Episode_18.02 イドシア砦の顛末記


 ウェスタ城の居館の三階、ガーランドの私室には相変わらずメオン老師が留まったままだった。彼とガーランドの話し声を聞きつけた侍従が一度、部屋の様子を見にやって来た。その侍従は、忽然と現れたメオン老師の姿に驚いたが、ガーランドの申し付けに従い、直ぐに引き返すと、温めたワインが入ったポットを運び込んで来た。


 そういう訳で、メオン老師は陶器の杯に温めたワインを少し注ぎ、それチビリと舐めながらガーランドの言葉を待っていた。蜂蜜が足された温ワインは老魔術師の喉をジワリジワリと温めながら胃の腑へ落ちていく。


 孫が可愛いのは身分の貴賤を問わず、恐らくこの世の真理の一つだろう。ならばガーランドは孫への返事を書くはずだ。それをリムルベートへ運んでやろう。そして、それを口実にして、アドルムの街の前面に築かれた戦陣を訪れるのも一興かもしれない。そんな事を考えているメオン老師であった。


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 ガーランドは、孫アルヴァンの手紙を飽く事なく読み返した。手紙の前半は、二か月弱に及んだイドシア砦での籠城の様子についてだった。そこには、飢えて死んでいった自家とウーブル家の兵士に対する深い哀悼と、その状況に陥ってしまった経緯に対する自責の念が記されていた。


 その経緯についてはガーランドも熟知している。ともすれば、戦陣に居るアルヴァン本人よりも深く状況を知っているかもしれない。そんなガーランドは、当然の事として、浅薄な状況判断と短慮な指揮を以って大軍を敗退せしめたスハブルグ伯爵に対するいきどおりを感じている。しかし、アルヴァンは手紙の中でこう綴っていた。


 ――ウーブルの従兄殿が言う通り、私は些か潔癖のきらいが強すぎました。それ故、王都の邸宅を任された身でありながら他の爵家当主やその跡継ぎ達との好誼通行を疎かにしておりました。その結果、陣内で私の意見を支持する者は少なく、間違っていると分かる指揮、判断に従わなければならない事態となりました。これよりは、父上のやり方を見習い諸方に好誼を通じ、味方を増やしていく所存です――


(立派な事を言うようになったな……)


 悔しさと憤りに塗れた暴言を書き綴っても良い。これは私的な手紙である。だが、アルヴァンは至らない自分を恥じた上で決意を書き綴っていた。飢えと戦いに倒れた者達にとって何が慰めで何が手向けか、それを考え抜いた上での結論だろう、その事がしっかりと伝わってくる文面だった。


 そして、中盤は生き残った騎士や兵士達の様子。そしてイドシア砦を解放せんと奮戦した援軍の活躍が記してあった。それによると、ウーブル侯爵公子バーナスは極度の栄養失調状態だったが、この手紙が書かれた時点では歩けるまでに回復しているらしい。アルヴァンの記述にはしばしばバーナスの名が登場する。そのバーナスは父親であるウーブル侯爵バーナンドの資質を大いに受け継ぎ、人当りが柔らかい人物のようであった。


鬼婆シャローンのせいで疎遠だったが、思えば兄弟の居ないアルヴァンにもっと早くに引き合わせておけば、より良く……いや、儂は欲張り過ぎるな)


 もっと早い内からバーナスのような人物に出会っていたら、アルヴァンの成長はもっと良くなったかもしれない。そう考えるガーランドだが、途中で苦笑いに似た気持ちになる。アレもコレもと欲しがる必要が無いほど、彼の孫は立派に育っているのだ。


 そんなアルヴァンは少し文面を割いて、ウェスタ・ウーブル連合軍の奮戦を書き綴っていた。


 ――まず、砦に立て籠もった騎士や兵士は魔神の如き気迫で押し寄せる敵を押し留めました。その強さは正に死兵。如何に小勢であっても追い詰められた者達は「竜に噛み付く野犬」の如き強さを示すものと思い知りました。大勢の敵を討ち取り、自らも大怪我を負ったデイルですが、今では普通に剣を振るっております。騎士とは皆強靭な肉体の持ち主ですが、彼はその中でも抜きん出ております。取り立てて大柄でも無いのに、全く不思議な思いです。しかし、彼が無事だったことに安堵したガルスの顔は忘れられません――


(そうだったな、婿殿が無事ならばガルスの奴も安心じゃろう)


 ――イドシア砦の戦いはガルスが率いる本隊が敵の本隊を引き受け、哨戒騎士ヨシンが率いる別働隊が、砦を襲撃した敵の別働隊と死闘を繰り広げる展開だったといいます。その時私は砦内で、迫る敵の圧に耐え兼ね包囲されておりました。そして、ヨシンが率いる別働隊は激しい突撃を敢行し、門前の敵を突破する寸前まで行きましたが、敵も歴戦の傭兵集団ということで、あと一歩の所で強力な防御陣に阻まれておりました――


(ヨシン……ああ、マルグス子爵からなにか書状が届いておったな……)


 ――砦内で敵に包囲された私達はもう駄目かと思いました。しかし、その時空から竜が舞い降りました。竜はユーリーとその仲間を伴ってインヴァル山系の山中からやって来たという事です。私はその時、ついに頭がおかしくなったか? と自分を疑いました。しかし、竜は砦の城門に降りると、ただ一度だけ、その尻尾でヨシン達の別働隊を阻んでいた敵を薙ぎ払いました。そして、竜の背から飛び降りたユーリーや「飛竜の尻尾」という冒険者集団は、浮足立った敵兵を散々にやっつけました。更に、再突入を敢行したヨシンの別働隊と合流した我々は遂にイドシア砦に群がる敵を打ち倒したのです――


「メオン殿!」

「なんじゃ?」

「お主は、息子のユーリーに竜を操る術を教えたのか?」

「はあ?」


 突拍子も無いガーランドの言葉に、メオンは珍しく素っ頓狂な声を上げる。しかし、メオンはそこで驚きの表情を仕舞い込むと畳み掛けるように博識を披露した。


「よいですか、竜を操るというのは人間の分・・・・に余る所業です。東の果てのシラルドに居るという竜騎士であっても操るのは魔獣たる偽竜、翼竜ワイバーンの類ですぞ。翼竜ならぬ竜を操るというのは、自然の力を自在に操るようなもの……儂の知っている古エルフでも対立する竜を調伏することは叶わず、止むを得ず打ち倒すしかなかった位ですぞ」


 突然饒舌になったメオンに驚きつつも、ガーランドは言い返す。


「だが、ここにほら、こう書いてあるじゃろ?」

「如何にも……うーむ……しかし、奇怪な……」


 ガーランドが差し出した手紙に書かれた内容にはメオンも唸るしかなかった。その様子に、どこか勝ち誇った様子のガーランドが言う。


「我らそろって長生き故、この世の全てを知った気になっているが、存外この世は分からぬ事で満ちておる……楽しい事ではないか」


 そう言ってハッハッと笑うのであった。


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 機嫌良く笑ったガーランドは、ベッドから起き上がるとメオンの酒杯を奪って口をつけた。メオン老師には止める暇も無かったが、元々止めるつもりも無かった。楽しい、嬉しいと感じた時は、それを目一杯享受するのが人間にとって最も良いことなのだ。若い頃には偏屈が過ぎて、そのような態度が取れなかった老魔術師は今更ながらにそう思う。そして、杯を空けたガーランドから再びそれを奪い取ると、自分のために注いで飲む。少し冷めたワインは、胃の腑にスルリと滑り落ちた。


 メオン老師は思う。理屈は分からないが、自分の知らない方法で、自分が出来ないと思っていたことをやってのける、そんな息子ユーリーが誇らしかった。


(どんな手練を使ったか分からぬが、一度問い質してくれるわ)


 そんな思いさえ、心楽しい老魔術師だった。

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