Episode_18.06 全面降伏


 アーシラ歴496年12月25日


 その日、インヴァル半島、オーゼン台地には珍しく雪が降った。積もるほどでは無いが、明け方から降り始めた雪は昼前まで降り続き、一時は視界を白く染める程に激しく降った。


 そんな視界の効かない天候は、昼過ぎには一変して青空が覗く空模様となる。オーメイユの街から、東に展開するリムルベート軍の動向を見張っていた傭兵の目には、晴れ間と共に開けた視界の先に、これまでの倍に増えた軍勢の姿が映っていた。


 ――総攻撃が始まるのか? ――


 傭兵達はにわかに浮足立った。オーメイユの街に閉じ込められた傭兵達は元々四都市連合の第一集団と第三集団である。そこについ最近、タンゼン砦から逃げ込んで来た第二集団が加わっていた。第二集団の追加は、只でさえ逼迫した食糧事情を一気に破綻させていた。


 そして、一気に高まった不安と不満は、数日前に大規模な暴動に発展していた。その暴動の結果、彼等を率いていた四都市連合の作軍部将校は、救援に失敗して街に逃げ込んだ海兵団や海軍の陸戦隊と共に、全員がオーメイユの街の中心にある織物ギルドの建物に立て籠もることになった。そのため、傭兵達は元々の傭兵団や知り合い同士で徒党を組むようにして街に留まっていたのだ。オーメイユの街は、既に軍としての統率を失っていた。


 そんな彼等は、行き渡らない食糧のためにふらついた足取りで街の東側へ向かった。総攻撃が始まるならば、受けて立とうという気持ちは強い。


 ――リムルベートは捕虜に残虐な拷問を加えて処刑する――


 傭兵達の間には、そんな風聞が蔓延していた。そのため、彼等の中には、黙って捕えられるくらいならばひと暴れして死に花を咲かせよう、と考える者が多かった。勿論これは風説、事実無根の噂話である。この噂は、オーメイユが孤立し、四都市連合の救援部隊が敗退して街に逃げ込んで来た後に蔓延し始めた。勿論、この噂を流したのは四都市連合の作軍部である。不利な状況に我軍が動揺しないように、敢えて敵に対する恐怖を煽ることで一致団結をはかったのだ。


 しかし、傭兵達にその事情は分からない。全員が中原地方を主戦場としてきた傭兵達だ。文化風習が微妙に異なる西方辺境では「さもありなん」と、そんな風説を真に受けていたのだ。


****************************************


 街の東でリムルベート軍を遠巻きに見る傭兵達。その中には、精霊術師の女と弓使いの男の二人組の姿があった。彼等は崩壊したタンゼン砦から這う這うの体でオーメイユに逃げ延びていた。あの時同じ見張り塔にいた古参の傭兵は病に罹り既にこの世を去っていた。


「ねぇ、もしも私が敵に酷い事されそうになったら……」

「ばか、そんなことはさせないよ」

「でも、もしもその時は……私を殺してね……貴方以外は嫌なの」

「……わかってる、わかってるさ……わかっている」


 彼女の言葉に男は何度もそう言う。精霊術師の女の言葉は、弓使いの男にとって鮮烈なものだった。これまで身体の繋がりはあったが、こういう風に自分を想っているとは考えていなかったのだ。だから、彼はそう呟くように繰り返しながら、女の手をとった。骨ばかりに痩せ細った手が憐れだが、彼自身も愛用の長弓を引き切れる力は既に無かった。


 二人は手を絡ませて握り合うと東の平原を見詰める。その時、リムルベート軍の中から十騎弱の騎馬集団が進み出てきた。


「我が名はアルヴァン・ウェスタ。ウェスタ侯爵ブラハリーの息であり、リムルベート王国第三軍を率いる者だ。オーメイユの街に立て籠もる傭兵諸君に呼びかける。皆、我が軍に投降せよ!」


 顔形がやっと分かるほどの距離に居るはずなのに、その声はまるで頭上で発せられたように明瞭に響いていた。


「そんな……凄い……」

「ん? どうした?」


 街の外壁に身を潜める二人の内、精霊術師の女が驚いた声を漏らす。彼女は、今の声が風の精霊の力を借りて耳元に届いた事に気付いていた。それは遠話テレトークのような効果であったが、その規模は一対一ではなく、オーメイユの街の大半を押し包む規模だった。


 その効果範囲の広さは凄まじいものだが、一方で、精霊術師の女が漏らした驚きには別の事実も含まれていた。それは、周囲の風の精霊が彼女の言う事を全く受け付けなくなった、というものだった。アルヴァン・ウェスタと名乗りを挙げた敵将の様子を確かめようと、精霊術師の女は無意識に風を送ろうとした。しかし、それほど優秀な遣い手ではない彼女の呼掛けに、風の精霊は全く反応しなかったのだ。


「勝負にならないわ」


 彼女は無意識に弓使いの男の腕をギュっと握り締めていた。


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「もう一度言う! 此方には諸君に対する害意は無い! 速やかに武器を置いて我が軍に投降せよ!」


 騎乗のアルヴァンは腹に力を籠めて大声で言う。彼の声はリリアの精霊術に乗ってオーメイユの大部分に届いているはずだが、投降の呼掛けに応じるような反応は今の所無かった。それどころか、


「ちっ、撃って来た」

「魔術もだ!」


 外壁から数百メートルの場所に居るアルヴァン達目掛けて、街の方から弓による射撃と魔術による攻撃があった。第二軍から出てきたハリス・ザリアとその部下の騎士は動揺した声を発する。彼等の声は寸前で精霊術を切ったリリアによって拡散されることは無かった。


「大丈夫だ」

「ああ、心配ない」


 動揺する第二軍の騎士に対して、騎乗のユーリーと魔術師バロルは平然とした風で言う。勿論アルヴァンもブルガルトも平然としていた。そして、彼等の言う通り、山なりの放物線で射掛けられた矢は、彼等の手前二十メートルの場所で勢いを失うと地面に落下した。また、魔術による炎や雷の矢も、彼等に届く前に勢いを減じると、数メートル鼻先で空中に霧散していたのだ。


 矢に対する防御は縺れ力場エンタングルメントである。それを二重に展開していた。万が一それらを突破されても、最後はリリアが風の力で強引に矢を叩き落す算段だった。一方魔術に対する防御は対魔力障壁マジックシールドの二重展開と、魔力套マナシェルによるものだ。因みに魔力套は、対魔力障壁よりも効果範囲は狭いが、魔術を防ぐ力は数段強力な力場術である。この魔術をユーリーは魔術師バロルから習得していた。


「流石、魔術師が二人も居るとな」


 ブルガルトは何処か楽し気にそう言う。一方、彼の隣に居た「オークの舌」の首領ジェイゴブは、半ば呆れたような声で付け足す。


「魔術魔術って言うが、あのお嬢ちゃんの精霊術は……怖い位だぞ」


 ジェイゴブは自身も練達した精霊術師であるため、リリアの力の大きさに驚いていた。そして、恐ろしいものを見る目で少女の顔をチラと盗み見ていた。


「おじさん達、そろそろお喋りは止めてね」


 一方、自分に対するそんな評価に気付かないリリアは一度遮断した拡声エクスパンドボイスを再び発動する合図を送った。それを受けてアルヴァンが言う。


「やはり、ブルガルト。説得は貴方に頼む」

「ああ、分かった」


 そして、不自然な風が再び一同を包んだ。


「俺の名はブルガルト、暁旅団のブルガルトだ」


 アルヴァンに替り、馬を少し前へ進めて言うブルガルトの言葉は、オーメイユの外壁に潜む傭兵達に動揺を与えた。ブルガルトの名前は「知る人ぞ知る」というもので、古参であるほど、彼の二つ名を含めて、それを知る者は多い。


「お前達が、四都市連合の作軍部に何を吹き込まれたか、凡そ察している。しかし、リムルベート側の扱いは公平なものだ。その上、お前達が貰い損ねる後払い金分を払う替りに、リムルベートはお前達を雇い入れる!」


 その言葉に、オーメイユ側から明らかにどよめき・・・・が聞こえてきた。


「まずは投降しろ! 話はそれからだ! リムルベート側で従軍したくない者も、怪我や病気の者も含めて、食い物や手当ての準備はしてある。勿論オーメイユの住民に対しても、恭順するならば同様の準備がある!」


 既に、矢を射る者も魔術を仕掛ける者も無くなっていた。そこで、一行の最後尾に居た聖職者のローブを着た人物が歩み出てくる。彼は、アワイム村から無理矢理引っ張り出された法の神ミスラの僧侶マーヴであった。


「ここに、ミスラ神の僧侶立ち合いの元、今の約束に偽りが無いことを誓う!」


 マーブを前に出し、再びアルヴァンが言う。そして、


「み、ミスラ神の御前に……い、い、今の約束は聞き届けられ、ました」


 少し言葉に詰まりながら、僧侶マーブが宣言した。


****************************************


 結局、この日の午後から夕方に掛けて、オーメイユに立て籠もっていた傭兵約二千五百は自力で投降した。そして、翌日にはリムルベート軍の第二軍と第三軍はオーメイユの街へ入り、中心部にある織物ギルドの建物に籠城していた四都市連合の正規兵とも言うべき作軍部将校と海兵団、海軍の生き残りを捕虜としていた。


 こうして、リムルベート側は、後顧の憂いなく正面に立ち塞がるアワイムの街に全力を向けることが可能となった。アーシラ歴四百九十六年十二月末、この年の八月末に始められた戦争は年の終わりに、ようやくリムルベート側がインヴァル半島の北西部を押える状況を確定させたのだった。

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