Episode_18.11 面談の後で


 意気投合とまでは言い難いが、胸襟を開いた二人と、そうさせた二人、彼等の面談はその後酒宴の様相を呈する。


 トトマ街道会館名物の選べないメニューは、喩え客が王子であろうと、ブレることは無かった。にかわで固めた革製品のように硬い豚の塩蔵肉を炙ったものを賽の目に切り乾燥した香草と和えた主菜、副菜は数種類の芋を蒸し上げたものが深い木皿に積み上げられる。酒肴としては、薄くそぎ落とした塩鱈の乾物と塩気が強く岩塩のように堅いチーズであった。強いて他との違いを探し求めるならば、精々が、肉の付け合せに葉物野菜のピクルスが盛られていることと、イモ類を蒸したものにチーズが乗っている程度だ。そんな食事だが質素倹約を旨とするウェスタ侯爵家公子には本来は苦になるものでは無かった。


 しかし、アルヴァンの弱った胃腸はそれらの粗食と共に酒精を処理することまでは、未だ荷が重かったようだ。酒肴に手を付け、主菜と副菜が饗されるころには普段以上に酔いが回ってしまったアルヴァンだった。


「アーヴは、イドシア砦に二か月立て籠もっていたと……相当な苦労だったんだろうな」

「苦労など……あれは、私が至らないから……兵士も騎士も皆誇るべき強さのつわものだが、剣や槍を交えない戦いでは……彼等の無念を思うと……」


 話は、イドシア砦に立て籠もったアルヴァン旗下の兵や騎士たちの話になる。レイモンド王子の言葉に誘われるように、アルヴァンはその苦しい日々を振り返っていた。周囲で聞くアーヴィルやロージは歴戦の騎士であっても飢餓と戦う籠城の経験は無かった。そのためアルヴァンの話を神妙な様子で聞いていた。


 だが、アルヴァンは濃いワインに酔ったように、普段以上に腹の底から声を絞り出すように言う。この調子ならば涙が流れるのも時間の問題だと思ったユーリーとヨシンは、アルヴァンの語る言葉を遮ると、


「飢餓は腹を弱める。普段ならば酔うほどの量では無いが…レイ、そろそろ」

「そうだな、明日はロージにトトマの街を案内させよう。それくらいの時間はあるだろう」

「ああ、レイ、済まないな。少し不甲斐ないが、確かに酔ったようだ、明日また機会があれば」

「さぁ、アーヴ行くぞ」


 ユーリーが酒宴の終わりを促すと、レイモンド王子も同意する。アルヴァンは少し不満そうだが、身体が本調子でないことは誰よりもよく理解していた。明日がどうなるか分からないが、もう一日は滞在するつもりで、そんな返事をした。そして、ヨシンに半ば抱えられるように、アルヴァンは個室を退室したのだった。


 その後、個室に残ったレイモンド王子達も南門の城砦へ引き上げて行った。そして、トトマ街道会館は普段通りの食事客と酔客、それに客を求める娼婦達で賑わいをみせるのだ。トトマの夜は、色々な思いを孕みつつもゆっくりとけていく。


****************************************


 アルヴァンを部屋に運び込んだ後、ユーリーは再び一階のホールへと降りてきた。ヨシンは部屋に籠って手紙を書くのだという。豪傑な外見に似合わず、青年騎士は筆まめであった。そのため一人になったユーリーは客の喧騒の中に、リリアの姿を探した。しばらく碌に会話もしていない恋人を気にするなという方が無理な話である。そして、元々彼女が居たはずのテーブル付近へやって来たのだが、


「お、ユーリー。飲み直しか?」


 と声を掛けて来たのはリコットだった。テーブルには彼の他に見慣れた冒険者の姿があった。そんな彼等を見回すようにしたユーリーの視線を受けて、


「なんだ、リリアちゃんか?」

「もう寝るって、少し前に上がって行った」

「残念だったな、まぁこっちで飲もう」

「はい、ユーリー君」


 リコットが彼の意図を察すると、ジェロがそう言う。そして、タリルが少し皮肉めいた笑でユーリーを誘うと、イデンは恐らくリリアが使っていた小振りの杯にワインを注ぎ足してユーリーに渡した。ユーリーは目当てのリリアが居ないことに落胆しつつも、促されるままに席に着く。すると、


「ユーリーさん、無事だったんですね!」


 と、弾むような元気な声が掛かった。給仕のサーシャであった。


「サーシャ、心配かけた……かな?」

「当然でしょ!」


 美しいというよりも、愛嬌のある少女はそう言うとユーリーの肩をバシっと一度叩いた。そして、彼女は、ユーリーが行方不明になったと聞かされた日の、ロージやダレス達の暗い集まりにリリアが合流した時の出来事を語った。


「そんなことがあったんだ」


 自分を助けるために、騎士アーヴィルの言葉を突っぱねて相手にしなかったリリアの様子をサーシャから聞いたユーリーは、その事に気持ちが温かくなる気がした。


「ホント、愛されてるなぁ」

「あー、耳が痒い、聞くんじゃなかった」

「でも、アレは裏切ったら怖いぞ」

「ユーリー君、気を付けて」


 一緒に聞いていた「飛竜の尻尾」の面々はいつも通りの反応だった。一方ユーリーは少し気になったのでサーシャに尋ねた。


「ところで、リシアやダレスは何処に?」

「リシア様なら、街の救護院でお勤めされているわ。あのお方は凄い人気よ。レイモンド王子がトトマから動かないのは彼女が居るから、なんて噂もある位……」


 ユーリーの問いにサーシャは快活に答えるが、言葉の終わりは少し沈んだ調子になる。


「で、ダレスは……あの人・・・の隊は他の遊撃兵団と一緒にずっとディンス防衛よ……もう二か月は顔を見てないわ」


 そう言うサーシャの顔はとても寂しそうだった。その様子にユーリーはダレスとサーシャの関係に変化があったことを感じた。ユーリーとしては血の繋がりは無いものの妹とも想うサーシャの変化が喜ばしくもあり、また少し寂しくもあった。


「大丈夫だよ、行きっ放しなんてことはない。ロージさんがトトマにいるんだから、その内休息のために後方に帰ってくるよ」


 そんな慰めるような言葉は自然とユーリーの口から出たものだった。


 その後、直ぐにサーシャは別のテーブルから呼ばれてユーリー達の元から立ち去った。そして、残ったユーリーと「飛竜の尻尾団」四人は別の話題に移っていた。


「ジェロ、お前ダーリアに戻らなくていいのか?」

「そりゃ、戻りたいけど……受けた仕事はしっかり終わらせないと」

「お前が居なくても、俺達だけで何とかするぞ」

「エーヴィーちゃん、きっと寂しがっている」


 そんな話題だった。「飛竜の尻尾団」はアルヴァンから護衛の仕事を受けているのだ。そのため、彼が無事にトルン砦に帰還するまでは「仕事中」という事になる。しかし、幼馴染同士の彼等は、これまで女運の無かったジェロにようやく訪れた「春」の行方を心配しているようだった。その様子にほだされたユーリーもジェロに声を掛けた。


「僕もヨシンも居る。それに正騎士達が五人も同行しているんだ。少し報酬は減るかもしれないが、ジェロさんが抜けても護衛に問題は無いと思うよ」


 しかし、それを聞くジェロは少し苦笑いを浮かべて、


「……なんだよ、全員そろってオレを役立たず・・・・みたいに言うなよ。エーヴィーには手紙を書くよ、仕事は仕事だ」


 と言うのだった。そして、


「ところで、ユーリーはこれからどうするんだ?」

「ああ、そうだ。ヨシンはマーシャちゃんが王都で待っているから、リムルベートに戻るのだろうけど」


 と、話の矛先はユーリーに向く事になった。


「リリアちゃんは『私には問題じゃないわ、一緒にいられれば何処だって良いの』って言ってたけど」


 リコットの声真似付きの言葉だが、リリアの気持ちは百も承知・・・・のユーリーである。リコットの言葉には「似てない!」と抗議しつつも、ユーリーは語った。


「今回の件が終わるまでは、アーヴの助けにならなければと思うけど……さっきのサーシャの話でも分かったが、まだディンスから南は騒がしいみたいだ。レイの方も心配だ。それに……」


 ユーリーはそこで言いよどんだ。カルアニス島に隠された「塔」を前にして、伯父である使徒アズールと女魔術師アンナが語った話も気になるのだ。


「それに?」

「いや、まぁ、リムルベートでやらないといけない事が幾つかあるから、しばらくはアーヴに同行するよ。でも、こっちの内戦もこのまま・・・・って訳にはいかない」

「あっちこっちと気を回さずに、一か所に仕えればいいじゃないか」

「それが出来ないなんて、冒険者か傭兵みたいだな」


 結局、塔に関する事は濁したユーリーの言葉に、ジェロとタリルが感想を言う。そして、


「孤高の騎士傭兵フリーランスか。あぁ、孤高じゃないか、女連れだし。まぁ必要とされている場所で活躍するというのは、ある意味男の夢だな」

「ユーリーなら、充分その実力はある」


 変に勇気づけられたユーリーはその後しばらく、彼等と酒を飲んだ。


****************************************


 時刻としては夜更けと言うには早い時間。トトマ街道会館一階ホールの客層は食事客が順次減って行き、酔客や娼婦を目当てにした客に変わっていく。そんな時間帯だが、飲み始めるのが早かったユーリーは、元々酒がそこまで強くない(もっと言うと好きでもない)ため、酔いを感じて自室に戻っていた。


 トトマ街道会館の宿は少し変わっていて、大部屋というものが存在しない。これは、宿泊客が娼婦と遊びやすいように、また、宿泊客以外でも利用しやすいように、という宿側の思惑だった。そのため、規模は大きいが、宿としての質はそれほど上品なものではない。


 通常男性の宿泊客を二階に、そして余り数は多くないが女性の宿泊客は三階の部屋があてがわれれる。そのため、ユーリーの部屋は二階の奥の方であった。


 部屋の前にはぬるま湯の入った木桶が置かれている。そして、部屋の鍵は当然掛かったままだった。そのため、ユーリーは鍵を外すと、木桶と共に部屋の中に入る。そして、室内の壁に掛かっている粗末な燭台を取り外すと、一旦廊下へ戻り、階段近くの明かりから火を移した。そして、再び部屋に戻ると、元在った場所に燭台を引っ掛ける。仄かな蝋燭の明かりに照らされた部屋は、ベッドと小机に椅子という殺風景。以前宿泊していた時と大した変化は無かった。蝋燭の明かりが届かないベッドの付近は暗闇のままだった。


 ベッドの側には、先ほど宿に到着した時に脱いだ軽装板金鎧や馬に括り付けていた荷物類がそのまま置かれていた。ユーリーは椅子を引くと、それに腰掛けてブーツを脱ぐ。流石に季節は冬である。肌寒さを感じたユーリーは、もう少し熱い湯に変えてもらおうかと考えたが、酔いも手伝って億劫おっくうに感じた。


 結局そのまま、冷めた木桶の湯を掬うと顔を洗う。そして、鎧下を脱ぎ肌着となったユーリーは手拭いを濡らして、肌着の下に差し入れると可也適当に身体を拭いた。


「う、寒い……」


 そんな独り言が漏れて手が止まるが、もう一度濡らした手拭いで今度は下半身を拭いて行く。酔いが醒める気がするが、あくまで気のせいだろう。その証拠に、ふと愛する少女の髪の匂いを嗅いだ気がした。


「リリア、もう寝ちゃったかな……」


 一応彼女の部屋の場所は知っているユーリーだが、危険を冒して夜這いをする気には成れなかった。ただ、寒い冬の夜は一緒に温め合って眠れたらどんなに心地良いか、とそんな想像をしていた。


 ひと通り身体を拭き終わったユーリーは、そこで立ち上がると、鎧下とズボンに付いた埃を払う。バンッという小気味良い音が二度響いた。流石に客と娼婦がそういう事をする用の部屋でもあるだけに、壁は厚く作ってあり隣の部屋からは物音ひとつ聞こえなかった。


 ユーリーは少し考える風に動きを止めるが、直ぐに壁へ寄ると燭台の蝋燭を吹き消した。部屋は真っ暗になるが、窓から漏れる月明かりと、元々薄暗かった部屋のお蔭で直ぐに目が慣れる。そして、ベッドに向った彼は、シーツの端に手を掛けようとして何故か空振りしてしまう。


(あれ?)


 と思うが声を出す暇も無い。その瞬間、ユーリーが手を掛けようとしていたシーツの端は内側から払い除けられ、中から伸びてきた細い腕がユーリーの手首を掴んでいた。


「えっ」

「もう、来るのが遅い!」


 驚いたユーリーが顔を上げると、そこには、怒ったように頬を膨らませつつも、悪戯っぽい目をしたリリアの表情があったのだった。

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