Episode_18.12 陰謀の島


アーシラ歴497年1月下旬 カルアニス島


 四都市連合の中核都市であるカルアニスはリムル海に浮かぶ絶海の孤島である。ただし、中原地方や西方辺境域、さらには南方大陸から引っ切り無しに交易帆船が入港する巨大な港を備えるこの都市は「絶海の孤島」という呼び名が持つ孤立した印象とはかけ離れた存在だ。


 街を行く人々も、売り買いされる品々も、中原の覇者となりつつあるロ・アーシラの首都アルシリアと遜色のない多様性と規模を備えている。そんな巨大な交易市場のような都市が、島の南側に面する斜面に張り付くようにして存在している、それがカルアニスという都市だ。


 そんな都市を一望できる斜面の頂点には、豪華な装飾をあしらった白亜の宮殿がそびえ立っている。丁度街を俯瞰ふかんするように建てられたその宮殿は、正しくは宮殿ではなく「中央評議会議事堂」という名を与えられていた。何処かコルサス王国王都コルベートに鎮座する白珠城パルアディスに似た雰囲気を持つその建物は、四都市連合の中核であり、二百万に迫る数の民の頂点に立つ「評議員」達が意見を持ち寄り話し合う場所である。そこでは「四都市連合」の集合体としての意思決定がなされ、今後の活動方針が決められる。しかし、その裏では、多種多様な利権同士が時に衝突し、時に奪い合い、時に談合し、時に妥協する。そのような権益調整の場でもあった。


 あきないを国家国力の中心に据える四都市連合では、その最高意思決定機関である「中央評議会議事堂」に出入りする評議員達はすべからく何等かの利権の代表するべき者達といえる。彼等自身が商人の場合もあるし、もっと規模の大きな大商人達の代弁者である場合もある。そんな評議員の中でも特に強い影響力を持つのが、中央評議会を構成する議員、つまり中央評議会議員であろう。六年に一度、各都市から選出された評議員達の中から選挙で選ばれる五名の議員は、中央評議会を構成し、議会に対して議題を発議する権能を持つ。つまり、四都市連合の議会は中央評議会が発議した内容のみを議論し決定することができるのである。


 そんな中央評議会議員の改選選挙が一か月後に迫ったカルアニスは、交易都市とは別の側面においても、ざわついた落着きの無さを示していた。


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 カルアニスという街は、海に面した港湾地区から階段状に斜面に広がった街である。その街に住み暮らす人々の社会的・経済的立場は海面からの高さに正比例している。その際たるものが街を見下ろす評議会議事堂の存在だが、その議事堂から一層下には各都市選出の評議員達の住まいや豪商、大富豪の住居別荘が連なる区画がある。カルアニスの下層民の中には、下界の雑踏から切り離されたようなその区画を「雲上区」と揶揄やゆを籠めて呼ぶ者もいる。


 その雲上区の中でも、比較的議事堂に近い場所に一つの豪邸が建っている。議事堂と同じような白を基調とした建物は雲上区では珍しい三階建てである。一般的に土地の確保が難しいカルアニスでも、その豪邸は大きな庭を確保しており、もしも議事堂の存在が無ければ、この建物が「評議会議事堂」であると紹介されても疑う者は少ないだろう。そんな豪邸の最奥部の小部屋で、この日の夜、三人の人物による話し合いが行われていた。


 小部屋は人が十人入れば満杯という広さ。窓の無い真四角の部屋は魔術や精霊術による盗聴・透視・侵入・攻撃に対する防護結界が幾重にも張り巡らされた特別な部屋である。そんな小部屋だが、中の様子は特に物々しい雰囲気ではない。毛足の長い絨毯が敷き詰められた部屋には、豪華だが品の良い装飾が丁度良い具合に配されている。そして、部屋の中央に置かれた貴重な古代樹の一枚板を彫り出したテーブルを挟むように豪奢な革張りの長椅子が置かれている。それらの調度品は、この部屋に居る者達が寛げるように、という配慮の現れであった。


 天井近くに浮遊する光は魔術具が発する「灯火」である。その揺らぎの少ない光源の下、相対した長椅子に座る三人の人物は先ほどまで続いていた会話が一旦途切れた後、しばらく沈黙を保っていた。


 三人の内一人は、白髪を撫で付けた身形の良い老齢の人物。好々爺を想わせる柔和な風貌のその人物は、肌の白さから見て中原よりも西の出身であろう。そして、もう一人、老齢の人物の隣に座るのは、ガッシリとした身体つきの金髪の中年男性である。対して、残りの一人は彼等に相対する長椅子に座った中年の男性であった。小太りな体型のこの男性は、少し縮れた艶のある黒髪を老齢の人物同様に撫で付けた、浅黒い肌の持ち主であった。


「カスペル議員、今のお言葉、偽りではありませんな?」


 口を開いたのは浅黒い中年の男だ。彼の言葉は老齢の人物、カスペル・フリンテン中央評議員に向けられていた。だが、発せられた言葉には、少しの疑念が籠められていた。


「勿論、この場の話を書置きすることは出来ぬが……ホゼック議員、今の話はそのままレゴア大使に伝えて頂いて構わない。恐らく乗り気になると思うが」


 カスペルはそう言うと目を細めて、目の前の浅黒い中年男性 ――ホゼック・リートマー中央評議員―― を見る。その視線は、ホゼックを見ているようで、その背後の存在、つまりアルゴニア帝国を透かし見ていた。それだから、チャプデイン選出のホゼック中央評議員が公に関係を否定しているアルゴニア大使レゴアの名前を引合に出したのだ。ホゼックの黒い瞳が、一瞬だけ揺れた。


「リムル海を棋盤と見れば分かりやすい。今インバフィルに相手の注意を惹き付ける間に、我らは棋盤の端に位置するオーバリオンを手中に収める。そして、西方辺境の雄であるコルサスとも結ぶ。そうすれば、南の端であるアルゴニア帝国と西方辺境域の国々を押えた我らは、ロ・アーシラの懐に短刀を突き付ける格好となる」


 そんな喩えを用いてホゼックに語りかけるのは、もう一人のガッシリとした身体つきの人物、ヒューブ・クロック戦時作軍部副総長だ。彼の描く構想では、南と西を押えた四都市連合は、彼自身が短刀に喩えたニベアス島をロ・アーシラの懐に突き付ける格好となる。勢い、ロ・アーシラとの争いはニベアス島を巡る海軍勢力の戦いとなる。陸上で圧倒的な戦力を誇る中原の雄、ロ・アーシラに対して、四都市連合は得意の海軍戦力で対抗することが出来る、という事だった。


「ヒューブ副総長の言う事は分かる。確かに、リムルベートにインバフィルを喰わせる・・・・間に、コルサスの王弟派と同盟を結び、その一方で最西方のオーバリオンを攻める。それは理にかなっているが……しかし、カスペル評議員、貴殿は重商主義議員の重鎮であったはず……どのような経緯で翻意されたのかな?」


 ホゼックは、黒い瞳に拭いきれない疑念を浮かべてカスペルを見詰める。彼が言う「重商主義」とは、四都市連合の本来の立ち位置である交易による影響力行使を主体とする考え方だ。カルアニス島選出のカスペル中央評議員や、ニベアス島選出のアーベルト・シミリック中央評議員は、海洋ギルドや港湾ギルドの強力な後援を受けており、この考え方の中心的人物である。


 一方、チャプデイン選出のホゼックや、インバフィル選出のランチェル・フェニエル中央評議員は商業ギルドの後援を受けた「主陸派」と呼ばれる一派の代表格であった。主陸派は「重商主義」と異なり、実質的な支配地域の拡大を目指す考え方だ。そのため、四都市連合でも大陸の沿岸都市であるインバフィルやチャプデインは自ずとこの考え方を支持する傾向がある。そして、チャプデインが南方のアルゴニア帝国から政治的介入を強く受けるようになったころから顕著に台頭してきた考え方でもあった。


 つまり、現在の四都市連合中央評議会は従来の「重商主義」と近年台頭してきた「主陸派」が意見を戦わせる場所、という事もできるのだ。これまでは、二対二で意見が割れ、最終的に海軍総督のダーフィット・スミッツの動きによって中央評議会の意思決定となる、というのが慣例化しつつあった。


 しかし、本日この場の会合で、重商主義の重鎮であるはずのカスペルは主陸派が唱える西方辺境域への大々的な進出を後押しするような発言を行ったのだ。しかも、その内容は、リムルベートと交戦中のインバフィルへの増援ではなく、コルサス王国王弟派との同盟締結、並びに西方最辺境のオーバリオンへの軍事侵攻という内容だった。


「翻意などではないよ、ホゼック評議員。重商主義や主陸派といった立場の違いは承知しているが、それで手足を縛るなど不合理であろう。私は大局を見極め、四都市連合として今後どのように権益利権、勢力を伸ばしていくか? その視点に立っているだけだ」


 ホゼックの疑問を受けたカスペルは、さも当然のようにそう語る。中央評議員を四期二十四年務めた老獪な人物にとって、喩えその表情の何処にも疑わしい所が無いといっても、それが彼の本心であるかは誰にもわからなかった。


「それに――」


 判断しかねたホゼックを後目にカスペルは言葉を続ける。


「西方辺境域への勢力進出は、君の後援者・・・・・の望みでもあるだろう。我々は協力できると思うのだ」

「後援者とは、些か語弊のある言い方ですな。しかし、協力というのであれば、お互い様でなくてはなりません。この時節柄・・・・・どのような協力ができようものかと、少し戸惑いますな」


 ホゼックの背後にアルゴニア帝国が居ることは、最早公然の秘密となっている。それでも表面上は否定しつつ、ホゼックはカスペルから要求を引き出そうとする。中央評議員改選前のこの時期に、協力など一つの事しか無いのであるが、やはり本人の口から聞きたかった。


「うむ……最近勝手が過ぎるインバフィルには少し中央から遠ざかって貰おう、とな」

「取り決めは有りませんが、中央評議の議員は四都市の代表が勤めるのが慣例。しかし、そこからインバフィルを除外するとなると……相当骨の折れる活動ですな」

「ははは、だから貴殿にお願いしているのだよ」

「……して、その替りに推すべきは?」

「このヒューブ戦時作軍副総長を推して欲しい。何かと反対意見を言う今の作軍総長はじきに更迭されるだろう。それに、海軍総督ダーフィットの高くなり過ぎた鼻をへし折るためにも、それが一番だ」


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 中央評議会議員の改選選挙は、一般の評議員達の多数決で行われる。しかし、多くの評議員達は、出身都市ごとに団結しており、さらに数も拮抗している。そのため、明文の取り決めはないが、これまで五人の中央評議委員の内、四人は各都市の代表となるのが慣例であった。


 しかし、アーシラ歴四百九十七年の改選選挙は、これまでと違った動きを取り始めていた。選挙まで一か月、闇に潜んだ各々の活動は「暗闘」と呼ばれる域に達するまで、さして長い時間を要するものではなかった。

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