊、彼の部下達の安否についてだった。だが、ルキーノは溜息と共に首を振るとテーブルの上に身を乗り出して小声で言う。


「実は……オーメイユの街は昨年末に陥落しているんだ。立て籠もっていた者達の内、四都市連合の海兵達は捕虜として指揮官と共にリムルベートに送られている。傭兵達はトルン砦だそうだ」

「なんだと? では、作軍部も常設部も、その事実を二か月近く隠していたのか?」

「違う。隠しているのはインバフィルのランチェル中央評議員だ。俺の情報は、リムルベートに潜入している密偵からのものなんだ」


 事態はフロンドが咄嗟に行き付いた想像を超える複雑さを持っていた。その事を実直で部下思いの友人に理解させるため、ルキーノは順を追って話始めた。


****************************************


 四都市連合の内部に在って、軍事部門の一つである「常設部」の総長であるルキーノの話は、フロンド提督が知る内容の裏側を説明するものだった。


「元々、今のインバフィル評議会から選出されたランチェル中央評議員は主陸派と名乗っているが、その実は主戦派・・・と言うべき立場だ。あの男は軍事行動に伴ってインバフィルに流入する物資を増やすことを目論んでいる。丁度、前のノーバラプールの一件で味をしめた格好だ」


 ルキーノの説明によると、前回のノーバラプールを巡る騒動と同様に、今回のリムルベートとの開戦も、商船拿捕を仕掛けたのはインバフィルの独断と言う事だった。その上でリムルベートとの交渉を決裂させ、四都市連合の相互防衛協定に訴えることで傭兵局と海軍勢力を動員させたのは、ランチェル中央評議員の策謀だった。


「……」


 評議会の権力争いや、豪商の利権獲得のために軍事力が使われるのは、四都市連合においては常識だった。そのためフロンドは、その手前勝手な開戦理由に声を荒げることは無かったが、一層険しくなった表情が彼の内心を物語っていた。


「知っての通り、二週間後には改選選挙だ。ランチェルとしては、リムルベートからの攻勢に曝されるインバフィルへの同情票を集め、自分自身の再選の他にロキシス戦時作軍総長を中央評議員に引っ張り上げようと画策している」

「ほう……だが、それでは議席が足りないぞ。四都市の誰か、そうでなければダーフィット・クソじじい総督閣下を蹴落とす必要がある」


 更に続くルキーノの話に、フロンドは疑問を呈した。この辺りの議席数と各都市の力関係は四都市連合内では常識であった。


「クソ爺か……アレは落とさないさ。金や利権で簡単になびく奴だからな……ランチェルはどうも、昔からの政敵であるカスペル中央評議員を落選させようとしているらしい」

「カスペル……」


 二人の声は、カスペルの名前が出ると同時に小声となった。店の中には彼等しか居ないが、どこでどう漏れるか分からない。カスペルはカルアニス選出の議員だからだ。


「カスペル側の動きが読みにくいが、あの白狸しろだぬきが黙っているはずがない……ランチェルの陣営は、竜の尾ならぬ狸の尻尾を踏んだのかもしれない」


 ランチェルの陣営とは、彼の出身地であるインバフィルの議員達、同じ沿岸性都市チャプデインの議員とその主導者であるホゼック・リートマー中央評議員。更に作軍部総長のロキシス、並びに商業ギルドと織物ギルドの勢力だとされている。所謂いわゆる主陸派と呼ばれる面々が彼の陣営と言う事になる。


 一方、カスペル側の陣営は、カルアニスとニベアスの議員達、海洋ギルドの勢力だ。陣営だけを比べると、カスペル側はやや見劣りする結果になる。しかし、


「来週にはランチェルがカルアニスに乗り込んでくる。そして再来週には選挙だ……だが、カスペル側の動きが見えない……静かすぎる気がする」

「不気味だな」

「ああ、ランチェルがカルアニスに乗り込んで来た辺りで何か波乱が起きそうだ。常設部としては、街の警備の傭兵を増やす手配をしているよ。そして海軍総督の爺の方は、インバフィルで遊んだ格好になっていたお前の艦隊をカルアニスに呼び戻した、という訳さ」

「何か波乱が起きた場合に手元の駒を増やしたいという所か」

「そうだな」


 内密にしておけよ、とルキーノは付け加えた。一方のフロンドは、一つ溜息を吐くと杯を煽る。そして、


「そんな政治の話はどうでも良い。ところで、リムルベートからは捕虜に関する連絡はあったのか?」

「いや、無い……少なくても、こっちには情報は入っていない」

「そうか……」


 ルキーノの返事にフロンドは深い溜息を吐く。その様子は、まるで憂鬱そのものを吐き出しているように、ルキーノの目に移った。


「なぁ、フロンド。お前も良い歳なんだ、そろそろ船を降りて俺と一緒に丘の裏方に回ろう」

「……俺もそろそろ潮時だとは思っていたが、部下の無事が分かるまでは船を降りる訳にはいかん。それに、そんな政治の話を聞かされたらな……萎えるよ。いっそ故郷のニベアスに帰って、雑貨屋か宿屋のオヤジになった方がマシだ」


 友人の気遣いを有り難く思いつつ、外面では吐き捨てるように言うフロンド提督であった。

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