Episode_18.01 老人二人


アーシラ歴496年12月 ウェスタ城


 トバ河を渡る冷たい冬の川風は、河岸からウェスタの城下町に吹き込むと、そのまま小高い丘の斜面を駆け上がる。そして、トバ河を見下ろすように建つウェスタ城の城壁にぶつかると、寒々しい風音を立てて、そのまま背後のヘドン山へ抜けていく。


 この日、元ウェスタ侯爵のガーランドは城内にある自室のベッドでその風音を聞いていた。半身を起こした状態で、敷布や枕に埋もれるように身をもたれかけている彼は、数か月後にはよわい七十七を迎える。その高齢を考えると、身体の衰えは抗うべくもない事だ。


 家督と爵位を息子ブラハリーに譲ったガーランドだが、その後与えられた宮中大伯老の称号は未だ保たれている。そうでなくても、リムルベート王国の三大侯爵家の一つに数えられるウェスタ侯爵を長年勤めたこの老人は、未だにリムルベート王家や国政に大きな発言力を持っている。コルサス王国が内戦を続ける中、西方辺境随一の大国と称されるリムルベート王国に於いて、国を動かしうる影響力を保持する老人がこのガーランドなのだ。


 しかし、そんな彼の自室はその影響力にそぐわない質素なものだった。老人の一人住まいといっても、少し手狭に感じる部屋。無骨な石組の壁には城下とトバ河を見下ろす大きな窓があり、その反対側の壁には若くして死に別れた妻の肖像画が掛けられている。一方、石床には毛足の長い絨毯が敷かれているが、それもベッドの周囲だけだ。そして部屋の隅にはこれも飾り気のない暖炉があり、赤々と薪が燃えている。


 ウェスタ城下の裕福な商家の方が余程華美な装飾を持っているだろう。しかし、ガーランドはこの部屋の感じが好きだった。華美な装飾や贅沢な食事、心を慰めるだけの遊興には余り興味を示さない。この時代この場所にあって、他の爵家貴族と一線を画する生活様式は彼から始まり息子や孫に受け継がれたウェスタ家の家訓のようなものだった。


 そのような質素な部屋にあって、ガーランドは長い瞑目を続けていた。少し遠くなった耳には、パチパチと暖炉の薪が爆ぜる音、そしてカタカタと川風が窓を揺らす音が薄らと届いている。そうやってしばらく動かなかったガーランドだが、何かの拍子に身動みじろぎを一つした。部屋の扉の外に人の気配が起こったのだ。若い日から武人としての研鑽を積んでいたガーランドは、その僅かな気配を感じると、ゆっくりと目を開き、扉を見る。やがてコン、コンと扉を叩く音が響いた。


「構わぬ、入ってくれ」


 声を発したのはガーランド。喉の奥が張り付いたようになり、少し詰まって言葉が出た。


 彼は扉を叩く者の正体についておよそ見極めをつけていた。身の回りの世話をする者達は先ほど暖炉に薪をくべて、出て行ったばかりだ。大体、階段を登り来る気配をさせずに部屋の前にいきなり現れる・・・・・・・人物をガーランドは一人しか知らなかった。その人物 ――メオン・ストラス―― はガーランドの返事を受けてゆっくりと扉を開き、部屋に入ってくる。


 ひょろ長い痩身に冬物の厚手のローブを巻き付けた老人は、頬骨の張った顔に不貞腐れたような面白くない表情を張り付けて部屋に入ってきた。余人が見れば、機嫌が悪いのか? と思う表情だが、これがメオン老師の普段の表情なのだ。


「起きておりましたか。今日のお加減は?」

「相変わらずじゃ。良くもならぬし、悪くもならぬ」

「まだ死なぬだけ、良いではないですか」


 随分とぞんざいな・・・・・会話だ。国王ガーディスを除けば、ガーランドにこのような口をきくのはメオン老師だけだろう。しかし、ガーランドにはその無礼とも取れる口振りをとがめる気持ちは全く無かった。


 年老いた元侯爵からすれば、周囲に居る人々は皆年下の者である。そんな周囲の人々は、喩え王家の血筋を引く伯爵であっても、彼と対面するとほぼ無条件に敬意と畏怖が入り混じった対応を取る。それは、積み重ねた功績と三大侯爵の一角という地位、そして国内の爵家貴族で最高齢というガーランドの立場によるものだった。


 たくらみ事や交渉事を推し進める上で、ガーランドは自分の立場を遠慮なく活用していた。先の第二次アドルム攻略に於ける水路での補給路確保も、スハブルグ伯爵領に可也の難題を要求し、まさに無理矢理承諾させたのだ。それは、息子で現侯爵のブラハリーでも未だ持ち得ない強力な政治力であった。


 しかし、おおやけの立場でそのような政治的剛腕を振るうかたわら、ガーランドの周囲には対等な立場で意見を戦わせる相手が居なくなっていた。端的に言えば「張り合いが無い」状態となったのだ。特に幼馴染でもあった前国王ローデウスが逝去した後は、その念が一層強くなっていた。そんな中で偶然好誼を通じ得たこの老魔術師の存在はガーランドにとって嬉しいものであった。


 特殊な技能である魔術に長け、経験に基づいた戦略眼と深い見識を持ちながら、人付き合いがまるで苦手なこの老魔術師は、ガーランドの長い人生でも余り付き合った経験の無い種類の人物であった。その上、彼の方が十歳以上ガーランドよりも年上にもかかわらず、ガーランドの頼み事をよく聞いて矍鑠かくしゃくと動き回ってくれるのだ。


 一方、メオン老師が今の立場をどう考えているか、それはガーランドには分からなかった。以前「ユーリーが世話になっているのじゃ、厭とは言えんじゃろ」とか「面倒な御仁に付き合わされて、儂も迷惑じゃ」と面と向かって言われたことはあるが、そんな言葉も、メオン老師らしい、とさえ思うのだ。


 そんな物思いに気を取られるガーランドを後目に、部屋に入って来たメオン老師は、暖炉の前に椅子を置くとそこに腰掛けた。カタッという物音が静かな部屋に響く。そこで、物思いから意識を呼び戻されたガーランドが椅子に腰かけたメオン老師に問い掛けた。


「……王都からのお戻りか?」

「良い報せと悪い報せがあるが、どちらから始めれば良いかの?」


 メオン老師はニコリともせずに言う。一方ガーランドはその言葉に少し間を置いて、


「まぁ、今すぐポックリ逝くことも無いじゃろう……先に悪い報せ、とやらを聞かせてもらえぬか?」


 と答える。すると、メオンは一つ頷き、それから語り始めた。


「これは、王宮付きの宮中魔術師ゴルメスから聞き出した話じゃ。その後、アント商会のジャスカーに直接確認を取った……今の所『噂話』じゃが――」


****************************************


 メオン老師が「悪い報せ」として持ち帰った話は、隣国オーバリオンに関する情報だった。ここ半年ほど領地で静養していたガーランドは知らなかったが、先月十一月半ば、丁度リムルベート王国軍がインヴァル半島のアドルム平野で四都市連合と衝突していた頃、オーバリオンから訃報が届いた。それはオーバリオン現国王ローラン・エル・オーヴァの長男、ソマン王子逝去せいきょの報せだった。その訃報は最初「狩り中に落馬し、打ち所が悪く殆ど即死だった」という内容でリムルベートにもたらされた。しかし、どうやら額面通りの「事故」では無いらしい、というのが、メオン老師の持ち帰った話だった。


「事故では無い……とすると暗殺か?」

「判然とはしないのじゃが、ソマン王子の死因は狩り中の落馬ではなく魔物に、それも食人鬼オーガーに襲われたという。護衛の者にも相当被害が出たらしい」

「食人鬼……? はて、あの辺りにそのような物騒なモノがおったか?」

「如何にも……その点が不審という……あくまで噂に噂が重なった話じゃがな」


 この噂について、リムルベート王国も他国の事であるが調査をしているという。メオン老師はその事実を宮中魔術師のゴルメスから聞き出したのだ。因みに、ゴルメスはメオンがリムルベートの魔術アカデミーに在籍していた頃の教え子だった。可也厳しく指導されたため、ゴルメスは今でもメオンに頭が上がらない。


「その話、ジャスカーは何と言っておった?」


 一方、ガーランドは情報通で知られる豪商アント商会の会長ジャスカーの名前を出した。先代が隊商を営んでいた頃からウェスタ侯爵家にゆかりのあるアント商会は、規模の大きさに見合った独自の情報網を持っている。彼等商人の情報は、時としてリムルベート王国が使う密偵の情報とは違う角度で物事を捉えることがある。


「あの太っちょ・・・・は、流石に商人じゃな。面白い事……いや、あまり面白くはないが、変わった事を言っておった」

「変わった事?」

「あやつが言うには、今回の件は『四都市連合』の中央評議会選挙に絡んでいるのではないか? という事じゃ。どういう事かというと――」


 メオン老師の言った内容はジャスカー・アントが「是非ガーランド様に伝えて欲しい」というものだった。そして、その内容はにわかに信じられないものだった。


「……あくまで噂じゃがな」

「それで、ジャスカーはそちらの線を調べているのだな?」


 ジャスカーがガーランドに伝えて欲しい、といった内容は、四都市連合内部の権力闘争に絡んだ陰謀だった。しかも、その背後には南方大陸の大国、アルゴニア帝国が関係しているということだった。


「はぁ……心配の種は尽きぬのう」

「いずれにせよ、我々の世代が気にする話ではないじゃろ……年寄は大人しく、外野から見ているのが良い」

「……はは、言ってくれるの……じゃが、その通りかもしれぬ」


 溜息混じりのガーランドは、このやり取りが面白く感じられ、少し笑みを漏らした。久しぶりに笑ったような気がした。そして彼は、もう一つの報せが有ることを思い出して言う。


「ところで、良い報せとは?」

「それは、これじゃ」


 対するメオン老師は、懐から一通の書状を取り出すと、椅子から立ち上がりベッドの上のガーランドに手渡した。書状は青い蜜蝋によって封がされているが、その封印は孫のアルヴァンが持っている短剣の印璽によるものであった。ガーランドは、思わず顔がほころぶのを感じた。


「アルヴァンは王都の邸宅に戻ったのか?」

「いや、まだアドルム平野の戦陣とのことじゃ。この手紙は昨日邸宅に届いたばかりじゃ、丁度良いので儂が持って来た……読んで進ぜようか?」

「なに、これ位まだ読めるわ」


 ガーランドは、メオンとのやり取りもそこそこに手紙の封を切った。筒状に丸められた上等な羊皮紙には孫アルヴァン自筆の文字が、老齢の祖父を気遣い大きな字で書き連ねられていた。


 そして、老人二人が過ごす部屋はしばらく無音に支配される。嬉しそうな表情で手紙を読むガーランドの表情を見守るメオン老師は、少しだけうらやまし気な表情でそれを見ている。そして、


(あの馬鹿者……たまには手紙でも寄越さんか)


 と、同じくアドルム平野の戦陣に居るはずの息子ユーリーを内心で叱りつけるのだった。

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