【西方風雲編】二国合従
Episode_18.00 惨劇
オーバリオンの草原を渡る冬の風は冷たい。遥か北の天山山脈から吹き下ろす風は、北のドルドの森を渡り、西の尾根伝いに草原に吹き込んでくる。一方、西に広がる広大な海岸線からは、湿り気を帯びた海風が流れ込む。この国の殆どを占める草原は、丁度二つの風がぶつかり合う場所にあり、初夏から秋に掛けては雨が良く降る。しかし、冬の季節には、天山山脈から吹き込む乾いた寒風の勢いが強くなるようで、余り雨や雪が降ることは無かった。
草原は見渡す限り枯草色が続いている。その
先頭を行く馬の騎手は二十代中盤の青年だ。見事な金髪を風になびかせ、颯爽と馬を駆っている。彼の愛馬はこの国の特産であるオーバリオンの軍馬、しかも最上等の駿馬である。買い求めれば金貨百枚を超える価値であるが、所有すればそれ以上の働きをするという。そんな愛馬を手足の如く見事に操るこの青年は、オーバリオンの王太子ソマン・エル・オーヴァである。
ソマンの騎馬は、やがて森に達するとその場で止まった。そこでソマン王子は下馬すると、持っていた手拭いで愛馬を軽く拭き始める。すると、ようやく後続の者達が追いついて来た。彼等はソマン王子の近衛騎兵達だ。
「王子! あぶのうございます!」
「狩場は逃げません故、もっとこう、我々にもご配慮を」
やっと追いついて来た近衛騎兵の中で、年配の二人が口々に言う。すると、ソマンは笑顔のままで、
「良いではないか、久々の遠乗りなのだ」
と機嫌良く言った。
「ご機嫌がよろしいのは、大変結構ですが。余り
「人を子供のように言わないでくれ。それにレーナムが心配などするものか……アイツの方が馬を走らせると速いのだぞ。何と言っても女の身体故、目方が軽い……まぁ今は無理だろうがな」
「……レーナム様はご懐妊中、目方云々など言っては悲しまれます」
「本当にお前達はレーナムの肩を持つな……幾らで買収されたんだ? ハハハ」
家臣の忠告すら、楽し気に切り返す。ソマン王子という人物は、このように
そんなソマン王子は日々仕事に忙殺されているが、今回はやっと念願の休暇を得たのだ。そのため、普段以上に快活として機嫌が良かった。勿論、休暇だけでこれほど機嫌が良いのではない。他にも色々と良い事が重なっていたのだ。兼ねてからの懸案であった、カルアニス島との交易で条件面の折り合いが付いた事。そして、愛する妻レーナムの懐妊が分かった事。そんな出来事が若い王子を機嫌良くさせていた。
更に、ソマン王子にはもう一つとても嬉しい事があったのだ。それは、彼の弟にまつわる事だった。
「セバスは未だ来ていないのか?」
「それは、あれだけ急げば……我々の方が約束の時間を追い越して到着したようです」
「そうか……しばらく待つとするか」
ソマン王子の一団は、セバス第二王子からの誘いで狩りに
セバスはソマン王子の五歳年下だ。厳格な父親であるローラン王は早くから素養の無さを見限り、セバスには余り目を掛けなかった。そのため、セバスの周りには一時期素行の怪しい連中が取り巻きのように集まっていた。そんなセバスの素行不良は、四年前のリムルベート使節団を巻き込んだ、ドルドの森の密猟事件で最悪の状況となった。
その事件当時、スウェイステッドの街を管理していたソマン王子は、面会を求めてきたリムルベート王国のウェスタ侯爵公子アルヴァンと非公式に面談し、その顛末を聞いた。その時、ウェスタ侯爵公子アルヴァンは、木桶に入った二人分の生首を差し出すと、
「当面の悪い虫は退治しました、後の事はお任せします」
とだけ告げて去って行った。そして、その時からソマン王子の努力が始まった。愛する弟を立ち直らせるべく、彼は心を砕いてその事に取り組んだ。冷えてしまっていた父親ローラン王との間を取り持ったことも一度や二度ではない。そして、最近になってようやく、セバス王子の様子が変わってきたのだ。内向的な性格は生まれつきのものとしてどうにもならないが、短慮な性格は鳴りを潜め、余り喋らない替りに物事を良く考えるようになった。
そして、つい先日ローラン王から、
「セバスにはカナリッジとスウェイステッドの管理を任せる」
という命令が出たのだった。それは、ソマン王子にとってとても喜ばしい出来事だった。そして今回の狩りの誘いは、恐らくセバンからのお礼、という意味があるのだろうと考えていた。
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森の端で待機している一行を、同じ森の奥から見つめる視線があった。その視線は、その場所に一瞬前に突然現れた。その存在自身も、突然自分の周囲の光景が変わったことに驚いた様子で、周囲を見渡す。
警戒が籠った視線が、森の外に待機する沢山の
その存在は、無警戒に集まっている
グウウォォォォンンンッ!
湧きあがる興奮に任せて咆哮を上げる。餌の集団はギョッとした表情で森を見るが、その時には、その存在は大地を蹴って飛び上がっていた。四メートルに達する巨体は、まるで巨大な猿のように森の木々をなぎ倒して進み、あっという間に餌の元に辿り着いた。
「お、オーガー?」
餌の集団が何かを叫ぶが、
「王子を、王子を守れぇ!」
「うわぁ!」
「矢を、矢を射ろぉ!」
草原に吹き渡る北風は悲惨な音を掻き消す。その場で起こった殺戮の惨事は、セバス王子の一行が到着するまで、誰にも知られることは無かった。
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