Episode_17.30 空から来る者


 眼下の森はあっという間に途切れると、切り立った崖のような山肌に変わる。そして今度は山肌に沿うように一気に高度を下げる。眼下の山肌は恐ろしい速さで後方に流れていく。馬や船では成し得ない速度だった。飛竜の背に乗ったユーリーは、背中の棘状の突起に掴まりながら、その光景を観察していた。


 これだけの速度を出せば、聴覚は風切音に支配され、目を開けていることも難しいはずだ。しかし、飛竜の背は静かだった。それは、力がことわりによって役割を決められる前から存在する、太古の龍の眷属飛竜が持つ不思議な力だった。風力、重力、揚力の支配から自由な存在である飛竜は、巨大な翼肢を一杯に広げると、力強く羽ばたく。


 ユーリー達を背に乗せた飛竜は、山裾をなぞるような急降下を緩めると、水平に近い浅い角度で、今度は濃密な雲の中に飛び込んだ。それは、アドルム平野の上空に、戦場の上に垂れ込めた鉛色の雲だった。地上から見上げれば、重苦しく頭上を覆う雲も、飛竜の速度ならばあっと言う間に通り抜ける。そして、ユーリー達の眼下に戦場と化したアドルム平野が飛び込んできた。


「リリア! あれがイドシアだ!」

「わかったわ、ヴェズル!」


 飛竜の背から身を乗り出して眼下を見渡したユーリーが、東を指してリリアに呼びかけた。そして、リリアはその言葉を意志として若鷹ヴェズルに伝える。


 素晴らしい速度で飛ぶ飛竜だが、その鼻先には薄く白い燐光を纏った若鷹が先導するように飛んでいた。その若鷹は、母と慕うリリアの意志を受けて、ゆっくりと弧を描くように東へ針路を変えた。飛竜も正しくその後に従う。


 やがて豆粒ほどの大きさに見えていたイドシア砦がグングンと近付く。それに従い周囲の状況も見えてきた。


(砦の西は……リムルベートの別働隊か?)


 ユーリーはグッと身を乗り出して眼下を見る。不思議と怖さは無かった。よく考えれば空を飛ぶのは初めてでは無いのだ。しかし、やや大胆なその動きを隣で見ていたリリアは思わず彼の腰の剣帯ベルトを握っていた。


 そうやってユーリーが見下ろしたのは、ガルス中将率いる軍勢と四都市連合第五集団の戦いだった。イドシア砦を巡って戦線を形成した両軍凡そ三千の兵士達とは別に、西側では騎士と騎兵の勝負が決していた。見覚えのある深緑色の甲冑を纏った騎士達が、騎兵の集団を蹴散らしたところだった。


 若鷹ヴェズルとユーリー達を乗せた飛竜は、砦の上空に達すると、その場でゆっくりと弧を描くきながら徐々に高度を下げる。次いでユーリーの視界に飛び込んできたのは、老朽化した砦を巡る歩兵同士の戦いだった。門前で繰り広げられる乱戦は、砦に突入しようとした勢力が今一歩の所で敵に阻まれ、逆に包囲されそうになっている状況を示していた。


(ん? アレは……ヨシンか!)


 包囲された側の数は四百前後。その先頭で、当たるを幸いに敵をなぎ倒す徒歩の騎士は見間違えることの無い幼馴染ヨシンの特徴を示していた。ヨシンに見える騎士は、目の前の敵を強烈な斧槍の一撃で打ち据え、殴り倒すと、その拍子に上空に在る異形の存在・・・・・を目にして固まっていた。彼だけでは無い。高度を下げた飛竜の姿を目にした周囲の兵達は敵味方関係なく戦いを忘れたように、優雅な弧を描いて空から舞い降りる飛竜の姿に釘付けになっていた。


「ユーリー! あれ、アルヴァン様よ!」


 その時、反対の砦側を見ていたリリアが声を上げた。ユーリーは、窮屈な飛竜の背で、リリアに覆いかぶさるようにして、そちらを見た。そこには、打ち倒された騎士デイルを守るように、死力を振り絞り、剣を振るう親友の姿があった。戦う力を残していない百人前後の兵が、三百程度の敵兵に囲まれている。


「リリア! あそこに下ろしてくれ!」


 ユーリーは思わず叫ぶ。そして、殆ど無意識で腰の蒼牙に手を掛けた。一瞬、飛竜の巨体が嫌がるように身をよじらせていた。


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 アルヴァンは片手剣ロングソードを無理矢理両手で抱えるようにして振るう。フラフラと泳ぐような剣先とは裏腹に、その痩せこけた顔は鬼気迫る表情で敵を睨みつける。しかし、対する傭兵達はニヤケ顔のあざけるような表情で距離を保ったままだった。きっと自分達を嬲り殺すつもりなのだろう、そうアルヴァンは考える。周囲には立って戦うことの出来る者はもう百人も残っていない。完全に取り囲まれていた。


 しかし、アルヴァンは既に自分の生き死を勘定に入れていなかった。足元には、力尽きて倒れ伏した騎士デイルが居る。彼だけでは無い。多くの騎士や兵士が自分を守って死力を尽くした。そんな彼等の思いに応えるためにも、死に際を無様で飾りたくなかった。


 そうやって剣を振るアルヴァンは、自分の周囲が大きな影に包まれて暗くなるのを感じた。気が付くと周囲の兵も敵兵も唖然として上空を見上げていた。


「?」


 彼等の視線の行方を追うように、アルヴァンも視線を上空に向ける。そして、頭上の低い所を旋回する巨大な存在、飛竜を目にしていた。


「あ……あぁ?」


 事態が呑み込めないのはアルヴァンだけでは無いだろう、全員が唖然として見守るなか、その飛竜はゆったりとした動作で一度羽ばたくと、砦の門の上に着地した。


ズンッ!


 巨体の重みに耐え兼ねて、貧相な門が外壁もろとも・・・・崩れ落ちる。だが、その一瞬前に数人の人影が、その背から飛び降りた。


「アーーブッ! 今行く!」

「ッ! ユー……リー?」


 アルヴァンは自分の名を呼ぶ声に、懐かしい親友の姿を直ぐに思い浮かべた。そして、その通りの青年が、飛竜によって崩壊した門が上げる土煙の中から駆け出してきたのだった。


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(我は、ここで役目を終えてよいか?)


 門を突き崩して地面に降り立った飛竜は、鼻先に無遠慮に止まった若鷹を見ると、そう問いかけた。勿論もちろんただの鷹ではない。大気を満たす風の中で、大部分を占める穏やかな風を統べる者「優しき風の王」の落胤らくいんである。未だ幼いが、いずれはこの世界の大気をことわりもとで循環させる偉大な存在となるべき者だ。


 成竜と風の王では「どちらが上」という優劣は無い。だが、翼竜ワイバーンに奪われた卵の元へ導かれた飛竜彼女は、決して見守る事の出来ない我が子の将来の姿を、その幼い風の王の姿に重ねていた。そんな慈しみの視線を受けた若鷹は考え込む。


(……)


 未だ幼い風の王は砦の中へ駆け出した人間の後ろ姿を見る。そして、砦の外で無益な戦いを繰り広げる人間達も見た。二者を見比べて考え込む思念だけ・・・・が飛竜の中に流れ込む。


(ならば、一度だけ加勢しよう……それで巣に戻る、良いか? 風の王子よ)

「クエ!」


 若鷹の返事を受けた飛竜は、地面に垂らしていた尾を持ち上げる。一緒に、尻尾に絡まった紐を外し損ねた冒険者も宙に持ち上がった。しかし、飛竜はそれに構う事無く、尾を一閃させた。門の外で茫然と立ち尽くす人間に向って、飛竜の、それも成竜の強烈な一撃が加えられた。


****************************************


 ユーリーは飛竜の背から飛び降りる間際に、全員に加護の付与術を掛けていた。そして、背から飛び降りた瞬間、


「イデンさん、祝福を!」

「わかった、ユーリー君」


 ユーリーと共に、砦の内側に飛び降りたのはリリアとジェロにイデンだ。タリルは尻尾の方に絡まって身動きが取れなくなったリコットを助けに向っていた。


 その状況を瞬時に読み取ったユーリーの指示で、イデンはマルス神に戦場いくさばの祝福を願う。また、リリアは風と大地の精霊に呼びかけて、自らに俊足ストライドの効果を生じさせる。ジェロは業物の長剣を抜き放ち前方を睨みつける。


 一方ユーリーは、彼等の行動を待たずに駆け出した。目の前には茫然と此方を見る傭兵達の集団があった。薄い包囲網だった。そして、その向こうには親友アルヴァンがやっと立っている風情で剣を構えている。痩せ衰えてふらつくように立つその姿に、増加インクリージョンの効果を有する魔剣を持つユーリーは、無意識に感情を昂ぶらせた。


「どけぇ!」


 普段の彼からは想像もつかない蛮声が発せられた! 次の瞬間、強烈な魔力に弾き飛ばされた傭兵達が宙を舞う。イドシア砦を巡る戦いは最終局面を迎えていた。

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