Episode_18.07 密使


 アーシラ歴497年1月末


 天山山脈から吹き下ろす冷たい風は、広大な北部森林地帯を雪に覆い尽くすと、そのまま大陸を南へ吹き抜ける。山裾に近い森林地帯で湿気を落とし切った風は冷たいままに乾き切ると、身を切るような勢いで大陸を駆け抜け、リムル海を目指す。それは、まるで失った湿度を海に求めるような乾いた寒風である。


 港街デルフィルに住む人々は、そうやって北から吹き付ける風に「鱈呼びの風」と呼び名を与えて冬の風物詩としている。丁度この風が吹き始める冬の始まりに、デルフィル近海で鱈が獲れ始めるからだ。そうして水揚げされた鱈は、頭を落とされ内臓を抜き取られると、その身を硬く塩に漬けられる。そして、鱈の水揚げが最盛期を過ぎる頃、すっかり塩が染み込み三分の二ほどの大きさに縮んだ鱈の身は、この「鱈呼びの風」下に引き出され、乾いた寒風によって石のような硬さになるまで干されるのだ。


 そうやって作られる干し鱈は、特にデルフィルの名産という訳ではない。西方辺境の国々ならば、ドルドの森の奥を除き、何処にでもありふれた食材である。値段も手ごろであるため、身の白さを誇る高級品でもない限り、庶民の食卓には通年欠かせない食材となっている。


 しかし、リムルベート王国の貴族達やかつてのコルサス王国の貴族の中では、余りにもありふれた食材のため「庶民の食べ物」といって忌避するような風潮があるのも事実だった。だが、質素倹約を旨とするウェスタ侯爵家の公子にとって、干し鱈を使った料理は好物の一つに挙げる事を厭わない品だった。特に、普通の食事を普通に食べることが出来るまで回復した今は「一口一口を有り難く食べる」という僧侶のような心境に片足を踏み込んだアルヴァンであった。


 ユーリーは、相変わらず混み合った店内 ――海の金魚亭―― の様子に既視感を感じつつ、視線をテーブルに戻した。ユーリーの隣には芋と干し鱈をクリームとチーズで和えて窯焼きにした品を匙で掬い千切ったパンに塗り付けて口に運ぶアルヴァンの姿がある。その更に隣では、この辺りで良く採れる米を魚介のスープで炊き上げた大皿料理を抱えるようにして口に運ぶヨシンの姿があった。


 ユーリーは親友二人の様子を見届けると、そのまま視線を再びホールの方へ向けそうになり、寸前のところで思い留まった。食堂と宿屋を兼業する海の金魚亭、その広い一階ホールにはテーブルが所せましと並べられ、食事客でごった返している。そして、そのテーブルの何処かに、リリアとジェロ達四人組、更に他の同行者達が分散して居座っているはずなのだ。彼等には、護衛対象であるアルヴァンに不審な視線を向ける人物が居ないかを監視する、という役目があった。


「……デルフィルの料理がお口に合ったようで何よりです」


 その時不意に、テーブルの対面に座る人物から声が掛かった。ユーリーはその声につられて視線をそちらに向ける。そこには、ギョロ目につぶれた鼻という独特の風貌を持った若者、スカース・アントの姿があった。


「本来ならば自宅でお迎えしたいところですが、何分妻もまだ迎えていない身、独り者の自宅にそれなりの饗を準備すれば、要らぬ風聞が立ちますので」


 スカースの言葉はアルヴァンに向けられたものだった。対してアルヴァンは、


「いや、こうやって異国の土地で人々の息遣いを聞きながら旨い物を食べるというのは、なかなか得難い経験です」


 そう答えた。今の彼は全くの丸腰に上品な平服という、まるで裕福な商家の子息のような格好をしている。その上、アッシュブロンドの髪は赤っぽい茶色に染められている。さらに、回復したといっても、酷い飢餓を体験したばかりの彼はまだ失った肉付きを完全に取り戻していない。そのため、余り面識の無い者が今のアルヴァンを見ても、彼とは気付かないだろう。そんな変装をして、デルフィルの街に居るのだった。


 勿論これには理由がある、アルヴァンとスカースの会話を聞きながら、ユーリーはこれまでの経緯を思い出していた。


****************************************


 年が明ける前の昨年十二月末、アルヴァン率いるリムルベート王国第三軍はオーメイユの街に立て籠もっていた四都市連合の傭兵集団三千弱を投降させることに成功していた。その後、同行していた第二軍はオーゼン台地の海岸線まで進出すると海からやって来ると予想させる四都市連合の海軍勢力に対する防備に取り掛かった。一方、第三軍は、元のウェスタ・ウーブル連合軍の面々にオーメイユの治安確保を命じ、配下に加えていたブルガルト率いる千人弱の傭兵に当座の武装解除を任せることとなった。そして、ユーリー達を始めとしたアルヴァンの供回りは降伏した四都市連合作軍部の将校達を連行する形でアワイム村へと帰還した。


 捕えられたのは作軍部の将校や海兵団、海軍の将校達だった。その中には海兵団の援軍部隊を指揮したコラルド・イーサの姿もあった。彼等は簡単な尋問を受けると、トルン砦を経由して王都リムルベートに送られる事となる。それは、一か月前に捕えられた四都市連合作軍部のソマルト作軍部長が辿った道のりと同じ道程であった。


 一方、アワイム村に帰参したユーリーやアルヴァン達は、ウェスタ侯爵ブラハリーから戦陣の任とは異なる指示を受ける事となった。


「ユーリーの言う策を熟考した。デルフィル経由で一軍をインヴァル半島の東岸沿いに南下させインバフィル、またはアドルムの街を挟撃する案は戦略的に有効なものだと思う」


 侯爵ブラハリーは、そう言ってユーリーの献策を承認した。その上で、


「しかし、デルフィルやその南に続く独立都市群は長くコルサス王国との緩衝地帯であった。軍事的に介入しないのは長年の不文律と言える。それを破って半島の東へ軍を送るのだ、事前に承諾を得る必要がある」


 という事だった。そして、


「アルヴァンよ、元の東方見聞職であるユーリー、ヨシンの二名を伴いレイモンド・エトール・コルサス殿下から軍派遣に関する承諾を取って来るのだ」


 という事になったのだ。


 実はこの件について侯爵ブラハリーは事前に王都王宮に座するガーディス王の許可を得ていなかった。変に伝令を送りこの策を伝えれば、王宮の役人や爵家貴族達は大騒ぎになるだろう。特にスハブルグ伯爵の失策で勢いに乗るコンラーク伯爵辺りは、何かと難癖をつけるはずだった。そうなれば、戦陣から離れられず、王都で十分な根回しが出来ない今のブラハリーには、それらのうるさい連中を黙らせる自信が無かったのだ。更には、


(もう、父上には静かに養生していてほしい)


 というガーランドを気遣う気持ちも有った。そのため、多少独断が過ぎ、自身の権限を越えた行為だが、息子アルヴァンを派遣することで最小限の影響に留めようとしたのだった。


 そして、指示を受けたアルヴァンは、第三軍の指揮をウーブル侯爵家公子バーナスに引き渡すと、傭兵達への手当はブルガルトに一任する形でアワイム村を離れた。インヴァル河を河川用櫂船で遡上して、上流のトルン砦にしばらく滞在し、その間に行く先での段取りを行ったのだ。


 アルヴァンが行った準備は大きく二つだった。一つはアント商会会長ジャスカー・アントに手紙を書き、レイモンド王子と懇意にしている彼の息子スカースと連絡を取ること。出来ればその後の水先案内を頼む、という内容だ。そして、もう一つは、王都で燻っている渉外長官代理チュアレを内密に手下に呼び込む事だった。新年を祝う祭りもそっちのけでトルン砦から便りを送るアルヴァンの元に準備が整った報せが来たのは一月も半ばのことである。


 準備が整ったアルヴァンの一行には、ユーリーとヨシンの二人、そしてリリアとジェロ達「飛竜の尻尾団」が護衛として同行した。更に渉外長官代理のチュアレとウェスタ侯爵家の正騎士が五名追加で同行することとなった。


 同行者の内、五名の正騎士はトルン砦で冒険者のような外見の装備に着替えると、馬具もそれらしく貧相なものに取り換えていた。それには、やや不満そうな五名であるが、ユーリーとヨシンが強く勧める上に、主であるアルヴァンが進んで平服に身を包み髪の毛の色まで染めてしまえば、嫌だと我を張ることは出来なかったようだ。


「慣れてしまえば、楽しいものですよ」

「そうそう『吾輩は騎士である』なんて肩肘張らなくていいから、こっちの方がよっぽど楽だ」


 少し笑いながらそう言うユーリーとヨシンの二人に、


「チッ、生意気な奴らめ……」


 と言いつつも従ってしまう、そんな正騎士達だった。


 そうしてトルン砦を出発した一行は、一路デルフィルの街を目指した。その道中は順調そのもので、障害となるような出来事は発生しなかった。しかし、十五名の素性不明な集団が街道を急げばそれなりに人目を惹く。そのため、一行は逸る心を押えて旅人の歩調で街道を進んだ。


 そして、この日の昼過ぎにデルフィルに辿り着いた一行は、ユーリーとヨシンの案内で「海の金魚亭」に宿を取ると、スカース・アントとの面談の場を夕食に設定したのだった。


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「私も所用があり、コルサス王国へ出向くところでした。レイモンド王子との面談の約束もあります」

「では、その折に」

「勿論です。祖父が大恩を受けたウェスタ侯爵家の頼みならば、余程の無理難題でもない限り二つ返事で受けるのは我が家の家訓のようなものです」

「ご助力に感謝します」


 食事をしながら話し合うアルヴァンとスカース。話は纏まったようだった。


(ユーリーとヨシンが主と言うアルヴァン。どんな人物かと思ったが……想像通りだったな。面白い。きっとレイモンド王子ともウマが合うに違いない)


 青年達のテーブルでは乾杯が起こる。その中でスカースはそのような考えを抱いていた。

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